なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンデーサンライズ505 雪に耐える

2025年02月09日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第505回。令和7年2月9日、日曜日。

 

今季最大の寒波がやって来てドカッと降りました。

一晩に50㎝ほど積もるとなかなかのものです。他所では6時間に85㎝積もった所もあるとのことでその大変さが想像されます。

春になれば消えるとは言え、一時期でも大量に積もればその処理に難儀することは雪国でなければ分からないことでしょう。

ただ、雪に慣れていない地域に降られるのもそれはそれで大変だと思います。

テレビ報道を見ながら雪国の人は「それぐらいの雪で」と鼻で笑うことがありますが、大変なのは雪の量ではなくて慣れていないということなのですから、苦労はそれぞれなのだということです。

雪による事故も多発しますから、お互いに十分気をつけましょう。

 

何にしても他人の苦労というものはなかなか分からないものです。

他人の体の痛みも、どこが、どんな風に、どれだけ痛いのかは実際は分かりません。

痛みに強い人もいれば弱い人もいる、それぐらいでと言われても痛いと感じるのはその人ですから、誰かと比べて大したことないと判断されるべきものではありません。

昔あるテレビドラマで観たシーンを覚えています。ケガか何かで病院に入院している孫娘を見舞ったおばあちゃん、確かミヤコ蝶々だったと思いますが、「痛かったか、それは良かったなあ」と言う。

孫が「こんなに痛いのに何で良かったの?」と聞くと、おばあちゃんが「これからの長い人生には痛いことや辛いことがぎょうさんある。その時に、私はあの痛みに堪えられたんだから大丈夫、乗り超えられる、と思えるやろ」と教えるシーンです。

妙に納得した記憶があります。

他人の痛みは分からないけれど、自分の痛みは記憶として残り自分の中で比べることはできますね。

また、痛い思いをしたからこそ、他人の痛みを想像することもできます。「あの人の痛みは自分のあの時の痛みよりもっと痛いだろうか」と想像することができるものです。痛い思いも決して無駄ではありません。

 

永平寺で坐り詰めの坐禅をしていた時、朝から晩まで何日も坐っていると、もう足が痛いというよりも体全体で痛みを感じるようになってきます。

その時に頭に浮かんだのは「カンボジア難民の当時の痛みはこんなものだったろうか」という問いでした。

もちろん痛みの種類は違います。

食べ物がなくて餓死していく人、ケガや感染症で死んでいく人、強制労働で体が痛めつけられる人、暴行を受ける人、拷問を受ける人、目の前で親を殺される子どもたち。

どれほど血の涙を流しただろうか、どれほど体も心も痛かっただろうか。

それを想像すると、今のこんな痛みなどと比べようもないに違いないと、歯を食いしばり「痛みよ、もっとやって来い!」と奮起したことでした。

痛い経験をしたことのない人には、痛みそのものを想像することができません。

他人の痛さや辛さは分からないことではあるけれど、想像できて共感することができます。

その能力を我々は備えています。

脳内にミラーニューロンという細胞があり、それが共感や慈悲の元となると言われています。

なので、痛みを知る人ほど他人に優しくなりましょう。

自分と同じ痛みを味わわせたいと思うのは智慧のない考えです。

相手が痛い思いをしたからといって自分の痛みが軽減されるわけではないのです。

お釈迦様は「恨みは恨みによって解消されない」と教えました。

周りの楽しそうな人を見ると「何で自分ばかりこんな目に遭うんだ」と思ってしまいがちですが、よくよく見れば、誰しもそれぞれの悩みを抱え、苦労を乗り越えてきた人ばかりです。

自分の辛さや痛みを分かってくれる人も必ずいるはずです。

「禍福はあざなえる縄の如し」とは古いことわざですが、良いことや悪いことは縄目が表になったり裏になったりするように、現れたり消えたりするものだという意味です。

今楽しそうに見える周りの人にも辛い時期があったでしょうし、今辛い思いをしている自分にも楽しい時があったじゃないですか。

自分が辛い時は相手の楽しさが憎らしく見え、自分が楽しい時は相手の辛さに気がつかないものです。

みんなそうなのですから、「何で自分ばかり」と思うのは間違いです。

今の痛さ辛さは慈悲を養うエネルギーだと受け止めてジッと耐えていきましょう。

ということで、この大雪も自分を鍛えてくれる恵みの栄養ですから頑張って除雪しましょう。でも大変だよね。気をつけてね。

 

今週の一言

「耐えなければならないときは耐えた方がいい」

 

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

 

 

 


サンデーサンライズ504 サンセット

2025年02月02日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第504回。令和7年2月2日、日曜日。

 

あっという間に1月が過ぎ、2月に突入しました。

2月も短いのであっという間に過ぎるのでしょうね。

しかし、うるう年の日数調整を2月にしたのは何故でしょうか。しかも、平年が28日でうるう年でも29日という短い月になったのは何故でしょう。きっと理由があるのでしょうねと思います。

 

久しぶりに劇場で映画を観てきました。

『サンセット・サンライズ』。

監督の岸義幸さんの実家が松林寺の檀家ということで観ておかねばならないと思っていました。

主演の菅田将暉が、リモートワークのお試し移住で震災9年後の三陸地方の空き家にやって来るというところからストーリーは始まります。

その大家の井上真央がきれいだった。

2020年、コロナ過の真っただ中。首都圏から人が来るというだけで大騒ぎになる田舎のあるある。

そこに震災後の人口減少、空き家の増加で疑心暗鬼が加わる。

津波で大切な人を失った人々がどのように前を向いていくのか、そこまでにどれほどの葛藤があるのか。

他所の人は被災地の人とどうつきあえばいいのか。

古民家の再生も絡めて、一度沈んだ太陽がまた昇るというテーマに結んでいく。

「サンセット・サンライズ」の順序が重要な意味を持っています。

ただ、正直に言えば若干期待外れでした。宮藤官九郎の脚本ということに期待しすぎたかもしれません。方言や演出がベタ過ぎて自然に楽しめなかったきらいがあります。

それにしても三陸の海の幸はどれも旨そうだった。今度塩辛を白ワインで試してみよう。

 

先日東京からの帰り、迎えに来てくれたカミさんと食事することがありました。それ自体は珍しいことではありませんが、入ったのは初めての「まるまつ」というファミレスでした。ファミレスにほとんど入ったことがありません。

疲れてもいたのでパッと目に就いたものを注文し待っていました。

メニューは麺類から定食類、居酒屋メニュー、デザートと豊富に揃っています。もちろんアルコールもあります。

それを眺めていたカミさんが一言、

「古希の祝いここでいいんじゃない」。

「・・・」。

私、今年数え年の古希を迎えます。

娘たちが家族で温泉でも行きたいと提案しているようです。財布はこちら持ちですが。

それを踏まえた一言です。

そうねえ、安いしねえ、好きな物食べられるし、安いし・・・

だけど、そうなの?

彼女は、よく考える前に浮かんだことを口に出してしまう傾向があります。

別にいいけどね。子どもたちのメニューもあるし。

 

思い出すのは、結婚何周年目かのときに、「どこかへ行こうか」と言うと、

「そうだね、どこがいいかなあ、あなたも行く?」と。

「・・・」。

どうも娘とどこかへ行くことを頭で考えたらしい。

つまらないこの人と何十年も一緒に暮らした自分へのご褒美、てなところでしょう。

いいけどね。でも、結婚記念の旅行って、そういうもの?という感じ。

結局そのままになってしまいました。

今年は実は結婚40周年になっています。

懲りずに「どこかへ行こうか」。

「九州へ行ったことがない」というので、早速観光地を調べてどこへ行くか、泊まりたい宿の検索、飛行機のルートも調べて、3月頃ならとスケジュールも考えて、費用も計算して、エクセルにまとめました。こういう作業が大好きです。

私としては行く気満々でした。

ところが、ちょうどその頃娘の里帰り出産とかぶってしまい、他の日程の予定が立ちません。あえなくお蔵入り、意気消沈してしまいました。

ま、二つ併せてファミレスでの豪華食べ放題の大盤振る舞いが関の山かもしれません。

 

今週の一言

「沈んでいる時間も無駄ではない」

 

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

 

因みに、東北管区教化センターのテレホン法話「心の電話」は今月1日から10日まで私が担当しています。

タイトルは「うぐいす餅」よろしければ、022-341-1531 まで電話してみてください。


サンデーサンライズ503 トランプ占い

2025年01月26日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第503回。令和7年1月26日、日曜日。

 

先週は屋根の雪下ろしをした話をしたばかりですが、あの後気温が上がり更に雪ではなく雨が降り、屋根の雪はすっかり融け、参道も地面が露わになりました。

気温も降雪も乱高下している異様な冬です。

昨年は小雪により農作物に影響が出ました。今年も続くのかと心配されます。

地球温暖化は、人間が気づいている以上に深刻化しているのかと思われます。

 

アメリカの大統領が就任早々、パリ協定からの離脱、WHOからの撤退など、大きな政策転換令をいくつも発令しました。

さほど影響のない小国であればまだしも、世界トップの国の決定が地球レベルで未来に大きな禍根を残さないか、とても心配されます。

特に地球環境は、一旦壊れてしまえば元に戻すことはほとんど不可能ともいえるもので、目の前の経済のために犠牲にされるべきことではありません。

この状態を例えて言えば、1階が火事になっているのに2階で宴会をしながら儲け話をしているようなものです。

とにかくまずは早く宴会をやめて酔いを醒まし、1階の火を消さなければ、やがてみんなが焼け死んでしまうでしょう。

アメリカの黄金時代をつくるだとか。アメリカ国民にとってはそれは歓迎されることかもしれませんが、アメリカ一国のために地球環境を犠牲にし、弱い国、弱い人々を犠牲にすることになることは間違いありません。

それが近い将来、全世界の人々にどんな形でしっぺ返しとして現れてくるか、怖ろしさを感じます。

生きとし生けるもの、全ての命はつながっていて互いに影響し合っているのだから、一部の人間の幸せのために犠牲になっていい命などあるはずもなく、一部の命を不幸にすることはやがてすべての命の不幸につながります。

GAFAと呼ばれる世界を牛耳るような大きな企業が全て大統領に随う姿には、経済のために魂を売る卑屈な醜さを感じます。

経済が悪いわけではありません。すべきことの優先順位の問題です。

きっと、他の国々もおこぼれにあずかろうと尻尾を振って追随していくのでしょう。

地球環境の悪化は益々スピードを上げるでしょうね。

現大統領が代わるまでの間に危機がどれほど増大するのか、ああ怖ろしい。

高齢のあの人はそう遠くない年に死ぬでしょう。華々しい人生を自己賛美しながら。

そして取り返しのつかない地球でこれから生きていく若い命がその犠牲になるのです。

 

地球温暖化の危機は待ったなしですよ。

考えてもみてください。

雪が降らなければ農作物に影響が出ることはちゃんと知ったじゃないですか。

さくらんぼも米もキャベツも、適地でなければ育ちません。適地を追いやっているのは人間です。自分たちです。

海水温上昇により漁業にも大きな影響が出ています。

毎年各地で局地的な豪雨が降り大きな被害が出ることはもう痛いほど分かったじゃないですか。

異常な他人事ではありません。全ての人に明日起こることです。

大きな山火事、砂漠化、海面上昇。地球は悲鳴を上げて荒れ狂っているのです。

やがて水不足、食糧不足が広がり、その争奪による紛争や戦争が起こるのではないでしょうか。

なのにまだ2階で宴会を続けますか。自分だけよければそれでいいですか。

自分はもう将来がないと無責任なお年寄りを決め込みますか。

子どもたちに安全な環境を残すのは大人の責任です。

いつからこんなに我利我欲が大手を振って偉そうにするようになったのでしょうか。

公序良俗が社会の指針でなければ人間は我欲のために滅んでいくでしょう。

人間ばかりではありません。人間が環境を破壊することで地球上のすべての命が危機にさらされるのです。

現地球において最も後に生まれた人間という種族が、それまでのとてつもなく長い時間をかけて環境を整えてくれたありとあらゆる生命を一瞬にして葬り去るのです。

言ってみればそれは、先祖を殺すことです。

命の根源を殺して子孫が生きていけるはずがありません。

恐竜の時代を終わらせたのは隕石の衝突と言われますが、人間は外的な原因ではなく自らの行為によって絶滅していくのです。

人間は地球にとっての癌細胞にすぎないと言われる所以です。

バカですねえ。そこまでバカならば仕方ありません。滅びるしかないでしょう。

その方が地球にとっては健康体なのでしょうから。

もしかしたら、人間をこの星から振るい落そうという地球の免疫作用なのかもしれません。

 

久々に毒を吐いてしまいました。

 

今週の一言

「まずは1階の火を消そう」

 

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

 


サンデーサンライズ502 人生は短いのだ

2025年01月19日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第502回。令和7年1月19日、日曜日。

 

喪失感をかなり引きずっています。

単なる仲間ではなかったんだと改めて感じます。

 

13日山形に帰って、14日はお寺の「おさいど」。16日は小正月と、正月行事が続きました。

出かける直前からまとまった雪が降り、水分の多い雪のため重くて難渋しています。

屋根の雪が落ちず、茶の間の障子戸が開かなくなりました。

昨日は何とか雪下ろしを決行しました。

息子と甥っ子が手伝ってくれて何とか難儀なところは終わしました。

甥っ子がネットオークションで20万円で購入したという30年物の中古除雪機を持ってきました。

彼は自分で整備もできてしまうので、こんな年代物でも使えるようにしてしまいます。

寺のガソリン16馬力よりも大きい30馬力ディーゼルなので力が強く、重い雪もよく飛ばすので十分に使えます。

今除雪機がなければ雪国は立ち行きません。

 

昔の冬を思い返してみると、私が高校生の頃まで参道は踏み固めていました。

踏み俵と呼んでいたのか、藁で作った俵のような大きな履物で一歩一歩踏み固めて道を作るのでした。

降って踏み降って踏みなので、道はどんどん高くなります。

国道から参道に階段を作って上がり、山門で階段を下りてまた上がり、玄関でまた下りるという道でした。

車という考えは全くありませんでした。

春になると踏んだところだけが馬の背のように高くなり、踏み外すと大きくぬかってしまうのでした。

いつの頃からか車対応になり、地下水の消雪設備を備えて対応していました。

しかし、長い参道を水できれいに消すのは難しく、消え残った雪の島を車が通るとそこがだんだん固く高くなり車の通行にも支障を来します。またそれを処理するのに苦労していました。

ということで、私が住職して数年経ってから除雪機になりました。

雪が降ると朝1時間半は除雪にかかります。

雪国でなければこんな苦労も経費も必要ないのにとは思いますが、ここで生きている者にとってこれが当たり前だと思えば何とかなるものです。

他所と比べても詮なきことです。

タイのような常夏の国であればと考えても、そこにはそこの苦労があるでしょう。

 

この限られた自分の命、もちろん自分の持ち物ではありませんが、自分の意思で使えるこの命。

住みたいところに住むという選択もありますが、ここに生まれここで育ったという抗えない経過があります。

今さら他所で暮らすという煩わしさを選択するより、ここでこの中でどう生きるのかという生き方に注力した方が楽なように思えます。

後わずかの残り時間、環境の条件ではなく、毎日のルーティンの中でどう生きるのか。

他所と他人と比べるよりも、自分の生き方を調えていく。

環境を変えたいと強く思うことはありますが、年齢とともに思いが自分に向かっているように思います。

時間を自分を調えることに使っていく、もうそれぐらいしか有効な時間の使い方は残されていないのではないか、と思います。

まず起きたら顔を洗う、歯を磨く、仏様に手を合わせる。

手を合わせることができることがとても大きな宝だと言えます。

合掌は、他を敬い、感謝し、自らの慈悲心を養い、自らを装う美しい姿です。

合掌して食事をいただきます。食べられることは当然のことではありません。

自分の仕事、役割があることはありがたいことです。誰からも必要とされないことは悲しいことです。

今日自分が使える命がここにあることを感謝していきましょう。

人生は実に短い。いつ終わりが来るか分からない実に儚い命です。

 

今週の一言

「人と別れる度、命について考える」

 

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

 

 

 


サンデーサンライズ 番外 穴を埋めるもの 

2025年01月13日 20時06分05秒 | サンデーサンライズ

1月13日

タイで八木澤の葬儀に立ち会いお別れをしてきたことを報告します。

10日バンコクの空港から真っすぐ葬儀会場のお寺に向かいました。

8日、9日、10日と3日間、18:00から読経が行われるとのことで、10日の読経が本葬という位置づけのようでした。

タイの仏式で執り行われるのですが、日本人でもあるし、長く曹洞宗の関係者とかかわってきたこともあるので日本の仏式の読経もさせてもらいたいと思い準備していきました。

頼まれもしないのに勝手に戒名を付けて血脈も準備しました。

戒名は「慈海昌道禅居士」としました。

「慈海」は海のように広大な慈悲心という意味になりますが、師匠ともいうべき有馬実成師の戒名「真海実成」から「海」を一字いただきました。

「昌道」は「克昌」の一字を使い、明らかな道、堂々とした公明正大な生き方をしたという意味になりますが、もう一つ、SVAの初代会長の「大満然道」から「道」一字をいただきました。

そしてもう一字「禅」を加えさせていただきました。

「シャンティ」は「寂静」という意味があります。静けさの意味ですが、それは「禅那」ですから「禅」に「シャンティ」の意味を込めました。

タイ式の読経の後、時間を頂戴し、現理事の僧侶二人と授戒を行い血脈を授けました。

 

11日は、読経、法話の後境内の火葬場で荼毘に付されました。

この日も大勢の方が彼を偲んで参列してくれました。

シャンティの、タイ、カンボジア、ラオス、ミャンマー、ミャンマー難民キャンプの各国事務所スタッフ、元スタッフも日本、カンボジア、ラオスから、彼の活動を取り上げてくれた新聞記者、スポンサー企業、団体等など、本当に大勢の方が集まってくれました。

しかしこんなものではないでしょう。

ここに来られなかったシャンティファミリーのアフガニスタン、ネパールはじめ各国の関係者、友人知人、支援を受けたタイ国内外の人々、また日本の中にも断腸の思いで参列できなかった人々がどれほどいただろうかと思います。

あまりにも急でした。

12日は夜明け前にお骨を拾うのが習慣のようで、収骨の後さらに読経。

そして骨壺に納めました。

病気をした後遺言を遺していたようで、その遺志によりチェンカーンのメコン川に家族で散骨することになりました。

その一部を分骨にして、一つはバーンサワイの有馬さんのストゥーパに納めることと、先に亡くなった野村耕健師のお骨と一緒に静岡に納めることになりました。

八木澤と野村さんは師弟でもあり兄弟でもあるような間でした。その野村さんの葬儀が行われたのは2017年の何と1月10日11日、全く同じ日だったのです。何と奇遇なことか。

おそらく「ビール持ってこい」と呼ばれたのかもしれません。ちょっと早かったですね、野村さん。

日本におけるお別れ会は、日を改めて行うこととなりますが、詳しくは今後情報が流れると思います。

 

ぽっかり空いた心の空虚な部分はしばらく埋まらないと思われますが、くじけそうになったり諦めそうになった時、八木澤の慈悲心を思い出し、行動によって抗っていく、空虚な穴を埋めていくためにはそれ以外にありません。

心より慈海昌道禅居士の冥福を祈ります。ご家族を見守ってくれますように。合掌


サンデーサンライズ501 大切な人との別れ

2025年01月12日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第501回。令和7年1月12日、日曜日。

大切な人が亡くなりました。

八木澤克昌、シャンティ国際ボランティア会理事、66歳。

改歳を祝ったばかりの7日、訃報が飛び込んできました。

急遽タイに飛び、10日11日、葬儀並びに火葬に参列しました。

出会いは年が明けたので45年前、1980年8月でした。

サケオ・カンボジア難民キャンプの近くバンキャンに借りていたボランティアの宿舎。

22歳の八木澤青年でした。

以来人生の3分の2を同じ方向を向いて歩いてきました。

同志、仲間、心友、真友、畏友、善友、悪友、同胞、師匠、兄弟・・・・・・

どれも当てはまる相手でした。

例えば中島みゆきの『二隻の舟』のような。

以下は彼が還暦を迎えた時のお祝い会に寄せた文章。

ミパドの男

「八木沢克昌23歳ボランティア」と、カンボジア難民キャンプの活動記録映画『祖国なき人々』に紹介された青年は、還暦を過ぎて尚社会の底辺に暮らす人々と共に生きている。

この男を動かすのは、熱い思いと、酒。口にするのは「ミパド」。ミッション・パッション・ドリームの略だが、この男こういうキャッチフレーズがすこぶる好きだ。酒を飲んでは永遠に握手を繰り返し熱い思いで体当たりする。時には熱苦しいほどだ。

絶滅危惧種のようなこんな男と同じ時代に生きてこられたことを生涯の喜びと感じる。

この男を評するエピソードや功績は枚挙にいとまはないが、その一つとして「アジア子ども文化祭」を挙げたい。

タイのバンコクスラムで始まったこの事業。普段は底辺に埋もれて浮かぶことのない子どもたちにスポットライトを当て、ステージに上げて主役に仕立てていく。

私が初めて立ち会ったのはラオス開催の時だった。

タイ、カンボジア、ラオス、ベトナム、ミャンマーからやってきたそれぞれ困難な事情を抱える子どもたち。国籍をシャッフルしてグループ分けされ、言葉も通じないまま音楽を共通言語にして数日間を過ごす。

ステージではそれぞれの国を代表した伝統舞踊を嬉々として披露する。その晴れやかさ。どれほど誇らしく自信につながったことだろう。

フェアウェルパーティでは、「また会おうね」と言い合うのだが、自分の環境を考えればそれがほとんど不可能だと分かっている。だから、涙を流し、抱き合い、いつまでも別れを惜しむ子どもたち。

八木沢は言った「虹は別々の色が集まり一つになるから美しいのだ」と。

自らの根差した文化を大切にするからこそ、他の存在も大切なのだと気づいていく。平和の礎はそこにあるのではないか。それを肌で感じさせ、気づかせてくれるのが「アジア子ども文化祭」だった。

こんな発想ができ、実行ができるのはこの男しかいない。ミパドの男。

草創期から現在まで、自分の嗅覚で発見し、自分の肌で感じ、自分の体で動く。まさに、SVAシャンティの体現者。八木沢克昌の足跡がそのままシャンティの足跡となるだろう。

ただ心配なのは、男の体調だ。酒を飲まない八木沢の魅力は半減するが、ほどほどということもそろそろ身に着けて長持ちするように願いたい。まだまだ杯を交わしたいからだ。

三部義道(八木沢の還暦を祝う会パンフレット用)

45年間、アジアの子どもたちに寄り添い続け、スラムの中に住み、「共に生き、共に学んで」きた生涯。

その姿は日本の道徳の教科書に載り、外務大臣賞も受賞しています。

大学の時は山岳部で、ヒマラヤの山も登ってきた体力に自信のある男でした。

ところが、2021年に脳の痙攣のような症状で倒れ数日間意識のない状態が続き、家族には「覚悟しておいてください」と告げられました。


八木澤ももうダメかと半分あきらめかけましたが、驚異的な回復で全く病気を忘れてしまうような状態まで戻っていました。

もしかして、この男不死身なのではないかと思わせるほどでした。

しかし、それは外見で、体の内部では静かに病気が続いていたのだと思われます。

7日朝、バンコクの自宅で倒れたままの状態で発見されました。亡くなったのはその前の晩かもしれません。

昨日の葬儀にはタイの要人、日本大使、アジア各国、日本からもたくさんの人々が参列し別れを惜しみました。

シャンティファミリーの中心にあなたはいました。

彼の関係の広さ、つき合いの深さ、人を感動させる熱意を、改めて肌で感じました。

年齢とともに別れが増えるのは当然のことであり、仕方のないことですが、それにしても大きな存在、心の支えを失ってしまいました。

しばらくは放心状態が続くと思われます。

ヤギちゃん、ありがとうございました。楽しい想い出をたくさん作りましたね。これからもあなたと一緒に生きていきます。さようなら。

今週の一言

「別れは突然にやって来る、だから今日」

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。


サンデーサンライズ500 改歳を祝う

2025年01月05日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第500回。令和7年1月5日、日曜日。

 

新年明けましておめでとうございます。

2025年、令和7年という年を迎えました。

そして、このサンデーサンライズがついに500回目となりました。

 

ブログの書き始めは、2008年9月。16年前のことになります。

紙で出していた月刊寺報、松林寺の『いちょう』宿用院の『なあむ』をブログとして転載したのが始まりです。

やがて寺報は止めてしまい、こちらのブログのみとなりました。

左の欄にあるような(PCの場合)色んなカテゴリーに分けてその時その時の思いを書き綴ってきました。

これ以外のカテゴリーもありましたが公開をやめたのもあります。

2015年4月からは「三ちゃんのサンデーサンサンラジオ」と題して、毎週日曜日の朝に書くようになりました。

あえてラジオの態をなしていたので「このラジオはどこで聴けるのですか」と問い合わせをいただいたこともありました。

単に語呂合わせで思いついたタイトルでした。

地元の商店を勝手にCMのように流したり、今週の歌というような感じで音楽を挿入しました。それは全て中島みゆきの曲でしたが、著作権に引っかかるという理由で公開停止処分となりました。

仕方なく、全ての楽曲(歌詞だけですが)を削除した経緯があります。

そんなこともあり、その後、タイトルを「サンデーサンライズ」に変更しました。

そしてその通算が500回を迎えたということです。

 

1週間がこのブログを中心に回っていたという感があります。

次は何を書こうかと、常に探しているのが日常になっています。

下書きしてから何度も読み直して校正するので、早い時は木曜日あたりから書き出したりします。

その場でスッと書き上がることもあれば、難産することもあります。

出先で書くことも度々です。タイやブラジルから送ったこともありました。

困るのはWiFiが通じない宿で日曜日の朝を迎えた時です。

仕方なく、携帯電話からテザリングで送ったりしました。

それでも毎週何とか継続していけば500回という大台にも乗るのだと実感しています。

 

尊敬する秋田の亀谷健樹老師がはがき伝道を始められたのがいつの頃か、定かではありませんが40年は経過しているものと思われます。

昨年特派巡回で秋田を回らせていただいた時の教場の一つが太平寺様、亀谷老師が東堂を勤めるのお寺でした。

何十年かぶりにお目にかかり、失礼ながらご存命とも思っていませんでした。96歳におなりのはず。

初正見の頃、「はがき禅」と題した伝道はがきを毎月2回発行されているとお伺いし、素晴らしいと敬服していました。当時はガリ版刷りでした。

昨年お訪ねすると元気にお迎えいただき、茶室でお茶をいただくことができました。

その際、「あのはがき伝道はいつまで続けられたのですか」と過去形でお尋ねすると、何と「今も続いている」と。

大変失礼なことを聞いてしまいました。

以来月2回送られてくる「はがき禅」は、最終12月15日号で1096信を数えています。

それから考えれば半分にも到達していません。まだまだです。

 

それはそれとして、一つの区切りとしての500回。

先週お約束したように読者プレゼントを準備しました。

以下の写真の手ぬぐいと刺繍シール(5×7㎝)です。

ご希望の方は、メールshorin@cup.ocn.ne.jpまでお報せください。

先着10名様まで、なくなり次第終了となります。

今週の一言

「継続は力なり。めざせ1000回!」

 

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

 

 

 

 

 


サンデーサンライズ499 インフルエンザ

2024年12月29日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第49回。令和6年12月29日、日曜日。

 

インフルエンザ初感染。

日曜日から木曜日まで寝ました。

おそらく、19日に東京から戻った時にもらって運んできたのだと思います。

21日土曜日の飲み会で一緒だった仲間にもうつしてしまいました。

その時は全く症状がなかったのですが、次の日曜日から、体がだるく、くしゃみ鼻水咳と風邪の症状が現れました。

発熱は一度だけ、38.3℃に上がりましたがすぐに平熱に戻りました。

症状はコロナに罹った時に似ているのでもしかしてと思っていました。

火曜日ようやく起き出して病院に行くと、検査の結果インフルエンザ陽性との診断。

これがそれかという感じでした。

全く気にしていなかったのでワクチンも一度も打ったことはありません。

熱が出ればもっと辛いのでしょうが、この程度であればそれほど重大なこととも感じられません。

ただ、眠れるものですね。

一日だいたい5時間ぐらいは起きていましたが、それ以外の19時間×5日間はほとんど眠っていました。

脳が体に「休め」の指令を送っているのでしょう。

この間いくつか用事がありましたが、キャンセルしたり代わってもらったりして何とかこなしました。

自分が流行り病に罹るのは自己責任の部分もあるし避けられない状況もあるかもしれませんが、知らぬ間に他人にうつしてしまうのは申し訳ないことと思います。

これも症状の一つでしょうか、尿意が以上に近くなりました。

出たいと思うとたんに我慢できなくなり、トイレに着くまでに何度もちびってしまう状態です。それが1時間に何回も。

筋肉が弛緩していたのでしょうか。

尿漏れパッドを買ってもらい対処しました。

ついにここまで来たかと、老いの進行を嘆いていましたが、やがて平常に戻りました。

パッドはやがて使うだろうととっておきます。

 

そんな中、27日、どうしても外せない最上の地酒を創る会の今年度の「新酒を楽しむ会」は何とか開催できました。

今まで新酒ができるのが1月だったので楽しむ会も1月後半でした。

今年は2回に分けての仕込みとなり、その1回目が正月前に完成というスケジュールでしたので楽しむ会も年末となりました。

ただ、この時期多忙の人が多くまた、私以外にもインフルエンザ感染者がいて、参加者は少人数でした。

けじめの恒例行事として開催できたことを良しとしたいと思います。

今年は会員の2名が他界し寂しい思いをしました。

お二人とも町議を勤め、人一倍町を愛し酒を愛した方でした。

昨年は(実際は今年の1月ですが)ここで一緒に盃を交わし、夢を語り合ったことを考えると哀惜の情禁じ得ません。

乾杯の前に、二人に盃を供え新酒を献じました。

今後も、美味い酒で町を盛り上げていくことを誓います。

 

今回のこのブログが今年の最終回となりました。

第499回。

そう、次回は正月のタイミングで500回を迎えます。

我ながらよく続いたと思います。

もう毎週の習慣になってしまったのでさほど苦労も感じません。

毎週毎週積み重ねて行けばこんな日も来るのですね。

せっかくですので、500号記念の読者プレゼントを用意しようと考えています。

詳しくは年明けの来週5日にお伝えします。

 

それでは、今年も当ブログにお立ち寄りいただきありがとうございました。

また来年お立ち寄りくださいますよう、心よりお待ち申し上げます。

佳いお歳をお迎えください。

 

今週の一言

「一歩、また一歩」

 

今週はここまで。

 


サンデーサンライズ498 車の話など

2024年12月22日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第498回。令和6年12月22日、日曜日。

 

昨日は冬至でした。

朝食にあずきかぼちゃを食文化習慣に倣いました。

夜飲み会だったのでゆず湯には入りませんでしたが。

太陽の光が極まるこの日はまた、新たな太陽の始まりとも捉えられ「一陽来復」としてめでたい気持ちで迎えられたものでしょう。

ハロウィンなどよりもずっと意味のある行事だったのです。

経済効果は薄いかもしれませんが、意味のある伝統文化は何とかつなげていきましょう。

 

先週は、17日に仙台で東北管区教化センターの「禅をきく会」に行き、藤田一照老師のお話をお聴きしました。

そのまま次の日東京へ。特派布教師協議会の一泊二日の勉強会。

そしてその後、布教師養成所の事前学習ビデオ撮影と続きました。

毎度のことながら、誰もいない所でカメラに向かって話をするというのは苦痛以外の何ものでもありません。

講演というのは一方的に話をしているように見えて、やはり話は対話であり、聴いてくれる人の反応を見ながら話すものです。

カメラといっても、人でないもののどこを見ればいいのか、焦点が定まりません。

結局話はしどろもどろになり、満足のいくものにはなりませんでした。

そう考えてみると、テレビのアナウンサーなどはたいしたもんだと思います。

慣れでしょうか。

YouTubeのようなもので一人で話している人を見かけますが、あれもすごいと思います。

カメラの向こうの人に向かって話すのでしょうね。

私は苦手です。

 

めずらしく車の話をしたいと思います。

現在乗っているのはトヨタ・プリウス。

9年目で走行距離12万3千㎞、燃費はリッター27㎞です。

来年3月に車検を迎えることになっていて、それを機会に買い替えようかと思っています。

今のプリウスの前もその前の車種のプリウスでした。

そちらは22万キロを走っており、バッテリーの寿命を想定して買い替えたいと思っていました。

ちょうどその時、プリウスに4WD車が出るというので、今の車種になりました。

4WDと言っても、e-fourという形式で、坂道やスリップを検知したときに自動的に電気のモーターで後輪も動かすという4輪駆動です。

前のプリウスが雪道に弱く、少しの坂道でも登れないことがあったので求めたものでした。

ところが、4WDと言いながらe-fourというものは雪道には決して強くありませんでした。前車種よりは少しいいかなという程度です。

一度、少し積もった平らな道でスタックしたことがありました。

やはり雪道には弱いと実感していました。

もう一つの理由は、来春から車で出かける用事が増えることが予定されていることです。

これまで以上に走らなければならない状況です。

年齢的にもいろんな能力が衰えてきていることを感じており、安全性を重視した車選びが求められてきました。

安全性で調べてみると、スバルの車が最も優れているということがだんだん分かってきました。

ただ、燃費はとても悪い。

そこで悩んだのは、燃費をとるか安全性をとるかの二者択一でした。

燃費で言えばプリウスを乗り継いでいくことも選択肢です。安全性で選べばスバルに軍配が上がります。

おそらく最後の車選びとなるでしょう。後悔のないものにしたいと思いました。

車好きの人に聞いたり、ネットでいろんな情報を見たり、さんざん悩み選んだ結果、スバルに買い替えることとしました。レボーグ・レイバックという車種です。

契約は済ませましたが、納車は2月末か3月になるようです。

大きな買い物ですし、さんざん選んで決めたものですから、子どものように今から楽しみです。

 

今週の一言

「無常はまさに現前の道理」

 

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。


サンデーサンライズ497 縁に随って

2024年12月15日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第497回。令和6年12月15日、日曜日。

 

今年も押し迫り、来年の予定表の書き込みを行っています。

定期的な用事も大分あるので、忘れずに書いておかなければなりません。

その他にも依頼を受けた講演など、決まっている用事が数件あります。

それに今年の予定表を見ながら、来年の予測をして予定を書き込んでおきます。

既に法事の予約も何件か入っているのでそれも記入します。

すると、予定表がだんだん埋まってきて、何だか来年も終わってしまったような感覚を覚えます。

予定があるだけありがたいことだと受け止めて、一つ一つ立ち向かって行きます。

 

予定があろうがなかろうが、誰にでも日々時間は目の前に立ち現われ、開かれ、迫ってきます。

その時の自分の状態を予測することはできません。

冷静な判断ができるようにはしておきたいと思いますが、間違った選択をしてしまうこともあるでしょう。

道元禅師が「善悪は縁に随って起こる」と言うように、物事は他との関係性の中で進んで行くものですから、善悪も規定されたものではありません。

自分自身が不安定で不確かなものですから、自分以外の存在との関係が確かなものであるはずがありません。

不安定な要素を含む不確かな状況にその都度対処していかなければならないのが現実です。

自分を棚に上げて他を責めることだけは止めておきましょう。

不確かな善悪を振りかざして相手を責めるのは土台間違いです。

自分に間違いがあると感じている人は他を責めませんが、自分は正しい、善であると思う人が他を責めるのです。

自分も間違うように相手も間違う、だから許せるのです。

個人と個人の関係でもその通りですが、国家間でも同じことが言えるでしょう。

各国の不安定な情勢を見ながら、みんな謙虚であればいいのになと思うことしきりです。

他を責めない、許し合う、それが平和というものであるし、仏教の基本的な考え方だと言えます。

そんなことをしたら他から攻められると、一見弱そうに感じるかもしれませんが、それが最も強い意志によるものだと確信したいと思います。

仏教の基本的な教えは「不害の教え」です。

 

間もなく「山と水と、」今年の新酒が出来上がります。

昨年までは12月に仕込んで1月にできる1回の仕込みでしたが、今年は量を増やし2回の仕込みにしました。

その1回目の完成を正月に間に合わせるべく、11月に仕込みました。

但し1回目は生原酒のみです。例年の生酒と火入れ酒は2回目の仕込み2月の完成となります。

当初完成予定は12月20頃と想定していましたが、発酵が遅れているらしく、もう少し先になりそうです。

なにせ発酵は菌まかせなので菌に聞かなければなりません。

和田酒造さんからは「今年もいい出来になっていますよ」とのことなので楽しみに待ちます。

なので、販売は23日の週になる模様です。

昨年までの先行予約販売は行わず、直接販売とします。

町内酒販店での販売開始は未定ですが、メールでの申し込みはこちらで受けたいと思います。

「山と水と、」生原酒、720ml、1980円(税込)。

宅配便で送りますので、専用の箱代、代引き料、送料着払いがかかります。

以下のメールアドレスに、住所、氏名、電話相談、本数をお書きの上お申し込みください。

生酒と火入れ酒ご希望の方は1月末頃お申し込みください。

shorin@cup.ocn.ne.jp 松林寺

 

今週の一言

「善悪は縁に随って起こる」

 

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。