三ちゃんのサンデーサンライズ。第491回。令和6年11月3日、日曜日。
北海道に来ています。
昨年に引き続き根室市、標津町、別海町方面の布教巡回です。
特派布教とは違い、現地からの直接指名によって巡回しています。
二人の布教師で、昨年半分、今年残り半分を担当します。
暇であることの問題。
人生において、全ての生物が同じでしょうが、本来「暇」という時間はないでしょう。
全ての存在が生きる意味があり、同時に他を生かしているのだとすれば、その時間は全て意味のあることだと言えます。
お寺の生活は誰から使われるということでもなく、自分で時間の使い方を決められる生活です。
ある意味農業と似ていて、やろうと思えばやることは無限にあり、やらないから誰かに責められるという訳でもありません。
それでも「今日は何もない」などと「暇」と感じる日、あるいは時間があります。
それは、何もすることがないのではなく、目の間に突き付けられた用事がないだけのことで、すべきことしなければならないことはたくさんあります。
それを、したくないから「用事」から除外しているだけに過ぎません。
その「暇」としている時間を埋めるのにスマホほど有用なものはないでしょう。
電車の中あるいは待つ場所などで、スマホを見ていない人を見つけるのが困難なほどです。
かく言う私も、その一人であると白状しなければなりません。
先日寺に居ながら「暇」を感じ、しばらく遠ざかっていたスマホのゲームを開いてしまいました。
こんがらかったロープをほどいていくというパズルのような単純なゲームです。
そんな単純なものでも、ほどけたという快感は脳に対するご褒美のような喜びで、ついつい次へ次へと進みたくなります。
すると、一々入ってくる広告が邪魔になり、求められるままに広告を消す課金に同意してしまいました。
この時点で既に沼にはまってしまっています。なかなか抜け出すことができません。
暇だからゲームを始めたのだから、広告が邪魔だなんて、暇ならそれも見ればいいのに、その時間がもったいないと思う。
現在レベル645まできてしまいました。
ゲームの動機が暇ではなくなってしまっています。
さらには用事を後回しにして「暇」を作る始末。まさに時間が潰されていきます。
スマホから流れてくる膨大な情報は、そこから広告企業の利益に誘導するように仕組まれているでしょう。
つまりスマホは、手にする者の時間とお金を容赦なく奪う吸い取り紙のようになっていると言っても過言ではありません。
利用者次第だとは言っても、特に真偽を見分け難い若い者などは赤子の手をひねるより簡単に騙されてしまうこと必定と言えましょう。
68歳の老人も簡単にはまるのですから。推して知るべしです。
暇だと感じることを何とかしなければなりません。
生きている限り暇な時間などないのですから。
サンベギドウのローマ字表記は「GIDO SAMBE」になっています。
パスポートを取得するときにそのように指導されました。
「GIDOU」でも「SANBE」でもありません。ヘボン式なのだと思います。
ところが、ブラジルに行ったとき、「ジドウ」ですかと聞かれ「ギドウ」ですと答えると、それなら「GUIDO」の方がいいと教えられました。
確かに「ギター」は「Guitar 」と表記します。ラテン語表記でしょうか。詳しくは知りません。
「Guido」の方がかっこいいですかね。どうでもいいことですが思い出したので。
今週の一言
「本来、暇な時間などない」
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。