三ちゃんのサンデーサンライズ。第435回。令和5年9月24日、日曜日。
19日火曜日から昨日まで、愛知県東海市、知多半島を回っていました。
4年ぶりの特派布教の今年2回目の巡回です。
特派布教の日程は、事前に巡回不可能日の提出があり、それと各宗務所の希望日程と突き合わせて本庁の担当がマッチングすることになっています。
まさか秋彼岸に巡回はないだろうと高をくくって不可の回答をしなかったことで今回の巡回となりました。
思い出してみると以前にも同じことがあって、やはり彼岸の中日に京都に派遣されたことがありました。学習していません。
ということで、松林寺の彼岸奉詠は宿用院住職に、中日の参拝者対応と後片付けはカミさんにお願いして何とか務めてもらいました。
昨日寺に着いたのは夜11時を回っていました。今日はカミさんが孫の運動会に行くということで昨日中に帰り着かなければなりませんでした。
彼岸を迎え、すっかり秋の様子になってきました。周囲の稲刈りも進み、芋煮もおいしい季節です。
「らんまん」ではありませんが、植物と同じように、人がそこに住むにはその因縁があり、そこに根を張り、その空気を吸って、その土地の食を栄養にして育ってきたわけで、そこに合った花を咲かせ、そこに必要な実を実らせる。それを他の土地の他の誰かと比べて優劣をつけるようなことではないでしょう。
愛知県には愛知県のおいしいものがたくさんありますが、家に帰れば家の味にほっと溜息をつき安らぐことは間違いありません。
この体は、この土地の食べ物でできているのです。
自分が楽に生きられる場所を求めたからといって後ろめたく思う必要はありませんよ。
サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中では咲かない。
シロクマがハワイより北極で生きるほうを選んだからといって、だれがシロクマを責めますか。(梨木香歩)
人間の精神的なストレスは、自分以外の誰かを自分の思い通りにしたいという欲求から起こるように思います。
元々、自分自身さえ自分の思い通りには動かないのに、他人を動かそうと思うこと自体無理な欲求です。
夫婦であろうが、親子であろうが、それ以外の関係であろうが、あくまでも他人であり、それぞれの意思と人格を持った個体です。
なのになぜ自分の思い通りにしようと思うのか。
それは、夫婦、親子が自分の所有の一部だと錯覚してしまうからではないですか。
私の妻なのに、夫なのに、なぜこんなことが分からないのだとイライラし、私の子どもなのになぜお母さんの言うことが聞けないとカリカリする。
他人を所有の一部として支配下におこうとする、その関係性と欲求がストレスとなるのでしょう。
親は子どもを教育をしなければならない、それも傲慢な考え方です。
子どもであれば、親の真似をするだけで親ぐらいの人間にはなれます。
親が自分もできないことを子どもに押し付けて、自分のようになってほしくないから子どもの幸せを願ってなどと言う。
そんなに自分を卑下することもないでしょう。
どんな状況環境であろうとも、その中で幸せに生きて見せることで、子どもは幸せのありかを学んでいくものだと思います。
夫婦も長くなればだんだん変わってきます。
若いころは、考え方の違いにいちいち気が障り、注意して変えさせないとためにならないなどと上から目線で指導的立場に立つこともあります。
相手の欠点はよく見え、自分の欠点には気づかないものです。
夫婦に上も下もないのですから、凸と凹は補い合いながら共に生きていく以外ありません。それが夫婦というものです。
できないことよりも、それ以上にできることもあるわけですから、欠点を見るよりも長所を見た方が幸せを感じます。
人は一人では生きていけないとよく言います。ということは人は他の命と共に生きているということです。共に生きているということは、互いに自分の命を出し合ってそれを分け合い共有して生きているということです。
人間だけでなく、植物、動物、昆虫、微生物とも命を共有し、空気も分け合っています。
所有ではなく共有している者同士、相手の中に生きている自分を見て、責めずに仲良く穏やかに暮らしたいと思います。それがストレスからの解放になるでしょう。
人生も秋彼岸を過ぎました。実りの季節です。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。
19日火曜日から昨日まで、愛知県東海市、知多半島を回っていました。
4年ぶりの特派布教の今年2回目の巡回です。
特派布教の日程は、事前に巡回不可能日の提出があり、それと各宗務所の希望日程と突き合わせて本庁の担当がマッチングすることになっています。
まさか秋彼岸に巡回はないだろうと高をくくって不可の回答をしなかったことで今回の巡回となりました。
思い出してみると以前にも同じことがあって、やはり彼岸の中日に京都に派遣されたことがありました。学習していません。
ということで、松林寺の彼岸奉詠は宿用院住職に、中日の参拝者対応と後片付けはカミさんにお願いして何とか務めてもらいました。
昨日寺に着いたのは夜11時を回っていました。今日はカミさんが孫の運動会に行くということで昨日中に帰り着かなければなりませんでした。
彼岸を迎え、すっかり秋の様子になってきました。周囲の稲刈りも進み、芋煮もおいしい季節です。
「らんまん」ではありませんが、植物と同じように、人がそこに住むにはその因縁があり、そこに根を張り、その空気を吸って、その土地の食を栄養にして育ってきたわけで、そこに合った花を咲かせ、そこに必要な実を実らせる。それを他の土地の他の誰かと比べて優劣をつけるようなことではないでしょう。
愛知県には愛知県のおいしいものがたくさんありますが、家に帰れば家の味にほっと溜息をつき安らぐことは間違いありません。
この体は、この土地の食べ物でできているのです。
自分が楽に生きられる場所を求めたからといって後ろめたく思う必要はありませんよ。
サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中では咲かない。
シロクマがハワイより北極で生きるほうを選んだからといって、だれがシロクマを責めますか。(梨木香歩)
人間の精神的なストレスは、自分以外の誰かを自分の思い通りにしたいという欲求から起こるように思います。
元々、自分自身さえ自分の思い通りには動かないのに、他人を動かそうと思うこと自体無理な欲求です。
夫婦であろうが、親子であろうが、それ以外の関係であろうが、あくまでも他人であり、それぞれの意思と人格を持った個体です。
なのになぜ自分の思い通りにしようと思うのか。
それは、夫婦、親子が自分の所有の一部だと錯覚してしまうからではないですか。
私の妻なのに、夫なのに、なぜこんなことが分からないのだとイライラし、私の子どもなのになぜお母さんの言うことが聞けないとカリカリする。
他人を所有の一部として支配下におこうとする、その関係性と欲求がストレスとなるのでしょう。
親は子どもを教育をしなければならない、それも傲慢な考え方です。
子どもであれば、親の真似をするだけで親ぐらいの人間にはなれます。
親が自分もできないことを子どもに押し付けて、自分のようになってほしくないから子どもの幸せを願ってなどと言う。
そんなに自分を卑下することもないでしょう。
どんな状況環境であろうとも、その中で幸せに生きて見せることで、子どもは幸せのありかを学んでいくものだと思います。
夫婦も長くなればだんだん変わってきます。
若いころは、考え方の違いにいちいち気が障り、注意して変えさせないとためにならないなどと上から目線で指導的立場に立つこともあります。
相手の欠点はよく見え、自分の欠点には気づかないものです。
夫婦に上も下もないのですから、凸と凹は補い合いながら共に生きていく以外ありません。それが夫婦というものです。
できないことよりも、それ以上にできることもあるわけですから、欠点を見るよりも長所を見た方が幸せを感じます。
人は一人では生きていけないとよく言います。ということは人は他の命と共に生きているということです。共に生きているということは、互いに自分の命を出し合ってそれを分け合い共有して生きているということです。
人間だけでなく、植物、動物、昆虫、微生物とも命を共有し、空気も分け合っています。
所有ではなく共有している者同士、相手の中に生きている自分を見て、責めずに仲良く穏やかに暮らしたいと思います。それがストレスからの解放になるでしょう。
人生も秋彼岸を過ぎました。実りの季節です。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。