なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンサンラジオ397 コロナで鎌倉殿

2022年12月25日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第397回。12月25日、日曜日。

流行り病に罹ってしまいました。
20日、熱はありませんが鼻水と咳が出て、いくつか集まりの予定もあるので念のためと思って簡易検査キットを使ってみました。
結果、赤い線が2本出て陽性との表示。かかりつけ医に相談して診察を受けたところ、正式に陽性とのこと。
14・15日は仙台、16日は山形、17日は河北町・東根と出かけていたので、どこでもらって来たかは不明です。
ワクチン接種は5回まで済んでいるし、症状は軽いので体調としては軽い風邪という状態です。
ありがたいことにカミさんには感染していないようなので助かりました。
昨日24日まで、自宅内隔離で誰とも顔を合わせずに、個食で過ごしました。

こういう時だからできること、ということで、NHKオンデマンドを観ていました。
大河ドラマはこれまで全く観たことがありませんでしたが、2か月前だったか、たまたま土曜日の再放送を目にしてついつい観てしまいました。
以来その先が気になって、録画して観ていました。『鎌倉殿の13人』です。
先日その最終回が終わり、はじめからのストーリーが観たくなりました。
隔離中、これはいい機会と思い、1話から連続して観続けました。
一話が約43分で48話完結ですから、2064分34.4時間あります。これを3日間で観たので一日11時間半平均でした。
こんなにまとめて時間がとれることは、まずありません。
いい機会でした。

ドラマを観て思うのは、どうしてこんなに人が殺されるのかということです。
人間模様の部分に脚色があるのは当然ですが、誰が誰に殺されたというのはほぼ史実だと思われ、裏切りや疑心暗鬼、思い込みのままにどんどん人が殺されていく時代。しかも、兄弟や親子、親族同士で繰り返される殺戮。幼い子供までもが殺められる残虐性。
いくら戦乱の世だとは言え、血に塗られた歴史には正直嫌気がさします。
ドラマでも、三代将軍実朝に「政(まつりごと)というのはかくも多くの者の躯(むくろ)を必要とするのか」と嘆じさせています。
時折出てくるフレーズ「戦のない世を作るためじゃ」という言葉のもとに挙行される戦。
天下の安定は戦をもってしないと実現できないものでしょうか。そういう歴史が無かったら現代の平和は訪れなかったのでしょうか。
その当時それが正義だったとしても、その世が長く続くことはありませんでした。
戦によって樹立された安定は必ず戦によって崩壊するというのが、歴史が証明している事実と思います。
戦によってもたらされた安定というのは戦に勝った側からの見解です。負けた側、殺された側からはそれは安定とは呼べません。
いつかはその仇を討ちたいと思うからです。
忠臣蔵が人気なのは、何年も時間をかけて艱難辛苦の末に主君の仇を討つというストーリーです。
それが時代を超えて人々に愛されるゆえんは、「仕返し」をしたいという心が誰にもある証拠です。
現代の世にも戦はあります。
武力によってもたらされる平和などない、その論理自体が矛盾している、と気づかなければなりません。
軍備増強と原発の新増設を推し進めようとしているこの国。
過去に学ぼうとしないから同じ過ちを繰り返すのです。
そんなことをこのドラマを観て考えました。

しかし、役者というのはすごいですね。
主役北条義時役の小栗旬。ストーリーの始めの頃から回を重ねるほどにその表情が次第に変わっていくという様子が一気見することでよく分かりました。
色んな経験や悩み苦しみを重ねることで、人間として良くも悪くも成長していく、その変化が姿や表情で見事に表現されていました。
仏師運慶が義時の顔を見て語るシーンが三度出てきます。
一度目、「真っすぐないい顔をしている、お前に似せて仏像を彫ってやろうか」。
二度目、「悪い顔になったな。しかし、迷っている顔だ、それが救いだ」。
三度目、「迷いのない顔、つまらん顔だ。あんまり悪い時には言わんようにしている。気の毒が先に立ってな」。
運慶が見たら、今のプーチンの顔はどのように評価されるのだろうか。

いずれにせよ、観ごたえのあるドラマでした。
今後も大河を観るかは否定的です。また隔離でもされない限り。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。




サンサンラジオ396 見えないものと共に生きる

2022年12月18日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第396回。12月18日、日曜日。

15日の夜に降り出した雪は、翌朝50センチに達していました。
今期最初の除雪機出動となりました。
ただ、降り始めの雪は湿っていて重く、除雪機も難儀します。
朝の運動にはちょうどいのですが、人間も慣れるまでは少々難儀します。
早く慣れて、雪とつき合っていかなければなりません。

最上の地酒「山と水と、」の仕込みが始まり、昨日は河北町の和田酒造で会員+ゲストによる仕込み体験でした。
1,980㎏の最上産酒米出羽燦燦を50%精米し、最上のおいしい水を加えて、720ml換算で約4000本を作る計画です。
水は4回に分けて1,850ℓ運びました。
今年は生原酒にも挑戦する予定で、どんな味になるかとても楽しみです。
生原酒は先行予約限定で販売することにしています。数に限りがありますが、まだ少しの余裕があります。
ご希望の方は事務局まで、メール(shorin@cup.ocn.ne.jp)でお問い合わせください。

この地球上には大きく分けて「動く命」と「動かない命」があります。
大雑把に分ければ「動物」と「植物」です。
しかし、それは全く別の生き物なのか、と言われればどうでしょうか。
「動く」と「動かない」の違いはありますが、よく見ると、それは互いに依存し合っていると分かります。
たとえば、イチジクとイチジクコバチの関係があります。
イチジクは「無花果」と書くように花のない植物に見えます。
ところが、イチジクの花は、その実の中にあるのです。
その実に卵を産み、幼虫が実の中の栄養を摂り、羽化して花粉をポケットに入れて外に飛び出し、別の実の中に入って受粉するのがイチジクコバチなのです。
イチジクとイチジクコバチのどちらが先かは分かりません。おそらくは同時に進化してきたものでしょう。
念のため、日本のイチジクはコバチがいなくても実がなるように改良されたもので、実の中にハチがいることはありません。
他にも、植物の花の受粉を助けるのはほとんどが昆虫たちです。
実をつける植物も、鳥も含めて動物にご褒美をあげて種を遠くまで運んでもらう仕組みを持っています。
動物を動かしているのはむしろ植物だと言ってもいいほどです。
その二つの種類が別の生きものだとは、思えないのです。
この世から植物がなくなったら、動物は間もなく絶滅するでしょう。
動物が絶滅したら、植物は生き延びそうですが、もしかしたらそうではないかもしれません。
少なくとも、海の中で誕生した地球上の生命が、植物が先に上陸し、それに誘われそれを追いかけるように動物も上陸していったのであり、植物には動物よりはるかに「意志」があると思えます。
植物を「動かない命」と言いましたが、植物全体の進化を考えれば、植物は活発に積極的に「動いてきた」と言えます。
もう一つ、土を作ったのは植物と微生物です。
秋の落ち葉を掃くと、早くもその下にはダンゴムシやミミズが隠れています。枯葉を食べて分解してくれようとしているのです。
さらに目に見えないような微生物が分解を重ねてどんどん積み重なっていきます。
そして土は、植物を育て、微生物や昆虫を育てる土壌となるのです。

今猛威を振るっているウィルスという存在は、今から100年少し前に発見されたようですが、それ以前は当然目に見えない、存在そのものがあるかどうか分からないものだったでしょう。
同じように、目に見えないながら動物の役に立ってきたものがあります。
それは菌です。
菌は、悪さをすることもありながら、一方重要な役割も果たしてきました。
乳酸菌やビフィズス菌、納豆菌などはその一部でしょう。
また、麹菌、酵母菌などはパンや味噌を作るのに欠かせないものです。
そしてもう一つ、酒にも。
酒は、蒸した米にカビの一種である麹菌を振りかけ、さらに酵母菌を加えてデンプンを糖分に変え糖分をアルコールに変える働きを促します。
古い酒蔵には長い間に自然の酵母菌が住み着いていて、それを利用して醸す酒を「生酛造り」と言います。
その場合、発酵の時間を短縮する意味で米を擂りつぶす作業が行われます。これを「山卸(やまおろし)」と言います。
その作業をしないで時間をかけて造るのを「山廃造り」と言います。
いずれにせよ菌がなければ酒はできません。
菌の存在などに気づかない大昔から、人は菌の力を借りて酒を造り、酌み交わし、人生を楽しんできたのです。
目に見えない存在とも共に生きていかなければなりません。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

サンサンラジオ395 明星から見る

2022年12月08日 17時18分48秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第395回。12月11日、日曜日。

東京に来ています。
一昨日はシャンティの理事会。昨日はシャンティの日と、タイのプラティープ先生の祝賀会でした。
プラティープ先生は、タイのスラムに生まれ、16歳の時にスラムの子どもたちの教育「一日1バーツ学校」を始め、アジアのノーベル平和賞と呼ばれるマグサイサイ賞を26歳の時に受賞、その後上院議員も務められた方です。
シャンティの難民支援活動の中で関係ができ、そのスタッフだった秦辰也さん(現近畿大学教授)と結婚されました。
昨年4月、タイ日の関係強化の功績が認められ、旭日中綬章を受章された、その祝賀会でした。
古い関係者も出席され、懐かしいひと時となりました。

12月8日はお釈迦様お悟りの日、成道会でした。
各地の道場では、その故事に倣って1日より集中して坐禅三昧の行持を勤め、8日未明に成道を祝います。
松林寺では、4日の梅花講総会において講員と共に成道会を勤め、住職は毎朝の日課としての坐禅を行ずるにとどめました。
その故事とは、6年の苦行の末、菩提樹の根元に坐り8日目の明けの明星を見て成道されたとされています。
その時の言葉が「明星出現の時、我と大地有情と同時成道す」というものだったと正法眼蔵にはあります。
その意味は、「自分とこの大地とその大地の上に生きるすべての生命が、自分と同時に悟りをひらいた」ということになります。
お釈迦様一人が悟りをひらいた、というのであれば分かりますが、無生物も生物も全て自分と同時に悟りをひらくとはどういうことでしょうか。
私はこのように受け止めています。
「自分」という個の存在として周囲を見れば、色んな命がそれぞれ別々に存在しているように見える。
命と命が、仲良くなったり争ったり、別個の存在として関係を構築していると見える。
それはちょうど、ジグソーパズルの一つ一つのピースのような存在という見方です。
凸ったり凹んだり、足りないように見えたり邪魔に見えたりして、互いにけん制している。
しかし、お釈迦様は、この世界を俯瞰して、全てのピースが完全に収まった完成品だと見えたのではないか。
凸ったところは凹んだところを補うためのものだった。
いや、元々境界線などなかった。命はピースではなかったのだ。

明星を見て、というのは、明星の視点で見えたということではないか。
その当時、この世界が地球という球体であるという認識も自転しているという認識もなかったでしょう。
どこまでも続く平面の大地の上に生命は生きている、と。
そこに明星は昇ってくる。
明星出現、全ての大地有情は同時に明星に照らされる、明星を見る。
その時お釈迦様の視点は、自分から離れ、明星の視点から大地を眺め、全ての命を眺め、自分自身を眺めることができたのではなかったか。
すると、この世界は一枚の絵のように見えた。
しかも静止画ではなく動画として。
全ての命は、この大地の上に見事に調和して、余すことなく欠けることなく存在している。諸法無我。
全ての命は、雲や川の流れのように、一瞬たりとも留まることなく流れ明滅している。諸行無常。
そのように見えた時、全ての苦しみから解放されて心の静けさが得られる。涅槃寂静。
お釈迦様がそのように見えた時、それはお釈迦様一人の姿ではなく、大地有情全体が悟りの絵となる。
お釈迦様が明星を見る、明星が大地有情を見る、大地有情がお釈迦様と一体となる。見ているものと見られているものが一つになる。
お釈迦様と、大地有情と、明星と、三つの視点が一体となって悟りの言葉は生まれたのではないか。
ただ、動画であるだけに、悟りの絵も一瞬の瞬きであり、固定されたものではない。次の瞬間、争いの修羅の絵に変わることもある。
だからこそ、たった一人の坐禅が悟りとなり、たった一人の悟りが大地有情の悟りとなる。
お釈迦様が見た成道の絵に倣い、行じなければならない。この世を悟りの世界にし続けなければならない。
怠らず坐禅弁道せよ、という道元禅師の説示になるのでしょう。

「シャンティと坐禅」ということを考えています。
それについてはまた今度。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。


サンサンラジオ394 さめざめと泣く

2022年12月04日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第394回。12月4日、日曜日。

2日金曜日、ついに初雪が降りました。本格的な冬の始まりです。
同じ日の朝、日本がスペインに勝ち、予選1位通過となりました。
ワールドカップは何が起こるか分かりません。だから面白いのでしょう。
日本が強いというよりも、いい試合をした選手たちに拍手を送りたいと思います。

先月29日火曜日は母の49日忌で、納骨も勤めました。
母は「生まれた時から体が弱かった」が口癖で、そのために健康には人一倍気をつけていました。
子どもの頃、薬だと言って親に飲まされていた酒は実はマムシ酒だったと知りゾッとしたと。
その割には、ハブ酒を取り寄せて私に「飲め」と勧めていました。
本人が言うほど病弱ではなかったと思いますが、その親は、農家に嫁にやっても務まらないと思っていたようで、その当時当地では珍しく女学校に入れて農家以外に嫁がせようとしていたようです。
結局その親の思いで寺に来るようになりました。

私が子どもの頃、雪道で転んで頭を打った後遺症が出て、保育所の勤めから帰ってくるとすぐに横になっていた姿を悲しく見ていました。
病院に入院して、首にコルセットをはめて帰ってきた時には驚きました。
その後は、整体や光線療法、酸素吸入や自然療法のようなものなどなど、いいと言われるものは何でも試し、いわば健康オタクになっていました。
胃がんが発見されて4分の3を切除して、それからは更に気をつけるようになっていました。
いいというものをいったん始めるとまじめに継続する性格で、朝起きると南部せんべいを一枚食べてコーヒーを飲むというのが近年のルーティンでした。
テレビ体操も欠かさずやっていました。
そんな本人の努力もあり、体が弱かった子どもは満88歳まで生きることができました。

当然ですが、思い出はたくさんあります。
私が生まれて間もなくの頃、よく泣いて泣き止まず、痩せてきていました。
病院に連れて行って診てもらうと、「栄養失調だ、母乳が出ていないんじゃないか?」と言われて初めて気づき、「帰りに薬屋に寄ってヨーグルトを食べさせたら2瓶ペロッと食べた」という話は何度も聞かされました。
その頃、姑との関係が悪く、そのストレスが原因で母乳が出ていなかったのだろう、乳が出ていないことにも気づかないなんて、なんてバカな親だと悔やみ、泣きながらヨーグルトを口に運んだ。
「そのためにお前は体が弱く、背も大きくなれなかった」と、自分を責めながら何度も語るのでした。
確かに子どもの頃、病弱で何度か入院もしましたが、身長が伸びないのはそのせいではないでしょう。たぶん。

こんなこともありました。
大学に入学したての頃、親のハンコが必要な書類があって実家に送り、それが着いたか、速く送り返してほしいという意味で公衆電話から電話をかけました。
「はいはい」と出た母親に、「オレだ」と言うと、「お前かあー」と言ったきり涙声になりました。
「手紙よこすならなんで何か一言書いてこないんだ、紙っぺら一枚いれて、父ちゃんは封筒の表と裏と何度もながめていたぞ!」と責められました。
東京に出てから初めての便り、元気でいるのか、ちゃんと食べているのか、大学には行っているのか、日々心配しながら連絡を待っていた、手紙が来たと思ったら書類だけで一言も書いていない。仕方なく封筒を何度も裏返し、なぐり書きの字をながめていた。
そんな親の気持ちを慮る心が、自分にはありませんでした。実に子どもでした。

永平寺から帰り、あるお寺の留守役をしていた頃、母親を乗せて出かけた車の中で、「お寺のお布施をごまかしているんじゃないだろうな」と言ってきました。
留守居役の寺で法事を務めると、そのお布施はまとめて住職に渡してそこから何割かをいただくというやり方でした。それを「ピンハネ」していないだろうなという懸念でした。
私は烈火のごとく怒り、「自分の子どもを泥棒扱いするのか!」と必要以上に責め立てました。
母は、「親なんてバカなもんだな、子どものことを心配するばっかりに余計なことを言って…」と、さめざめと泣きました。

 一番苦手なのは おふくろの涙です
 何もいわず こっちを見ている
 涙です  (サトウハチロー『おかあさん』)


今頭に浮かんでくるのは母親が泣いていることばかりです。
つくづく親不孝でした。辛い思い、悲しい思いをいっぱいさせてきました。
甘えていたのだと思います。
親の年齢に追いつけないと同じように、いくつになっても人は、親の気持ちを分かることはできないのだろう。
たとえ、死んだ親の年齢になったとしても、そこから親は仏さまとして成長し続けているのだから。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。