なあむ

やどかり和尚の考えたこと

三ちゃんのサンデーサンサンラジオ105

2017年04月30日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
♪゜・*:.。. .。.:*・♪
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

4月30日、日曜日です。

今日は血脈と戒名の話をしたいと思います。
まず血脈ですが、血液の「血の脈」と書いて「ケチミャク」と読みます。
表に「血脈」と書かれた紙に包まれたものです。
その中身はというと、一枚の長い紙が折りたたまれて入っています。
そこに印刷されているのは、お釈迦様から歴代の和尚様方のお名前です。
お釈迦様の教え「法」を受け嗣(つ)ぐ、これを「嗣法(しほう)」と言いますが、それはちょうど、「一つの器の水を次の器に移すように」受け嗣がれてきたもので、お釈迦様から数えると私が86代目になります。
その歴代の和尚様方のお名前を貫くように赤い線が引かれ、最後にまたお釈迦様に帰ってつながっています。
この赤い線が、師匠と弟子が親子の血のつながりであるかのごとくに表現されるので「血脈」と言われるようになりました。
ですからこの血脈は、本来師匠から弟子に法を嗣いだ証しとして渡されるものです。
現在は、「得度」つまり弟子になった時点で授与され、また死者に対して葬儀に先立ち授与されます。
なぜ葬儀に際して死者に血脈が授与されるのかと言えば、仏式の葬儀は仏弟子、仏教徒であるからその儀式で行われるのであって、仏教徒でない者を仏式で葬儀するわけにはいかないからです。
生前正式に仏教徒となる機会がなかった者に、死後にその儀式をして仏教徒としてから葬儀を執り行うというのがその意味です。
そして、仏教徒となった名前が「戒名」なのです。
謂わば、キリスト教で言えばクリスチャンネーム、洗礼名ですね。

で、戒名ですが、今言ったように、仏教徒となった名前が戒名ですから、仏教徒にならなければその名前はもらえません。
仏教徒になるには仏教徒としての戒律を受けなければなりません。
曹洞宗の場合16条の戒律、守るべき教えがあります。
それを授けてもらって、それを守ることを誓ってはじめて仏教徒となり仏教徒の名前、戒名をいただくことができるのです。
今ネットを見ると、戒名が商品のように2万円3万円と値段がついて売られているようです。
何でも売られ、買える世の中がいいことだとは思えません。その意味を納得し意義を伴わなければ、戒名が飾りのように成り下がってしまうでしょう。

今回なぜこんな話をしようと思ったかというと、お檀家で生前に戒名をいただきたいという依頼があって、5月初めにその儀式を行うことになっています。その為の血脈を準備しなければなりません。
葬儀用の血脈も少なくなっていたので、少しまとめて作ることにしました。
一枚一枚紙を折りながらの作業、筆で表書きをする作業はそれなりに手間がかかりますが、それでもできたものを並べると、なかなか壮観でいい感じに見えました。
こんなのを写真で見せたら欲しいという人がいるだろうなと思いながらFacebookにUPすると、案の定「欲しい」という声がアチコチから上がりました。
仏教徒になる儀式ですから、師匠になる和尚さんは自分が信頼できる方にお願いすればいいのですが、血脈は葬儀の時にそのまま使えるので、戒名も同じになります。
授けてくれた師匠と葬儀の導師が同じなら問題はありませんが、違う場合、導師が「この戒名ではダメだ」となることもあります。
それを承知の上で、生きているうちに正式な仏教徒となり、戒名をいただき、仏教徒の自覚をもって生きていきたいと思われる方には、正式な儀式を行った上で戒名と血脈を授けることはできます。
心の柱となる信仰を持つことは、社会の荒波を乗り越えていくために、また、悩み多い人生を生き抜いていくために大きな支えとなることは間違いありません。仏教徒と自覚することをお勧めいたします。
血脈をお守りのように「ください」と言われても差し上げるわけにはいきませんが、その意思がある方には「生前授戒」をいたします。どうぞご連絡ください。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。



三ちゃんのサンデーサンサンラジオ104

2017年04月23日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
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お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

4月23日、日曜日です。

大学時代に、わずかばかり「広告研究会」に在籍していたことがあります。
そのせいだということもありませんが、広告は好きで気になります。
最近のテレビコマーシャルで気になっているのは、
GUの「PALAZZOパンツ」のCMですね。
GUというのはファッション通販の会社なのでしょうか。よく知りませんが。
このCM、音楽に合わせてモデルの女性がダンスを踊るというだけの、わずか15秒の短い映像ですが、一度目にしただけで気になる存在になりました。
音楽と、ダンス、モデルの女性の組み合わせがいいのでしょうね。
音楽は、スキャットマン・ジョンの『スキャットマン』という名曲をCM用にアレンジしたもののようです。
ダンスの女性は、女優の中条あやみと内田有紀、とのこと。
ファッションには全く関心がないのですが、広告が気になったのでした。

そこで考えました。
このわずか15秒の間に、見ている視点はそれぞれの立場によって違うのだろうなと。
「このパンツいいかも」と思って見ている一般視聴者女性の他に、私のようにパンツ以外を見ている人もいます。
ファッション関係、業界の方々は、当然その「パンツ」に目が行くのでしょう。
それは売れるのか、値段はいくらなのか。それを見込んで、ちゃんと「¥1.990」と言っています。
音楽関係の人は、「ああ、これはあの『スキャットマン』だ。オリジナルかアレンジか」と聞き耳を立てているでしょう。
ダンサーは、「誰の振り付けだ」と気になっているでしょう。
映像関係者は、「ロケ場所はどこだ、カメラアングルは」とチェックしているでしょう。
タレント派遣会社の人達は、「キャスティングはどうだ、どこの事務所がやったんだ」と思うでしょう。
もちろん、広告関係の方は、「どこの誰が作ったCMだ、制作費はいくらだ」と気を揉んでいるでしょう。
他にも、テレビ局の人、GUの関係者、それぞれがそれぞれの思惑でこの15秒を凝視しているに違いありません。
コマーシャルだからといって、商品だけを見ているわけではないのです。

それは、法話をする布教師に対しても同じことでしょう。
話の内容ばかりに集中しているわけではないはずです。
どこから来た人だ。
年齢はいくつだ。
お坊さんは年齢が分からない。
背が低い。
体重は何キロあるんだ。
眼鏡がカッコいい。
この声キライ。
お袈裟と衣の色合いが合わない。
襟元がダラシナイ。
足袋が汚れていないか。
なんだかエラそうだ。
もう、話には関係ないところで色んなことを見ているでしょう。
そんなことに左右されずに、商品、布教師の場合は話の内容をどれだけ伝えられるか。
それは全くコマーシャルと一緒です。
商品を伝えると言っても、その名前だけを連呼しても誰も注目してくれません。
仏法を受け取ってもらうために、アレンジをしたり、目を引く工夫をしたりする必要があります。
そのあたりはコマーシャルに学ぶところがありますね。
GUのコマーシャルでは、「パラッツオパンツ1990円」とナレーションが一言。
CMコンセプトとしては、ここを伝えたいわけです。そのために15秒の映像を作ります。
一座の法話において、伝えたいことは何なのか、その一言を伝えるために話をどのように組み立てるのか、その工夫をしなければなりません。プロなのですから。
見る視点によって受け取り方は千差万別であることも分かっておく必要があります。

ということで、今週はコマーシャルについて考えてみました。
PALAZZOパンツ youtube


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。








三ちゃんのサンデーサンサンラジオ103

2017年04月16日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
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4月16日日曜日です。
ようやく雪も消え、雪囲い外しや、屋内に入れていた鉢物を外に出したり、人間の啓蟄のような動きが始まりました。
農家の農作業も本格始動しています。
次から次へとやることが目に見えて、気が急いてくるのが分かります。

次から次へとやることがあって、ゆっくり休む時間が取れないという状態を「忙しい」と言うと思いますが、私はこの「忙しい」という言葉があまり好きではありません。
「忙しい」と言いたいのは、どんな気持ちなのだろうかと考えてみます。
やることがいっぱいあって、休みが取れないから「疲れる」という意味なのか。
他の用事を押し付けられないための予防線なのか。
あるいは、これだけ用事が入っているのは「自分が有能だからだ」ということを言いたいのか。
いろんな役を頼まれて、あちこちから引っ張りだこで「モテて大変だ」と自慢したいのか。
バンバン働いて「儲かっている」というアピールなのか。
はたまた、忙しそうにすることがカッコいいと思っているためなのか。
いずれにせよ、自分から「忙しい、忙しい」と連発する人には、なんか鼻高な感じ、陳腐な感じがして「だから何?」と白けてしまいます。
忙しいからエライわけでもないでしょうに。

時間というのはみんな平等に決まっていて、一日は24時間、1周間は7日間です。
その時間をどう過ごすか、時間とどう向き合うかの問題であって、忙しいという人が一日36時間動くわけではありません。
もちろん、寝る時間もないぐらい働かされる、いわゆるブラック企業があることは知っています。
でもそれは、もはや「忙しい」という部類ではなく、強制労働とも言える、犯罪に近いものではないでしょうか。「忙しい」などという言葉も出ない状態なのだと思いますよ。
そこまでいかなくとも、「寝る時間も惜しんで」働かないと生活ができない、子どもを学校にやれないという人がいることも事実です。
でも、それも「忙しい」とは少し違うのではないかと思います。
必死で働いているときには、それが精一杯で、それ以外のことを考える余裕がない。
「忙しい」と言うときには、他にしたいことがあるというような、どこか余裕がある感じがします。

自分の時間は自分以外には使えないのですから、どんな時間も自分の時間として積極的に向き合う以外にないのだと思うのです。
ひとから使われている労働の時間も、その時間を使っている、生きているのは紛れもなく自分自身であり、仕事なら仕事を嫌々消極的にやるか、自分の時間として積極的に向かうかによって成果も満足度も違ってくるでしょう。ストレスも違うと思います。
ひとから使われている時間が自分の時間ではないのだとしたら、自分の人生からその時間が削除されるようなものでしょう。そんなことはありません。
忙しそうに動いている人も、暇でアクビをしている人も、同じ時間を生きているのであり、ほとんど同じだけの数の呼吸をしています。
だとすれば、その一呼吸一呼吸をどのように生きるか、一瞬一瞬の問題であり、その前に何があろうがその後に何があろうが関係がありません。誰かと比べるようなものでもありません。
「今」にどう向き合うかの問題なのです。
それを「前後際断」と言います。

よく「仕事は忙しい人に頼め」などと言いますが、色んなことを同時にできる人は、この前後裁断ができる人なのだと思います。
過ぎ去ったことにとらわれず、未だやって来ないことにとらわれない、簡単に言えば切り替えがうまくできる人ですね。
それから、どんな用事も楽しくやれる人。
楽しいことを「忙しい」とは言いませんからね。
さあ、全てを自分の時間と受け止め、一つ一つ楽しくやりましょう!
忙しくなどありません。ボチボチです。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。



©遠藤浩信エンドーフォト


三ちゃんのサンデーサンサンラジオ102

2017年04月09日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

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4月9日日曜日です。
昨日8日はお釈迦様のお誕生日、花まつりでした。
松林寺での法要は、月遅れの5月8日に行っています。
何しろ、4月はまだ肌寒く、花もまだまだ先のことですから。

昨年、ネパールに行ったとき、ここがお釈迦様ご生誕の場所だというルンビニーのマヤ堂を拝見しました。
上からのぞいて「あの石の上です」と案内されました。
そうですか、と、それはそれほどの感慨はありませんでした。
その後に、お釈迦様の育ったカピラバストゥ、カピラ城の跡地にも訪ねました。
かなり朽ちていましたが、4つの門の場所が示され、城壁の遺構もわずかに遺っていました。
お釈迦様、幼少のころのシッダールタ王子がここで過ごされ、悩み、結婚して、子どももできたその後に、ここからジャングルに出家された場所です。
どのように悩み、どのような思いで親と妻と子どもを置いてここから出たのか。
どのような思いでこの東の門からジャングルを眺めていたのか。
そう思うと、その同じ場所に立っていることに一方ならぬ感慨を覚えました。
生まれによってお釈迦様になったのではなく、修行の末お悟りを開かれてブッタ、お釈迦様になられたのです。
その原点は、「なぜ人は生きるのか」という「悩み」だったわけで、その悩みの場所がここだったのですから、そこに立てた方が私にとっては大きな意味を感じました。
花まつりには、お釈迦様の誕生を祝うとともに、出産7日後に亡くなられた母親マヤ夫人の苦しみと悲しみにも思いを馳せたいと思います。

さて、今日は、松林寺集中講座についてご案内させていただきます。
第12回目を迎えた今回も、素晴らしい講師陣を迎えます。
毎回、音楽と、仏教の話、お笑いの三本柱で構成していますが、今回もその内容です。
まず音楽は「青春の詩Ⅲ+沢田知佳のフォークライブ」です。
青春の詩Ⅲというのは、私の同級生の二人組で、共にアマチュアですが、ギター演奏と歌でそれぞれCDも出しています。
今回は故郷に錦を飾るライブとなります。二人の友人の群馬県在住の歌手沢田知佳さんが友情出演してくれることになりました。
フォークソングだけではなく、演歌も交えてくれるはずです。どうぞ楽しみにしてください。
講演は、福島市の住職、渡辺祥文老師にお願いしました。
全国で布教を行う曹洞宗の特派布教師ですが、昨年はヨーロッパの寺院も布教巡回されました。
また、原発事故以来、放射能と命の問題を人権の視点から訴え続けていらっしゃる方です。
最後は露の新治師匠に、上方落語の面白さをたっぷりと語っていただきます。
師匠はその実力が認められ、昨年「文化庁芸術祭優秀賞」を受賞されました。
集中講座にはもう5回目のご口演となりますが、今回は講演をはさんで前後2回の高座を楽しんでもらいます。

開催日時は、6月4日日曜日、午後1時半開講、終了が5時半の予定です。
チケットは、前売り1000円、当日1500円です。
また、境内にて毎回好評の門前市が開店します。地産品や手作りの品々も並びます。こちらもお楽しみにしてください。
チケットは、メールやFAXでお申し込みいただきますと、前売り料金でお受けできます。
詳しくはブログのチラシをご覧ください。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。


三ちゃんのサンデーサンサンラジオ101

2017年04月02日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
♪゜・*:.。. .。.:*・♪
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

4月になりました。
それなのにまだ寒いです。
今年は降る雪の量は少なかったのですが、彼岸が過ぎても気温が上がらないせいで、雪の解け方が遅いです。
春はまだ先という感じですね。

先日30日、一つの事業の打ち上げをしました。 
東日本大震災支援の一つとしてシャンティが行ってきた移動図書館活動「走れ!東北 移動図書館プロジェクト」山元事務所の活動が3月いっぱいで終了となりました。
これまで頑張ってくれたスタッフ4名を鳴子温泉で慰労し、共ににぎやかな一夜を過ごしました。

震災の年の7月に岩手で走り始めた移動図書館車。
当初、震災の支援活動として移動図書館というのはどうかなと懸念もありましたが、津波で図書館も流された岩手の支援としてスタートしました。
その後、宮城、福島へと活動は広がり、図書館車も各方面から寄贈いただいたりして、初代の軽トラ号から数え都合5台に上りました。
シャンティの活動は、37年前のカンボジア難民キャンプでの移動図書館活動を原点としていますから、その経験と蓄積が東日本の被災地でも活きました。

各地の仮設住宅を回り、「立ち読み、お茶のみ、おたのしみ」をキャッチフレーズに、気軽に立ち寄れる場所として利用していただきました。
本の種類も、固い本だけでなく、雑誌や新聞、漫画本、コミック誌などなど、普段図書館を利用しない方にも立ち寄っていただけるように工夫してきました。
リクエストにも応えました。
家族を失って一人暮らしをする男性からは料理本が求められました。
女性からは編み物や趣味の本が人気でした。
出来た作品はお茶のみの場に飾られ、そこからまた話が弾みました。

図書館のいいところは、借りた本を返すという性質があるところですね。
次にやってくるときに借りた本を返す。また借りる。
という具合に、連続していくところです。
そのうちに顔なじみなります。
お茶を飲みながらいろんな話をするきっかけとなります。
単発のイベントやサンタクロースのような支援ではなく、決まった時に必ずやってくるという安心感が大事だったように思います。
「こんな天気だから来ないかと思った」と言われた雨の日も雪の日も、必ず行きました。
5年7カ月で、本を借りた人は延べ6万1千人。貸し出した図書は延べ13万3千冊に上りました。
本を借りずに立ち寄ってお茶を飲んだだけの人も数えると、その数はかなりになると思います。
まだ使える図書館車は地元の自治体や活動団体に寄贈して、第2第3の活動が始まっています。

図書館車の運行最終日に、スタッフは利用者から手紙をいただきました。
親子で書いてくれた方もいました。
その中のお一人はこう書いてくれました。
「一日を過ごすことが精いっぱいで、私に『明日』は存在しませんでした。移動図書館のカレンダーをもらってから『この日が楽しみ』と思えることが再びできるようになったんです。嬉しかった!!」
たかが1冊の本ですが、その一冊の本が「明日」を取り戻し、希望を抱くきっかけになったのだとしたら、この活動はとても意味があったと思います。
被災地での移動図書館。特に今回の大震災のような長期化する被災地には有効な活動であったと改めて思います。
岩手の図書館活動を6月いっぱいで終了しますが、シャンティの支援は、今後福島県南相馬市小高区の帰還者への寄り添い活動として継続していきます。
こちらは、手探りで活動を続けていきますが、もう少し側にいさせてもらう予定です。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。