なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンデーサンライズ494 銀杏が散れば雪が降る

2024年11月24日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第494回。令和6年11月24日、日曜日。

 

旅行中に一度うっすらと雪が降ったようです。

「寺の銀杏が散ると雪が降る」と地元の人間に言われているので、本格的な雪はもう少し先だと思われます。

先日の旅行を楽しみに今月初めからの業務を頑張ってきました。

19日に帰って来て心地よい脱力感に包まれています。

想定通り、底が抜けるぐらい楽しい旅でした。

旅館の朝食で飲み、昼食で飲み、もちろん夕食で飲み、移動のバスの中で飲み、飲まないのは飛行機の中だけでした。

さすがに飛行機の中でやかんを回すことはしませんでした。

それだけ飲んでも誰一人潰れる者はなく、周りに迷惑をかけることもなく、自分の足でしっかりと歩き観光地を巡りました。なかなかたいしたものです。

松江城の堀川めぐりでは船頭さんの歌に誘われて故郷の民謡を歌ったりして、あいにくの雨も全く気にならないぐらい楽しく過ごしました。

「目のお薬師様」一畑薬師として有名な臨済宗一畑寺にも参詣し、一畑薬師教団の管長でもある住職さんからお話を聴くことができました。

その際、ショルダーバッグを足元に置き忘れてしまいましたが140段の石段の下で思い出し事なきを得ました。

話を聴くまでは目が曇っていましたが、話を聴いて心眼が開けて思い出したんだなと、勝手に解釈しました。

出雲大社の参詣でいろんな縁が結ばれ、更に心の目が開けたかもかもしれません。

誰一人批判的な発言をする者もなく、和合和睦の旅となりました。そうなるような準備はしたつもりです。

今際の際(いまわのきわ)に思い出して微笑むほど楽しい想い出になればいいと思います。

 

寺に帰って来て、手つかずにいた冬支度に取り掛かりました。

植木の方は常にお願いしている人に留守中に済ませてもらいました。

その他に、本堂と庫裡の周囲の窓を囲い、盆栽を片付け、亀とメダカを屋内に移動し、池の鯉を籠で囲って、銀杏葉を片付けるという作業があります。

今年は雪が多いのか少ないのか、分からないけど多い時に備えておかなければなりません。

雪の降らない地方にはこのような作業も必要ないのだと思いながら、ここに棲む者の宿命と受け止めて黙々と続ける以外にありません。

 

最上の地酒を創る会の酒造りも進んでいます。

今年は2回に分けて仕込むことになり、第1回目は正月に間に合わせるよう今月から水の搬送を行いました。

米と水を最上町産にこだわり、酒米出羽燦燦は代表の奥山君が作っています。

水は三和食品さんの湧き水を汲んで運んでいます。

酒造りはいわゆる三段仕込みと呼ばれる方法で造られます。

まずは米と麹と水で酛である酒母を造り、そこに初添え、仲添え、留添えと三回に分けて蒸し米と麹と水を加えて増やしていきます。

その水をその都度全て最上町から河北町の和田酒造さんに運んでいるのです。

会の作業としてはこれが一番大変ですが、和田酒造さんから「この酒はこの水がいいからこの味が出るのだろう」とお墨付きをいただいているので、会員手分けして運んでいます。

1回目の留添えが21日だったので、20日にその分の水600ℓを運んできました。

後は和田酒造さんにお任せです。

第2回目の仕込みも12月25日の酒母造りから始まるので、同じように数回に分けて水運びが続きます。

全ては旨い酒ができるため、町の人々を喜ばせるための作業です。そして、会員の特権で真っ先にその味見をするためでもあります。

今年もいい酒ができますように。

 

今週の一言

「喜びの、三段仕込み」

 

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

 


サンデーサンライズ493 役に立つのか

2024年11月17日 04時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第493回。令和6年11月17日、日曜日。

 

先週は木曜日に北海道から戻り、日曜日から東京でした。

今年度2回目の布教師養成所で金曜日まで研修道場に詰めていました。

今年度の年間テーマを「法が良薬ならば」として、現代社会の苦悩に仏法がどう応えられるのかを勉強しています。

その発想の原点は「現代社会に仏教は役に立つのか」という問いからです。

もし現代社会の苦悩に仏教が役立てていないのだとすれば、それは現代に生きる我々僧侶の責任であると言わなければなりません。

仏教・仏法が役に立つのかではなく、僧侶が「役に立てているか」の問題です。

お釈迦様の教えが2600年ほどの長きにわたって生き続けてきたのは、その時その時代の苦悩に仏教が寄り添い、衆生の救いとなってきたからに違いありません。

そこで今年度は、現代の苦悩を3つに分類し、7月の第1回は「根本苦、スピリチャル・ペイン」つまり、生老病死をはじめとする根本的な苦悩について、どんな薬・法を伝えられるかを学んできました。

第2回目の今回は「社会苦、ソーシャル・ペイン」についてでした。

「社会苦」とくくられるものには多種多様な苦悩があります。

今回養成所員が対象として設定した現場は、中高生、フリースクール、いじめ、教職員、保護者会、養護施設、人権学習、LGBTQ、SNSの問題、思春期の子どもと親、子育てママ、介護職員、過疎問題、環境ボランティア、被災者のつどい、北方領土の島民、平和のつどい等々。

実に多様な現場の苦悩に真剣に向き合って法話を作成してくれました。

その一つ一つの実演に対して、講師と所員が率直な感想や意見を述べ合い、ブラッシュアップしていきます。

50名の所員の実演が2回ずつ、研修課程の所員はさらに一般聴聞者を前にした「法話の会」と、とげぬき地蔵さんでの辻説法も行い、5日間で計100回以上の法話を聴きました。まさに飽和状態です。

今後、多くの布教師が上記のような現場に出向き実際に布教を行っていけば、社会の目は変わってくるだろうと思います。

「お坊さんもこういう問題を真剣に考え向き合っているんだ」「抹香臭い話だけじゃないんだ」という気づきから「今度お寺に行って和尚に相談してみよう」と思ってくれるのではないかと期待します。

お寺と和尚の存在意義の再構築です。

第3回目は2月に「生きがい苦、ライフプラン・ペイン」を対象として研鑽を重ねます。

 

金曜日に松林寺に戻り、今日から檀家衆と出雲方面への旅行です。

男性13名女性27名、総勢40名の団体です。

これを楽しみにして今月前半頑張ってきました。

松林寺団参恒例のやかんも準備しました。クーラーボックスに焼酎と割物も詰めて飛行機に載せていきます。

バスの中でこぼさないように、やかんに氷と焼酎と割物を入れて飲み具合のいい酒を作ってカップに注ぐのです。

以前は、調理用のボールに作りお玉で掬っていましたが、走行中の酔っぱらいはこぼしてばかりでさんざんな目に遭いました。

その反省から、このような形になったのです。今では松林寺の定番です。

そのまま飲める蓋つきのプラカップも用意しました。蓋にそれぞれの名前を書くためのマジックペンも忘れていません。

バスの席に貼る名前のタックシールをバス会社に送ってあります。

隣の席が誰かによって旅行は楽しくもなりつまらなくもなります。顔を思い浮かべながら組み合わせて指定席にしました。もちろん宿の部屋割も完璧です!

その場面を想像しながら準備を進めていくのが何よりも好きです。

きっと帰り着くまで笑い続け飲み続けることでしょう。ああ楽しみ。

 

今週の言葉

「楽しみは、自分で作る」

 

今週はここまで。また来週お越しください。

 


サンデーサンライズ492 真偽を自らに聞く

2024年11月10日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第492回。令和6年11月10日、日曜日。

 

先月31日木曜日から7日木曜日まで北海道巡回でした。

この間道内では一部降雪がありましたが、道東は割と天気が良く暖かく過ごしました。

特に北海道のお寺の本堂は、どこも暖房設備が完璧で法話中汗ばむほどでした。

このような長期の法話巡回は今回で最後かなと思われ、最後の晩は少し高級な鮨屋に行き、一人打ち上げをしてきました。

お任せというシステムで、ちょうどいい量の食事でした。

中で茶碗蒸しが出たのですが、中にはモッツアレラチーズが入っていると。普段あまり好んで茶碗蒸しは食べませんがこれは美味しくいただきました。

私の発案でワサビを少し入れてもらったら、これがまたアクセントになって旨かった。

少し贅沢して北海道を堪能しました。

 

アメリカの人が選ぶのだからよその国の人がとやかく言うことではありません。

ありませんが、どうしてこのような結果になるのか理解に苦しむ感じです。

仮にもアメリカの大統領ですからね。世界に及ぼす影響は少なくありません。

しかし、この選挙のやり方はどうなのだろうかと思います。

全国民が投票するのに直接選挙ではなく州ごとに推薦人を選ぶという方法。州が独立している「合衆国」だからそうなるのですかね。

二つの党の代表二人だけのどちらかを選ぶという方法。いずれにせよ国を分断する方法に見えます。

しかも莫大な選挙資金を湯水のように使って。選挙で儲けている人もいるのでしょうが、たかだか一時の選挙に消えてしまう資金を国民のために使ったらどうなのかと思います。

毎日抽選で一人の人に1億5千万円をあげるというバカげた人もいました。

金で人の心が買えるということがまかり通る社会、国、それを堂々と国の代表選挙でやってしまうという、しかもそちら側が勝つという、この国は一体どうなってしまっているのか。

次の大統領で、グローバル化や多様性や寛容性や地球温暖化などがどうなっていくのか、大いに不安を感じます。

ただ、私が知らないだけで、彼のいいところもきっとあるのでしょうね、と思います。

そうでなければ、あれほど多くの人が支持することもないのではないか、と逆説的に思います。

北海道の最後に中標津空港まで送ってくれた和尚さんが、「コロナとワクチンの闇をトランプさんが暴いてくれるだろう」などと期待を込めて言うのです。

元々農薬アレルギーがあって食物に敏感で、その情報を集めている中からそのあたりの情報をコロナの前から見つけ追いかけているのだそうで、ワクチンを打ったらだめだということをかなり詳しく説明するのです。

ワクチンが免疫を弱め体の弱い部分を突いて病人が増える。コロナはただの風邪でワクチンを打つからコロナは減らない。始まりはアメリカ人の陰謀で金儲けだ。等々。

彼の言うことが真実だとすればかなり大きなスキャンダルになりそうですが、真偽のほどは分かりません。

コロナのワクチンに関しては、発生の直後から賛成派と反対派の情報が錯綜していたのは確かです。陰謀論的な都市伝説かもしれません。

しかし、もし暴かれる「闇」があるのならば、どんなに混乱するとしても真実を明らかにしてもらいたいと思います。

いやはや、真にしても偽にしても、情報操作により政治も経済も意図的に捻じ曲げられてしまうのだとすれば庶民は何を信じていいのか暗中模索になります。

仏法を信じ、智慧によって正しく見るというのは間違いないところですが、その正しく見るところの基礎情報が根底から虚偽であるならば何をもって正しく見ればいいのか。

疑うことが対処法だなどというのは実に寂しい限りです。

誰か答えを教えてください、と言いたいところですが、おそらくその答えも誰かのフィルターを通しての情報でしょうから、誰かに頼るのではなく、自分を頼りにして自分に聞いてみるしかありません。

例えば、坐禅をして情報を断ち、記憶や先入観念を捨て、ストーリーから離れて、心の免疫作用とでもいうべき自己の第六感に従っていく、それもいいかもしれません。

そそけ立つとか、鳥肌が立つ、とか。何となく嫌な感じというのはあるものです。

 

今週の一言

「心の免疫は、断捨離から」

 

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

 


サンデーサンライズ491 暇とスマホ

2024年11月03日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第491回。令和6年11月3日、日曜日。

 

北海道に来ています。

昨年に引き続き根室市、標津町、別海町方面の布教巡回です。

特派布教とは違い、現地からの直接指名によって巡回しています。

二人の布教師で、昨年半分、今年残り半分を担当します。

 

暇であることの問題。

人生において、全ての生物が同じでしょうが、本来「暇」という時間はないでしょう。

全ての存在が生きる意味があり、同時に他を生かしているのだとすれば、その時間は全て意味のあることだと言えます。

お寺の生活は誰から使われるということでもなく、自分で時間の使い方を決められる生活です。

ある意味農業と似ていて、やろうと思えばやることは無限にあり、やらないから誰かに責められるという訳でもありません。

それでも「今日は何もない」などと「暇」と感じる日、あるいは時間があります。

それは、何もすることがないのではなく、目の間に突き付けられた用事がないだけのことで、すべきことしなければならないことはたくさんあります。

それを、したくないから「用事」から除外しているだけに過ぎません。

その「暇」としている時間を埋めるのにスマホほど有用なものはないでしょう。

電車の中あるいは待つ場所などで、スマホを見ていない人を見つけるのが困難なほどです。

かく言う私も、その一人であると白状しなければなりません。

先日寺に居ながら「暇」を感じ、しばらく遠ざかっていたスマホのゲームを開いてしまいました。

こんがらかったロープをほどいていくというパズルのような単純なゲームです。

そんな単純なものでも、ほどけたという快感は脳に対するご褒美のような喜びで、ついつい次へ次へと進みたくなります。

すると、一々入ってくる広告が邪魔になり、求められるままに広告を消す課金に同意してしまいました。

この時点で既に沼にはまってしまっています。なかなか抜け出すことができません。

暇だからゲームを始めたのだから、広告が邪魔だなんて、暇ならそれも見ればいいのに、その時間がもったいないと思う。

現在レベル645まできてしまいました。

ゲームの動機が暇ではなくなってしまっています。

さらには用事を後回しにして「暇」を作る始末。まさに時間が潰されていきます。

スマホから流れてくる膨大な情報は、そこから広告企業の利益に誘導するように仕組まれているでしょう。

つまりスマホは、手にする者の時間とお金を容赦なく奪う吸い取り紙のようになっていると言っても過言ではありません。

利用者次第だとは言っても、特に真偽を見分け難い若い者などは赤子の手をひねるより簡単に騙されてしまうこと必定と言えましょう。

68歳の老人も簡単にはまるのですから。推して知るべしです。

暇だと感じることを何とかしなければなりません。

生きている限り暇な時間などないのですから。

 

サンベギドウのローマ字表記は「GIDO SAMBE」になっています。

パスポートを取得するときにそのように指導されました。

「GIDOU」でも「SANBE」でもありません。ヘボン式なのだと思います。

ところが、ブラジルに行ったとき、「ジドウ」ですかと聞かれ「ギドウ」ですと答えると、それなら「GUIDO」の方がいいと教えられました。

確かに「ギター」は「Guitar 」と表記します。ラテン語表記でしょうか。詳しくは知りません。

「Guido」の方がかっこいいですかね。どうでもいいことですが思い出したので。

 

今週の一言

「本来、暇な時間などない」

 

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。