なあむ

やどかり和尚の考えたこと

便り

2014年07月17日 21時22分44秒 | 松林寺

谷川俊太郎の「便り」という詩に、

  この春当地にては
  葬式ふたっつ結婚式みっつっつ
  とどこおりなく相すませ

というのがありましたが、今月私には、葬式4つ、結婚式3つあります。

葬式は重なる時には重なるものですが、月に結婚式3つというのは珍しいと思います。しかも、一日おいて同じ会場での披露宴となりました。

おめでたいことです。

それはさておき、現在松林寺では来年開創400年を迎えるにあたり、記念誌の作成を行っています。

今日は、開山堂の仏像と位牌を点検し写真に収めました。

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おそらくは本堂落慶の昭和39年以来、全て下ろして掃除したことはなかったと思われ、全ての位牌が揃っていることを確認したのとほこりを払うことができたことで、いい機会となりました。

その中で最も古い仏像は、元禄17年に造立された御開山から三世までの三体で、今から310年前のものであることが判明しました。

松林寺の本堂はその後に焼けているので、その際焼失を免れたものと思われます。

仏像の点検はもう少し続きますが、編集のお手伝いをいただいている檀家さんたちと、古を偲びながら400年を振り返っているところです。


大般若祈祷

2013年06月07日 18時57分52秒 | 松林寺

毎週の行持が続いていますが、明日は松林寺の大般若祈祷会です。

毎年6月第二土曜日がその日になっています。

大般若経巻六百巻を転読します。玄奘三蔵法師が苦労して16年かけて天竺から唐に将来し、20年かけて翻訳した大般若経。その功徳の高さに、パラパラと転読する風に当たっただけで御利益があると、古くから祈祷会に読まれてきました。

年に一度の大きな寺の行持なのですが、集中講座に比べると楽だと思えます。

いえ、決して手を抜いているわけではありません。

正法興隆、世界平和、風雨順調、五穀豊穣、家内安全、身体堅固、併せて、被災地早期復興、原発事故早期終熄、被災者各々身心安寧を祈ります。

祈祷札は、来年までの一年間御利益をもたらすはずです。

真剣にならないわけにはまいりません。

お札をご希望の方にはお頒けします。

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大震災13 2回目の現地入り

2011年03月27日 07時29分59秒 | 松林寺

昨日は東京SVAの総会で現地報告でした。100名を超す方々で会場は満員、真剣に耳を傾けてくださいました。多くの皆さんがどれほどこの災害に心を痛め、何をすべきかを考えているという現れだと思います。

昨晩の最終臨時便で山形に戻り、今日は法事2件と松林寺の役員会が終わった後現地に向かう予定です。

21日に永平寺の修行を終えて帰ってきた息子陽堂もしばらく現地に入ることになり同行します。また、私の永平寺修行仲間である秋田の佐々木さんの息子さんも無期限で現地入りすることになり、同行することになりました。

修行道場とは違った、また別の修行の現場になると考えています。

今回は家庭の常備薬程度の医薬品を持ち込むことにしました。多くの皆さんからご協力をいただき沢山の薬が集まりました。家内が、いくつかの箱に配分し、そのまま避難所に置いてこれるようにしてくれました。

もう総力戦です。それぞれが、できる限りの想像力を働かせ、今何が必要なのかを考えていきましょう。またはお尋ね下さい。

うーん、今とりあえず必要なのは、河北町仏教会のご寺院さんからも募金をちょうだいして薬を購入したのですが、若干資金が足りません。ハンドクリームが必要とされているという情報が今入り、購入していこうと思います。ご協力いただけたらありがたいです。


身売りの歴史の上で

2011年03月10日 20時40分19秒 | 松林寺

以前このブログで、松林寺の過去帳から、宝暦の大凶作のことを書きました。250年前にこんなことがあったのだという驚きで書いたのですが、この度縁あって「昭和東北大凶作ー娘身売りと欠食児童ー」(山下文男著・無明舎)という本を手に入れて読んだところ、何と昭和のはじめの飢饉もかなりのものだったことが分かりました。
昭和4年、アメリカの株価暴落に端を発した世界恐慌は、日本経済にも大きな影響を及ぼし、生糸相場が大下落したために農産物全体が大打撃を受けました。
それに加えて6年と9年の凶作が重なり、北海道、東北は壊滅的な状況となりました。
昭和9年といえば私の母親が生まれた年、たかだか80年に満たない頃の話です。
凶作に加えて農民を苦しめたのは、財政危機に陥った政府が、それまで目をつぶってきた国有地・国有林の開墾地を、払い下げするので金を出せと迫ったことです。期限までに収めないと没収して競売にかけるという一方的な通告をしてきました。
稗やワラビの根、木の実などで飢えをしのいでいた農民にお金などあろうはずもなく、借金の取り立てに責められるばかりの状態でした。
そのために多くの娘たちが売られていったのです。
山形県の中でも最上郡がもっとも酷く、2年間で2000名の娘が売られたと当時の新聞に書かれています。その中でも東小國村・西小國村(現最上町)がもっとも多かったと記録には見えます。
松林寺の過去帳を見ると、やはり昭和9年から11年にかけて、普段の年の1.5倍から2倍の死亡が記されています。
全国的な救援などもわずかばかりあったようで、宝暦の飢饉のようにばたばたと死んでいくことはなかったようですが、その分、若い娘が親から引きはがされ売られて苦界に身を沈めたということなのでしょう。
そういう事実の上に現代の我々が生きているのだということを知らなければならないと、強く思いました。


絶対安全

2011年02月02日 20時12分05秒 | 松林寺
110202_143522♪ 屋根より高い 雪の山~
ついに、屋根から落とした雪が屋根の高さを超えてしまいました。
もう、雪下ろしとは呼べません。
この雪をどこへやったらいいのでしょうか。
1つだけいいことがあります。
屋根から落ちる心配はありません。
町の防災無線が叫んでいます「大雪による事故が多発してします。屋根の雪下ろしには、安全ベルトとヘルメットを着用し安全に・・・」フンと笑ってしまいました。
絶対に安全です。落ちるところがありません。

110202_100842思わぬ芸術も生まれました。
凍って割れた花瓶が斜めのまま固まっていました。
自然は思わぬ芸術を生みます。





間もなく2メートル

2011年01月31日 14時18分51秒 | 松林寺
アジアカップが終わってしまって、もう何の楽しみもなくなりました。
日本チームが接戦を制しながら勝ち上がるのにワクワクして雪と格闘してきましたが、もう後は、黙ってただただ雪かきに専念する以外にありません。かわいそうすぎます。
今日午後1時現在、最上町の積雪は198㎝。今日中には2mに達するでしょう。
だいたい例年の倍ですね。
若い者がいる家はまだいいですが、老人世帯での苦労は図り知れません。
助けてもらうにも、みんなが同じ状況下にありますから、自分の家の雪を片付けてからになります。
お寺の屋根の除雪も頼んではいるのですが、まず自分のところが終わってから、と言われています。
明日以降は収まるような予報なのですが。


朗報

2011年01月28日 13時47分25秒 | 松林寺
今日午前、曹洞宗山形県第一宗務所から電話があり、「山門が壊れた件で」と。
用件は、曹洞宗の災害救援で支援金が出るかも知れないから申請しないか、というお知らせ。
ありがたい!考えてもいなかったことなので、うれしい連絡でした。
ところで、こんなに早く、どこからの情報?と思いましたが、何と、職員がこのブログを見たとのこと。
そうかあ、ブログ書いてよかった。いいこともあるじゃないですか。
それにしても、ブログを見て連絡をくれた宗務所様、ありがとうございます。すぐに申請させていただきます。
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天気予報通り

2011年01月27日 19時31分05秒 | 松林寺
最近天気予報はよく当たります。
「今日は午前中晴れ間があるでしょう」の予報通り、いい天気となりました。
晴れている間にできる除雪をしておかなければなりません。

気分がいいので、写真も撮りました。
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外の観音様が雪の中から顔だけ出しています。
本堂の屋根からの雪が間もなく屋根に着きそうです。






下は地蔵様
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地蔵様は、頭の上まですっぽりと埋まってしまって、錫杖だけが存在場所を示しています。


壊れてしまった山門の屋根はしかたありません。雪解けを待って修理してもらいましょう。


予報通り、夕方からまた雪がちらついてきました。
「笑っている内にやめろよな」という気分です。


大雪被害発生

2011年01月26日 17時18分00秒 | 松林寺
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ラララなどと歌っている場合ではなくなりました。
隣家の小屋の屋根の雪が山門の屋根を直撃し壊れてしまいました。
とにかく、年末からの雪が溶けずに降り積もり、屋根の上の雪も恐ろしい状態になっていました。
気にはなっていましたが、まさかこんな結末になろうとは。これまでになかったことです。
大雪災害になってきました。


おさいど

2011年01月13日 23時58分44秒 | 松林寺

今日は松林寺の「おさいど」でした。

「お柴灯」のことですが、小正月の前晩に行われる祈祷として始まったものだと思われます。

子供の頃は、寺の裏の田んぼに4~5メートルもあろうかと思われる藁の塔を建てて、村人みんなが集まった賑やかな行事でした。

習字の半紙を燃やしたり、餅を焼いたり、煙管でタバコをふかしたりしていた光景が目に浮かびます。

今では、隣組単位であったり、家々で行われようになりました。寺でもこぢんまりしたおさいどになっています。

それでも、門松やお守り、お札や位牌などを焚く意味はあり、大切な冬の行事です。

寒い雪中、村人が顔を合わせて無事を確認しながら火を囲んで暖まる、という絆の行事でも合ったのかもしれません。

同じ意味で、明日は宿用院の「お焚き上げ」です。