なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンサンラジオ260 過去帳から見えるもの

2020年04月26日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ、第260回。4月26日、日曜日。

まずは報道部から1週間の動きをまとめて。
19日坐禅
22~24日過去帳のパソコン打ち込み
そのような1週間でした。

先週も何もありませんでした。
ということで、普段できないことをやってみています。
19日は、今日は一日坐ってみようということで、接心(集中的に坐禅三昧の期間)とまではいきませんが、朝から午後まで坐ってみました。6回(1回の坐禅を1チュウと言いますが漢字がありません)坐りましたが、次第に足の付け根が痛くなり、我慢比べではないのでそれ以上は無理しませんでした。
毎朝の30分ほどは気持ちよく坐れるのですが、連続すると私の足にはきついですね。

過去帳の打ち込みも普段はなかなかできないことなのでこの機会にやってみました。
昭和34年分までは打ち込み終わっていたのですが、それ以前をたどっていくのはなかなか手間がかかります。
パソコンのデータは世帯主ごとに入力するのですが、60年以上前の過去帳になると、それが現在のどこの家のことなのかを探しながらの作業になるのでなかなか進まないのです。
でも作業の中で色々の発見もあります。
昭和30年頃までは、子どもの死亡がとても多いということです。毎年何人もの子どもの死が記載されており、全ての家庭で子どもを亡くしているのではないかと思えるほどでした。
食糧事情、医療事情も今とはずいぶん違います。感染症もあったことでしょう。また子どもが多かったという時代でもありましたが、しかし親にとってはどの子どももかけがえのない命ですから、その悲しみが今と変わることはないでしょう。
みんな悲しみを抱え、耐えながら生きてきたのだなあと感じたことでした。
人間の歴史上それが当たり前であり、現代が特別なのかもしれません。

実は今、娘が出産のために帰省しています。いわゆる里帰り出産です。
東京に緊急事態宣言が出された前日に帰省し、ここで2週間軟禁状態でした。
産院からも「里帰り出産の場合は実家に帰って2週間経ってから検診に来てください」と事前に言われていたらしく、早めに帰省しました。
今はもう、里帰り出産を控えてくださいという状況になっているので、ギリギリのタイミングでした。
この2週間はヒヤヒヤもので、万が一感染を持ち込んだということになったりしたらとんでもないことになってしまいます。なので、ほとんど外にも出れず、帰ってきていることも話せず、じっと耐えていました。
もし感染していたら一番最初に症状が現れるのは年老いた母親だろうから、母親に変化が見られなければ大丈夫だろうと、リトマス試験紙のように様子を見ていました。特に変化はないようです。
その夫も付き添いで同じ日に東京を出たのですが、帰るに帰れず、結局会社も出勤停止になってしまい、ここでテレワークすることになりました。オンライン会議やパソコンで仕事をやっています。
東京でいるより最上の方がいくらかは安全かもしれません。一度東京に戻ればかなりしばらくの間こちらに来ることはできないでしょうから、どのタイミングで戻るのか、職場の判断も気になるところです。
で、夜はしかたないからと毎晩晩酌をつき合っています。どちらがつき合ってるかって?まあいいじゃないですか。
木の芽や山菜も少しずつ出始め酒のつまみも楽しくなってきました。加えて、息子がお世話になっているからと彼の大阪の実家から神戸牛や豚まんが送られてきます。
問題は毎晩の酒宴で体重が増加しているということです。コロナの影響はこんなところにも。え?

「コロナに負けるな!自粛をのりこえるアイデア集」という町の広報に依頼されて次のように書きました。
 人間はなんて弱いものだと知りました。目にも見えないウィルスという存在に全世界が怖れおののいています。人間同士の争いなど鼻で笑われるかのようです。
弱さを知ることは悪いことではありません。自分が弱いことを知るからこそ、他に対して謙虚になり敬うことにもつながります。ウィルスと戦うというよりも、ウィルスにも自然にも謙虚になるべきなのだと思います。とにかく今は隠れている以外ないようです。
「高く跳ぶためには深く屈まなければならない」という言葉があります。今は屈むときと受け止めて力をためていきましょう。できないことばかりではなく、こういう時だからこそできることもあるはずです。できることの中に喜びや楽しみ、あるいは笑いを見つけて免疫力を高めていきましょう。
雪国の人々は冬ごもりをして猛吹雪に耐えてきました。今はちょうど猛吹雪のようなものです。じっと耐えて、生きてさえいれば必ず春はやってきます。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

サンサンラジオ259 万事を休息

2020年04月19日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ、第259回。4月19日、日曜日。

まずは報道部から1週間の動きをまとめて。
16日池の掃除
17日ガラス磨き
そのような1週間でした。

おはようございます。
何もすることがありません。
いやいや、経済活動いわゆる仕事がないというだけで、すべきこと、した方がいいこと、普段できないことなど、することはあります。
現代人は仕事に振り回されて、仕事以外のことは余計なこと無駄なことと軽く見ているようなきらいがあります。
特に男性には、家事など女子供のやることだ、みたいな受け止め方が多いかもしれません。最近の男性はずいぶん変わってきたようにも思いますが。
だから仕事がないことに慣れていないですね。退職後家に居て「連れてけ症候群」になるとか。
この時期、仕事を離れて暮らすことの練習にはいいかもしれません。
高度経済成長期前までの日本は、もっとゆったり生きていたように思います。
農家は春から秋まで働いて、冬いっぱい長逗留で湯治をしたりしていました。
連ドラの『エール』ではありませんが、仕事もゆったりしていたでしょう。

落語にこんな話があったと思います。
長屋で仕事もしないでゴロゴロしている若者に大家さんが声をかけます。
大「また昼間からゴロゴロしてやがる。若いもんは外へ出て働かなくちゃダメじゃないか」
若「へー、じゃあ大家さん、働いたらどうなるんです?」
大「そりゃお前、いっぱい働いていっぱい稼いで、楽な暮らしができるじゃないか」
若「楽な暮らしって何です?」
大「そりゃお前、若い衆をいっぱい使って、自分は昼間からゴロゴロして暮らすんだよ」
若「今オレそれやってんです。かまわんでください」

何のために働いているのか。働いて楽になるのか、楽に働くのか、という風刺があるようです。
仕事もしないで遊んで暮らせればそんな楽なことはありませんが、仕事がなくても生活費はかかるわけで、それが問題です。

いざというときに人間の本性が見えるというか、その人の真価が問われるということは、東日本大震災の被災地でも感じたことです。
平常時にはとてもいい人に見えていた人が、異常事態に陥った時、とんでもなく利己主義で人のことはどうでも良くてとても嫌な顔をしている人だった。いわゆる化けの皮が剥がれる、というようなことがありました。
コロナの危機においても、本性が現れた人もいるでしょう。いざというときの態度で信用も信頼も失ったり、また逆に「人は見かけによらないものだ」という評価を得たりするものです。
世界各国の対策にも差が現れて、高い評価を得た国もあれば評価を下げた国もあります。
特に国のトップの発言、対応には、いざというときの力の差が出たと思います。
原発事故の時のトップの対応も批判されましたが、今回も似たような感じがします。
この国にはまともな政治家はいないのですか。
ものづくりニッポン、この国は伝統として「いいもの」は作ってきたと思いますが、「人づくり」はどうだったのでしょうか。
本来ものづくりと人づくりは同じというか、ものづくりをを通して人をつくってきた国だと思うのですが、見習いや丁稚奉公という制度が廃れ、結果第一、効率主義、経済優先が人づくりを後回しにしてきてしまったのかもしれません。
仕事以外の伝統文化や遊び、地域社会のつながりの中でも人は成長していくものでしょう。お金では買えないものによって人はつくられていくと言ってもいいかもしれません。

江戸時代の和尚さんが「休みとは何ですか」と問われ「家郷に向かうがごとし」と答えたいう話があります。
休みとは、我が家我が故郷に帰るようなものだ、ということで、自分が自分に帰ることを意味した言葉です。
自分が自分に帰った姿が坐禅です。「帰家穏坐」とも言います。
道元禅師の『普勧坐禅儀』の中に「諸縁を放捨し万事を休息」という言葉が出てきます。
坐禅のありようを示しているのですが、全ての関わりを放ち忘れて、心の運転をやめてしまうという状態を指します。
休みたくても休めない、という人も多くいます。今は、働きたくても働けない人もいるでしょう。
本当に休むとは何か。
全てを手放して、ただ坐ってみる。何のためでもなく何の目的もなく。大きく呼吸をして心の力を抜きただ坐る。
それが自分に帰ることであり、休むということだ、と。信じてやってみませんか。
毎朝5時30分から坐っています。よかったらご一緒にどうぞ。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。










サンサンラジオ258 潜行蜜用

2020年04月12日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ、第258回。4月12日、日曜日。

まずは報道部から1週間の動きをまとめて。
5日隣寺大般若会、松林寺総代会及び役員会
8日松林寺葬儀、宿用院葬儀
10日同級会実行委員会
そのような1週間でした。

残念なお知らせをしなければなりません。
松林寺集中講座及び大般若会は、コロナ感染予防から中止となりました。
5日午前の隣寺の大般若の際、教区寺院各寺の対応が話し合われ、4月開催予定の大般若は全ての寺院で中止の決定をしたと報告されました。
6月開催予定の分をどうするかという話し合いの結果、寺院だけが集まることも控えたいということで、全ての法要が中止という結論となりました。
松林寺の大般若は6月13日の予定でしたが、その前の7日開催予定の集中講座も、その流れから中止という決定をせざるを得ませんでした。
とにかく、人が集まることを控える、なるべく外出しないという予防策ですから、仕方ありません。
まあ今年は、じっと耐える年と覚悟を決めることが肝心かもしれません。
ただ、働かないと食べていけないという人も多いわけで、休業やテレワークの中身は業態、個別の職場において千差万別のことでしょう。
体力のある大企業ならばいざ知らず、自転車操業の中小企業には、会社の存続も危ういはずです。
会社が潰れれば社員が職場を失うわけで、会社にも潰れないで欲しい、しかし社員にも保障が欲しいということで頭を悩ませていると思います。
知ってました?「テレワーク」って自宅で電話で仕事をするという意味ではなく、私はそうかなと思ってました。「テレ」そのものが、テレビジョンやテレフォンなどと同じく「遠隔の」という意味から、今ではネットを使用した働き方、という意味だということを。先日知りました。
でも、パソコンやネットでできる仕事ばかりではないわけで、怖いと思いながら電車通勤する以外にない人もたくさんいるはずです。特に接客業などは、言葉通り客と接しなければ仕事にならないわけで、仕事そのものを否定されたようなものです。
こういう時に強いのは一次産業でしょうか。相手は自然なので感染の心配はありません。ただ、農作物や魚介類が飲食店自粛の影響で価格は下がっているようです。コロナがインフルエンザに近いのなら「鳥インフルエンザ」というのもありますから家畜への感染も心配です。
お寺は影響ないだろうと言われそうですが、予定されていた法事が延期とか、葬儀も縮小してという状況が出ています。また、各地の法話や講演が中止ということも起きています。全く無関係ではありません。

とにかく見えない敵と戦っているわけで、しかも相手に有効な武器は何かさえ分からないのですから、武器が見つかるまでじっと隠れて、あるいは逃げる以外ないようなのです。逃げるといっても縁故もない田舎に避難するのも迷惑になりそうですから、よくよく考えて行動してもらいたいです。
先週も言いましたが、「高く跳ぶためには深く屈まなければならない」で、今は屈むときと受け止めて力をためていきましょう。
こういう時にしかできない、今だからできることもあるはずです。
家族のだんらんとか会話とか、まとめて本を読むとか、ぐっすり寝るとか、物の整理をするとか、徹底的に掃除をするとか、普段できないお金のかからない、しかも必要なことはあるでしょう。
春の野山の散歩、手紙を書くなどもいいかもしれませんね。写経や坐禅もできますよ。

「潜行蜜用如愚如魯(せんこうみつようはぐのごとくろのごとし)」という言葉が『宝鏡三昧』というお経に出てきます。誰も見ていないところでまじめにコツコツと行うことは、あたかも愚かなことのように思われるかもしれないが、それが大事な禅の行いだよ、という教えです。
目立って誰かに評価されることは行うが、見ていないところでキチンとというのは簡単なことではありません。しかしそこにこそ真価が現れるのです。
「ポツンと一軒家」という番組が人気のようです。たまたま昨日の昼の放送を目にしました。
あの一軒家で暮らす人は誰かに見られるために生きている訳ではないでしょう。
評価を求めず、ほめられもせず、知られもせず。なのに、キチンと自分のすべきことをコツコツと努めていました。
その姿に感動します。
むしろ情報はない方が、自分を見つめながら自分の生き方ができるのかもしれません。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。





サンサンラジオ257 潜水艦、蠅蚊、雪籠り

2020年04月05日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ、第257回。4月5日、日曜日。

まずは報道部から1週間の動きをまとめて。
1日映画『新聞記者』と『風の電話』を鑑賞
3日草むしり
そのような1週間でした。

おはようございます。
ついにコロナが新庄まで来てしまいました。さらに広がっています。
見えない潜水艦の敵がジワリジワリと迫って来るようです。
田舎ものんきにしてられません。
報道では、若者に「動くな」と感染を媒介する蠅や蚊のように呼び掛けています。
キャンセルや中止の波がすべてのイベント、集まりに及び、外出そのものが悪いことでもするかのような空気になってきました。
猛吹雪にじっと耐えてやり過ごす雪籠りをする以外にありません。
中島みゆきは『吹雪』で次のように歌っています。
 恐ろしいものの形を ノートに描いてみなさい
 そこに描けないものが 君たちを殺すだろう
これは放射能を題材にしたものだと言われる歌ですが、似ていて寒々とします。

教育の現場、子どもたち、その親の大変さが想像されます。
これが長引けば長引くほど経済の打撃は深刻になり、倒産の連鎖が広がるように思います。
家庭内暴力、離婚、自殺などの連鎖も心配されます。感染者への差別も起こるでしょう。
とんでもないことになってきた、というのが正直な感想ですが、誰かのせいにしても始まらないし、それぞれが自分の身を守り、じっと耐えていく以外にないでしょう。
医療現場や関係者が献身的な努力を続けてくださっていると思います。せめてそれ以外の人々は医療の崩壊に至らないように、気をつけて自分で我が身を守っていかなければなりません。
考えてみれば、人間などなんて弱いものだと思います。
たった1種類のウィルスによって個人も社会も世界も崩壊されかねない脆弱なものだったということです。
目にも見えない小さな微生物(?辞書にはそうありました)が、人間同士の争いなどを笑い飛ばすかのような破壊力を持っています。

弱さを知ることは悪いことではありません。自分が弱いことを知るからこそ、他に対して謙虚になり、自らを慎むことにつながります。自分を弱いと認めることが強さでもあります。
「獅子身中の虫」という言葉がありますが、怖いのは自分以外の敵ではなくむしろ自分の中から侵されることでしょう。
外にばかり目を向けず、自分を律し自分を強くしていく。便利さより不便さ。海外よりも国内、国よりも地方、他人よりも自分。誰かと比べるのはなく、自分自身の生きる力を信じ自覚していく。そのためには、情報を遮断して自分を見つめる時間を持つことが必要でしょう。その一つは坐禅。
そのことをコロナという目に見えない存在が教えているのかもしれません。

なにも用事がないので映画を2本観ました。『新聞記者』と『風の電話』です。
接触感染の心配は要りません。映画館はほぼ貸し切り状態です。
いずれも、ドキュメンタリー映画ではありませんが、ほぼ事実を元にした作品だと思われます。
『新聞記者』は、東京新聞の望月衣塑子(いそこ)記者の原案を元にした作品です。
政権に忖度するマスメディアの中で、東京新聞は信念を通していると外国人記者からの評価が高い新聞社です。
亡くなられた布教師仲間の方から「東京へ来たなら東京新聞を買って読みなさい」とアドバイスされたことがありました。
権力に抗い真実を伝え続けるというのは勇気と覚悟が要ることで、そこはジャーナリストに頑張ってもらいたいと思います。誰かのために捻じ曲げられ操作された情報ではなく、事実をありのままに淡々と流してほしいと思います。
判断はそれぞれがすればいいのであって、公表される前に色付けされた情報は危険です。
こういう映画がこの国でも作れて放映できるんだということに救いを感じました。

『風の電話』は、震災津波で両親と弟を失った少女が、身を寄せる広島の叔母が病気で倒れ、呆然と故郷の岩手県大槌町を目指すストーリーです。
感情を遮断してしまった高校3年の「ハル」は、ふらふらと北に向かいます。その途中、たまたま出会った人々の悲しみに触れていきます。
故郷にたどり着き、そこにあったはずの家の跡地で「ただいま」と呼びかける心が胸に刺さり涙を誘います。
近くには、亡くなった人と話ができる「風の電話」という電話ボックスがありました。そこでハルは何を語るのか。
脚本はあるのでしょうが、言葉がとても自然で、それが真実を物語っていると思わせてくれます。
あの震災から、ハルのような子どもがたくさんいるんだよな、どんな風に生きているのかなと思いながら観ていました。

春はもうしばらく先のようです。自分を信じじっと耐えていきましょう。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。