人間はどこまでいくのでしょうか。
自然からどんどん離れて、やがて戻れなくなってしまうのでしょう。
卑近な例ですが、私自身、一度おしり洗浄トイレを使ったが最後、元には戻れません。冬場に、暖房が付いていない便座に腰掛けるのも勇気が要ります。そもそも、様式でなければ厳しいと感じます。ボットン(くみ取り式便所)には恐怖を覚えます。
ボットンや和式の便所はかつて経験したものなのに、今更戻りたくはありません。
新たな便利なものを使うまでは特に不便ではなかったはずなのに、一度慣れてしまうと、それがないと具合が悪く感じてしまいます。
便利で快適なものには当然経費が掛かります。
毎日使用する度に、電気や水を使わざるを得ません。江戸時代、人ぷんは売ることさえできたのに、今や流す度にお金が掛ります。トイレ一つとっても、かくの如しです。
携帯電話、パソコン、家電製品・・・。生活に掛る経費は、50年前に比べたら何倍になっているのでしょうか。
その経費を稼ぐために、余裕なく働き、疲れ、ストレスをため、家族との関係がうまくいかなくなることもあるでしょう。
人間が道具を使うのではなく、道具に使われているようなものです。さらに、自然も破壊していきます。
だとしたら、便利・快適は、むしろ不幸の種ともなり得るのではないでしょうか。
今後もますます便利で快適な道具が開発されるでしょう。今、当たり前と思っていることも、その道具を手にしてしまえば、前には戻れなくなってしまうはずです。
道具が問題なのではなく、「戻れない」ことが問題なのです。
人間にはどこまでいけば十分ということはなさそうです。恐ろしいですね。
それは、「成長」などというきれいな上昇ではなく、底なし沼にズブズブと沈んでいくことなのではないかと、トイレに座って思ってしまったこの頃です。
時折、山にでも行って、不便で不快ではありながらも、自然の喜びを感じることが必要なのかもしれません。
春になったら。