宿用院太陽光発電所による電気の売買が5月分から黒字になっています。
5月分 買電11.812円 売電12.816円 1.004円の黒
6月分 買電10.251円 売電16.608円 6.357円の黒
7月分 買電9.248円 売電13.152円 3.904円の黒
「売電」は、発電した電気を使用して、残った分を売った額ですから、実際は黒字分以上の効果はあります。
設備投資からみれば、わずかな金額ではありますが、効果が実感できることで心の収支はプラスに転じます。二酸化炭素の削減に投資しているようなものです。
昨日は日帰りで横浜の倫勝寺さんへ、施食会の法話でした。(倫勝寺さんについては、このブログに「さんぜ通信」としてリンクを貼っていますのでご覧下さい)
住職は河北町出身なので、これまでも何度かお邪魔しているのですが、今回は久しぶりのご依頼でした。
本堂は空調が効いていたので快適にお話しさせていただき、終わってから慰労会にも顔を出させていただきました。
こちらの護持会長さんは、大相撲武蔵川部屋の後援会長さんでもあり、もっぱら大相撲の話題でもちきりでした。
会長さんは、大相撲の存在の意義を熱っぽく語られました。
明治政府が武士を廃止して、断髪令を出し帯刀を禁止したけれど、士(さむらい)の形と心を残し伝えていくために、相撲取りだけは断髪にしなかった。横綱にも正式に帯刀を許した。
「力士」とは、武器を持つ士「武士」に対して、鍛え上げた体躯をもった士という意味だ。横綱の刀は、刃が上を向くように持っている。これは相手を切るためではなく、象徴としての刀だ。相撲は礼に始まり礼に終わる、士の心を後世まで伝える1380年の歴史のある神事なのだ!政府がこれを守らないでどうする!
う~ん、なるほど、勉強になりました。http://blog.goo.ne.jp/rinshou_2008/e/83fc7b55a5e1decb6bd5251a72d1be3c
私が、寺の長男に生まれたことを恨んで青少年時代を過ごしたことは、何カ所かに書いたり、彼方此方で話をしたりしてきました。
物心ついた時には、自分の人生が生まれる前から決められていると思い込まされていることに反発し、その矛先がすべて父親に向いていました。
しかし、その境遇から飛び出す勇気も裁量もなく、ただ漠然と「あきらめ」が支配していました。
大学に入り、色々な出会いがあり、難民キャンプに赴いたりして、僧侶としての生き方に少しずつ興味を持ってきました。
更に優れた人々との出会いによって、僧侶であることの喜びに目覚めていきました。
いつの頃からか私は、「あきらめ」ではなく、自分の人生を引き受ける「覚悟」ができてきたのだと思います。
土地も時も性別も親も兄弟も家の職業も、総じて、生まれることが選べないのだとすれば、生まれてきた自分の境遇を、「これでいい」と「覚悟」して受け入れるのと、「しかたない」と「あきらめ」るのでは、その後の人生が大きく違ってくるはずです。
ただ、個人の「覚悟」ではどうにもならない世界に生きている人がいることも事実です。
貧困のために売られてしまう子どもたちに、「覚悟」を迫ることは到底できません。
そういう事実を知ってしまった自分がどう生きるかは、また違った「覚悟」が必要となります。
でも、もし、そうではない境遇であるならば、短い人生を「覚悟」をもって生きてもらいたいと願うところです。
毎日暑い日が続いています。
そのせいか、ここのところ葬儀も連続しています。寝ていても体力が奪われるのでしょうか。
猫も涼しいところを探すのに苦労しているようです。
考えてみれば彼らは毛皮を着ているのですから。夏は苦手でしょう。
暑いけれど、エアコンは好きではありません。
冷気が肌を刺すような感触が嫌いです。それと、その中にいると慣れてしまって、外に出た時の落差とだるさが嫌ですね。
部屋の中も、車の中も、窓を全開にして、自然の風を取り込んでいます。扇風機も好きではないので専ら団扇です。それが結果的にはエコにつながります。
体型の見た目に反して暑さを感じないタイプなのかもしれません。
それでも、衣を着てお袈裟を掛けて葬式を一座務めれば、汗まみれになります。袈裟衣の見た目は涼しそうに見えるのですが、重ね着は決して涼しくありません。
寝ていて熱中症に罹るお年寄りが増えているようです。対策として水分補給は欠かせないのですが、ただの水だけだと、かえって脱水症状になる危険があるとテレビで言っていました。お気をつけ下さい。
どう考えても意味が分かりません。
何故に、Tシャツとパンツ一丁で、履き物も履かず、行ったこともない隣の道場に、どこからか入って、みんなが寝ている間にころんと寝る、なんてことが起こり得たのか。
もしかして、彼は、テレポーテーション空間移動をしたのでしょうか。
「T理教の神様に呼ばれたんじゃないの」と、からかってみましたが、
「冗談はやめて、勘弁して」と、いつになく真剣です。
「このサンダル、返しに行かなきゃならないんだけど、三部さん一緒に来て」
と、懇願されましたが、余計な顔を出して宗教対立になっても困るし、だいたい行きたくないし、「嫌だよ」と断って蒲団を被りました。かわいそうに、彼一人で返しに行きました。
あれは今でも不思議な出来事です。
巣鴨が色んな宗教の集まる場所であるということは、何か不思議な力の渦巻いている、パワースポットなのかもしれません。
因みに、その後シゲル君に変わった様子はありませんでした。T理教に入信した様子もありませんし、別のところにテレポートしたという話も聞きません。
ただ、時折、話すことが普通ではないと感じることがあるのは、気のせいでしょうか。
もし、あなたが目覚めた時に、となりに知らない男が寝ていたら、それはシゲル君かもしれません。シゲル君なら大丈夫です、弱アルカリ性の人畜無害ですから。(終)
追伸:この連載の途中で、シゲル君から、やめて、お願い、堪忍してと懇願されましたが、こんな楽しい話を私一人の胸の中にしまっておくのはもったいないので、強行連載しました。おかげでスッキリしました。
加えて、同じような抱腹絶倒シリーズに「青春の痔」があります。まだご覧でない方は、カテゴリーから入ってご笑覧いただければ幸いです。繰り返し読んでも笑えます。
どうせ寝ぼけているんだろうと思っていましたが、玄関に連れて行かれて、彼の指さす方を見て驚きました。そこには見慣れないゴムサンダルが置いてあります。
「よく見て!」
よく見ると、そのサンダルには何と「T理教」と書かれてあります。一瞬寒気がしました。
「どこから入ってきた」と聞かれても分からず、裏口に連れて行かれて、「何履いて来たんだ」と聞かれても履き物はないし、「これ履いていけ」と言われて、履いて来たのがこれ、と、もう泣きそうな顔をして話します。
「ぼく、三部さんと一緒にここに寝たよね」
隣に布団が敷いてあるし、抜け出したままの形ですから、寝たには間違いないと思います。
それが何故、隣の道場の広間に、どこからどうやって、謎は深まるばかりです。
昨日の夜は、宿用院で河北町環境を考える会の集いがありました。
当会には海外支部がありまして、国はスウェーデン。
河北町出身の矢作ルンドベリ智恵子さんが、当会の会員になっていただいた時に在住のスウェーデンを支部に認定したというだけのことです。
この度2年ぶりに里帰りされたとの情報を得て、お話と懇親会を企画したのでした。
智恵子さんは、スウェーデン、ストックホルムで、メディア・コーディネーターとしてスウェーデンの情報をTV、ラジオ、雑誌を通じて日本へ発信している他、現在はストックホルム大学で環境学も勉強中。環境NGOにも参画されています。
環境先進国スウェーデンの視察団が日本に招聘された時に、通訳兼コーディネーターとして山形まで同行されました。
お話は、スウェーデンの環境政策についての現状について詳しくお聴きしました。やっぱり、すごく進んでいます。スウェーデンに行ってみたくなりました。
今回の帰国中には、ご主人も来日されて、ご家族で広島の原爆資料館に行かれる予定だそうです。
そこは、大きな板敷きの広間で、何かの道場のようでした。
「ここどこですか?」
シゲル君が恐る恐る聞いてみると、何とそこは、泰宗寺の隣にあるT理教東京教会の道場の中だったのです。
その道場で暮らしている研修生とおぼしき人々と一緒にシゲル君は寝ていたようです。
その人たちもビックリしたでしょう。起きたら変な奴が隣に寝ているのですから。
「おまえ、ここで何やってる」「どこから入ってきた」
「いや~、あの~、ぼく~、」
どう説明していいか分かりません。本人すら何故ここにいるか分からないのですから。
隣のお寺に寝て、気がついたらここに寝ていたと、意味不明の返答をして、不審がられながらも何とか帰してもらったとのこと。
「何寝ぼけてるんだよ、早く寝ろ」と布団をかぶりましたが、
「ホントだってば!ウソじゃないって!」
「こっち来て、これ見て」と、布団をはがされ、玄関に引っ張っていかれました。