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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。
先日24から25日に南相馬から塩釜まで、調査をしてきました。
これは、以前にもお伝えしたように、5月に行われる曹洞宗東北管区の行事、慰霊行脚「祈りの道」の下見の調査です。
宮古市からの北ルートと、南相馬市からの南ルートで、5月6日に同時に出発をして石巻を目指します。
東北各地の青年僧侶がリレーをしながら6日間かけて11日に石巻に到達するという計画です。
企画担当を仰せつかったために、これまで何度か現地調査をしてきました。北ルートが4回、そして今回の南ルートが4回目になり、ルート全体を通しての下見はこれが最終となるはずです。
今回の下見で、今まで気づかなかった慰霊場所が何か所か見つかり、慰霊ポイントに追加してきました。
慰霊碑の前に立つたびに、ここでもか、ここでもかと、そのお名前の多さに胸が詰まる思いでした。
しかし、いくらその数が多くても、まとめて何人というようにとらえられるものではないでしょう。
一人ひとりに名前があるように、一人ひとりにはそれぞれ一つの命があり、一つの人生があったわけですから、まとめられるはずがありません。
更には、刻まれたお名前お一人お一人にその家族がいて、家族を失った悲しみがその何倍もあると考えれば、一つの慰霊碑も見逃さず、できる限り立ち寄り慰霊させていただこうと思いました。
福島県のあるお寺さんでは、浜の墓地で流されてしまった墓石を寺の墓地にまとめて慰霊場所に設えていました。
流されて傷ついた墓石が痛々しく感じました。
そこをお参りにきた檀家さんが、「先祖様が戻ってきたようだ」とつぶやいていたと、副住職さんが教えてくれました。
墓石は、石ではあるけれど、ただの石ではありません。
そこに名前を刻み、「墓」と刻んだときから、それはご先祖そのものになります。
その前で手を合わすとき、亡くなられた方がここに落ち着いていらっしゃると信じ、心を落ち着けてきました。
その墓石が津波で流され、傷つき、骨堂まで掘り起こされてしまった様子を目にした家族の思いはいかばかりだったろうかと思います。
今ここに再び安置され、手を合わすことができるようになった喜びが「戻ってきたようだ」というつぶやきになったに違いないと思いました。
今回、各地のお寺さんを訪ねて、どこの墓地も整然と整備されていたことに気づきました。
傷だらけの墓石も、そのまま、台座の上に安置されて、彼岸のお参りの花が揺れていました。
家族の中には、未だに仮設住宅や、他所で避難生活を送っている方もいるでしょう。なのに、まずは先祖様を落ち着かせたい、と思う方が大勢いるということなのだろうと感じさせられました。
震災の年、岩手のお寺さんで、檀家さんが住職に「方丈さん、まず本堂を建ててください。亡くなった人をちゃんと祀る場所に祀って落ち着かせてからでないと、我々安心して復興に向かえないんだ」と言うのを聞きましたが、同じ気持ちなのだろうと思います。
被災地には多くの慰霊碑や慰霊の像が安置されています。
それは単なる石ではない、像ではない。
その前で手を合わせ、刻まれたお名前に想いを馳せるとき、少しでも亡くなられた方々を自分の中に受けとめ身近に感じることができるものと思います。
今回の事業の延長で、慰霊のマップをつくろうではないかという案が出ています。
これから建てられる分も含め、できる限り網羅した慰霊場所の地図を作成し、多くの方の慰霊の一助にできたらと思っています。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。
先日24から25日に南相馬から塩釜まで、調査をしてきました。
これは、以前にもお伝えしたように、5月に行われる曹洞宗東北管区の行事、慰霊行脚「祈りの道」の下見の調査です。
宮古市からの北ルートと、南相馬市からの南ルートで、5月6日に同時に出発をして石巻を目指します。
東北各地の青年僧侶がリレーをしながら6日間かけて11日に石巻に到達するという計画です。
企画担当を仰せつかったために、これまで何度か現地調査をしてきました。北ルートが4回、そして今回の南ルートが4回目になり、ルート全体を通しての下見はこれが最終となるはずです。
今回の下見で、今まで気づかなかった慰霊場所が何か所か見つかり、慰霊ポイントに追加してきました。
慰霊碑の前に立つたびに、ここでもか、ここでもかと、そのお名前の多さに胸が詰まる思いでした。
しかし、いくらその数が多くても、まとめて何人というようにとらえられるものではないでしょう。
一人ひとりに名前があるように、一人ひとりにはそれぞれ一つの命があり、一つの人生があったわけですから、まとめられるはずがありません。
更には、刻まれたお名前お一人お一人にその家族がいて、家族を失った悲しみがその何倍もあると考えれば、一つの慰霊碑も見逃さず、できる限り立ち寄り慰霊させていただこうと思いました。
福島県のあるお寺さんでは、浜の墓地で流されてしまった墓石を寺の墓地にまとめて慰霊場所に設えていました。
流されて傷ついた墓石が痛々しく感じました。
そこをお参りにきた檀家さんが、「先祖様が戻ってきたようだ」とつぶやいていたと、副住職さんが教えてくれました。
墓石は、石ではあるけれど、ただの石ではありません。
そこに名前を刻み、「墓」と刻んだときから、それはご先祖そのものになります。
その前で手を合わすとき、亡くなられた方がここに落ち着いていらっしゃると信じ、心を落ち着けてきました。
その墓石が津波で流され、傷つき、骨堂まで掘り起こされてしまった様子を目にした家族の思いはいかばかりだったろうかと思います。
今ここに再び安置され、手を合わすことができるようになった喜びが「戻ってきたようだ」というつぶやきになったに違いないと思いました。
今回、各地のお寺さんを訪ねて、どこの墓地も整然と整備されていたことに気づきました。
傷だらけの墓石も、そのまま、台座の上に安置されて、彼岸のお参りの花が揺れていました。
家族の中には、未だに仮設住宅や、他所で避難生活を送っている方もいるでしょう。なのに、まずは先祖様を落ち着かせたい、と思う方が大勢いるということなのだろうと感じさせられました。
震災の年、岩手のお寺さんで、檀家さんが住職に「方丈さん、まず本堂を建ててください。亡くなった人をちゃんと祀る場所に祀って落ち着かせてからでないと、我々安心して復興に向かえないんだ」と言うのを聞きましたが、同じ気持ちなのだろうと思います。
被災地には多くの慰霊碑や慰霊の像が安置されています。
それは単なる石ではない、像ではない。
その前で手を合わせ、刻まれたお名前に想いを馳せるとき、少しでも亡くなられた方々を自分の中に受けとめ身近に感じることができるものと思います。
今回の事業の延長で、慰霊のマップをつくろうではないかという案が出ています。
これから建てられる分も含め、できる限り網羅した慰霊場所の地図を作成し、多くの方の慰霊の一助にできたらと思っています。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。