なあむ

やどかり和尚の考えたこと

三ちゃんのサンデーサンサンラジオ87

2016年12月25日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
♪゜・*:.。. .。.:*・♪
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

おはようございます。
今日は12月25日です。

世間はクリスマスですね。
別にいいです。
今更「クリスチャンですか?」などと無粋なことを言うつもりはありません。
私だって、寺にいながら子どものころはツリーを飾りましたし、子どもが生まれればサンタさんのマネごとをしたことがあります。
子どもを喜ばせるイベントとしては最高の時なのかもしれません。
あるいは、若いカップルにとっては外せないチャンスなのでしょうね。
また、朝の連ドラ「べっぴんさん」を見れば、戦後復興の日本にとって、未来に明るい希望を感じさせる原動力になったのだろうということは分かります。
クリスチャン以外の日本人にとってクリスマスは、宗教とは無関係な意味づけと目的が付与された特別な日だということですね。
だけど、一緒に暮らす子どももいない老人世帯?ではさっぱりです。
ワクワクもウキウキもないし、いつもと変わらずに野菜の煮びたしなどを食しながら静かに寝るだけです。
そこが宗教行事と違うところでしょう。
宗教的な喜びではなく、子どもや若者の季節のイベントということですね。
そういえば、20代後半のクリスマスイブの夜、彼女のいない男と二人で、ボランティアの事務所で黙々と仕事をしてたなあ。
「さあ、やろう」などと言って、しなくてもいい仕事をあえて忙しそうに、自虐的にしていたっけ。笑える。

結婚式も同じような感じですかね。
もう最近はほとんどが教会での挙式になっているのでしょうか。
神主さんは仕事が減って困っているのではないかな。余計なお世話ですが。
これも、キリスト教であれ、神道であれ、仏前であれ、信じてもいないものの前で誓いを立てても、どうかなあと感じてしまいます。
不思議な国、日本です。
当地においては、結婚のことを「ムガサリ」と言ってきましたが、何もこれは東北に限ったことではなく、日本各地において、「ムカワルル」とか「ムカワルイ」などと同類の言葉で呼んできたようです。
その語源は何かというと、諸説あるようですが「ムキアワサル」なのではないかと言われています。
迎えられて、婿と嫁が顔を合わせるということでしょうか。
その儀礼の中にはこれといった宗教儀礼はありませんでした。
仲人と親族、そして村人たちの目が証人でした。いわば「人前結婚式」ということですね。
どうもこちらの方が、信じてもいないものに対するよりも、厳しい誓いになりそうですし、抑制にもなりそうです。
それが、宗教感覚に大らかというかいい加減というか、自分は無宗教ですなどと胸を張る不思議な日本人の、自己抑制システムだったと思いますよ。

人間は弱いからこそ、自分の力だけでは欲望のコントロールができずに、神や大いなる力の前に額づいて誓いを立ててきたのでしょう。
信じるものがなければ、やはり人の目という力を借りる必要がありそうです。
畏れを感じるような信ずるものもなく、人の目も気にしないで、欲望のままに、わがまま勝手に生きることによって、日本社会はどんどん崩れてしまっています。
特に子どもたちへの不幸な振る舞いには、目に余るものがあります。
結婚への決意の希薄さ弱さが原因の一つとも言えるでしょう。
子どもが幸せを感じられない社会は、決して幸せな社会とは呼べません。
浮かれている足元が揺らいでいることに気づかなければなりません。
クリスマスに水を差すようですが、大人になって、そう思います。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。


三ちゃんのサンデーサンサンラジオ86

2016年12月17日 08時46分44秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

おはようございます。
今日は12月18日です。
今週は新潟県湯沢温泉からお送りしています。

やっぱり、還暦という年は特別な年なのですね。
今年は忘年会が、何と6回も予定されています。
一昨日は、河北町環境を考える会の忘年会が河北町であり、昨日は第2回目が、湯沢温泉でありました。
こちらはですね、大学のサークルの集まりで、卒業以来初めてかもしれません。
何のサークルかというと、広告研究会というサークルをやめたメンバー4人で作った「駒沢オリジナルソサイエティ」という何だかよく分からない会でした。
まあ、ミニコミ誌を出したり、映画みたいなものを作ったり、学園祭にも参加し、合宿もありました。
後輩たちも大勢入り、結構大所帯になったようでしたが、いつの間にか消滅してしまいました。
後輩たちの中からは、広告関係、映像関係、執筆関係と、それなりにクリエイティブな仕事についた者がいるようです。
その創立メンバーの一人が新潟で、後輩たちも新潟に多いことから、新潟を中心に集まることになりました。
結局参加は7名の少人数でしたが、青春時代の恥ずかしい思い出を語り合いました。
内容は軟弱なサークルだったのですが、こうやって何十年かぶりに先輩後輩が集まれるだけでも意味はあったのかなと思いました。

若いというのは恥ずかしいことです。
若気の至りの楽しいこともなかったわけではありませんが、大概は思い出して赤面することや、思い出したくもないバカな思い出ばかりです。
60になってようやく大人になったような気がします。
落ち着いて世間が見れます。
いいですね、60歳。
結構気に入ってます。
その年にならないと見えない風景があります。
裾野で見る風景と、7合目8合目から見える風景が違うようなものでしょう。
人生下り坂といいますが、そんなことはないですね。
80には80の、90には90の人にしか見えないものがあるはずです。
人生はずーっと上り坂、亡くなる時がその人のてっぺん、山頂なのですね、きっと。
これから、別れの風景や、病気の景色もあるでしょう。
しっかりと受け止め、眺めてみたいと思います。

人生は、帰らない旅。
毎日が、まだ見たことのない、新しい道、新しい景色。
到達するのではなく、その行程を眺めることを楽しみとしましょう。
一歩が一歩の意味を持つ人生にしたいですね。

さて、明日は第3回目が仙台で、あさってしあさっては4回目5回目が最上町で待っています。
大いに楽しみましょう。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。


三ちゃんのサンデーサンサンラジオ85

2016年12月09日 05時28分51秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

おはようございます。
今日は12月11日です。
東京からお送りしています。

昨日は、シャンティ国際ボランティア会の35周年記念の集いでした。
ちょうど昨日の12月10日が設立記念日にあたります。
カンボジア難民救援を契機に活動が始まったこの団体。
元は曹洞宗教団がつくった「曹洞宗東南アジア難民救済会議(JSRC)」という団体でした。
私もその団体のボランティアとして難民キャンプに赴きました。
しかし、教団は2年間で活動を収束することになったので、それではその活動を引き継ぐ団体をつくろうとボランティアが集まってできたのが「曹洞宗ボランティア会(SVA)」という団体でした。
1981年、永平寺に修行にいく前の年、まだ東京にいた私の世田谷区上馬のアパートで学生たちが集まり相談をしていました。
懐かしい思い出です。
その後、団体は社団法人化して「公益社団法人シャンティ国際ボランティア会」となりました。
今では日本のNGO界の老舗などと言われ、大きな団体の一つに数えられています。
素人集団として始まったこの団体がここまで活動を続けてこられたのは、優れた指導者がいたからです。
有馬実成という人は、現代の菩薩と言われてもいいかもしれません。
あまり側にいると、嫌な部分ばかりが見えてしまうのですが、振り返ってみて、現在も続くこの団体の背骨を作ったのは間違いなくこの人でした。
残念ながら2000年の年に他界してしまいましたが、昨日は改めてその功績に手を合わせました。

昨日の集いでは、ゲストのスピーカー二人が招かれました。
タイのオラタイさんと、ラオスのスニターさんです。
オラタイさんはバンコクのスラムに生まれ育ち、貧困のための家庭問題に苦しみながら、シャンティがつくったスラムの図書館に毎日通い、全ての蔵書を読んだという女性です。
やがて、日本の東大にあたるチュラロンコン大学に入学し、現在ロシアの外交官として活躍しています。
スニターさんは、母一人娘6人の長女として生まれ、母を助けて漬物売りをしながらながら学校に通いました。
10歳の時シャンティが運営する「子どもの家」と出合い、本を読む喜びと伝統舞踊を覚えました。
レストランでダンスを踊りながら学費を稼いで大学を卒業し、ラオス国営テレビのアナウンサーとなった女性です。
二人が話の中で強調していたのは、一冊の本には人生を変える力があるということ。そして、母親を助けたいという一心で頑張ってきたということでした。
自分のヒストリーを涙ながらに語る姿に涙を流しながら聞き入りました。
いい35周年になったと思います。



三ちゃんのサンデーサンサンラジオ84

2016年12月04日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

おはようございます。
今日は12月4日です。
いつの間にか師走になっていました。
月日はバタバタと過ぎていきます。

先週もまたバタバタと過ごしてしまいました。
日曜日に千葉県富津市から長崎に向かいました。
佐世保の護国寺さまの成道会、お釈迦様お悟りの日の法要の法話に招かれていたのです。
佐世保は坂と軍港の街でした。
佐世保の軍港の歴史は古く、明治22年には日本海軍佐世保鎮守府が置かれました。
大戦後の昭和20年からはアメリカ海軍が駐留し、現在も海上自衛隊の基地と並んで存在しています。
山育ちの人間にとっては、大きな軍艦や造船所の巨大クレーンなどが、恐ろしいもののように見えて心が落ち着かない感じになりました。
護国寺さまには、前晩からご馳走になり、佐世保を案内してもらい、色々なお話を聞かせていただきました。檀家さんに喜んでもらうアイデアをたくさんお持ちで、とても参考になりました。
奥様とは御詠歌の話で盛り上がり、お人柄で心がほんわか暖かくなりました。
佐世保と言ったら、ということで、佐世保バーガーをいただきましたが、大きくて一つで満腹になりました。

佐世保に27・28日と二泊させていただく予定でしたが、連絡が入り急遽山形に戻らなければならなくなりました。
新庄の友人の父親が亡くなって、葬儀に来てほしいという連絡です。
高校山岳部の友人荒井くんは9年前に亡くなりました。
その葬儀や法事を務めるお父さんの姿に胸を痛めていました。
お父さんは、昭和二年度開拓の二世で、生涯りんご農家として奮闘努力をされてきました。
「岩をばおこし 土を掘り いばらの谷を踏み分けて…」と御詠歌にありますが、その通りの開墾の歴史だったと想像します。
体が弱られてから、「誰かりんご園を継いでくれる人はいないだろうか」と相談されたことがありました。
頼りにしていた息子に先立たれ、せっかくここまで育ててきたりんごの樹をそのまま無駄にしてしまうのは忍びないという気持ちが痛いほど伝わってきました。
何人かあたってみたりしたのですが、私の知る範囲では限界がありました。
葬儀に伺うと、何と外孫の春樹さんが、「私が継ぐことになりました。手伝ってくれる人も見つかりました。おじいちゃんにそれを見せることができてよかったです」と挨拶してくれました。
私が「君が継ぐのが一番いいんじゃないか」と言ったことを覚えてくれていたのだと思います。
安心しました。よかったね、荒井くん。お父さんをちゃんと見送ったよ。

それから、12月1日は東北管区教化センター40周年記念式典の集まりでした。
センターのお手伝いをさせていただいてから随分経過しましたが、ここに集う人たちはみんな純粋な情熱をもった人ばかりで、話をしていても酒を酌み交わしても楽しい時間が過ごせるので大好きです。
この日も、いつも以上に楽しく、語りかつ飲みかつ歌い、遅くまで仙台の夜を満喫しました。


今週はここまで、また来週お立ち寄りください。