なあむ

やどかり和尚の考えたこと

さん喬師匠、受賞おめでとうございます

2014年08月31日 09時06分33秒 | 集中講座

柳家さん喬師匠が、今年度第42回国際交流基金賞を受賞されました。

国際交流基金賞は、学術、芸術その他の文化活動を通じて、国際相互理解の増進や国際友好親善の促進に長年にわたり特に顕著な貢献があり、引き続き活動が期待される個人又は団体に贈られます。

これまでの日本人の受賞者は、黒澤明、平山郁夫、宮崎駿、村上春樹など、日本を代表する方々ばかり。

さん喬師匠は、日本語表現と文化理解のため、国内の留学生やアメリカをはじめ海外での公演をされており、その活動が高く評価されたとのこと。

落語家での受賞は初めてかもしれません。

師匠、受賞おめでとうございます!

そのさん喬師匠と露の新治師匠が、来年の第10回松林寺集中講座にいらっしゃいます。

第10回目を迎える集中講座をいつもより豪華にしたいと考えておりましたが、以前より「二人でお邪魔したい」と言われていた両師匠をダブルでお招きすることにいたしました。

我ながら、何と豪華なことかと思います。

もう一方の講師も決まっていますが、それはもう少しお楽しみにしておきましょう。

第10回集中講座は、来年6月7日(日)です。どうぞお楽しみに。

Sannkyou20116


カンボジアの弟妹

2014年08月15日 09時37分39秒 | ふと、考えた

お盆前の9~11日、カンボジアの弟家族と妹が訪ねてきました。

34年前、難民キャンプで出逢い、5年後に日本に移住した家族。

元気だったお父さんもお母さんも亡くなり、宿用院でお骨を預かっています。

私にとって弟と妹になる一男二女は日本に住んで、いろいろな苦労を背負いながら何とか暮らしています。

お盆でもあるのでお父さんとお母さんのお参りをしたい、ということで訪ねてきました。

宿用院で法要の後、加茂水族館、岩出山感覚ミュージアム、前森高原など、二泊して遊んでいきました。温泉にも泊まりました。

せっかく厳しい生活の中がんばって来てくれたのだから、思う存分楽しんでもらいたいと思いました。

松林寺に泊まった次の朝、朝課が始まるとすぐに後に座り、ずっと祈っていました。

終わって振り向くと、涙を流しながら、私の膝下に手をついて感謝の言葉を述べました。

アジアの人に対する日本人の対応は必ずしも優しくありません。仕事に就いてもいじめや嫌がらせもあるようです。

弟が30年も勤めている会社も、未だに1ヶ月契約の不安定な雇用でしかありません。

奥さんもせっかく勤めていた仕事をいじめで辞めざるを得ませんでした。無理して娘を保育園に入れたばっかりだったのに。

それでも「がんばりますから」と涙ながらに仏様に誓っているのでした。

50歳になる弟は、日本で暮らす方が長くなり、今さらカンボジアには帰れません。

しかし、その日本も安住の地ではないのです。未来に不安もあります。

そんな健気な弟妹を見放すわけにはいきません。

苦労の多い環境の中でも、何とか希望を棄てずに生活してもらいたい。

困った時にはいつでも頼って欲しい。と願うばかりです。

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チーム21世紀文明

2014年08月08日 06時48分59秒 | 東日本大震災

昨日は宮城県山元町の徳泉寺のお施餓鬼会に招かれて法話を勤めました。

チームまけないタオル、またの名をチーム21世紀文明の早坂文明さん住職のお寺です。

伽藍もお墓もみんな流されてしまったお寺なので、早坂さんが住職のもう一つのお寺、徳本寺さんの本堂でのお勤めでした。

檀家さん74名が亡くなっておられます。

震災後初めての法話の機会でしたので、タオルの成り立ちなどについてお話させていただきました。

震災の年の4月3日に「まけないタオル」を思いつき、ブログに書くと、すぐに反応してくれたのがやなせななさんでした。

「親戚のタオル業者を紹介しましょうか?」という連絡から、話は具体的に動き出しました。

何枚つくるのか、お金はどうするのか、長さは本当にこれでいいのか、業者は「短くて使われへんからダメや」と言うてます、等々、彼女が中に入って着々と準備は整っていきました。

「三部」と「なな」、3×7でチーム21だね、ということになりました。

その間早坂さんは、ブログを読まれながらも「まけないタオル」ってどういう意味なのか、何をしたいのか、よく分からないと思っていたようです。

だんだん理解されるようになり、これをもっと広めて理解してもらうためには歌を作った方がいいのじゃないか、ということで歌詞を書いてくれました。

それが、私の思いつきからちょうど1ヶ月後の5月3日、早坂さんが境内の掃き掃除をしながら30分でできあがった歌詞だったのです。

チーム21に早坂文明さんが加わり、チーム21世紀文明となりました。

歌詞はその日のうちにななさんのもとへ届き、「私曲つくるの時間かかるんです、2~3ヶ月かかることもあります」とのことでしたので、無理かなと思っていたら、次の日の朝、「曲できました」との電話。

「私が曲を書かなかったら誰かが書くのだろう、それは嫌だと思って書きました」「書き上がって母親に聞かせたら泣いてくれました」と。

物事が進む時はこんなものなのだろうと思いました。

歌はCDになり、合唱曲になり、ダンスの振り付けがついたり、どんどん広がっていきました。

ななさんも全国各地で歌いながらタオルの支縁を呼びかけてくれました。

その結果、先月末、タオルの枚数は合計82000枚に達しました。

「歌で広めればわかりやすい」と早坂さんが言われた通りでした。

そんなことを、昨日改めて感じたところです。

スタート当時のことを確かめるために、自分のブログを読み返してみました。

興奮状態にあったことがよく分かります。

でも、自分で書いた文章ながら、涙が出てくる箇所もあります。

もし、時間がありましたら、このブログのカテゴリー「東日本大震災」の書き始めのころをお読みいただければ幸いです。

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