なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンサンラジオ230 唇寒し

2019年09月29日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
♪゜・*:.。. .。.:*・♪
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第230回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

9月29日、日曜日。

一部
彼岸が過ぎ刈り入れの季節となりました。
心配された台風も当地にはさほど影響はなく、米もソバも豊作のようです。
毎年起こる自然災害は地球環境の危機を知らせるイエローカードのようなものかもしれませんが、16歳の女性にいくら怒られてもなかなか目を覚まさない大人は、将来「無責任世代」の烙印を押されるのでしょうね。
二部
「空気が冷たくなってきたね」
「エサ喰うのに口出すの嫌なぐらいだべさ」
鯉の気持ちを代弁してみました。この鯉北海道生まれだったのかい。なつぞらの影響だな。
この頃は水温より空気の方が温度が低いでしょう。空気が冷たいから口を水から出すのが億劫という感じではないかと想像してみました。
鯉からみれば、水が棲み家であり、空気は外界。
波が立つのは水が動いていると我々は思っていますが、厳密にいえば、水と空気の境界が上下しているわけで、水から見れば空気が波立っているとも言えるでしょう。
水を動かしているのが風であれば、まさに動いているのは空気の方です。
「今日は空気が荒れてるねえ」「今日の空気は青いんでないかい」と眺めているかもしれません。
人と人は肌で境界が接しているわけではないので、自分は自分、相手は相手と見えるかもしれませんが、言わば水と空気のような関係で、荒れている時はお互いの境界が荒れているのでしょうし、一方が鎮まれば共に鎮まるものなのでしょう。
  エサ喰えば 唇寒し 秋の空
三部
夏痩せという経験がありません。
体重は変わらないどころかむしろ順調に増えています。
原因はハッキリしています。
食べ過ぎと動かないこと。カミさんの食事がうまいことも原因かもしれません。
「肥えさせて売るつもりか?」
「売れるならね、こづかいにする」
「こづかいかよ」
体が重いし売られる前にいよいよ何とかしなければならないと重い腰を上げました。
9月の体重記録カレンダーに「減量強化月間」と明記して、頑張ってきました。
なのに、途中上下はありながら、月はじめと月末で記録に変化がありません。
本当に努力したのですよ。
まずは体を動かさないとと、埃まみれのルームウオーカーを出して毎朝30分歩きました。距離は2キロちょっと。それでも減りません。
ルームウオーカーで歩くのは退屈なので、お伴にヘッドホンで英会話のCDを聴いています。体重が減り耳が肥えればいいのですが。
やっぱり食事だなと、家にいるときは酒を飲まず、食べる量もセーブして、終いにはコンニャクゼリーで小腹を抑えつつ、涙ぐましい努力を続けてきました。エライ!
にもかかわらず。
やはり収支のバランスですかね。内部留保が多いのでしょう。消費税を10%に上げて締め上げなければなりません。
10月は「続減量強化月間」です。

今週はここまで。来週に続けよ。

サンサンラジオ229 メガネ変えた?

2019年09月22日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
♪゜・*:.。. .。.:*・♪
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第229回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

9月22日、日曜日。

お彼岸です。

一部
月曜日は、気仙沼清涼院のやなせななコンサートへ。
松林寺の集中講座にお仲間を連れて来てくれたので、今度はこちらからと、男衆5名で出かけました。
お揃いの紫のTシャツです。これも清涼院さんが来てくれた時にお揃いのポロシャツを着ていたので「悔しいから俺たちも出かけるときはお揃いのTシャツで」ということで作ったものです。
清涼院さんは広々とした素晴らしい境内と立派な伽藍で、カラオケ宴会もできるステージ付きの建物もあり、イベントには最適です。
コンサートはヴァイオリンも加わった5名のバンド編成で、ななさんも気持ちよく歌っていたようです。
終わっての打ち上げは、こちらも大盛り上がり。酒を飲み、語り、歌い、抱き合い。つながりを更に強くする宴会でした。
最上の男衆は、運転手をのぞいて出発と同時に乾杯で、食べては飲み、車に乗っては飲み、次の日も朝から帰り着くまで飲み続けでした。
更に帰ってから気仙沼ホルモンを焼きながらすぐに反省会。飲まずに運転してくれた男の慰労をしなければなりません。
ということで、ほろ酔いならぬどろ酔いの2日間でした。

二部
金曜日、彼岸の入日は毎年御詠歌による彼岸奉詠を行います。
今回は奉詠が終わってから尺八と琴による演奏会がありました。
今年まで3年連続で講師を務めた「心のセミナー」の主催者である千歳不動産の武田社長は尺八の師匠で「白龍」の名で琴古流尺八の師範をつとめておられます。
更に、普化宗尺八(虚無僧尺八)の免許もお持ちで、毎年各地で演奏をされている尺八の大家なのです。
社長から「心のセミナーでこれまでお世話になった恩返しに寺で演奏をさせていただきたい」という申し入れがありお願いしたというわけです。
お弟子さん方2名の尺八と琴の演奏も加えて彼岸供養の演奏を奉納していただきました。
白龍師匠が虚無僧の姿で現れると、本堂は静まり返り、風のような竹の音に引き込まれて行きました。
尺八は元々お寺の法器として使われていたようで、お経と同じような意味があったとのこと。お寺にピッタリのはずです。
ススキも飾って、秋の夜のいい時間となりました。


三部
「メガネ変えた?」
「確かに変えたけど、数か月前ね。それからあなたと何回か顔を合わせているけど、今更?」
ということがありました。
人はあまり人を見ていないんだなということが分かりました。
自分が気にするほど相手は自分のことを気にしていないし、顔やメガネなど些末なことは目に入っていないのでしょうね。
初対面であれば外見が気になるかもしれませんが、身近になればなるほど、外面よりも内面を見るものなのでしょう。
だから、表面のことはあまり気にしないほうがいいですよ。見ているのは本体の方ですから。
  皮一枚の肌を磨くより
  命を磨き、命を輝かせ
という言葉を作りました。それが例のTシャツのバックプリントになっています。
外面よりも人間を磨き輝かせていきましょう。



Tシャツが欲しいという方は連絡ください。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

サンサンラジオ228 自己嫌悪と記憶

2019年09月15日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
♪゜・*:.。. .。.:*・♪
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第228回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

9月15日、日曜日。

今年の春に地元の男衆が休耕田に植えた蓮が見事に咲きました。
移植1年目で咲くのは珍しいらしく、男どもは「気持ちの問題だ」と胸を張っています。
確かに、立小路駅の正面で松林寺の隣ですから、駅からも列車からもまた墓参りの人にも見てもらえる場所で、「みんなに喜んでもらいたい」という思いからの行動でしたから、気持ちがこもっていたのは間違いありません。ただの酒飲みではありません。
来年にはもっともっと多くの花が一面に咲くでしょう。男どもは更に隣の休耕田にも蓮田を広げる計画のようですから楽しみです。

先日、ある人と話をしている中で、「若いころは自己嫌悪でひどかったんだよ」という話をしました。
実際特に二十代前半のころ、毎日自分を責める息苦しい日々を過ごしていました。
「どうやって解消したんですか」
自己嫌悪になる原因は「暇だから」だと思い、とにかく暇を作らないように手当たり次第に用事を入れ、スケジュール表が予定でビッシリになることを喜びとしていました。
そのうちに、自分を見つめる時間がなく、それが自己嫌悪解消につながったと思います。
更に後年、ここでも何度も言っていることですが、過去を振り返らない、思い出はいらない、記憶を捨てよ、という思いに至り、過去の嫌な思い出が浮かんで来たら、頭を振って振り払うようになりました。
そんな話をしていて気がつきました。
自己嫌悪は記憶から生まれるのだと。
過去の自分を思い出し、その姿に嫌悪するのですね。
「今言ってしまったことに自己嫌悪する」ということもあるかもしれませんが、厳密にいえばその「今」もちょっと前の過去の記憶です。
過去に行ってきた自分の行いは紛れもなく自分の行いで、消し去ることはできませんが、それを思い出してみたところで何のためにもなりません。
反省はあってもいいかもしれませんが後悔は意味がありません。
「じゃあ、言いっぱなし、しっぱなしでいいのか」ということになりますが、過去の記憶に嫌悪して「今」をちゃんと生きられなくなるならその方がいいと思います。
過去に振り回されて今をちゃんと生きないから、それが新たな自己嫌悪を生むのですから、記憶による自己嫌悪の再生産、悪循環となります。
「前後裁断」。過去の記憶も未来の不安も断ち切って今を生きる以外にないのです。

反省もあえてしなくても、無意識の中で体は覚えているように思います。
一度転んだ経験のある場所では、体が無意識に反応するでしょう。
反省がなければ同じ過ちを繰り返す。だけど、反省しても繰り返したりします。
繰り返して迷惑をかけたとしても、それはその人の問題で、それを見て腹を立てるのは立てる人の問題です。
同じように、「過去の自分」に後悔して嫌悪を感じるのは「今の自分」の問題です。
誰かに嫌われたっていいじゃないですか。そんなことを気にするより、今自分がすべきこと、自分を磨き自分を輝かせることは何かを考え実行に移すことの方が重要な課題だと、私には思えます。
少なくともそれが、私の自己嫌悪から抜け出す方法でした。

中島みゆきも歌っています。
  思い出なんか邪魔な荷物 急いで捨てることさ 傾いた船べりから (難破船)

過去の自分に振り回されない、過去の記憶で今を無駄にしない、今を生きる、今を生きる。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

写真©奥山勝明




サンサンラジオ227 そのままでいい

2019年09月08日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
♪゜・*:.。. .。.:*・♪
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第227回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

9月8日、日曜日。
早くも9月第2週目。
この1週間は何故か特に早かったように感じます。

先週の用事は、水曜日に東北管区教化センターの教化フォーラムで、「生きるための修証義」と題して5章を5回に分けて話させていただいている第4回目。
結構時間をかけて準備をしているので、話したいこともたくさんあります。それでも1時間30分の時間の中に納めなければなりません。
13時35分から15時5分まで話をしてその後15分の質問の時間という打ち合わせで了解していました。
ところが、話しているうちに何時で終了なのか分からなくなっていました。
「時間が足りなかったら質問の時間いっぱいまで話してもらっても結構です」という事前の言葉が頭に残っており、それを足すと終了は15時40分かなと、何故か勝手に思い込んでしまいました。
話しながら、「まだこんなに時間があるんだ」と思ったことも事実です。
なので、最後の部分に充分時間を使い、気持ちよく話をして15時25分に終了しました。
なんということでしょう。
司会者が「2時間あまり充分お話しいただいて、質問の時間が無くなってしまいました」と。
それではじめて時間の間違いに気づきました。
いやー申し訳ない。いつもは時間キッチリにあるいは時間前に終わるのが常で、延びるのはいけないことだと思っているので面目ないことです。
その中でこんな話をしました。
「布施というは貪らざるなり」ということは、施して見返りを求めないこと。
挨拶も言葉の布施行だが、こちらから挨拶をして返事がないと「なんだ返事もなしか」と怒りを感じてしまいます。
施しっぱなしでいいのに、返事という見返りを求めると怒りになる。つまり貪りが怒りを生むということです。
お代官様に饅頭を施した越後屋に、底に小判が潜んでいるのを見て「越後屋お主も悪よのう」というのは、その施しが見返りを求める下心があることを知っているからです。
見返りを求める気持ちがなければ、饅頭も小判も布施になり越後屋は善人であるはずなのに、貪りがあるばかりにそれは賄賂となり悪と呼ばれます。
貪りを承知で受け取る側にも貪りがあります。そのために饅頭も小判も汚れたものになってしまいます。
布施か賄賂かは貪りがあるかないかの違いです。
というような話でした。

今月の掲示板の言葉は次のようなことを書きました。
 
 飾らず
 ありのままでいい
 自分に、自信をもて

人生は誰かと比べてみても意味がありません。
自分は自分の人生しか生きられないのですから。
他人がどんなに周りからチヤホヤされようとも、それがその人の価値かどうかは何とも言えません。
チヤホヤされることが幸せかどうかも分かりません。たとえその人が幸せを感じていたとしても、それがいつまで続くかも分かりません。
なにより、その人が幸せだとしても、それであなたが不幸というわけでもないでしょう。
幸せは比べるものではありません。
それなのに、比べてうらやんだり、ねたんだりすることで自分がみじめになるのはバカげたことです。
自分に自信がある人は人をうらやんだりしません。
人の成功はおめでたいことであり、褒め称えることです。
人の善い行いを我がことのように喜ぶ心を「随喜(ずいき)」と言います。
そうすると、その人も善い行いをしたことと同じになるというのが布施の教えです。
あなたはあなたのままでいい、誰かに見られるからといって飾る必要はありません。
飾るのは、自分以上に見せようという貪りの心です。
自分以上に見せようとして自分と乖離して苦しみを生みます。
あなたの価値はあなたにも誰にも分からないことですから、自慢することも卑下することもありません。
ありのままという自信をもてばいいのです。
あなたのままで、自分に自信をもちましょう。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

サンサンラジオ226 一日1円

2019年09月01日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
♪゜・*:.。. .。.:*・♪
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第226回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

9月1日、日曜日。

早や9月となりました。
一日一カ月と死に近づいています。
のっけから暗い挨拶で済みませんが、ふとそんな風に思ってしまったものですからそのまま口をついて出てしまいました。
でもそれは変えられない事実で、命に終わりがある限り、生きているということは死に近づいているということです。
でも、こういう考え方もできるかもしれません。
この命がいつ終わるともしれないものであるならば、それは今日かもしれない。
その命が今日ここにあるということは、今日一日寿命が延びたのだと。
今日限りの命が今日の分延びたのだと考えれば、それは死に近づくのではなく、一日一日寿命を延ばしているのだと。
人生80年として、約30000日。
生まれたときに30000円預かって毎日1円ずつ使っていく。63年生きれば残りは7000円だと思えば寂しくなるけれど、元々預かり金はなくて、一日1円ずつ積み重ねていくのだと考えれば生きた分の貯金ということもできます。
今日の1円分を生きればいいことです。

先週は、東京、大宮、宇都宮でした。
東京はシャンティの理事会で午後いっぱい会議と研修会。終わって懇親会。
大宮は、SVAシャンティの第一世代の会。1980年から81年にカンボジア難民キャンプに赴いたボランティア仲間の集まりです。
あの頃みんな若かった、ということで、失敗話、恥ずかしい話、無謀な話、一気に40年前によみがえり気持ちが若返る時間となりました。
ただ、それぞれ体力が衰えていることは否めなく、夜9時ころになると「もう疲れたから帰ろう」と年寄りじみた発言にみんな同意してしまいました。年寄りは寝るのが早い。
宇都宮は、祥雲寺様のお施餓鬼の法話、3年目です。
本堂には今年から冷房が入り、皆さんも私も楽でした。
地球がどんどん暑くなり、これまでとは違うので、それなりの対策はしなければならないでしょう。
それによって外気がさらに暑くなることは避けられませんが、しかたありませんね。
その原因が人間の生活様式に起因していることは明らかで、だとするならば我々一人一人が何とかしなければならないのですが、分かっていながら他人事にしてしまっています。

金曜日はシャンティの用事で鶴岡善宝寺様にお邪魔してきました。山主様にお会いして色々お願いをさせていただきました。
山内のご案内もいただきました。
その中で、目に留まったのは善宝寺開基龍華妙達上人のお木像でした。
これは、妙達上人ご生誕1150年祭にあわせて平成29年に作られたもので、現代の若き名工、京仏師櫻井覺山の作です。
その表情、質感ともとても素晴らしく、見惚れてしまいました。
善宝寺様でもこの仏師を大変気に入って、更に観音像の制作を依頼しているとのこと。
現在作業に入っている五百羅漢の修復が完成するのは16年後とのことですが、隅々まで掃除がいきわたり見るものはたくさんあり、今後益々参拝者が増えるだろうと予測されます。

それでは今日も1円分をしっかり生きて積み重ねていきましょう。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。