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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。
4月30日、日曜日です。
今日は血脈と戒名の話をしたいと思います。
まず血脈ですが、血液の「血の脈」と書いて「ケチミャク」と読みます。
表に「血脈」と書かれた紙に包まれたものです。
その中身はというと、一枚の長い紙が折りたたまれて入っています。
そこに印刷されているのは、お釈迦様から歴代の和尚様方のお名前です。
お釈迦様の教え「法」を受け嗣(つ)ぐ、これを「嗣法(しほう)」と言いますが、それはちょうど、「一つの器の水を次の器に移すように」受け嗣がれてきたもので、お釈迦様から数えると私が86代目になります。
その歴代の和尚様方のお名前を貫くように赤い線が引かれ、最後にまたお釈迦様に帰ってつながっています。
この赤い線が、師匠と弟子が親子の血のつながりであるかのごとくに表現されるので「血脈」と言われるようになりました。
ですからこの血脈は、本来師匠から弟子に法を嗣いだ証しとして渡されるものです。
現在は、「得度」つまり弟子になった時点で授与され、また死者に対して葬儀に先立ち授与されます。
なぜ葬儀に際して死者に血脈が授与されるのかと言えば、仏式の葬儀は仏弟子、仏教徒であるからその儀式で行われるのであって、仏教徒でない者を仏式で葬儀するわけにはいかないからです。
生前正式に仏教徒となる機会がなかった者に、死後にその儀式をして仏教徒としてから葬儀を執り行うというのがその意味です。
そして、仏教徒となった名前が「戒名」なのです。
謂わば、キリスト教で言えばクリスチャンネーム、洗礼名ですね。
で、戒名ですが、今言ったように、仏教徒となった名前が戒名ですから、仏教徒にならなければその名前はもらえません。
仏教徒になるには仏教徒としての戒律を受けなければなりません。
曹洞宗の場合16条の戒律、守るべき教えがあります。
それを授けてもらって、それを守ることを誓ってはじめて仏教徒となり仏教徒の名前、戒名をいただくことができるのです。
今ネットを見ると、戒名が商品のように2万円3万円と値段がついて売られているようです。
何でも売られ、買える世の中がいいことだとは思えません。その意味を納得し意義を伴わなければ、戒名が飾りのように成り下がってしまうでしょう。
今回なぜこんな話をしようと思ったかというと、お檀家で生前に戒名をいただきたいという依頼があって、5月初めにその儀式を行うことになっています。その為の血脈を準備しなければなりません。
葬儀用の血脈も少なくなっていたので、少しまとめて作ることにしました。
一枚一枚紙を折りながらの作業、筆で表書きをする作業はそれなりに手間がかかりますが、それでもできたものを並べると、なかなか壮観でいい感じに見えました。
こんなのを写真で見せたら欲しいという人がいるだろうなと思いながらFacebookにUPすると、案の定「欲しい」という声がアチコチから上がりました。
仏教徒になる儀式ですから、師匠になる和尚さんは自分が信頼できる方にお願いすればいいのですが、血脈は葬儀の時にそのまま使えるので、戒名も同じになります。
授けてくれた師匠と葬儀の導師が同じなら問題はありませんが、違う場合、導師が「この戒名ではダメだ」となることもあります。
それを承知の上で、生きているうちに正式な仏教徒となり、戒名をいただき、仏教徒の自覚をもって生きていきたいと思われる方には、正式な儀式を行った上で戒名と血脈を授けることはできます。
心の柱となる信仰を持つことは、社会の荒波を乗り越えていくために、また、悩み多い人生を生き抜いていくために大きな支えとなることは間違いありません。仏教徒と自覚することをお勧めいたします。
血脈をお守りのように「ください」と言われても差し上げるわけにはいきませんが、その意思がある方には「生前授戒」をいたします。どうぞご連絡ください。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。
4月30日、日曜日です。
今日は血脈と戒名の話をしたいと思います。
まず血脈ですが、血液の「血の脈」と書いて「ケチミャク」と読みます。
表に「血脈」と書かれた紙に包まれたものです。
その中身はというと、一枚の長い紙が折りたたまれて入っています。
そこに印刷されているのは、お釈迦様から歴代の和尚様方のお名前です。
お釈迦様の教え「法」を受け嗣(つ)ぐ、これを「嗣法(しほう)」と言いますが、それはちょうど、「一つの器の水を次の器に移すように」受け嗣がれてきたもので、お釈迦様から数えると私が86代目になります。
その歴代の和尚様方のお名前を貫くように赤い線が引かれ、最後にまたお釈迦様に帰ってつながっています。
この赤い線が、師匠と弟子が親子の血のつながりであるかのごとくに表現されるので「血脈」と言われるようになりました。
ですからこの血脈は、本来師匠から弟子に法を嗣いだ証しとして渡されるものです。
現在は、「得度」つまり弟子になった時点で授与され、また死者に対して葬儀に先立ち授与されます。
なぜ葬儀に際して死者に血脈が授与されるのかと言えば、仏式の葬儀は仏弟子、仏教徒であるからその儀式で行われるのであって、仏教徒でない者を仏式で葬儀するわけにはいかないからです。
生前正式に仏教徒となる機会がなかった者に、死後にその儀式をして仏教徒としてから葬儀を執り行うというのがその意味です。
そして、仏教徒となった名前が「戒名」なのです。
謂わば、キリスト教で言えばクリスチャンネーム、洗礼名ですね。
で、戒名ですが、今言ったように、仏教徒となった名前が戒名ですから、仏教徒にならなければその名前はもらえません。
仏教徒になるには仏教徒としての戒律を受けなければなりません。
曹洞宗の場合16条の戒律、守るべき教えがあります。
それを授けてもらって、それを守ることを誓ってはじめて仏教徒となり仏教徒の名前、戒名をいただくことができるのです。
今ネットを見ると、戒名が商品のように2万円3万円と値段がついて売られているようです。
何でも売られ、買える世の中がいいことだとは思えません。その意味を納得し意義を伴わなければ、戒名が飾りのように成り下がってしまうでしょう。
今回なぜこんな話をしようと思ったかというと、お檀家で生前に戒名をいただきたいという依頼があって、5月初めにその儀式を行うことになっています。その為の血脈を準備しなければなりません。
葬儀用の血脈も少なくなっていたので、少しまとめて作ることにしました。
一枚一枚紙を折りながらの作業、筆で表書きをする作業はそれなりに手間がかかりますが、それでもできたものを並べると、なかなか壮観でいい感じに見えました。
こんなのを写真で見せたら欲しいという人がいるだろうなと思いながらFacebookにUPすると、案の定「欲しい」という声がアチコチから上がりました。
仏教徒になる儀式ですから、師匠になる和尚さんは自分が信頼できる方にお願いすればいいのですが、血脈は葬儀の時にそのまま使えるので、戒名も同じになります。
授けてくれた師匠と葬儀の導師が同じなら問題はありませんが、違う場合、導師が「この戒名ではダメだ」となることもあります。
それを承知の上で、生きているうちに正式な仏教徒となり、戒名をいただき、仏教徒の自覚をもって生きていきたいと思われる方には、正式な儀式を行った上で戒名と血脈を授けることはできます。
心の柱となる信仰を持つことは、社会の荒波を乗り越えていくために、また、悩み多い人生を生き抜いていくために大きな支えとなることは間違いありません。仏教徒と自覚することをお勧めいたします。
血脈をお守りのように「ください」と言われても差し上げるわけにはいきませんが、その意思がある方には「生前授戒」をいたします。どうぞご連絡ください。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。