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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。
今日は1月29日、1月最後の日曜日です。
適当に雪も降って、赤倉温泉スキー場での全中、全国中学校スキー大会も開催できるのではないでしょうか。
関係者は胸をなでおろしていることと思います。
今季、当地は風が少ないんですよ。
吹雪という日がほとんどありませんでした。
宮城県との県境、境田は、奥羽山脈の一番低い峠で、庄内地方に吹き込んだ西風がふいごのように吹き抜ける地形となっています。
そのため、冬は地吹雪の名産地で、アチコチに吹き溜まりができて、視界不良で、車が立ち往生したり追突したり、難儀をしているところなんですよ。
それが今季、地吹雪というのを一度も経験していないんじゃないでしょうか。ここまではですが。
さて、今年も早や1カ月を過ごそうとしていますが、月日は休みなく流れ去っています。
そんな、時という流れの上を、波乗りのように浮き沈みを繰り返しながら進んでいくのが人生というものなのでしょう。
「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」とは、松尾芭蕉「奥の細道」の序文ですが、古来より、人生は旅に譬えられてきました。
多くの人と出会ったり別れたりを繰り返しながら、しかし実はたった一人で、とぼとぼと自分の足で歩いてきたのです。
旅であるならば、いつかは出発した家に帰るのですが、人生の旅は帰らない旅です。
毎日毎日、踏み出す一歩一歩が、これまで誰も歩いたことのない未知の旅です。
誰かが先に行って、その後ろを自分が歩いているような気がしますが、そうではないでしょう。
過去と未来を考えてみれば、過去はまさに過ぎ去ったことであり、未来は未だやって来ないのですから、今私たちが生きて進んでいる現在の今の連続が、先頭なのです。
私の前には、誰一人歩いている人がいません。
旅を終えてしまった人は、先に行ったのではなく、残念ながら過去になったのです。
過去の人を振り返り、参考にはできますが、今この時、この一歩を踏み出している自分は全く誰も歩いたことのない道をたった一人、進んでいるのです。
立ち止まり 振り返り
またも行く 一筋の道だった
山形県を代表する童話作家、「泣いた赤鬼」を書いた浜田広助の言葉です。
自分の歩いてきた道を振り返れば、迷い戸惑い、寄り道をしながら、それでも歩いてきた事実として一本の道になっています。
それぞれが一本の道をつくってきました。
誰とも比べる必要がない、まぎれもない、自分の道です。
帰ることができないのは寂しいけれど、ここからどこへ向かうのか不安だけど、それでも今日の一歩を進めるしかありません。
横を見れば、同じように未知の一歩を進める人々が横一列となって前に向かっています。
手をつなぐことができます。肩を抱くことができます。
この旅が、どこまで続くのかは誰にも分かりませんが、それでも今日、今日の一歩を進めます。
時には、一寸先も見えない地吹雪のような日もあるかもしれません。そんな時は、慎重に手探りでも、一歩を進めなければなりません。
人生は帰らない旅。
寂しくなったら手をつなぎましょう。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。
今日は1月29日、1月最後の日曜日です。
適当に雪も降って、赤倉温泉スキー場での全中、全国中学校スキー大会も開催できるのではないでしょうか。
関係者は胸をなでおろしていることと思います。
今季、当地は風が少ないんですよ。
吹雪という日がほとんどありませんでした。
宮城県との県境、境田は、奥羽山脈の一番低い峠で、庄内地方に吹き込んだ西風がふいごのように吹き抜ける地形となっています。
そのため、冬は地吹雪の名産地で、アチコチに吹き溜まりができて、視界不良で、車が立ち往生したり追突したり、難儀をしているところなんですよ。
それが今季、地吹雪というのを一度も経験していないんじゃないでしょうか。ここまではですが。
さて、今年も早や1カ月を過ごそうとしていますが、月日は休みなく流れ去っています。
そんな、時という流れの上を、波乗りのように浮き沈みを繰り返しながら進んでいくのが人生というものなのでしょう。
「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」とは、松尾芭蕉「奥の細道」の序文ですが、古来より、人生は旅に譬えられてきました。
多くの人と出会ったり別れたりを繰り返しながら、しかし実はたった一人で、とぼとぼと自分の足で歩いてきたのです。
旅であるならば、いつかは出発した家に帰るのですが、人生の旅は帰らない旅です。
毎日毎日、踏み出す一歩一歩が、これまで誰も歩いたことのない未知の旅です。
誰かが先に行って、その後ろを自分が歩いているような気がしますが、そうではないでしょう。
過去と未来を考えてみれば、過去はまさに過ぎ去ったことであり、未来は未だやって来ないのですから、今私たちが生きて進んでいる現在の今の連続が、先頭なのです。
私の前には、誰一人歩いている人がいません。
旅を終えてしまった人は、先に行ったのではなく、残念ながら過去になったのです。
過去の人を振り返り、参考にはできますが、今この時、この一歩を踏み出している自分は全く誰も歩いたことのない道をたった一人、進んでいるのです。
立ち止まり 振り返り
またも行く 一筋の道だった
山形県を代表する童話作家、「泣いた赤鬼」を書いた浜田広助の言葉です。
自分の歩いてきた道を振り返れば、迷い戸惑い、寄り道をしながら、それでも歩いてきた事実として一本の道になっています。
それぞれが一本の道をつくってきました。
誰とも比べる必要がない、まぎれもない、自分の道です。
帰ることができないのは寂しいけれど、ここからどこへ向かうのか不安だけど、それでも今日の一歩を進めるしかありません。
横を見れば、同じように未知の一歩を進める人々が横一列となって前に向かっています。
手をつなぐことができます。肩を抱くことができます。
この旅が、どこまで続くのかは誰にも分かりませんが、それでも今日、今日の一歩を進めます。
時には、一寸先も見えない地吹雪のような日もあるかもしれません。そんな時は、慎重に手探りでも、一歩を進めなければなりません。
人生は帰らない旅。
寂しくなったら手をつなぎましょう。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。