なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンサンラジオ256 中止、延期、そして

2020年03月29日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ、第256回。3月29日、日曜日。

まずは報道部から1週間の動きをまとめて。
22日富沢小学校閉校式の縮小開催のため、ニラ小屋で内輪開催
23日宿用院大般若中止、葬儀
24日もがみ地産地消エネルギー例会
26日河北町環境を考える会例会
28日ニラ小屋閉店
そのような1週間でした。

おはようございます。
コロナの影響で様々な会合が軒並み中止、あるいは縮小開催となっています。
25日にはシャンティの総会もありましたが、縮小開催となり在京の役員が出席したようです。山形第1号になりたくないので出席を断念しました。
仕方ないことではありますが、時間をかけて準備してきた方々には空しさと残念な気持ちが残るでしょうね。
4月7日に開催予定だった中島みゆきラストツアー山形公演も延期もしくは中止という連絡が入りました。せっかくチケットが手に入ったのに残念でした。延期に期待します。
そんな中、ニラ小屋は元気でした。
地元の同級生農家がやっているニラ栽培の作業場が、冬の間居酒屋と化して、薪ストーブで肉を焼きながら酒を飲むという集まりが日常化していました。いつも同じ顔触れが同じような話を繰り返して長い冬を過ごしたのですが、5回に1回ぐらい顔を出して肝臓を鍛えていました。
そろそろ作業が始まるようで、28日に閉店ということで今年最後のニラ小屋でした。
田植えが終わると、夏の間タラの芽小屋が開店する予定です。

先々週の16日になりますが、このブログ「なあむ」が開設から2000日になりました。今日で2013日目です。
それは現在のgooblogサイトでのことで、それ以前のocnサイトでは2008年8月21日が開設日なので、そこから約13年5か月、日数で数えると4468日目になると思います。
それが長いのか短いのか、自分では判断できませんが、過去を振り返れば、ずいぶんいろんなことを書いてきたと思います。
以前は色々なジャンルをカテゴリーに分けて同時進行で書いてきました。
ですから、不定期で、書くときは一日に何本も書いたり、書かなくなるとしばらく空いたりと、気まぐれなブログとなっていました。
そうすると、読む人も時々思い出してのぞく感じで、一定した「読者」とは呼べない状態でした。
「サンサンラジオ」を書き始めてからは、毎週日曜日というUP日が固定したので、毎週のぞいてくれる方も増えたと思います。
その分、毎週書かなければならないノルマを背負ってしまったので、それはそれで大変なのですが、もう習慣になってしまうと、週末に向けて記事の内容が少しずつ固まってくるという感じで、今ではさほど苦にもならずに日曜日を迎えています。

さて、今年も松林寺集中講座を開催します。
その予定です。今後どのように推移するのかによりますが、ギリギリまで実施の予定で準備を進めます。
期日は、例年通り6月第一日曜日、今年は7日になります。
第15回目を迎える今回は、音楽がシンガーソングライター中村ブンさん。
そして、落語は順番で露の新治師匠です。
お話は、今回から私、松林寺住職が務めることにしました。
色々な理由があります。
一つは、これまでのプログラムが、全部で4時間という長丁場で、聴衆が座っているのも大変だということがありました。
そこで、それを1時間短くして3時間にまとめた内容としました。1時30分開講、4時30分閉講の内容です。
お話と音楽とお笑いの三本柱は変えずに実施のため、外部の和尚さんではなく住職が法話を務めることにしました。
自由に時間の調整ができるのと、住職の話はもういいという人はその後に来てもらえばさらに時間は短くなるという意味からです。
そしてもう一つの理由は、予算の問題です。
入場料収入では全体予算の半分にも満たないので、不足分は住職の財布から補填していました。
それも毎年となると家庭内の厳しい事情もあるので、自前でやることにしたというわけです。
その1回目の法話は、「行雲流水」と題して、私が永平寺の修行を終えて松林寺まで歩いて帰ってきた時の話をしたいと思っています。
音楽の中村ブンさんは、第4回の集中講座に来ていただきヒットソング『母さんの下駄』を熱唱していただきました。今回は2回目の公演になります。どんな歌が飛び出すか楽しみです。
落語は6回目になる露の新治師匠です。軽妙な上方落語には毎回抱腹絶倒です。
落語のお噺だけでなく、人権活動を通じてにじみ出てくる内容は、いつも笑いながら考えさせられます。
ということで、今回も充実したプログラムですので、ぜひ足をお運びください。
前売り券の予約も承ります。メール、FAX、電話にて受付いたします。
メール・shorin@cup.ocn.ne.jp 電話FAX・0233-45-2833
万一中止を余儀なくされた場合はこちらのブログでお知らせします。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

サンサンラジオ255 まつろわぬ者

2020年03月22日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ、第255回。3月22日、日曜日。

まずは報道部から1週間の動きをまとめて。
15日彼岸前本堂掃除。
17日彼岸入日供養奉詠。
20日彼岸の中日。
21日松林寺本堂にて葬儀。
そのような1週間でした。

おはようございます。
特に出かけるような用事のない1週間でしたので、今村翔吾の『童の神』を読みました。
舞台は京の都とその周辺。時代は西暦1000年の前後。975年皆既日食が起こった時から物語は始まります。
平将門の娘と安倍晴明との間にできた子や孫、源頼光四天王、渡辺綱、坂田金時など歴史上の人物も活躍しますが、どこまで史実でどこから創作なのか私には不明です。
京に住む「京人(みやこびと)」と、京人から「鬼」「土蜘蛛」「犬神」「夜雀」「天狗」「夜叉」など、それらを総称して「童(わらべ)」と呼ばれた土着の民との戦を中止に物語は進みます。
遠くは「蝦夷(えみし)」「熊襲(くまそ)」などと呼ばれていた「まつろわぬ」化外の人々は、野蛮で人よりも動物に近いと懼れられ、排除され成敗されてきました。
しかし、それは京人側からの見方であって、実際は赤い血の流れる同じ人間であり、独自の神を祀り文化を持つ豊かな人々、京人とも仲良く暮らしたいと願う純な人々でありました。
大雑把に言えば、縄文の時代からこの国に暮らす人と後に渡来した弥生人との戦いと言ってもいいでしょう。
『御伽草子』などには、頼光四天王が鬼退治をする物語として朝廷側から描かれているようです。
ただ、一方ではそれが特定の属性やかたまりの戦いというよりも、人間の性(さが)からくるものといえるのかもしれません。
この小説では「卿は人の醜さを知っておられる。蔑む者がいてこそ、民の心は安らぎを得ことを。そうでなくては民に生まれる不平不満は行き場をなくして上へ向かう。さすれば一族の万世の安寧はない」と言わせています。
その醜さに抗い、天下和同の世をつくりたいと夢見る者たちがいた、その旗頭になっていくのがこの物語の主人公の「花天狗」後の「酒呑童子」こと「童の神」桜暁丸(おうぎまる)である。

この物語から1000年が経った今、果たして天下和同の世界は実現したのだろうか。
国内において血を血で洗うような戦が続いているわけではありません。そういう意味では平和な世の中だといえるでしょう。
しかし、様々な差別がなくなったわけではありません。被差別、在日外国人、障害者、性別、さらには貧富の格差、そして、東北などの地方に対する見方も京人の時代から変わっていないのではないかと思ってしまいます。
また、政権に批判が向けられようとするとき、何故かスキャンダラスな話題が惹起され、衆目の矛先が逸れてしまうというようなことが度々起こるもの、1000年前の構図と変わらないのかもしれません。

山形県長井市にはフォークソンググループ「影法師」がいます。
その最近の歌『とうほぐ』ではこんなことを唄っています。

 震災東北で まだえがった(良かった)ど
 つかした(ほざいた)大臣この前いだけな(いたな)
 今だて(今でも)国の 東北見る眼は
 白河以北 一山百文か
  2万人の人が 津波で死んでも
  原発事故で 住む所失くしても
  東京無事だら そんじぇええ(それでよし)ど
  白河以北だら さすけねぇ(かまわない)つうなが
 150年 閉じ込めらっちゃ(られた)
 東北のまづろわぬ(服従しない)魂よ
 出て来い出て来い 出て来て吠えろ
 誰だ悪い奴! 悪い奴出て来い!
 (中略)
 おこぼれけっから(やるから) ちっと我慢しろだど
 おらだは犬でね こんでも国民(ひと)だぞ

全く同感ですね。
原発事故後、原発の仕組みについての講演会が山形市であり聞きました。
中央から来たその専門家が「今回は福島でラッキーでした」と言いました。「福井の原発だったら風向きで大変だった」という脈略ですが、「ラッキー」という言葉を聞いて、腹が立ってその後の話は聞く気になれず途中で会場を飛び出したことがありました。あくまでも東京が中心なのは間違いありません。
支配者側からの天下和同はできません。
大人しくしていれば同等に扱ってくれるというのも夢想です。1000年前から歴史が証明しています。
自分たちの安寧のためにさげすむ人を求めているのですから。
踏まれている者が「痛い」と叫び続けなければ、足を上げることはないのです。
さげすまれている以上「まつろわぬ」者でいる以外にありません。
東北の童が純な心を持ち続け、この地で幸せな営みをなし続け、それをもって京人に羨望させることで見返しとしましょう。
犬ではないから遠吠えはしません。噛みつきもしません。
しかし、飼いならされてもいけません。しっかりと意思表示はしていかなくてはなりません。
コロナも来ないような田舎の山形県。いいではないか。田舎でよかったのだ。
じっとしているときはじっとするのもいい。高く跳ぶためには深く屈まなければならないのだから。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

サンサンラジオ254 一心に思う

2020年03月15日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ、第254回。3月15日、日曜日。

まずは報道部から1週間の動きをまとめて。
9日第15回松林寺集中講座企画委員会。
10日郡内寺院住職の本葬参列。
10・11日宮城県亘理町、徳泉寺本堂落慶・慰霊法要。
13日雪囲い外し。
そのような1週間でした。

おはようございます。
3月11日、9年目のその日を亘理町で迎えました。
9年目にして本堂・客殿を立派に再建させた住職は、『まけないタオル』の歌詞を作った早坂文明師です。
津波は、すべての伽藍のみならず、墓の下のお骨まで根こそぎ持って行ってしまいました。
笠野地区は今も人が居住できない荒涼とした砂漠のようになっています。
そこにお寺は再建されました。墓地も整備されました。
当初は住職も、「青空寺院」になる以外ないなと思われたようです。
しかし、約1か月後、奇跡的にご本尊がほとんど無傷で檀家さんの畑から見つかりました。
「どんな災難に遭っても、人々の支えになろうとする一心でふみとどまってくれた」本尊様を「一心本尊」と名付け、それを安置する本堂の再建を決意されたというのです。
そして、「ハガキ一文字写経」を発願され、全国から2000名を超える納経、寄付が集まり、この度の落慶を迎えたのでした。
その一文字の第1号となったのが永六輔さんでした。すべてが流された跡地に立った永さんは、一枚の色紙を残されました。「大津波 全部持ってけ 馬鹿野郎」。
でも、大津波も、住職の心まで持っていくことはできませんでした。
住職の強い願いと、多くの人々の思いが一つになった結果がこの本堂なのです。
心が一つになったからでしょうか。法要もとても心のこもったいい法要となりました。
「ゼロからのスタートというけれど、最初はゼロにもならないマイナスからのスタートでした。本尊様が発見されてゼロとなり、本堂ができてプラスに転じた感じです。プラス1、これでようやく位置(1)に着いたのです」と住職は語りました。
新しくなった本堂をこれからどう使っていくのか、その意思表示として、復興感謝祭5DAYsが開催されます。その第一弾として行われたのが、やなせなな<ひとつの心>コンサートでした。
コロナによる自粛ムードの中でしたが、行事は予定通りにスタートしました。
「もしかしたら誰も来ないかもしれない、でも聴いてくれるのは本尊様だけでもいいからやります」と強行されました。コンサートの開始には、客殿一杯の来場者で埋まっていました。みなさん待っていたんですね。感動のコンサートになりました。久しぶりに「チームまけないタオル」もそろいました。
「念ずれば花ひらく」という言葉がありますが、「念ずる」とは強く思う、ということでしょう。「一心に」と言ってもいいですね。強く思い続けていれば必ずそうなる。
道元禅師も「切に思うことは必ずとぐるなり」と教えています。
切に思えば、行動が少しずつ変化していきますし、自分が動けば誰かが賛同して手助けしてくれるものです。そして共に喜んでくれます。本当によかったなあ。

さて、先週予告した『Fukushima50』について。
この映画の原作は、ノンフィクション作家、門田隆将の「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日」です。
出版された事故の次の年の12月、息をつかずに読んだ記憶があります。
映画の出演者の言葉もほとんど原作そのままに語られています。
あの時あそこで何があったのか、誰がどうやって原発に対峙していたのか。
それは知らなければなりません。
あの時、現場にいた男たちが、文字通りの命がけで作業にあたっていなかったら、原発から半径250キロ、東日本のすべて、5000万人が避難対象となっていたのです。オリンピックどころか、この国そのものが存在したかどうか。
一緒に映画を観たカミさんが言いました「そうなってたらどこに避難したんだろう」。東北は北海道、関東は関西だろう。家族もバラバラになったに違いない。北海道はロシア、西日本はアメリカが入ってきただろうか。首都を失った国は国そのものが消滅しても不思議ではなかった。
震災から9年が経ち、のほほんと、食べたり飲んだり、震災などなかったかのように「忘れない」などと言っていられるのは、あの時、吉田昌郎所長はじめ、69名の男たちが死ぬ覚悟でこの国を守ってくれたからなのです。海外のメディアでは「Fukushima50」と呼ばれましたが、実際に最後まで現場に残ったのは69名でした。
そのことは、日本人全員が知らなければなりません。さらに後世まで語り継いでいかなければなりません。
「国民栄誉賞」というものが贈られるならば、スポーツ選手や芸能人などではなく、この人たちにこそそれを受ける価値があるというものです。
映画という作品に仕上げられてはいますが、これはドラマではなく間違いなく事実です。その事実を知るだけでも見る価値はあります。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

サンサンラジオ253 奇跡の1分

2020年03月08日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ、第253回。3月8日、日曜日。

まずは報道部から1週間の動きをまとめて。
3日同級生の会葬へ。その後「耳ふたぎ餅」。
4日映画『パラサイト』鑑賞。英会話。
5日映画『Fukushima50』鑑賞。
そのような1週間でした。

おはようございます。
中学の同級生が亡くなり、会葬の後、同級生で当地の風習「耳ふたぎ餅」を行いました。
これは、同じ歳の者が若くして亡くなった場合、あまりにも悲しい出来事なのでそれを聞かなかったことにする、という意味で、昔はついて丸めた餅で両耳をふさぎ、橋の上から後向きに川に投げるという奇習です。その死が自分に及ばないようにというまじないみたいな意味もあったと思います。
餅の代わりに饅頭とかパンでもいいということで、今回はパンで両耳をふさぎ「聞こえね、聞こえね」と言いながら赤倉川に流しました。お酒も少し流し、残った分はみんなで飲み尽くしたことは言うまでもありません。
みんな63歳なので、若いという年齢ではありません。今後このメンバーが誰かの結婚式で顔を合わせることは考えられないので、これから顔を合わせるのは次々と葬式だけです。耳をふたぐまでもないでしょう。まあ、この奇習も最後ということで。

彼が亡くなった同じ日、大変なことが起こりました。
母親は少し前から1週間に1度の入浴ですが、安全のために日中の家族がいる間に入るようにしています。
日曜日の1日、「今日風呂に入るかな」というので、午後にカミさんが風呂自動のボタンを押して湯を沸かしました。湧き上がって、母親は風呂に入ったと思います。
4時ころ、台所でお茶を飲んでいると、エコキュートのモニターから「お風呂が沸きました」というアナウンス。
「あれ、おばあちゃんもう入ってるよね」と不思議に思ったカミさんが風呂へ行ったとたん、大声で叫んで私を呼びました。
飛んでいくと、浴槽の中で突っ伏していた母親の体をカミさんが引き起こしたところでした。
慌てて浴槽から抱き上げた時には呼吸も意識もありません。
前屈みにさせて背中をたたくと口からお湯を吐き出し、同時に苦しそうながら呼吸を始めました。
バスタオルと毛布で体をくるみ、救急車を呼んで声をかけると目を開けて意識も戻りました。
病院に着いて診断の結果、意識ははっきりしているしレントゲン、心電図、血圧、脈拍も重篤な問題ではないので大丈夫だと思うが、お湯を飲んで肺炎を起こす可能性もあるので入院して様子を見ましょうということになりました。
一時はどうなることかと思いましたが、とりあえず命に別状はないようです。昨日退院しました。

この出来事で思い起こされることがあります。
私の次女も風呂で溺れたことがあったのです。
次女がハイハイする時期のことです。
カミさんが買い物に出て、私は本堂で掃除機をかけていました。
電話が鳴ったので掃除機を止めて居間に駆けつけました。
父親からの電話で、何か一言二言話したと思います。
その電話を切るか切らないかの刹那、風呂でボチャンという音がしました。
「あれ、娘は」と見回しましたがいません。「もしかして」と風呂場に駆けつけると、娘が浴槽の中で手足をバタバタさせていました。
抱き上げましたが、水を飲んでいる様子もなく、すぐに泣きだして事無きを得ました。

どちらもあと1分のことだったと思います。
母親がのぼせたか何かで気を失って湯に顔をつけていたのがどれほどの時間か、おそらく1分やそこらでしょう。
後から聞いたところでは、湯が少しぬるいので追い炊きをしたと。だから沸いたことを知らせるアナウンスが鳴ったのですが、鳴らなかったらカミさんが風呂場へ様子を見に行くこともありませんでした。
気づくのがあと1分遅れていたらどうなっていたか。
娘の場合も、あの時電話が鳴らなければ、本堂にいて掃除機の音で風呂に落ちる水の音に気づくことはできませんでした。
電話がなかったら、あるいは電話があと1分、後先にずれていたら、おそらく娘の命はあそこで終わっていたでしょう。
奇跡のような1分に、戦慄を覚えます。

奇跡といえば、『Fukushima50』の内容も奇跡の物語でした。
原作を読んでいましたが、まさに、あの時に何が起こっていたのか、誰がどのようにこの国を救ったのか、奇跡のような事実の記録です。この映画についてはまた来週触れたいと思います。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。


サンサンラジオ252 私は間違ってました

2020年03月01日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ、第252回。3月1日、日曜日。

まずは報道部から1週間の動きをまとめて。
26日英会話。河北町考える会例会。
27・28日シャンティ理事会、役職員研修会。
そのような1週間でした。
29日予定していた映画「おだやかな革命」新庄上映会が、コロナウイルスのために中止となってしまいました。

おはようございます。3月となりました。

新型コロナウイルスの感染拡大が止まりません。
明日からの小中高校の休校が決まり、北海道が非常事態宣言を出し、いよいよ深刻な状況になってきました。
中国政府が感染を知りながら、パニックや春節への経済的な影響を恐れて情報を抑え込んだという報道がありました。
日本政府も経済への影響を懸念してか、感染拡大の事実が判明するのを恐れてできる検査を渋っているというような見方もあります。
いずれも見積もりが甘いというか、最悪の状況を想定して対策するのではなく、自分たちに都合がいいように想定して、それが故に対策が後手後手に回り、結局は後追いとなり更に感染を広げるという、失策を呈しました。
原発事故を引き起こしたのも、この想定の甘さ故だったでしょう。何も学んでいません。
これで今、地震でも起こったら避難所はどうするのでしょうか。開設できるのでしょうか。ボランティアに来てくれる人はいるでしょうか。隔離して閉鎖してクルーズ船のような状況をつくるのでしょうか。そんなことにならないように祈るばかりです。
いずれにせよ、経済への影響も拡大すると思われ、暖冬の反動も気がかりで、これからの半年、1年、未来が心配されます。それぞれが今のうちに食糧の備蓄をしておいた方がいいと思います。

話は変わって。
私はこれまで、各方面で「命の使い方」という演題でお話をしてきました。
台湾の仏教慈濟基金会の代表、證厳法師の「命の所有権はないが、使用権はある」という言葉を元に、「命は自分のものではないが、この命をどう使うかは自分にまかされている」という内容の話です。
その中で、生まれることを選べない、老いも、病も、死も、生老病死の何一つ、自分ではどうにもならない、命は命におまかせする以外にない。と言ってきました。
先日の夜中2時過ぎに目が覚めて、ぼんやり考えている間に、それは間違いだったと気がつきました。
「生死を生死にまかす」というのは道元禅師の言葉で、命のことは命にまかせる以外にない、というのは究極的にその通りなのですが、その時々の命の使い方、行動の選択はもう少し細かく考えるべきではないのか、という気づきです。
つまりは、老いも、病も、死も、向こうから勝手にやって来るのであり自分にはどうにもできない、というような考えは、あまりにも命にまかせっぱなしで無責任ではないのか。
何をどれだけ食べるか食べないか、何をどれだけ飲むか飲まないか、体をどれだけ動かすか動かさないか。それらは自分のその時々の選択によるもので、その結果ブクブク太っているのは実は自分の、命の使い方の責任です。
病も死も、時々の行動の選択の積み重ねによって起こる可能性がある、というか、それがほぼ要因だと思われ、勝手にやって来るなどと、命にまかせて、命に責任を押しつけるような考えは間違っていました。
自分はもういつ死んでもいい、死因はきっと心筋梗塞か脳内出血だな、などと他人事のように嘯いているのは無責任でした。
もう少し日々の生活にも責任をもって行動しないと命に申し訳ないことだと思ったことでした。
「自分のものではない」と言いながら、命を自分の奴隷のごとくにわがまま勝手に使って、何か問題があると奴隷のせいにするようなものです。
太る体質のようなものは確かにあるように思いますが、だとしたらその体質の中でどう動くのかは自分の選択です。遺伝子のせいにしてはいけません。
体を動かすのが好きというアスリート体質の人もいて、それはうらやましいことですが、ではそうではない自分はどうすればいいのかは、やはり自分の選択、行動、命の使い方なのだと言えます。
そんなことをカミさんに言えば「何をいまさら、そんなことわかりきってるじゃない、だから前からそう言ってるでしょ!」と言われるのは明らかですから黙っています。
男はどうも、私だけかもしれませんが、「行動基準」のような枠組みで考えてしまう傾向がありますが、彼女、女性は「日常の行動」で考えるのかもしれません。脳科学者中野信子が言うように「男脳と女脳」は違うように思います。

ということで、昨年の11月以来畳んだままになっていたウオーキングマシーンを開いてエクササイズを再開しようと思います。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。