なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンサンラジオ182 折り鶴

2018年10月28日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
♪゜・*:.。. .。.:*・♪
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第182回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

10月28日、日曜日です。

先週は、長崎で原爆資料館と平和公園に連れて行っていただいたというところまで話しました。
折しも修学旅行シーズンとあって、多くの子どもたち、外国の方々も大勢来ていました。
広島の資料館にも行ったことがありますが、同じく凄惨な事実がそこにはありました。
人間はなんと愚かなものかと思わずにはおれませんでした。
課題を与えられているのでしょう、子どもたちは展示資料の前で一つ一つノートをとっていました。
平和公園に着いた時、ちょうどある学校の生徒たちが整列して歌を歌い始めました。
その歌声は胸に染み入るようでした。
歌が終わって、後ろにいた先生に聞くと福岡の小学生が平和学習で来たのだと。
若い女性の先生は瞼をぬぐっていました。
涙は先生の心を洗ったことでしょう。

歌は「折り鶴」。

  生きていてよかった
  それをみつけたくて
  長崎のまちから
  私は歩いてきた
  この胸のいたみを
  うたごえにたくして
  焼けあとの下から
  ここまで歩いてきた
  この耳をふさいでも
  聞こえる声がある
  この心閉ざしても
  あふれる愛がある
  はばたけ折り鶴 私からあなたへ
  はばたけ折り鶴 あなたから世界へ

梅原司平さんという方の作詞作曲のようです。

こんな子どもたちの上にも原爆は落ちました。
戦争が何かも知らず。命の何かもまだよくわからいうちに。
恋も、愛の喜びもまだ知りはしないのに。
こんな子どもたちの上にも原爆は落とされました。
汚れのないまま小さな命たちは昇華していきました。

歌え子どもたちよ!
この歌の深い意味など知らぬまま。
大きな声で歌ってくれ!
その歌声を側で聞いて胸を打たれる人がいる。
年数を経ても感じる心がある。
純粋な歌声よ、愚かな大人たちの耳を洗ってくれ。
そして、現実を見て。苦しみを感じ取って。平和を学習して。
人間はなんと愚かであるか。それを胸に刻んでほしい。
その愚かさを繰り返さないと誓う人に、是非なってほしい。
平和を希求する人が平和を実現していくのです。
戦争を望む人が戦争をするのです。
戦争は自然災害とは違う。人間が起こすものです。
命の底から平和を希求するために、凄惨な事実から目を背けてはなりません。

公園の片隅にシャーベットアイスを売るおばちゃんがいました。
コーンにバラの花びらのようにアイスを盛り付けてくれました。
連れて行ってくれた松尾哲雄さんと坊さん二人がアイスをなめながら、言葉にできない思いをおばちゃんとの雑談で紛らわせていました。
アイスは、冷たい涙の味がしました。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

サンサンラジオ181 ねこの言葉

2018年10月21日 04時55分29秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第181回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

10月21日、日曜日です。


昨日長崎のお仕事を終えて東京までたどり着きました。
今朝はまだ東京です。
長崎ではいろいろな出会いをいただき、長崎ちゃんぽんも皿うどんもいただきました。
先週ここでちゃんぽんの話をしてしまったために、「ちゃんぽんは佐世保より長崎が本場ですからそちらで」とか、「明日の昼はちゃんぽんです」などと、ちゃんぽんの情報が駆け巡っていました。
いやあ、滅多なことを口にするものではありません。皆さんに気を遣わせてしまいました。
原爆資料館、平和公園にも連れて行っていただきました。
そのことについては来週お話しさせていただきます。

巡回中、法話の流れで連想ゲームのように佐野洋子のことが頭に浮かんできました。
エッセイストで絵本作家の佐野洋子です。
絵本の代表作は『100万回生きたねこ』。
エッセイでは、『がんばりません』『神も仏もありませぬ』『役に立たない日々』などを読みました。
2010年に乳がんで亡くなっています。
2004年にガンが発見され摘出手術を受けましたがその後転移が分かり、余命宣告をされます。
その時のエッセイが
「余命2年と云われたら十数年私を苦しめてきたウツ病が消えた。人間は神秘だ。人生が急に充実してきた。毎日がとても楽しくて仕方ない。死ぬとわかるのは自由の獲得と同じだと思う」というもの。
凄いですね。
実際、宣告後に貯金をはたいて白皮シートのジャガーを買ったのですから、言葉の通りだったのだと思います。
「死ぬとわかるのは自由の獲得と同じだと思う」と言い切れる生き方は凄いと思います。

因みに『100万回生きたねこ』の内容はご存知でしょうか。
100万回生きて100万回死んでまた生き返ってくるねこの話です。
いろんな人生?を生きてきました。
王様の飼いねこだったり、泥棒ねこだったり、野良ねこだったり。
その時々にねこを愛してくれるひとはいましたが、ねこ自身は誰をも愛してはいませんでした。
最後のねこの時、言い寄ってくる多くの雌ねこの外に自分を見向きもしない白い雌ねこがいました。
ねこは白ねこを愛しました。
こどもも生まれました。
その白ねこが死んでしまうのです。
ねこは泣きました。100万回泣きました。
そして自分も死んでいくのです。
愛を抱きしめて。
もう生き返ることはありませんでした。
というような内容でしたよね。

愛を知らない生は生きているとは言えなかったのです。
だから死ねなかったのでしょう。
生きているから死ぬのです。
死ぬから生きられるのです。
愛を知り、愛するものの死を知って、はじめて生きたのですね。ねこは。
生と死は表裏一体、紙の裏表。
死を通してしか生は見えてこないもののようです。
「死ぬとわかるのは自由の獲得と同じだと思う」という言葉は、ねこの言葉だったのかもしれません。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

サンサンラジオ180 長崎といえば

2018年10月14日 05時11分53秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第180回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

10月14日、日曜日です。

先日岡山から帰ったばかりですが、今日からは長崎です。
同じく布教巡回で6教場を回ります。
長崎訪問は3度目になります。
3年前、曹洞宗婦人会の大会に呼ばれて行きました。
その時に会場にいらした護国寺様から声をかけていただき、その次の年も佐世保に行きました。
その時には佐世保バーガーをいただきました。
長崎と言ったら、カステラ?からすみ?いやいや、ちゃんぽんですね。
東京で、シャンティの事務所の近くにちゃんぽんと皿うどんを出す店があって時々食べたくなりますが、本場長崎ではまだ食べたことがありません。
食事は行く先々で準備してくれているので、こちらの希望が叶うことはまずありません。
巡回中には豪華な夕食や弁当が続きますが、無性にラーメンが食べたくなることもあるのです。
ということで、少し期待しています。

先日、BSの再放送だったと思いますが、池田武邦という建築家のことを取り上げた特集があって、たまたま目にしてそのまま最後まで見入ってしまいました。
この方、日本の超高層ビルの先駆けである霞が関ビルを設計した建築設計のチーフで、その後日本設計を創立し、京王プラザホテルや新宿三井ビルなどを次々手掛けられた方でした。
東京に雪が降ったある年、新宿三井ビルの高層階にある会社の窓からは雲の中のような景色しか見えなかったのが、ビルを出てみると地面には雪が積もっていました。
その時に、自然環境を遮断した空間と現実の自然との乖離にハッとしたのです。
神の啓示を受けたように「人間は自然とともに生きていかなければならない」と気づいたというのです。
そこで、高層ビルという建築に疑問を持ち、どのようにしたら自然を感じられ、共生できるような建築ができるのかを模索していきます。
そして長崎県に、自然環境と調和したオランダ村、ハウステンボスを創り上げていくことになります。
建物の設計というよりも、町づくりであり、未来型生活環境のモデルづくりだったと思います。

そのストーリー中に興味深い話がありました。
ネットの情報と合わせて話しますと、
池田さんの娘さんが若くして亡くなった時、家に娘さんを祀る場所がないことに気がついた。
33歳の時に渋谷に建てた家には仏壇も神棚もなかった。
「これはショックだったね」
大反省してすぐに神棚と仏壇を置く場所を作った。
「どんなに近代化しても精神的な空間はなくちゃいけない。機能性や利便性も大事なんだけど、精神的な空間を大事にするということを忘れちゃいけないんだ」
日本人はもともと自然を神として敬ってきた。
昔はどこの集落にも鎮守の森というのがあった。村や町を作ったら、そこに精神的な拠り所となる場所を作らなければならない。
それは家の中でも同じで、家の中にも精神的な場所がなければならない。
家は人を育てる場所だから、どういう家に育ったかによって性格や人間性に大きな影響を及ぼす。
「僕らは近代技術文明に毒されすぎているんですよ。それに頼りすぎると身も心も必ずおかしくなる。健康な心を育むには、できるだけ自然の中で暮らすことが大事。自然の中で自然の恵みを受ける。やっぱり暑い時は暑い、寒い時は寒いと、自然を体感しながら生活するのが一番いい。特に成長期の子どもはね」
という話でした。

なるほどねとうなづきながら見ました。
理想と現実のギャップは大きいかもしれませんが、この地球環境が人間の力ではどうにもならなくなる前に、気づき行動すべきことはあると思います。
その智慧とヒントが、日本古来の生活と建物にあると言っているように受け止めました。
参照 建築家が語る未来への提言

さて、長崎に行ってきます。


それではここで1曲お送りしましょう。もうこれでしょう。


1.風の中のすばる
砂の中の銀河
みんな何処へ行った 見送られることもなく
草原のペガサス
街角のヴィーナス
みんな何処へ行った 見守られることもなく
地上にある星を誰も覚えていない
人は空ばかり見てる
つばめよ高い空から教えてよ 地上の星を
つばめよ地上の星は今 何処にあるのだろう

2.崖の上のジュピター
水底のシリウス
みんな何処へ行った 見守られることもなく
名立たるものを追って 輝くものを追って
人は氷ばかり掴む
つばめよ高い空から教えてよ 地上の星を
つばめよ地上の星は今 何処にあるのだろう

3.名立たるものを追って 輝くものを追って
人は氷ばかり掴む
風の中のすばる
砂の中の銀河
みんな何処へ行った 見送られることもなく
つばめよ高い空から教えてよ 地上の星を
つばめよ地上の星は今 何処にあるのだろう
中島みゆき作詞『地上の星』



今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

サンサンラジオ179 真の道者なり

2018年10月07日 05時13分00秒 | サンサンラジオ
♪゜・*:.。. .。.:*・♪
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第179回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

10月7日、日曜日です。

いつの間にか10月です。
人生の秋、高齢者の季節です。

昨日は最上町の「音の風コンサート」でした。
一昨年、最上町に音の風を吹き込んでくれた池田弦さんが突然に亡くなり、その追悼の意味で開催されたこのコンサート、今年が3回目の開催となりました。
お母さんのヴァイオリニスト池田敏美さんを中心に、最上町内外から音楽家と合唱団が集まり、「この風を止めない」との思いを新たにしました。
弦ちゃん自身はちょっと暑苦しい風でしたが、今は爽やかな秋風となってこの町に吹きわたっています。

さて、岡山の布教巡回から一昨日帰ってきました。
9日間8教場は長丁場でしたが、何とか無事に勤めることができました。
途中台風が来て心配されました。高梁川が一部氾濫し、7月豪雨被害に遭われた方は気が気ではなかったと思います。大きな被害にはならずホッとしました。
岡山のことを先週のサンサンラジオで少しお伝えしましたが、言い足りないことがありましたのでつけ加えさせていただきます。

先週は写真だけUPしましたが、玉島の圓通寺様へお参りさせていただきました。
圓通寺様は、良寛様が10数年修行した寺として知られています。
実は19年前も布教巡回で岡山県を回っていますが、その時には訪ねることができませんでした。
今回は念願叶ってのお参りです。
方丈様には奥の奥まで詳しくご案内いただき、お茶まで頂戴しありがたく思います。
圓通寺本堂は現在も茅葺で、元禄11年(1698)創建のままの建物ですから、良寛様が修行した時代そのままの状態だということです。
当時は、一日5回の坐禅と、毎月集中して坐りづめをする期間「摂心」があり、托鉢がありと、厳しい修行生活だったと思われます。
そして、良寛様の他に私には気になる存在がありました。
仙桂和尚様という方です。
良寛様の兄弟子になり、一緒に修行した間柄です。
ところが仙桂和尚様は、黙して語らず、身なりも気にせず、坐禅をせず、お経を読まず、法の一句だに説かず、ただ畑を耕し野菜を作り、修行僧の食事を供養することに専念されていました。
当時の良寛様は、仙桂和尚様のことをほとんど気にも留めていなかったと思われます。
そして、師匠国仙和尚が亡くなり諸国行脚を経て越後に帰った良寛様へ仙桂和尚様が亡くなった知らせがきました。
その時に読んだ漢詩が遺っています。

  仙桂和尚は 真の道者
  貌は古にして言は朴なるの客
  三十年 国仙の会にあって
  禅に参ぜず 経を読まず
  宗文の一句だに道わず
  園蔬を作って 大衆に供養す
  まさにわれ これを見るべくして 見ず
  これに遇あうべくして 遇わず
  ああ 今これに放わんとするも得べからず
  仙桂和尚は 真の道者

一緒に修行しながらも、その道心を見ても見えなかったことを悔やむ良寛様の詩です。
「仙桂和尚様のお墓はこちらにあるんですか」と尋ねてみました。
するとどうでしょう。
これまで近くの荒れ果てた墓地にあって傾いていた墓石を、何と今の方丈様が近年寺の境内に移したというではありませんか。
方丈様は「歴史をちょっと変えてしまうかもしれないけどね」と笑っておられました。
お参りさせていただきました。
国仙和尚、つまり師匠様のお隣に仙桂和尚様の墓と良寛様の漢詩が刻まれた墓碑が立派に建てられていました。
感激しました。
何も語らず、坐禅もせず、経も読まず、ただ黙々と食事を供養した和尚さんが大事にされていた。
良寛様がそれに気づいたからですが、我々も仙桂和尚様から学ぶことは大きいと思います。
その時は誰からも認められず褒められず、目にもかけられない存在であっても、ただ黙々と自分の務めを果たすことによって、二百年経っても手を合わせたいという人が現れるのです。
ノーベル賞や金メダルをもらう人ばかりが輝いているのではありません。
全ての人一人一人全ての命が、誰とも比べることのない「唯我独尊」の存在です。
生活を正して日々をキチンと生きる。それこそが真の道者です。
仙桂和尚様は真の道者なり。
感激の岡山でした。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。