保存可能期間5日を超える加工食品には全て「賞味期限」記載が義務づけられている。
賞味期限を過ぎたものは食べられるのか食べられないのか。
2008年に厚生労働省が出した新聞広告では、「賞味期限はおいしく食べられる期限で、期限を過ぎても食べられなくなるとは限りません」と発表している。
似たような表示に「消費期限」がある。
これは保存期間5日以内の生鮮食品で、こちらは「安心して食べられる期限」で、期限が過ぎると食べられないことになっている。
しかし、皆さんは、「消費期限 ○月○日△時×分」と表示されている弁当が、△時×分までは食べられて、△時×分を過ぎたとたんに食べられなくなると本当にお思いだろうか。
多くの人に聞いてもたいがいは首を横に振る。それでも、多くの人は数字に引っ張られて棄ててしまうことになる。
この「賞味期限」「消費期限」が義務化された歴史は新しい。
それまで一部の食品の「品質保持期限」を除いては、義務化されていた食品の表示は「製造年月日」だった。
それが「賞味期限」に統一されて義務化されたのは1995年、なんとわずか13年前のことだ!
しかも、消費者や生産者の反対を押し切る形で制定された背景には、賞味期限表示が一般的な諸外国(おそらくアメリカが強力だったのだろう)からの外圧があったという事実。曰く「製造年月日の表示は、自由貿易への障害である」と。
つまり、「製造年月日」というスタート時点での競争ではどうしても勝てない輸入食品を、「期限」というゴールに表示を変えることによって勝たせようという意図なのだ。
それでは「製造年月日」しかなかった頃に日本人はどうやって食べられるか食べられないかを判断してきたのか。
それは、猿の時代から引き継いできた判断能力だった。臭いをかぎ、味見してみて食べられるかどうかを判断してきた。それは生きるための大事な能力だ。
それがここ十数年の間で、その能力を失わせてしまう危険があるのが「期限」表示だ。
食べられるかどうかを、そのもの現物を見ないで数字だけを見て判断するようになってしまった。そのいい例(良くはないのだが)が最近起こった冷凍食品の事件だろう。食べる前に、調理をしながらなぜその異常な臭いに危険を感じなかったのか。
日本という国は、食料自給率39%、6割を外国から輸入している。それなのに3割の食品を棄てているというおかしな国だ。
「賞味期限」「消費期限」表示をやめて以前のように「製造年月日」に戻すべきだと考える。
そうすれば、自給率は高まり、食べられる食品を棄てるために使われる燃料が無駄にならず、二酸化炭素の排出も少しは減らせる。そして何より、今後やってくると思われる食糧危機の時にも、食べられるかどうかの判断能力を持ち続けることができるという、いいことずくめだと思うのだがいかがだろうか。
そうしないと、人間までも中身ではなく数字で判断されてしまうだろう。75歳は人間の賞味期限か。