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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。
5月27日、日曜日
昨日の早朝、親戚の山へワラビとりに行ってきました。
とり進むうちに、どんどん欲が湧いてきて、目に見えるととらずにいられなくなる感じになりました。
欲は、とればとるほど湧いてくるものだと気づきました。
欲があるからとるのではなく、とるから欲が出てくるということです。
さて来週は集中講座です。
準備も進んできました。
皆さんに楽しんでもらえたらうれしいです。
最近の社会の動きについて、少し。
政治家も大学の人も、上になればなるほど我が身の保身を第一に考えるものなのでしょうね。
部下は上の人間を守ってくれるものと思い込んでいるのでしょうか。
あるいは、そういう経験に慣れてしまって、疑問にも思わないのでしょうか。
しかし、誰しもいつまでもトップの座にいられるわけではありません。
いつかは、その座を明け渡し、「普通の人」に戻るときが来るでしょう。
守ってくれるはずの部下もいなくなります。
その時に、自分に残っているのは、自分が何をしてきたのかの事実だけです。
それは死ぬ直前まで残るでしょう。
自らの良心に問いかけて、怖れなく、自信をもって死を受け入れることができるのでしょうか。
ま、そういう人はできるのでしょうね。残念ながら。
最初に発した一言を、何故訂正できないのでしょうか。
プライドだったり意地だったりですかね。
「あ、ごめん、さっきのは失言」とか言ってしまえれば楽でしょうに。
上という意識は厄介なものです。
一旦口にしたウソを正当化するために、更なるウソを重ねなければなりません。
時間が経過して、弁解すればするほど、元には戻れない状況に追い込まれます。
下の者もそれに合わせて上を守るように動いてしまいますから、益々元には戻れなくなります。
そのうち、ウソだったのかどうかさえも、自分で分からなくなってしまっているのかもしれません。
あるいはそれらしく振舞っているだけなのか。
そうだとしたら、大した演技力です。
最初のウソをついたという行為がエネルギーとなって次の行為を引き起こします。
エネルギーは、重ねるごとに雪だるまのようにどんどん増大し、行為の連続を生み、止められなくなります。
更に、過去の行為の経験が、それが悪と知りながら繰り返すことを容易にします。それもエネルギーの力です。
良心による歯止めのハードルがどんどん低くなっていくのです。
このエネルギーを「業」と言うのでしょう。
ついには、その人は自らの行為によって自らを苦しめることになります。
どうすればいいのか。
自らの誤りに気づいたならば、訂正するのは早いほどいいと思いますね。
その方が混乱も少なくて済むし、周りに迷惑をかけなくて済みます。
何より、自分自身が苦しみが少なくて済みます。
そんなことを、政治家や学校の動きを見て思いました。教材として学びましょう。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。
5月27日、日曜日
昨日の早朝、親戚の山へワラビとりに行ってきました。
とり進むうちに、どんどん欲が湧いてきて、目に見えるととらずにいられなくなる感じになりました。
欲は、とればとるほど湧いてくるものだと気づきました。
欲があるからとるのではなく、とるから欲が出てくるということです。
さて来週は集中講座です。
準備も進んできました。
皆さんに楽しんでもらえたらうれしいです。
最近の社会の動きについて、少し。
政治家も大学の人も、上になればなるほど我が身の保身を第一に考えるものなのでしょうね。
部下は上の人間を守ってくれるものと思い込んでいるのでしょうか。
あるいは、そういう経験に慣れてしまって、疑問にも思わないのでしょうか。
しかし、誰しもいつまでもトップの座にいられるわけではありません。
いつかは、その座を明け渡し、「普通の人」に戻るときが来るでしょう。
守ってくれるはずの部下もいなくなります。
その時に、自分に残っているのは、自分が何をしてきたのかの事実だけです。
それは死ぬ直前まで残るでしょう。
自らの良心に問いかけて、怖れなく、自信をもって死を受け入れることができるのでしょうか。
ま、そういう人はできるのでしょうね。残念ながら。
最初に発した一言を、何故訂正できないのでしょうか。
プライドだったり意地だったりですかね。
「あ、ごめん、さっきのは失言」とか言ってしまえれば楽でしょうに。
上という意識は厄介なものです。
一旦口にしたウソを正当化するために、更なるウソを重ねなければなりません。
時間が経過して、弁解すればするほど、元には戻れない状況に追い込まれます。
下の者もそれに合わせて上を守るように動いてしまいますから、益々元には戻れなくなります。
そのうち、ウソだったのかどうかさえも、自分で分からなくなってしまっているのかもしれません。
あるいはそれらしく振舞っているだけなのか。
そうだとしたら、大した演技力です。
最初のウソをついたという行為がエネルギーとなって次の行為を引き起こします。
エネルギーは、重ねるごとに雪だるまのようにどんどん増大し、行為の連続を生み、止められなくなります。
更に、過去の行為の経験が、それが悪と知りながら繰り返すことを容易にします。それもエネルギーの力です。
良心による歯止めのハードルがどんどん低くなっていくのです。
このエネルギーを「業」と言うのでしょう。
ついには、その人は自らの行為によって自らを苦しめることになります。
どうすればいいのか。
自らの誤りに気づいたならば、訂正するのは早いほどいいと思いますね。
その方が混乱も少なくて済むし、周りに迷惑をかけなくて済みます。
何より、自分自身が苦しみが少なくて済みます。
そんなことを、政治家や学校の動きを見て思いました。教材として学びましょう。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。