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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。
2月25日、日曜日。
間もなく3月だというのに今年はまだ雪が降ります。
本堂の屋根からつながってしまった雪を切り離すこと2回。
どうしても落ちない所の屋根の雪下ろしが3回。
除雪機に使ったガソリンは間もなく200リットルになろうとしています。
なかなかですね。
フェイスブックやブログを読んでくれている方から「近頃雪の写真がUPされないけどやっぱり雪は多いの?」などとコメントをいただきましたが、雪を話題にすることすら飽きてきている状態で「何か文句ある?」と逆ギレしそうです。
「そだねー」とでも言っておきますか。
銅メダルおめでとう。お姉ちゃんも金メダル、すごいね。
猫ですが。
2匹いた家猫の1匹、名前は「くつした」が昨年10月交通事故で亡くなりました。
門前の国道で車に撥ねられたようで、見つけてくれた近所の人がきれいなまま運んできてくれました。
自分の手で荼毘に付してやろうと思い、古い塔婆を重ねて火をつけました。
甘かったです。
あんな小さな体でも、きれいにお骨の状態にするまで朝から晩までかかりました。
もう1匹の「ロビン」は、腎臓を悪くして病院で週2回の点滴を繰り返し、家でも皮下点滴をしてきました。
病院ではこれ以上手の施しようがないと言われ、骨と皮ばかりの状態で、ひとりにしておくと寂しそうに泣くので、娘も来て代わる代わる抱っこしているような状態でした。
昨晩、娘の腕の中で目を落としました。
そしてもう1匹、こちらは「ノラ」。野良猫なのですが、一昨年あたりから時々顔を出すようになっていました。
元は飼い猫だったらしく、事情があって捨てられたという噂でしたが、とても人懐こく、誰にでもすり寄っていく猫でした。
それが今年になってどこかでケガをしたらしく、足を引きずりながら雪の中を歩いてきて雪まみれになって泣いているので、憐れに思い餌を与えました。
以来、どこで寝ているのか、何か食べているのか、二日に一度のペースでやってきては餌をねだるようになりました。
そして先週、さらにどこかで皮膚がはがれるようなケガをしてきて、餌を与えた次の日、車の下で冷たくなっていました。
どうすればよかったのか、思いは残りますが、寺を頼ってきたのだと受け止め、火葬してもらいました。雪が解けたら納骨しようと思っています。
朝の除雪で見つけ、家族に声をかけると、たまたま来ていた娘、彼女の車の下で亡くなっていたのですが、その娘と家内が飛んできて、憐れんで雪を払いつつノラを撫でているのです。
私は袋に入れようとスコップを持ってきたのですが、彼女たちは素手でノラを抱き上げ、丁寧にタオルケットに包んでいました。
女性というのは、あるいは個人差があるのかもしれませんが、すごいと思いました。
ノラが時々顔を見せるようになってから、家には猫が2匹いるし、台所に入っておかずを漁ったりするし、ノラには家族みんなで邪険な態度をとってきました。
餌をやるどころか石もて追うこともありました。
ところが、くつしたが事故死し、ロビンが病気になって、猫に対する感情も同情に変わってきて、ケガをして雪だるまのようになってやって来たノラをいくら野良猫だといっても邪険に扱うことはできなかったのです。
不憫でした。
不憫でしたが私には彼女たちのようにノラを慈しむことはできませんでした。餌を与えていたのも家内でした。
「慈悲」などという心は、言葉で表現するものではないということを思いました。
慈悲は、「小慈悲」や「大慈悲」と大小をつけて分類することもありますが、その根底にあるのは憐憫の情でしょう。
内と外の区別なく、憐れみの情けをもって接する。そのことを自問する出来事でした。
猫三匹、それぞれの死を悼みます。
お知らせです。来週のサンサンラジオはお休みさせていただきます。
その理由については再来週にでも。
今週はここまで。また再来週お立ち寄りください。
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。
2月25日、日曜日。
間もなく3月だというのに今年はまだ雪が降ります。
本堂の屋根からつながってしまった雪を切り離すこと2回。
どうしても落ちない所の屋根の雪下ろしが3回。
除雪機に使ったガソリンは間もなく200リットルになろうとしています。
なかなかですね。
フェイスブックやブログを読んでくれている方から「近頃雪の写真がUPされないけどやっぱり雪は多いの?」などとコメントをいただきましたが、雪を話題にすることすら飽きてきている状態で「何か文句ある?」と逆ギレしそうです。
「そだねー」とでも言っておきますか。
銅メダルおめでとう。お姉ちゃんも金メダル、すごいね。
猫ですが。
2匹いた家猫の1匹、名前は「くつした」が昨年10月交通事故で亡くなりました。
門前の国道で車に撥ねられたようで、見つけてくれた近所の人がきれいなまま運んできてくれました。
自分の手で荼毘に付してやろうと思い、古い塔婆を重ねて火をつけました。
甘かったです。
あんな小さな体でも、きれいにお骨の状態にするまで朝から晩までかかりました。
もう1匹の「ロビン」は、腎臓を悪くして病院で週2回の点滴を繰り返し、家でも皮下点滴をしてきました。
病院ではこれ以上手の施しようがないと言われ、骨と皮ばかりの状態で、ひとりにしておくと寂しそうに泣くので、娘も来て代わる代わる抱っこしているような状態でした。
昨晩、娘の腕の中で目を落としました。
そしてもう1匹、こちらは「ノラ」。野良猫なのですが、一昨年あたりから時々顔を出すようになっていました。
元は飼い猫だったらしく、事情があって捨てられたという噂でしたが、とても人懐こく、誰にでもすり寄っていく猫でした。
それが今年になってどこかでケガをしたらしく、足を引きずりながら雪の中を歩いてきて雪まみれになって泣いているので、憐れに思い餌を与えました。
以来、どこで寝ているのか、何か食べているのか、二日に一度のペースでやってきては餌をねだるようになりました。
そして先週、さらにどこかで皮膚がはがれるようなケガをしてきて、餌を与えた次の日、車の下で冷たくなっていました。
どうすればよかったのか、思いは残りますが、寺を頼ってきたのだと受け止め、火葬してもらいました。雪が解けたら納骨しようと思っています。
朝の除雪で見つけ、家族に声をかけると、たまたま来ていた娘、彼女の車の下で亡くなっていたのですが、その娘と家内が飛んできて、憐れんで雪を払いつつノラを撫でているのです。
私は袋に入れようとスコップを持ってきたのですが、彼女たちは素手でノラを抱き上げ、丁寧にタオルケットに包んでいました。
女性というのは、あるいは個人差があるのかもしれませんが、すごいと思いました。
ノラが時々顔を見せるようになってから、家には猫が2匹いるし、台所に入っておかずを漁ったりするし、ノラには家族みんなで邪険な態度をとってきました。
餌をやるどころか石もて追うこともありました。
ところが、くつしたが事故死し、ロビンが病気になって、猫に対する感情も同情に変わってきて、ケガをして雪だるまのようになってやって来たノラをいくら野良猫だといっても邪険に扱うことはできなかったのです。
不憫でした。
不憫でしたが私には彼女たちのようにノラを慈しむことはできませんでした。餌を与えていたのも家内でした。
「慈悲」などという心は、言葉で表現するものではないということを思いました。
慈悲は、「小慈悲」や「大慈悲」と大小をつけて分類することもありますが、その根底にあるのは憐憫の情でしょう。
内と外の区別なく、憐れみの情けをもって接する。そのことを自問する出来事でした。
猫三匹、それぞれの死を悼みます。
お知らせです。来週のサンサンラジオはお休みさせていただきます。
その理由については再来週にでも。
今週はここまで。また再来週お立ち寄りください。