三ちゃんのサンデーサンサンラジオ、第277回。8月30日、日曜日。
まずは報道部から1週間の動きをまとめて。
23日日曜日、町内一斉防災訓練
24日月曜日、バンコクの友とリモート
25・26日、シャンティ、オンライン理事会
19日木曜日、もっちい例会
28日金曜日、町社会教育委員会
というような1週間でした。
寺の蓮が一輪咲きました。
3年前檀家から株を分けてもらって植えましたが、1年目、2年目と咲かず、日当たりの問題か鉢の大きさの問題か、条件が悪くて咲かないのだろうと半ばあきらめていました。
同じ出処から分けてもらった親父たちの蓮は、何と1年目から大量に咲いたので田んぼの肥料がいいのだろうと横目で見ながら悔しい思いをしていました。
蓮は葉だけでも涼しげで露の乗った様などは、夏の景色として充分楽しめます。
諦めていた今年8月23日、一輪のつぼみを発見!
日ごとに見る見る膨らんで、ついに開花。凛と咲きました。やはり仏の花です。
開花の次の日からは花弁が散り始め、わずかな寿命を終えました。
一輪であるだけに高貴な雰囲気がありました。
最上町の広報『もがみ』8月号に、人口の推移と将来推計の表が出ました。
最も多かったのは昭和30(1955)年の17583人で、7月31日現在の8337人の倍の人口があったことになります。
それが、推計によると、令和22(2040)年には4837人になるというデータです。
20年後、今の半分の人口でどのように生きていくのか、どうせ自分はこの世にいないからなどと無責任なことを言わずに、自分たちの子や孫のことですから真剣に考えていかなければなりません。
人口減少は地方農村だけでなく、全国規模で起こる将来予測です。
そんな折、たまたま『おだやかな革命』の渡辺監督に紹介されて、広井良典著『人口減少社会のデザイン』を読みました。
実に勉強になりました。
出発点は「2050年、日本は持続可能か?」という問いの設定で、それをAIを使って2万通りのシミュレーションを行い、それを踏まえて政策提言をするという研究の内容です。
日本の人口は、2008年の1億3000万人をピークに減少に転じている、2100年にはその半分の6000万人になると予想されている、という事実を知りました。
その中間としての2050年、この国はどうなっているのか、「持続可能シナリオ」と「破局シナリオ」を想定した結果、今から10年後までに「都市集中型」か「地方分散型」かの大きな選択の分岐点を迎える、それまでに必要な政策を実行しなければならない、と提言しています。
戦後の日本は、アメリカをモデルとして、経済成長拡大路線を走ってきました。農村の若者を都市に集中させて工業化を図り、道路を造って郊外にショッピングモールを作るような政策によって、経済大国として成功したと言えるでしょう。
しかしそれは、人口増加を基盤として成し得た成功であり、人口が減少に転じた時点で政策転換を図らなければならないのは自明の理です。
いつまでも昭和の成功体験を追っていては破局のシナリオとなってしまうでしょう。
で、この研究の選択は「地方分散型」以外にないと結論づけ、それは「地域からの離陸」ではなく「地域への着陸」だと表現しています。
また、日本の社会保障について、ヨーロッパが「高福祉・高負担」でアメリカが「低福祉・低負担」なのに対して、日本は「中福祉・低負担」であるとして、そのツケが1000兆円を超し、大量の借金を将来世代に先送りしている、と指摘しています。
それを踏まえて、「人生前半の社会保障」つまり、結婚出産期の若者にこそ財政支援が必要であり、それによって人口の定常化を図るべきだ、という提案です。
更には、「死亡急増時代と死亡場所の多様化」の項では、「たましいの還っていく場所」の重要性を説き、一人の学生の次のようなレポートを紹介しています。
「地元」と呼べる場所を失わない限り、そこが各人にとっての還っていく場所であり、心が休まる場所であり、還っていくコミュニティになりうるのではないだろうか。日本人が望む「安らかな死」というものには、このような還るべき場所(自分が居てもいいと周りに認められている場所)にいるのだという安心感が必要となってくるのではないかと考える。
そういう考え方からすれば、地方は「安心して死ねる場所」を提供するという在り方もあるのではないか。それは一見暗いイメージを持たれるかもしれないが、深く考えれば、より良い「逝き方」ができる場所は、安心した「生き方」ができる場所でもあると言えるのではないかと思いました。
というような具合で、多方面にわたり示唆の多い本でありました。
コロナの影響を受けてテレワークが注目されました。「場所」の意味も問われるようになるはずです。
人口減少社会は、最上町のような地方農村が、明確なビジョンを持った政策によって大きなチャンスとすることもできるでしょう。
私も「ここで生きる覚悟」をもって、まだまだ面白いことを考えていきますよ。
政治家、地方行政関係、福祉関係、若者、また宗教者にも一読をお勧めしたい本です。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。
まずは報道部から1週間の動きをまとめて。
23日日曜日、町内一斉防災訓練
24日月曜日、バンコクの友とリモート
25・26日、シャンティ、オンライン理事会
19日木曜日、もっちい例会
28日金曜日、町社会教育委員会
というような1週間でした。
寺の蓮が一輪咲きました。
3年前檀家から株を分けてもらって植えましたが、1年目、2年目と咲かず、日当たりの問題か鉢の大きさの問題か、条件が悪くて咲かないのだろうと半ばあきらめていました。
同じ出処から分けてもらった親父たちの蓮は、何と1年目から大量に咲いたので田んぼの肥料がいいのだろうと横目で見ながら悔しい思いをしていました。
蓮は葉だけでも涼しげで露の乗った様などは、夏の景色として充分楽しめます。
諦めていた今年8月23日、一輪のつぼみを発見!
日ごとに見る見る膨らんで、ついに開花。凛と咲きました。やはり仏の花です。
開花の次の日からは花弁が散り始め、わずかな寿命を終えました。
一輪であるだけに高貴な雰囲気がありました。
最上町の広報『もがみ』8月号に、人口の推移と将来推計の表が出ました。
最も多かったのは昭和30(1955)年の17583人で、7月31日現在の8337人の倍の人口があったことになります。
それが、推計によると、令和22(2040)年には4837人になるというデータです。
20年後、今の半分の人口でどのように生きていくのか、どうせ自分はこの世にいないからなどと無責任なことを言わずに、自分たちの子や孫のことですから真剣に考えていかなければなりません。
人口減少は地方農村だけでなく、全国規模で起こる将来予測です。
そんな折、たまたま『おだやかな革命』の渡辺監督に紹介されて、広井良典著『人口減少社会のデザイン』を読みました。
実に勉強になりました。
出発点は「2050年、日本は持続可能か?」という問いの設定で、それをAIを使って2万通りのシミュレーションを行い、それを踏まえて政策提言をするという研究の内容です。
日本の人口は、2008年の1億3000万人をピークに減少に転じている、2100年にはその半分の6000万人になると予想されている、という事実を知りました。
その中間としての2050年、この国はどうなっているのか、「持続可能シナリオ」と「破局シナリオ」を想定した結果、今から10年後までに「都市集中型」か「地方分散型」かの大きな選択の分岐点を迎える、それまでに必要な政策を実行しなければならない、と提言しています。
戦後の日本は、アメリカをモデルとして、経済成長拡大路線を走ってきました。農村の若者を都市に集中させて工業化を図り、道路を造って郊外にショッピングモールを作るような政策によって、経済大国として成功したと言えるでしょう。
しかしそれは、人口増加を基盤として成し得た成功であり、人口が減少に転じた時点で政策転換を図らなければならないのは自明の理です。
いつまでも昭和の成功体験を追っていては破局のシナリオとなってしまうでしょう。
で、この研究の選択は「地方分散型」以外にないと結論づけ、それは「地域からの離陸」ではなく「地域への着陸」だと表現しています。
また、日本の社会保障について、ヨーロッパが「高福祉・高負担」でアメリカが「低福祉・低負担」なのに対して、日本は「中福祉・低負担」であるとして、そのツケが1000兆円を超し、大量の借金を将来世代に先送りしている、と指摘しています。
それを踏まえて、「人生前半の社会保障」つまり、結婚出産期の若者にこそ財政支援が必要であり、それによって人口の定常化を図るべきだ、という提案です。
更には、「死亡急増時代と死亡場所の多様化」の項では、「たましいの還っていく場所」の重要性を説き、一人の学生の次のようなレポートを紹介しています。
「地元」と呼べる場所を失わない限り、そこが各人にとっての還っていく場所であり、心が休まる場所であり、還っていくコミュニティになりうるのではないだろうか。日本人が望む「安らかな死」というものには、このような還るべき場所(自分が居てもいいと周りに認められている場所)にいるのだという安心感が必要となってくるのではないかと考える。
そういう考え方からすれば、地方は「安心して死ねる場所」を提供するという在り方もあるのではないか。それは一見暗いイメージを持たれるかもしれないが、深く考えれば、より良い「逝き方」ができる場所は、安心した「生き方」ができる場所でもあると言えるのではないかと思いました。
というような具合で、多方面にわたり示唆の多い本でありました。
コロナの影響を受けてテレワークが注目されました。「場所」の意味も問われるようになるはずです。
人口減少社会は、最上町のような地方農村が、明確なビジョンを持った政策によって大きなチャンスとすることもできるでしょう。
私も「ここで生きる覚悟」をもって、まだまだ面白いことを考えていきますよ。
政治家、地方行政関係、福祉関係、若者、また宗教者にも一読をお勧めしたい本です。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。