なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンサンラジオ238 ブラジル開教60周年

2019年11月24日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第238回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

11月24日、日曜日。

ボン ヂーア!おはようございます。
ブラジル、サンパウロからお送りします。
現在こちらは23日の夕方5時です。
20日成田から飛び立ち、メキシコシティまで12時間。そこで時間調整が6時間。
さらにそこから9時間45分、ようやくサンパウロに着きました。
実に遠い移動でした。
時差はちょうど12時間。つまり日本の真裏なのです。
リオデジャネイロオリンピックの閉会式で、安部マリオが土管から現れたのはそういう意味でしたね。
時差が12時間ということは、こちらが夕方5時の時、日本では次の日の朝5時だということです。
分かりやすいといえば分かりやすいのですが、テレビでNHKの放送をみたりすると、夜なのか朝なのか分からなくなってしまうようでした。

今回は特派布教の海外巡回なのですが、南米開教60周年という記念行事の一環という意味もあります。
22・23・24日と、3日間に及ぶ大法要です。
日本から、両大本山はじめ関係の和尚さん方約60名、北米南米の国際布教師さん方も参列されて総勢70名ほどの和尚さんが集まります。
さらには、その後パラグアイに移動して、パラグアイ初で唯一の仏教寺院である拓恩寺の晋山式、新住職の就任式が25・26日の2日に亘って行われます。
その後ブラジルに戻って、坐禅を中心に活動する寺院二ケ寺で坐禅の話をする予定です。

ブラジルには今から111年前の明治41年以来13万人の日本人が移民し、その子孫である日系人は200万人ほどといわれる世界最大の日系人国です。
移民当初の環境はかなり厳しく、多くの方が苦労の末亡くなっています。
こちらに着いてから立ち寄った日本食堂「美松」の女将が話しかけてこられ、「60年前、2歳の時に親に連れられてやって来た。だから日本語は少し話はできるけど読み書きはできない。移民当初は奴隷と同じだった。足枷をしていないだけ」と教えてくれました。
アメリカ大陸がヨーロッパ人に発見されてから、大航海時代に各国が競争するように領土を広げていきました。
南米は、当初北米ほどには重要視されなかったようですが、スペインとポルトガルが勝手に領土を分割し、それぞれの土地に合った開発を進めていきました。
ポルトガル領のブラジルでは、初めは染料のための「赤い木」を売り、サトウキビや綿花、そしてコーヒーを栽培して発展していきました。その労働力として「輸入」されたのがアフリカの奴隷だったのです。
その後奴隷の売買が禁止され、その代わりの労働力として入植したのがヨーロッパやアジアの人々でした。
日本側で移民を誘う謳い文句には、安定した収入が得られるなどの夢が語られましたが、実際に渡ってみると、雇い主にとっては奴隷に代わる労働力でしかありませんでした。
食料も乏しく衛生的にも劣悪で、当初はトイレもなかったようです。きれい好きな日本人にとっては精神的に厳しかったでしょう。
雇用条件をめぐって雇い主との争いがあったり、逃亡しないように銃で見張られていたりと、まさに奴隷と変わらない境遇のスタートが移民の歴史でした。
それでも勤勉で正直な日本人は次第に信頼を獲得していきました。
移民収容所を取材した当時の現地新聞記者は「説明会が終わり、日本人が立ち去った部屋にはごみ一つ唾一つ落ちていなかった」と感嘆の記事を書いています。
そんな苦労を重ねた移民先祖に対する日系人の供養の心は深く、お寺への信心も厚いのです。
60年前にこの地に派遣された曹洞宗の開教師たちは、そんな移民の方々のそばに寄り添い、苦労を共にし、悲しみ喜びを分かち合ってこられました。
そのお一人に、シャンティ国際ボランティア会初代会長、松永然道老師がいらっしゃいます。
2年前に老師が亡くなられた際、本葬に合わせて、同時にブラジルに派遣された桒原老師から追悼の手紙が送られました。
それはこんな内容でした。

3人の若者が、駒澤大学の校歌と応援歌に送られて、色とりどりのテープが舞う中、見送りの家族や友人に手を振りながら、ブラジルやアルゼンチンに移民する人々と共に移民船ブラジル丸で横浜港を後にしたのが1959年10月4日のことでした。
移民としてパスポートの職業は農業、所持金は5ドルまで、幾度かの問い合わせにも、南米総監部からの返事がなく、まったく事情が分からないままの出発でした。現地について分かったのですが、仔細が分かったら来なくなるだろうとのことでした。
薄い板一枚の掘立小屋のような開教所に住まい、よく効くともらった下痢止めの薬を飲んだ水は、水槽のヘリをたたいてボーフラを沈めて掬った水だったり、白いワイシャツが砂ぼこりで赤く染まり、ドラム缶の五衛門風呂の水が肌にしみ込んだ赤土で赤い水になったりでした。
電気のない中、大きなシーツを木の間にかけて、ジープのエンジンで幻灯機で道元禅師物語を語れば、気がつくとたくさんの人に囲まれて、日本語が分からないコーヒー園の人たちも大喜び。すべてが驚きの連続。カルチャーショックというより、人間の生きる姿の力強さに圧倒されての開教の開始でしたね。
当時のブラジル移民の実情はひどいもので、その中を生き抜いて、人々に憩いの場を与えてくれた功績は、今のブラジル布教の大きな土台となっていることを知るべきでしょう。

本日そんな話をさせていただきました。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。来週もブラジルからお送りします。

サンサンラジオ237 大人なんだから

2019年11月17日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第237回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

11月17日、日曜日。

一部
昨日は、22回目となった河北町環境を考える会恒例の100万人のキャンドルナイトでした。
都合で会場を宿用院にして、ソプラノ、フルート、ピアノ、チェロのアンサンブルコンサート。
本尊様をバックにしたクラシックも乙なものです。
私もチョイ役で出演しました。

二部
月曜日難産で苦しみました。出産がこんなに苦しいものだとは知りませんでした。
普段は一日に2回から3回普通に生んでいるので、これまでこんな経験はありませんでした。
ところが、何が原因かは知りませんが、詰まってしまいました。
出口のところで固まっているような感じです。
定期的に突き上げる(実際はつき下げるですが)陣痛?はやってくるのです。
しかし、最後の所で抵抗に遭って断念するという繰り返しです。
立ったり座ったり、朝から籠っていましたがうまくいきません。
密葬にも行かなければならず、葬儀の時間もあるので何とかしなければならないのです。
最後の手段と、カミさんに頼んでイチジクを買ってきてもらい、2本使ってようやく出産となりました。
生みの苦しみです。
カミさんに言わせると「お産はそんなものじゃない、裂けるんだから」と痛々しいお言葉。
世の母親方の苦しみをお察しします。

三部
大人というのは、子どものため、未来のために生きるものでしょう。それが大人というものでしょう。
大人のくせに自分のことばかりを考えるのは恥ずべきことです。
子どもは、したいことをして、欲しいもが手に入らないと暴れて、自己中心のわがまま勝手。それが子どもだから、子どもだからと許される。
大人なのに、子どものようにふるまってはなりません。
ましてや親は、子どもの踏み台になること、捨て石であることを喜びとするものではないですか。
自分の命は子どもに受け継がれているのですから、後は、その肥やしになればいいのです。
鮭をご覧なさい。
命がけで故郷の川を上り、産卵の後、その身を川に投げ出す。
一部は熊に食われ、動物や鳥、昆虫や微生物の餌となり、森を育て大地を豊かにする。
やがて、卵からかえった稚魚たちが暮らす川と海を生きやすい環境に整える。
それを自らの使命としているでしょう。
それはきっと喜びでもあるのでしょう。
鮭が遡上するのは、重力の法則で上から下へ流れ落ちる栄養分を山に返すためだという地球規模の意味もあるくらいです。
カマキリのメスは産卵の前にオスを食べる。残酷に見えるようだが、オスは恍惚に震えているに違いない。
何故人間は、大人になっても子どものように自分のことばかり考えてわがまま勝手に生きるのか。
自分のことなんかどうでもいいじゃないですか、大人なんだから。
グレタ・トゥーンベリさんは、それが見えて「あなたたちを許さない」と言っているのでしょう。
自然から学ばなければなりません。
自然はみんな、正直でまじめにまっすぐに生きています。
宮崎奕保禅師は、「自然はみんな黙っていいことをしている」とおっしゃった。
冗談で生きているものはありません。
口先だけでうまいことを言って、未来を破壊しているのは人間だけです。

来週、再来週は、南米ブラジルからお送りします。時差の関係で投稿の時間がズレるかもしれません。ご了承ください。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。


サンサンラジオ236 意味のないものなどない

2019年11月10日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第236回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

11月10日、日曜日。

一部
今日は娘の結婚式です。
長女ですが次女が先に結婚しているので、これで三人片づいたことになります。
親としては責任を果たしたような解放感があります。
相手はお坊さんではありませんが、宿用院で仏前の挙式です。式師は新郎の菩提寺の和尚さんが務めてくれます。
いろんな縁が重なって人は結ばれるものと感じました。
昨日はお手伝いもお願いして、総出で会場の掃除、準備。万端整いました。
二人の門出を心から祝います。

最近、自分の妻を「嫁」と呼ぶ慣例が気になっています。
「嫁」は、辞書を見ても第一義的には「息子の妻」というのが本来の使い方で、家の中での位置づけという意味合いでした。
上方漫才の「ホナ、キミんとこの嫁はんはナニかい…」みたいな使い方が震源地なのかもしれないと思いますが、東日本でも「オレの嫁」みたいな使い方が流行ってきている感じです。
しかし、それは間違った使い方なので好きではありません。
ある時、年回忌正当の案内を差し上げたところ「〇〇〇〇(死亡時の戸主名)嫁」とあるのをその家の方が見て「義母はまだ死んでません」と抗議されたことがありました。
その場合、戸主の次男の妻が若くして亡くなったのでそういう書き方をしたのであって、戸主の奥様なら「妻」と書きます。
正式な言葉の使い方も、流行りの使い方で誤解を受け、抗議を受けることになります。
立派な大人でもそんな間違った受け止め方をしてしまっているのは残念なことです。

二部
7日木曜日、丸森町、相馬市を訪れました。
台風19号、21号による被害が日本各地に発生し、ボランティアが活動を開始しましたが、報道の偏りによりボランティアの集まりにも偏りが出ています。
丸森町は、宮城県内でも大きな被害を受けた町で、1ヵ月近く経った今も床下の泥だしボランティアを待っている状況です。
ボランティアセンターを訪ねると、その前の広場は被災廃棄物がうず高く積まれ、次々とトラックが新たな廃棄物を運んできました。
センターの受付で話を聞くと、まだまだボランティアの数が足りず、泥かき物出しの支援の手を待っていると。ボランティアの受付は来年3月末までを考えていますとのことでした。
これは長期戦になりますが、できれば雪の前に片付けが終わり、安心した状態で年が越せればと願います。
相馬市では、すでに先月末でボランティアの受け入れを止めてしまっています。支援のニーズがないわけではありません。特に高齢者の家では、若い手を借りなければ片付けは一歩も前に進みません。市民の怒りの声を聞きました。
地域により、自治体によっても対応はまちまちです。しかし被災された家はどこも同じです。
ニュースという性格上、新しいもののみを追って変化のない情報は報道されません。変わらないこと事態が問題なのに、報道されないために支援の手が集まらないというのがこういう現場での悩みです。
支援は「かわいそう」だから必要なのではなく「困っている」から必要なのです。報道に惑わされず、何が必要なのかを判断していかなければなりません。
山形曹洞宗青年会の若い和尚さんたちが継続して支援に入ってくれているようです。これからもお願いします。
現場からは「一人でも、一日でもいいので」という悲痛な声が上がっています。お力とお心がある方は是非出向いてみてくれませんか。
道路の泥を集めている外国人の家族がありました。有給休暇などを利用して支援活動をするのは、心のリフレッシュにもなると思います。人を救うことは自分を救うことですから。

三部
同じ7日の晩、南相馬で希望舞台の『釈迦内柩唄』を観ました。
最上町での公演を検討しましたがなかなか難しく、せめて観るだけでもと思い出かけたのでした。
朝日座という、戦後一世を風靡した映画館での上演で、ほとんど風前の灯火のような会場ですが、南相馬の文化遺産を守ろうとしている人々がいて、今回の会場となりました。
実行委員会代表の同慶寺田中徳雲師は、「この時期に、この場所で、この舞台が上演されるというのは、その必要があったということでしょう」と挨拶で言われました。
そういうことなのだろうと、得心しました。
人やものごとは、その必要があってそこに存在する。意味のないものなどない。
自分がここに存在する意味は何か。今、自分の力は何のために必要とされているのか。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。


サンサンラジオ235 旅の続き

2019年11月03日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
♪゜・*:.。. .。.:*・♪
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第235回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

11月3日、日曜日。

一部
霜月です。
ストーブも出て、秋から冬への移り変わり。雪への準備も始まります。
ああ、今日も愛おしい。
限りが見えるほど、一日一日は愛おしく感じられます。
一年の締めくくりを一生の締めくくりと想定して残りを過ごしましょう。

二部
先週の伊勢神宮参拝の旅は、いろいろありいろいろ感じさせられた旅でした。
旅も自然に左右されるのは当然のことです。
まずとにかく、台風の影響で船が欠航になるとは想定していませんでした。
飛行機の欠航は心配はしていましたが、まさか大型フェリーが欠航になるとは。
出発の前々日の欠航決定から、ものすごい勢いで次の対策が動きました。
これは旅行会社の仕事ですが、まずはどうやって帰ってくるのか、交通手段を決めなければなりません。
飛行機という選択もありましたが、料金の面から新幹線となりました。
名古屋-東京、東京-古川の便です。そして宿。どちらも前々日に40名の確保は大変だと思います。
それに夕食、急に40名が入れる場所を探さなくてはなりません。昼食は新幹線の中で弁当にしてその手配も必要です。次の日のバスの手配もあります。
BS観光には、短期間でずいぶん頑張ってもらいました。
それらが船旅では一括して準備されていたわけです。
しかも、その差額が発生します。旅行会社も大分かぶりましたが、参加者にも負担してもらわなければならなくなりました。
船旅を楽しみにしていた人の気持ちを思うと胸が痛みます。
ですから、それに代わる楽しみが何かないかいろいろ考えました。
一つは、せっかく名古屋に一泊するのですから、せめて名古屋城は見ようということにしました。
その他に何かないか。思いっきり笑えたならいいのではないか。ということで寄席を探しました。
名古屋に演芸場はあるのですが月末日曜日の夜の公演はありませんでした。他にイベントなども探しましたが何も見つけられませんでした。
行く場所がないならホテルに呼んだらどうだろう。
頭に浮かんだのは奈良の露の新治師匠の顔でした。集中講座に何度もおいでいただいています。
ネットで師匠のスケジュールを確認すると午後に京都で講演のようです。京都からなら夜は名古屋まで来ていただけるのではないか、淡い期待をもって電話しました。
事情を聞いて師匠は「そりゃなんとかせなあきませんね」と理解してくださいました。師匠自身はその後の予定があるようで、お弟子さんの予定を聞いてくださいましたが、お弟子さんもそのまたお知り合いも都合がつきませんでした。
名古屋の噺家さんにもあたってくださいましたが、その間に同時進行で探していたホテルの会場が確保できず、結局諦めることになりました。
師匠には何度も電話をいただき、お手配をいただき誠に申し訳ないことでした。
私も前日当日の夜中の2時半ころから起きて、二晩寝不足となりました。
参加者には、楽しみが減ったのに料金が増えてしまい、文句の一つや二つも言いたいところだと思います。
添乗員は「覚悟しています」ということで、私も腹を決めて臨むことにしました。
結果、みんなが楽しく帰ってきました。
宿の宴会も、食事会場でも、バスの中も、一部新幹線の中でも、全員が大声で笑い全員が楽しそうに三日間を過ごしました。最上の人たちは優しい。
添乗員も私も、考えられるできることを精いっぱいやった結果が、一番最後の帰りのバスの全員の満面の笑顔だと受け止めました。

三部
先週の繰り返しになりますが、人生が旅ならば、旅は楽しいほうがいい。
しかし、旅を楽しくするのは、参加者それぞれの参加の仕方なのだと今回痛感しました。
参加者の一人でも不満を口にしたりつまらなそうにしていれば、グループ全体の雰囲気が変わってくるでしょう。
それぞれ思いはあるでしょうが、それを胸に収め、同行者みんなのために自ら楽しくしていこうとすることによって旅そのものが楽しくなっていく。
誰かから楽しくさせてもらおうと人任せにするのではなく、自らの旅を自ら楽しくしていく、その自発的な態度が人生の旅も楽しくしていくのだと思いました。
松林寺企画の旅は次回に続きます。次回は、船旅のリベンジです。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

写真は、名古屋城本丸御殿の内部