なあむ

やどかり和尚の考えたこと

大震災34 焼き魚定食

2011年04月29日 19時06分43秒 | 東日本大震災

昨日は、気仙沼市大谷公民館、予定通り「焼き魚定食」80食を、湯澤屋チームが炊き出ししてくれました。

本当に久しぶりの「普通の」ご飯に、「これでワンカップがあればなあ」という声が上がったとか。

避難所は基本的に禁酒になっています。

避難所は集団生活ですから、静寂を保つためと、人間関係の悪化防止、それに、喪失感・絶望感から依存症になる可能性がある、というのが理由です。

普通のご飯が食べられるようになれば、普通の欲求が出てくるのは当然だと思われ、お酒も呑ませたいけどなあ、というのは酒飲みの意見のようです。

それよりも、未だに「普通」の食事すらできていないこの災害の甚大さに驚かされます。これまでの震災で、これほど長く炊き出しが求められたことはありませんでした。

湯澤屋チームは、避難所のお母さん方との交流もできたようで、「もう一回ぐらい来てもいいね」という感想を言ってくれました。

明日は、河北町環境を考える会が唐桑半島中井公民館でバーベキューの炊き出しです。

打ち合わせの時、「肉も魚もほとんど食べていない」と言っていました。

当初、花見でもということでしたが、ここもやはり禁酒の避難所なので、夕食のおかずになりました。またきっと、「これでビールがあればなあ」という声が上がるのでしょうね。残念。


大震災33 湯澤屋チーム

2011年04月28日 09時06分43秒 | 東日本大震災

今日28日は、最上町赤倉温泉湯澤屋チームが焚き出しに行ってくれます。

昨日、その会場になる大谷公民館に最終確認に行ってきました。

魚を持ってきますよ、と伝えると係の職員の顔が変わり笑みがこぼれました。

本当に、みんな魚を食べたいのだと確認しました。

器の件で「ちょっと待ってください」と言って席を立って帰って来られたとき、「あの、数は80でお願いできないでしょうか」と、突然予定より10増えていました。

ここの避難者は70人のはず、おそらくは、魚と聞いて、職員も食べたいということで10増えたのではないかと想像しました。

湯澤屋さんにお願いすると、笑いながら「分かりました」とのこと、無理を聞いてもらって安堵しました。

今日のメニューは、「お魚定食」。

焼き魚と、筑前煮、ワラビの煮物、芋サラダ、漬け物、ナメコ汁。

「旅館だからこういうのは得意なんだよね」と女将。

被災の人が言っていました「普通の夕食が食べたいんだよね」。

まさに、理想の夕食が届けられそうです。涙を流して喜んでくれるのではないでしょうか。


大震災32 花見写真

2011年04月26日 07時20分09秒 | 東日本大震災

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花見の写真、携帯にメモリーされていました!

夜桜のあでやかさと、ロンさんのライブをご覧下さい。ところで「ひょっこりひょうたん島」のテーマソングはご存知でしょうか。

この災害を乗り越える勇気を与えてくれる歌に聞こえます。

波を ちゃぷちゃぷちゃぷちゃぷ かきわけて
(
ちゃぷ ちゃぷ ちゃぷ)
雲を すいすいすいすい 追い抜いて
(
すい すい すい)
ひょうたん島は どこへ行く
ぼくらを乗せて どこへ行く
ウーー ウーー
丸い地球の 水平線に
何かがきっと 待っている
苦しいことも あるだろさ
悲しいことも あるだろさ
だけど ぼくらは くじけない
泣くのはいやだ 笑っちゃおう
進め
ひょっこりひょうたん島
ひょっこりひょうたん島
ひょっこりひょうたん島


大震災31 記事500号

2011年04月25日 16時03分52秒 | 東日本大震災

前回の記事で、通算ちょうど500号になっていました。

書き始めが2005年5月ですから、6年間ということになりますか。当初はそれほどマメに更新もしていませんでしたが、読者の声をいただいて、途中から俄然頑張って更新しています。いるつもりです。

こまめに更新するにしたがって、毎日のアクセス数も徐々に増えてきました。この1ヶ月の一日平均は120件ぐらいになっています。これが多いのか少ないのかの基準も定かではありませんが。

このところは連続して震災関係の記事になっています。まだしばらくは続くでしょう。しかたありません。この大災害ですから、この問題から立ち去るわけにはいきません。

今私がここに生きているのは、この災害に微力を尽くすためだ、というほどの覚悟ではいます。

問題は何一つ解決していない、と言っても過言ではありません。生きている人が食べるものには困らなくなった、寒い思いをしなくてもよくなった、程度の段階です。

これだけの広範囲ですからしかたないのかもしれませんが、これまでの災害と比べて、はるかに復旧のスピードが遅い、1ヶ月半経って、未だに電気が通じていない地域があるなどということはこれまで考えられませんでした。

一昨日、避難所で炊き出しの打ち合わせをしてきました。

「本当は何食べたいの?」とおばさんたちに聞くと、「食べさせてもらってぜいたくは言えない」と未だに遠慮がちです。

「でも、炊き出ししたい人たちが何を持ってくればいいか迷っているので、正直に言ってもらった方がいいよ、できるかできないかは、それぞれが考えるから」と言うと、

「生きていくためには何でも食べられればいいと思ってきたけれど、パンはもう食べたくない、アルファ米や、パックのご飯もねえ、おにぎりも塩がない方がいいかな、そろそろ、栄養のバランスがとれたものを家族には食べさせたいと思うの」

「海で育った皆さんだから魚が食べたいでしょう」

「魚はたべたいね、アジでも何でも」「刺身というわけにはいかないでしょうし」(それは無理だよ、という声。この辺の人々は、刺身の夕食が普通だった)

「そうだね、我々では刺身は難しいね、でも焼き魚ぐらいだったら何とかできるんじゃないかな」

「そんなことしてくれたら、本当にうれしい、でも悪いよねえ」

区長さんが「いつまでも支援してもらってはダメだと思っているんだ、こうやって物がある内に自分たちで何とかするという気持ちを持たないと」

曹洞宗山形第1宗務所管内から、この避難所に毎週1回のペースで炊き出しを行うことになりました。

魚を喰って元気を出してもらいたいと願っています。

今月28日には赤倉温泉湯澤屋チームが、5月10日には立小路ゆめぼたる会チームが、別の避難所へ魚を持って炊き出ししてくれることも決まっています。


大震災30 「まけない!タオル」本格始動

2011年04月24日 17時34分57秒 | 東日本大震災

私の思いつきにすぐに反応してくれたやなせななさんと進めてきた「まけない!タオル」プロジェクト、いよいよ本格始動です。

ななさんのご親戚にタオル業者の方がいて、材質、デザイン、見積もりと、自ら調整をしてくださいました。

お陰でこの度、何とか発注までこぎ着けました。

材質は表がガーゼで裏がタオル地というもので、普通のタオルよりも若干高めですが、どうせなら使って喜ばれるものをと、これは家内の希望です。

ただ、このタオルが今大変人気だそうで、織り機が込んでいて、完成は5月20日頃になる見込みです。

デザインは、青空にぽっかり浮かぶ白い雲をイメージし、希望を表現しました。

「まけない!」の文字は、娘が書いてくれました。一応書道関係なもので。

ということで、以下のPDFをご覧いただき、ご賛同いただけましたらお知り合いの方に情報として流していただければうれしく思います。

また、賛同者としてお名前を載せてもいいという方は、ご連絡いただければ、今月末でまとめて第2弾のチラシにしていきたいと考えています。

被災された方と支援したい方の心を結ぶタオルになればいいと願っています。

ただ心配なのは、短くて首にも巻けないものですから、「まけない」タオルが「つかえない」タオルと呼ばれるのではないかと危惧しています。

「203vdoc__2_.pdf」をダウンロード


大震災29 花見の後

2011年04月23日 20時26分35秒 | 東日本大震災

昨日の花見の盛大さを写真で報告しようと思って、携帯のカメラでたくさん撮影したつもりでしたが、今日見たら、メモリーがいっぱいだったらしく、夜の分が全然撮影されていませんでした。残念!特にライトアップされた桜はきれいだった!

残念ですが、リハーサルの様子を少しUPします。

ライトアップ前の桜、これでも充分きれいなのですが、夜桜はまた一段とあでやかできれいでした、返す返すも残念。20110422_104157_2

20110422_154942 「前浜大漁唄いこみ」

漁師達が大漁を祝って櫂を打ちながら唄う大漁節です。

これが今回の最後であり、メインの演目でした。すばらしかった。これもリハーサル風景で残念。

20110422_162658_2 気仙沼ホルモンを焼きながら酒がすすむ!まだまだ序の口の風景。

小川ロンさんのライブはよかった!

被災者も元気になりました。


大震災28 今日は花見 

2011年04月22日 15時14分42秒 | 東日本大震災

昨日から気仙沼清涼院にきています。

これから花見です。

桜は9部咲き、見ごろです。

午前中小雨がぱらついていましたが今は晴れています。

テントを張り、舞台を作って準備は万端です。ビールサーバーの点検もホルモン焼きの練習も無事に済んで、少し昼寝をして体調を整えたところです。

小川ロンさんも気持ちよくお休み中です。

各地から食材や酒が支援され、なぜかNHK徳島が取材に来ています。

みんな心の開放の準備はできました。

さあ、楽しむぞ!


大震災27 同じ方向

2011年04月18日 22時23分01秒 | 東日本大震災

思うのですが、震災直後から今日まで、普段の何倍電話を掛け、電話を受けたでしょうか。また、新しい電話番号が増えたでしょうか。

安否確認だけではありません。

普段ほとんど用事のない、何年ぶり、何十年ぶりの人からも電話をもらったり、顔も思い出せないような人からも連絡がありました。

「何かがしたい」そういう話です。

「何が必要?」「何をすればいい?」「僕にできることは?」「何か手伝えることがあったら何でも言ってください」

思いました。

同じ方向を向いている人とは手がつなぎやすいということなのだと。そこに手があるから。

自分のことばかりを考えて、自分の方向ばかりを向いている人とは、方向が違うのでつながりにくいのだと。

非難も批判もするつもりはありませんし、すべきことでもありません。でも、いざというとき寂しくないのかな、と思います。

相手と向き合うという形は、相愛や対決の形ですね。

同じ方向を向いている形は、手をつなぎ、腕を組み、肩を抱く形なのだと分かりました。


大震災26 長岡先生の講演

2011年04月17日 21時34分46秒 | 東日本大震災

前回ご案内の通り、昨日は河北町環境を考える会の総会で、長岡昇先生のお話をお聞きしました。

まずは地震と津波のメカニズムを分かりやすく解説いただきました。

その上で、地震発生時、新聞社が真っ先にどこのデータを参照にするかというと、USGS(米地質調査所)のデータであること。この機関は、米ソ冷戦時代に、各地の核実験を掌握するためにコロラドの地下に作られたアメリカの機関で、同盟国のあちこちに観測所があって、振動の波形によって地震と核実験の違いを見極め、正確な位置とマグニチュードなどを測定することができる機関である。日本の気象庁も頑張ってはいるが、ここにはかなわない。今回も気象庁の発表が修正されたという話でした。

次に、原発について、福島第一原発は1971年に作られた日本で一番古い原発で、地震対策は厳重にされているが、津波の想定は5㍍であること、余裕を見て10㍍の高さに作られているが、その後に作られた女川原発は想定7㍍でその倍の14.8㍍に作られている。この4,8㍍の差が今回の悲劇を生んだ。スマトラ沖地震での前例があるから、今回の地震津波を「想定外」とするのは、「想定したくない」という怠慢でしかない、と断罪。

東海沖地震が予測された時期、電力会社は、地震により破壊された原発施設への保険には入ったが、破壊によって住民に被害があることを想定せず、住民保障の保険を掛けていなかった。そんなバカな想定矛盾はないだろうとくってかかって、せせら笑われた。その後住民被害の保険にも入った経緯がある。

長岡先生は、核燃料棒の模型も持参され、この中で核分裂が起こって熱を発するという説明をされた。この燃料棒が水の中にある限りは、温度の上昇が抑えられ、安全に利用できる。今回、セシウム、ヨウ素、プルトニュウムという、原子炉の中にしか存在しない物質が外に漏れだしたということは、水が減少したためにこの燃料棒が1800度以上になって溶け出したということだ。

水が減少した原因は、海水をポンプで送る装置が壊れたためで、何故壊れたのかというと、津波の引き潮の時に、取水口が水から出たために故障したのだ。地震ー津波ー引き潮と考えれば当然想定しなければならないことで、完全な人為ミス。冷却用の水さえ、確保されていればこんな事故は起きなかった。

原発の事故に対して最も技術を持っているのはアメリカと旧ソ連で、核戦争を想定していた両国は、開発の過程でかなりの事故と対策を経験してきている。当初アメリカは、福島原発の廃炉、80㎞圏外への避難を提案したが、日本はこれを受け入れず、対応が後手後手になってしまった。

フランスなどは、自国の人々を日本からの国外退去にした、本当は日本国民に公表できない重大な事実があるのではないかという質問に対して、おそらくそれはないだろう、全て正直に公表していると思う、隠すほどの余裕がないと思う、ただ、確実なデータを把握するために時間がかかり、発表が遅れてしまったことで不信感をもたれたことはあるだろうという見方をされた。

今後、格納庫爆発の可能性は、という質問には、ないとは言えない、その時は、東京はかなり被害を被るので、そうなった場合はすぐに逃げられるように準備をしておけと、二人の娘に言ってある。

とにかく水で冷やし続けるしかない、それさえ確実にできれば安全に収束できる、チェルノブイリとは確実に違う。とのこと。

津波も水、原発の対策も水。命を危険にさらすのも守るのも水だということを今回知った、という発言が印象的だった。


大震災25 環境を考える会総会

2011年04月16日 15時23分19秒 | 地球環境
実は今日は、河北町環境を考える会の総会があります。
毎回ゲストの方から講演をいただいているのですが、今回のゲストは、朝日町大谷小学校の校長先生、長岡昇先生をお招きしています。
長岡先生は朝日新聞の国際報道の分野で活躍され、特にアジア各地を取材されています。後に論説員を務めておられましたが、山形県の民間登用の校長先生に応募して採用された方です。
当初、「土と緑に親しむ」という演題でのお話を予定されていましたが、今回の災害、特に原発問題が大きくなってきたことで、急遽演題の変更をされました。
長岡先生からのメールです。
「今週の土曜日(16日)の講演のことですが、先にお伝えした演題「土と緑に親しむ」から「大地震と大津波」に変更してもよろしいでしょうか?
 新聞記者として、世界の大きな地震をいくつか取材し、原子力発電所も取材したことがあります。
1993年の南インド大地震(死者2万人)、2004年のインド洋大津波(死者推定20万人余)などです。
そうした経験にも触れながら、今回の東日本大震災について思うところを語りたいと考えています。」
ということで、今日は貴重なお話をお聞きすることができると楽しみにしています。
もう少し前にお伝えすればよかったのですが、気づくのが遅く、当日になってしまいました。今からでも来られる方は、おいで下さい。
講演は午後7時から、会場は谷地、宿用院です。