なあむ

やどかり和尚の考えたこと

三ちゃんのサンデーサンサンラジオ160

2018年05月27日 04時46分27秒 | サンサンラジオ
♪゜・*:.。. .。.:*・♪
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

5月27日、日曜日

昨日の早朝、親戚の山へワラビとりに行ってきました。
とり進むうちに、どんどん欲が湧いてきて、目に見えるととらずにいられなくなる感じになりました。
欲は、とればとるほど湧いてくるものだと気づきました。
欲があるからとるのではなく、とるから欲が出てくるということです。

さて来週は集中講座です。
準備も進んできました。
皆さんに楽しんでもらえたらうれしいです。

最近の社会の動きについて、少し。
政治家も大学の人も、上になればなるほど我が身の保身を第一に考えるものなのでしょうね。
部下は上の人間を守ってくれるものと思い込んでいるのでしょうか。
あるいは、そういう経験に慣れてしまって、疑問にも思わないのでしょうか。
しかし、誰しもいつまでもトップの座にいられるわけではありません。
いつかは、その座を明け渡し、「普通の人」に戻るときが来るでしょう。
守ってくれるはずの部下もいなくなります。
その時に、自分に残っているのは、自分が何をしてきたのかの事実だけです。
それは死ぬ直前まで残るでしょう。
自らの良心に問いかけて、怖れなく、自信をもって死を受け入れることができるのでしょうか。
ま、そういう人はできるのでしょうね。残念ながら。

最初に発した一言を、何故訂正できないのでしょうか。
プライドだったり意地だったりですかね。
「あ、ごめん、さっきのは失言」とか言ってしまえれば楽でしょうに。
上という意識は厄介なものです。
一旦口にしたウソを正当化するために、更なるウソを重ねなければなりません。
時間が経過して、弁解すればするほど、元には戻れない状況に追い込まれます。
下の者もそれに合わせて上を守るように動いてしまいますから、益々元には戻れなくなります。
そのうち、ウソだったのかどうかさえも、自分で分からなくなってしまっているのかもしれません。
あるいはそれらしく振舞っているだけなのか。
そうだとしたら、大した演技力です。
最初のウソをついたという行為がエネルギーとなって次の行為を引き起こします。
エネルギーは、重ねるごとに雪だるまのようにどんどん増大し、行為の連続を生み、止められなくなります。
更に、過去の行為の経験が、それが悪と知りながら繰り返すことを容易にします。それもエネルギーの力です。
良心による歯止めのハードルがどんどん低くなっていくのです。
このエネルギーを「業」と言うのでしょう。
ついには、その人は自らの行為によって自らを苦しめることになります。
どうすればいいのか。
自らの誤りに気づいたならば、訂正するのは早いほどいいと思いますね。
その方が混乱も少なくて済むし、周りに迷惑をかけなくて済みます。
何より、自分自身が苦しみが少なくて済みます。
そんなことを、政治家や学校の動きを見て思いました。教材として学びましょう。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。


三ちゃんのサンデーサンサンラジオ159

2018年05月20日 05時21分56秒 | サンサンラジオ
♪゜・*:.。. .。.:*・♪
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

5月20日、日曜日

今日は広島からお送りしています。
昨晩は、毎年お邪魔している呉の神応院さんの仏教講話会でした。
昨年から「四無量心」を取り上げてお話させていただいています。
四無量心は「慈」「悲」「喜」「捨」の四つの心のことですが、「慈悲」「喜捨」という二字熟語になって広く使われる言葉なので、そう難しくないだろうと高をくくってテーマに選んだのですが、少し学んでみると、これがなかなかどうしてどうして、そう簡単でないことが分かり、昨年はテーマに選んだことを後悔したほどでした。
奥深いことを少し学ばせていただいたことで、それはそれでよかったかなと思っています。
昨年は、その成り立ち、総論のところを話させていただき、今回は「慈」についての話でした。
仏教が中国にわたって漢訳され、「慈しみ」の「慈」という字が充てられましたが、その元の言葉はサンスクリット語で「マイトリー」というものでした。
その直接的な意味は「友情」だと言われます。
「あたかも母親が己が一人子を命を賭しても護るように、そのように一切の生きとし生けるものに対してもまた、無量の慈しみの心を起こせ」
と経典には出てきます。
親が子に対する感情は「愛情」ですが、その心を、親子、夫婦、兄弟という親族ではなく、あるいは愛する異性に対してではなく、すべての生きとし生けるものに向けられる、という意味で「友情」「最高の友情」と表現されています。
また、具体的には、心に害意、敵意、嫌悪、怒りがないこと、と説かれています。
相手を怒りの心で見ない、嫌悪感や敵対心をもって傷つけようとしない心、それを友情と表現されているわけです。

「怒り」は、人間の三つの根本的な煩悩「三毒」の一つとされるように、生きているかぎりなかなか消し去ることができませんし、自分でコントロールすることも難しい心です。
でも、この怒りの原因は何か、怒りはどこから起こってくるのかと考えてみると、「自分が正しい」と思うところから発しているように思います。
自分が間違っていて、相手が正しいと思う時は、反省もし、恥ずかしいとも思いますが、自分は正しい、間違っているのは相手だと思う時、相手に対して怒りが起こるのだと思います。
しかし、「正しさ」というものは時と場合によって、あるいは見方によって変わってくるのが常で、絶対自分が正しいと思うことが間違いなのかもしれません。

ダライ・ラマは、「怒りには2種類あって、慈悲から発せられる怒りと、悪意から発せられる怒りだ」と言われています。
慈悲から発せられる怒りは、相手の行為に向けられるもので、親が子どもの危険を察して叱るように、その行為がなくなれば怒りもなくなる。
しかし、悪意の怒りは、人に向けられるので、攻撃的になりそれが報復となって繰り返される。
慈悲の怒りは、理不尽な社会のシステムを転換するためのエネルギーともなるので必要な怒りだ、と。
だとしても、怒りはないにこしたことはないと思いますが、そんなことを学ばせていただきました。

今晩は天童温泉で高校の同級会です。
還暦の同級会はクラスごとにやったのですが、学年全体の同級会もやろうということになったのです。
公務員が多いですからね。それぞれ要職を離れ、暇にもなり寂しくもなったのでしょうね。
現役ですが、おつき合いしますよ。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

三ちゃんのサンデーサンサンラジオ番外

2018年05月14日 16時42分25秒 | サンサンラジオ
5月11日から12日の、タイ、パンヤー和尚荼毘式の様子を写真で紹介しておきます。


11日夜、寺に近づくと、雨の中遊園地かと見まごう電飾がきらめいていました


祭壇もこの通り


我々も逮夜の読経をさせていただきました。このお袈裟はこの村バーン・サワイでつくられたものです
日本から参列してくれたことをとても喜んでいただきました


村人が和尚さん方にお布施をしています


この村、この寺、この和尚さんと我々の団体をつなげてくれたの元スタッフのティラポンさんです。この儀式の一切を取り仕切っています


12日当日は晴れ、雨に洗われ祭壇が神々しく輝いています



参列の和尚さんたちはカンボジア側からも来ていて、その数300名とか


公務員、軍人、学校の先生、遠近の村人も参列しています


お坊さんたちと一緒に昼食をいただきました
これらの食事は、参列者全員、様子を見に来た村人たち全員にも振舞われました


村の子どもたちの教育を支援してきたパンヤー和尚の遺志を継ぎ、香典の中から貧しい家の子どもたちに奨学金が授与されました



和尚さんの霊が安らかならんことを祈り、伝統の踊りが奉納されました


最後に、総勢1000名の人々が祭壇に登って棺の前に紙の花を捧げました


これがその花です。国王が点火して運ばれた火でこの花を燃やして火葬の儀式にするようです


関係者で写真撮影、スラムの天使プラティープ先生もご一緒でした


その晩の夕食の席で、何と私の誕生月ということで、先生からバースデイケーキをいただくというサプライズもありました

三ちゃんのサンデーサンサンラジオ158

2018年05月13日 05時54分35秒 | サンサンラジオ
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お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

5月13日、日曜日。

タイ、カンボジア国境に近いスリンの町からお送りします。
現在、現地時間まもなく6時、日本時間は8時です。
予告した通り、10日からタイの師匠パンヤー和尚の荼毘式に来ていました。
一昨日昨日とその式が行われましたが、いやあ凄かったですね。
一昨日は夜7時にスリンの町に着いて、それから寺のあるバーン・サワイ、サワイ村に向かいました。
もう夜ですが、今日は朝8時から法要が行われているとのこと。日本のお坊さんにもお経をあげていただきたいので来ていただけませんかということでした。衣に着替えて出掛け、今回参加のお坊さん3名で読経させいただきました。
この日の法要が終わったのは夜8時半でした。
そして昨日、朝10時から始まった法要が終わったのは6時を回っていたと思います。
読経があり、霊を慰める奉納の躍りがあり、村の貧しい子供たちに奨学金を授与する儀式も行われました。
実はパンヤー和尚、生前から村人を貧しさから解放するための活動を行う財団を立ち上げて、無農薬農業を勧めたり、植林をしたり、そして子供たちの教育支援も行って来たのでした。そのパンヤー財団、つまり今回最後のパンヤー和尚からの授与ということで奨学金が手渡されました。
その後、参列したお坊さん300名にお袈裟を寄進する人々の授与式が永遠と続きました。
そしてそして、荼毘の火が運ばれて来たのですが、その火は何と、バンコクの国王が自ら点火したものだということで、パトカー先導で、地区の公務員100名ほどが列をつくって迎えるという物々しいものでした。
実際の火葬は、夜9時から一晩かけて行われるということで、参列者はその火で紙の花を焼くという儀式でした。
僧侶300名の後に役人、軍人、学校の先生、村人と総勢1000人にも及ぶ人々が列をなしました。
今回我々日本のお坊さんがかけた袈裟は、このバーン・サワイで作られたものです。
我々の先達が、パンヤー和尚とこの村出身のスタッフ、ティラポンさんの活動に共鳴し、村の特産であるシルクを使って日本で売れる製品が作れないかと始めたものでした。
それが立派なお袈裟として商品化され、私たちも身につけることができたものです。
パンヤー和尚の葬儀ですから何としてもこのお袈裟をかけて出席したいと思いました。
厚手にできているのでタイではとても暑かったですが、皆さんに大変喜んでいただいたので本当によかったと思います。
強行軍の葬儀参列も無事終えて、今日これからバンコク経由で日本に戻ります。
パンヤー和尚の安らかな旅立ちを祈りつつ。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

三ちゃんのサンデーサンサンラジオ157

2018年05月06日 04時59分32秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

5月6日、日曜日。

ゴールデンウイーク最終日となりました。
明日からの仕事に備えて、遊び疲れた人々も家に帰りついたころでしょうか。
我が家でも、娘たちがやってきて山菜を採ったり山に登ったり、賑やかに過ごしました。
子どもたちはほとんど谷地で生まれ育ったので、本来の意味の故郷と言えば河北町谷地なのでしょうが、私と家内が最上に来てからは最上に里帰りしています。
育った場所よりも、母親のいるところが、いやいや、母親そのものが実家であり、故郷なのでしょう。
父親は残念ながら実家にはなり得ないと思います。
最終的には、母親の胎内が究極の帰り着く場所なのだと思うからです。
この連休中も、都会で暮らす皆さんが故郷のお墓参りをされる例が多くありました。
暮らす近くに墓があるから墓参りするとは限りません。
近くても遠くても、亡き父母に会いたいという気持ちが切であれば墓参りはできるもののようです。
むしろ、墓石だけではなく、その景色、空気、匂い、それらの環境を含めて父母や先祖を感じるものなのではないでしょうか。
なので、墓は遠くても先祖の眠る場所にあってもいいのかもしれませんね。
母親の胎内に帰る安堵感が得られるかもしれません。

今月後半から、布教の予定が立て続けに入っています。
また、6月はじめは集中講座と大般若会がありますので、1年で最も多忙な1カ月となると思います。
その準備として、先月から法話の組み立てを何種類か同時に進行しているのですが、原稿に向かう度に手を入れるところが出てくるので、最終的にはそれぞれ直前まで推敲は続くと思います。
そしてその前に、10日からタイに出かけてきます。

今回の目的は、タイの和尚さんの荼毘式、火葬の法要に参列するためです。
亡くなったのは、バンコクから6時間ほど離れたカンボジア国境に近いバーン・サワイのパンヤー和尚さんです。
和尚さんとは、我々の団体が活動を始めて間もなくのころからのつきあいです。
この村の出身のスタッフが帰依する田舎の和尚さんでした。
その頃脚光を浴びた、貧しい村人に具体的な生活手段と智慧を授ける開発僧として紹介されました。
強い信念のもと、戒律を守りながらも戒律にとらわれない社会活動を展開されていました。
大乗仏教からは「小乗」と呼ばれながら、はたしてどちらが「大乗」なのかと自問させられたものです。
オープンな性格とユーモアたっぷりの人柄は、村人から絶大な信頼を受け、多くの外国人も訪れていました。
我々も何度となく訪ね、何回か僧侶スタディツアーで寺に泊めてもらい、托鉢を経験させていただいたり、正式な得度までさせていただきました。
ですから、私にとってはタイの師匠と言える方なのでした。
師匠の葬儀ですから、何としても参列しないわけにはいきません。
田舎の気さくな和尚さんという感じでしたが、葬儀はかなり盛大に行われるらしく、それほどの人徳と人望があったということなのでしょう。
心から礼拝してきたいと思います。
ということで、来週のサンサンラジオは遅れるか、もしかしたらお休みさせていただくかもしれません。



今週はここまで。また来週?お立ち寄りください。