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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。
おはようございます。
今日は12月25日です。
世間はクリスマスですね。
別にいいです。
今更「クリスチャンですか?」などと無粋なことを言うつもりはありません。
私だって、寺にいながら子どものころはツリーを飾りましたし、子どもが生まれればサンタさんのマネごとをしたことがあります。
子どもを喜ばせるイベントとしては最高の時なのかもしれません。
あるいは、若いカップルにとっては外せないチャンスなのでしょうね。
また、朝の連ドラ「べっぴんさん」を見れば、戦後復興の日本にとって、未来に明るい希望を感じさせる原動力になったのだろうということは分かります。
クリスチャン以外の日本人にとってクリスマスは、宗教とは無関係な意味づけと目的が付与された特別な日だということですね。
だけど、一緒に暮らす子どももいない老人世帯?ではさっぱりです。
ワクワクもウキウキもないし、いつもと変わらずに野菜の煮びたしなどを食しながら静かに寝るだけです。
そこが宗教行事と違うところでしょう。
宗教的な喜びではなく、子どもや若者の季節のイベントということですね。
そういえば、20代後半のクリスマスイブの夜、彼女のいない男と二人で、ボランティアの事務所で黙々と仕事をしてたなあ。
「さあ、やろう」などと言って、しなくてもいい仕事をあえて忙しそうに、自虐的にしていたっけ。笑える。
結婚式も同じような感じですかね。
もう最近はほとんどが教会での挙式になっているのでしょうか。
神主さんは仕事が減って困っているのではないかな。余計なお世話ですが。
これも、キリスト教であれ、神道であれ、仏前であれ、信じてもいないものの前で誓いを立てても、どうかなあと感じてしまいます。
不思議な国、日本です。
当地においては、結婚のことを「ムガサリ」と言ってきましたが、何もこれは東北に限ったことではなく、日本各地において、「ムカワルル」とか「ムカワルイ」などと同類の言葉で呼んできたようです。
その語源は何かというと、諸説あるようですが「ムキアワサル」なのではないかと言われています。
迎えられて、婿と嫁が顔を合わせるということでしょうか。
その儀礼の中にはこれといった宗教儀礼はありませんでした。
仲人と親族、そして村人たちの目が証人でした。いわば「人前結婚式」ということですね。
どうもこちらの方が、信じてもいないものに対するよりも、厳しい誓いになりそうですし、抑制にもなりそうです。
それが、宗教感覚に大らかというかいい加減というか、自分は無宗教ですなどと胸を張る不思議な日本人の、自己抑制システムだったと思いますよ。
人間は弱いからこそ、自分の力だけでは欲望のコントロールができずに、神や大いなる力の前に額づいて誓いを立ててきたのでしょう。
信じるものがなければ、やはり人の目という力を借りる必要がありそうです。
畏れを感じるような信ずるものもなく、人の目も気にしないで、欲望のままに、わがまま勝手に生きることによって、日本社会はどんどん崩れてしまっています。
特に子どもたちへの不幸な振る舞いには、目に余るものがあります。
結婚への決意の希薄さ弱さが原因の一つとも言えるでしょう。
子どもが幸せを感じられない社会は、決して幸せな社会とは呼べません。
浮かれている足元が揺らいでいることに気づかなければなりません。
クリスマスに水を差すようですが、大人になって、そう思います。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。
おはようございます。
今日は12月25日です。
世間はクリスマスですね。
別にいいです。
今更「クリスチャンですか?」などと無粋なことを言うつもりはありません。
私だって、寺にいながら子どものころはツリーを飾りましたし、子どもが生まれればサンタさんのマネごとをしたことがあります。
子どもを喜ばせるイベントとしては最高の時なのかもしれません。
あるいは、若いカップルにとっては外せないチャンスなのでしょうね。
また、朝の連ドラ「べっぴんさん」を見れば、戦後復興の日本にとって、未来に明るい希望を感じさせる原動力になったのだろうということは分かります。
クリスチャン以外の日本人にとってクリスマスは、宗教とは無関係な意味づけと目的が付与された特別な日だということですね。
だけど、一緒に暮らす子どももいない老人世帯?ではさっぱりです。
ワクワクもウキウキもないし、いつもと変わらずに野菜の煮びたしなどを食しながら静かに寝るだけです。
そこが宗教行事と違うところでしょう。
宗教的な喜びではなく、子どもや若者の季節のイベントということですね。
そういえば、20代後半のクリスマスイブの夜、彼女のいない男と二人で、ボランティアの事務所で黙々と仕事をしてたなあ。
「さあ、やろう」などと言って、しなくてもいい仕事をあえて忙しそうに、自虐的にしていたっけ。笑える。
結婚式も同じような感じですかね。
もう最近はほとんどが教会での挙式になっているのでしょうか。
神主さんは仕事が減って困っているのではないかな。余計なお世話ですが。
これも、キリスト教であれ、神道であれ、仏前であれ、信じてもいないものの前で誓いを立てても、どうかなあと感じてしまいます。
不思議な国、日本です。
当地においては、結婚のことを「ムガサリ」と言ってきましたが、何もこれは東北に限ったことではなく、日本各地において、「ムカワルル」とか「ムカワルイ」などと同類の言葉で呼んできたようです。
その語源は何かというと、諸説あるようですが「ムキアワサル」なのではないかと言われています。
迎えられて、婿と嫁が顔を合わせるということでしょうか。
その儀礼の中にはこれといった宗教儀礼はありませんでした。
仲人と親族、そして村人たちの目が証人でした。いわば「人前結婚式」ということですね。
どうもこちらの方が、信じてもいないものに対するよりも、厳しい誓いになりそうですし、抑制にもなりそうです。
それが、宗教感覚に大らかというかいい加減というか、自分は無宗教ですなどと胸を張る不思議な日本人の、自己抑制システムだったと思いますよ。
人間は弱いからこそ、自分の力だけでは欲望のコントロールができずに、神や大いなる力の前に額づいて誓いを立ててきたのでしょう。
信じるものがなければ、やはり人の目という力を借りる必要がありそうです。
畏れを感じるような信ずるものもなく、人の目も気にしないで、欲望のままに、わがまま勝手に生きることによって、日本社会はどんどん崩れてしまっています。
特に子どもたちへの不幸な振る舞いには、目に余るものがあります。
結婚への決意の希薄さ弱さが原因の一つとも言えるでしょう。
子どもが幸せを感じられない社会は、決して幸せな社会とは呼べません。
浮かれている足元が揺らいでいることに気づかなければなりません。
クリスマスに水を差すようですが、大人になって、そう思います。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。
