幼くして父親を亡くした父の幼少期は、筆舌に尽くしがたい苦労の中にあったと聞いています。
貧しさはもちろんのこと、その故のみじめさ、残酷さは、その時代の必然とは言え、他人には計り知れないものがあったのでしょう。
その後、まさに仏縁によって寺の住職となり、後半生は人並みの穏やかな日暮らしができたものと思います。
しかし、子どもの頃の体験がそうさせたものでしょうか、高学歴や裕福な相手に対しては、卑屈なぐらいに低姿勢になる父の姿がありました。
反面、貧しい暮らしの家に行くと、気を許してその場にいるように子どもの目には映りました。
30歳から39年間民生児童委員を務められたのも、単に暇だからというわけではなく、貧しさや困難な生活の人の苦しみが我が事として感じられたからではなかったかと思われます。
そんなことを今ひるがえって考えてみて、自分がボランティアなどの関係に身を置いているのは、実は父のDNDから来るものかと思われたことでした。
あれほど嫌いな父でしたが、その血が自分の体の中に間違いなく流れているのだと感じられます。
今では嫌いであったことすら忘れてしまいそうです。
父が亡くなって、今更になっていろんな事が考えられます。
生きていた頃よりも、死んでからの方がずっと素直に父のことが受けとめられます。