なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンサンラジオ178 坐禅の功徳

2018年09月30日 05時05分25秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第178回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

9月30日、日曜日です。


特派布教の巡回で27日から岡山県に来ています。
新倉敷に着いて、お迎えいただいた方丈様に無理を言って倉敷市真備町へ連れて行ってもらいました。
当初、ここの源福寺様が布教の教場になっていましたが、豪雨災害で本堂の天井のすぐ下まで浸水したため、急遽別のお寺に代わっていただいたのでした。
お邪魔すると、方丈様と奥様が長靴を履いて片付けの作業中でした。
「3m20㎝まで浸水しました」とのこと。本堂も庫裡も水に浸かったため、壁も床もすべて撤去して少しずつ片づけを進めているところでした。
周囲は町全体が一面水につかった痕が生々しく、ほとんどの住宅が2階の窓を開け放しているのは2階まで浸水した証でした。
真備町だけで亡くなられた方が51名に上り、その被害の大きさと、情報が伝達されなかったことで犠牲になった方々の無念さを感じざるを得ませんでした。
それでもお若い住職ご夫妻は、明るく元気に作業されていました。
お寺が元気に立ち上がることで、町の人々の勇気につながればいいと願ってきました。

源福寺様に代わって教場を引き受けていただいたのは洞松寺様です。
現在専門僧堂いわゆる修行道場になっています。
堂頭(どうちょう)の鈴木聖道老師は、海外開教師を務められた方で、その家風を慕って多くの外国人修行僧が集まってきています。
長く海外の道場で坐禅をされている方が多く、日本の正統な道場で修行をつんで故郷の道場に帰りたいという方が来られているようでした。
しかし、そのような海外の修行僧を受け入れる道場は少なく、しかも男性も女性も一緒に受け入れる道場は唯一ここだけで、現在25名ほどの老若男女、多国の修行僧が和合して修行していました。
前晩は堂頭老師と二人で食事をいただき、長い時間親しくお話を伺いました。
海外からの修行僧は年配の方が多く、一方日本の修行僧は若い男性がほとんどなので、落ち着いた雰囲気の中、和やかに修行ができていると話されていました。
フランス、ドイツ、ポルトガル、イギリス、オランダなど、多国籍の道場ですが、会話の共通言語は英語なので、日本の若い修
行僧も英語が身に着くという副産物もあるようです。

堂頭老師は、12年前に請われてこの道場に入られたようですが、その前の住職が長く入院されて亡くなられてからしばらく無住状態が続き、伽藍は荒れるに任せていたようで、坐禅堂は雨漏りがひどくこうもりが飛び交いその糞が山になっているような状態だったとか。
それを片付けて一人坐禅を行じていると、どこかで何かしゃべったわけではなく、新聞に広告を出したわけでもないのに、一人二人と一緒に座る人が増え、現在の僧堂になったというわけです。
まさに「坐禅の功徳」です。
「もし人、一時なりというとも三業(さんごう)に仏印(ぶっちん)を標し、三昧に端坐するとき、遍法界みな仏印となり、尽虚空ことごとくさとりとなる」
「三業に仏印を標し」とは、身、口、意の三業を仏の姿にする、ということで、坐禅を指します。
手を組み足を組んで背筋を伸ばし、下腹で呼吸をし、頭に上った血を下げて腹が座ったとき、人間のはからいが消えて仏が現れる。その時、この世界のすべてが仏の姿となる。という意味です。
洞松寺僧堂はまさに、そんな坐禅が行じられている道場でした。
昨日はちょうど、道元禅師瑩山禅師のご命日で、いい環境の中お話しをさせていただきました。
今日は台風が近づいています。ちゃんと務まるか心配です。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。


サンサンラジオ177 彼岸の中日に腹を立てる

2018年09月23日 04時32分26秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第177回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

9月23日、日曜日、お彼岸の中日です。

判官びいきというのはありますね。
総裁選でも大相撲でも。
強い者が勝つのは当然ですが、新しさを感じませんし、面白味がありません。
特に総裁選では、判官びいきだけでなく、これでいいのか、という感を強くしました。
所詮コップの中の争いではありますが、そこで選ばれた者が結局この国の舵取りをするわけで、事実上の総理大臣を選ぶ選挙でありました。
コップの中では、それぞれの思惑で、自分たちの損得のための選択をしたようにしか見えません。
そのようなことでこの国の責任者を決めていいのでしょうか。
そんな中、山形県の地方票は東北で唯一、負けた石破さんの方が多かったというのは、なんかいいなという感じです。投票したのは自民党員だそうですから、へえー、山形県の自民党員は反骨精神があるんだ、と思いました。
判官びいきだったかもしれませんし、現政権に反省を促す、一矢を報いるという気持ちだったかもしれません。
でもなんか気持ちいい。

いつも思います。
政治家という人たちは、果たして何割、国民庶民のために動いているのか、どれほど考えているのかと。
自分が目立ちたい、自分が偉くなりたい、みんなからチヤホヤされたい。
そこが政治家のスタートで、最後まで自分のための活動を行い、周囲を巻き込んでいるだけではないのか。
政治家そのものはそれで満足でそれでいいかもしれませんが、その人たちによって決められることで、またその人たちを決めるために使われる資金のために、国民が左右されるのは迷惑としか言いようがありません。
それを、選挙で選ばれた、民意だ、民主主義だと言われるのは片腹痛いです。
国民のための政治家ではなく、政治家のための国民であるかのようです。
ま、お坊さんの中にも似たよな人はいますけどね。

戦争だってそうです。
決めるのは政治家や軍部ですが、最前線に行かされるのは庶民であり、被害を被るのも庶民がほとんどです。
終いには「国民総懺悔」などと言われる始末。
国民は政治家の奴隷か、アリか。
原発事故の際も、政治家やその家族が真っ先に逃げたというウワサがまことしやかに流れました。
本当はどうなのでしょうか。
政治家って何ですか?
一応選挙をして選ばれた人ですが、選んだことが空しくなるようでは困ります。
いやいや、きっと自分のこと以上に国民のために働いてくれている政治家も中にはいることでしょう。
そういう方が増えてくれることを望みますし、そういう方を選ぶ目を国民も持ちたいと思います。
結局はそれ以外の方法はないのですから。

もう一つ、全国の学校の教室にエアコンが付くのですか?
へえー、益々電力が必要になり温暖化は進むでしょうね。「だから原発が必要だ」と言うのでしょうか。
向かうべき方向は逆じゃないですか。
エアコンに慣れることで寒暖の差に弱い体をつくることにならないでしょか。それは熱中症につながらないでしょうか。
密閉した風を感じられない環境は心の閉鎖につながるようにも思えます。
そよ風の扇風機ぐらいがいいように思いますが。
とりあえずの対策で子どもたちの未来の能力を奪ってしまうようなことにならなければいいですね。

彼岸の中日に腹を立ててしまいました。
六波羅蜜の第三は「忍辱(にんにく)」で、忍耐を説いていますが、我ながら残念なことです。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

サンサンラジオ176 勝ち負けよりも

2018年09月16日 04時50分55秒 | サンサンラジオ
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今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第176回。
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9月16日、日曜日です。

夜にテレビは観ません、もちろん昼も食事時以外観ませんが、スポーツだけは例外です。
8月9月と、高校野球があり、アジア大会があり、サッカーがあったりテニスがあったりと、忙しく楽しませていただきました。
そして今、大相撲が始まっています。今日は中日ですね。

外国選手との試合で時々感じるのは、勝った側と負けた側の態度、礼儀です。
勝って大騒ぎをする選手に冷ややかな感情をいだきますし、負けて怒りをぶつける態度にも違和感を感じます。
全米オープンテニスは象徴的でしたね。
何だかんだ言っても、日本人選手は勝っても負けても礼儀正しいと感じます。
ここが日本人のいい所であり、自負してもいい態度だと思います。
つまり、日本人が大切にしているのは、勝っても負けてもその態度の美しさなのだろうと思うところです。
勝っておごらず、負けてくさらず。
勝っても負けても相手を敬い、リスペクトして試合を終える。
勝ち負けよりも、その態度の美しさに価値を見出す日本人こそ日本人の誇りのように感じるのです。
高校野球などは、負けたチームが整列して勝ったチームの校歌を聞くという態度で相手を敬います。
もちろん屈辱も悔しさもあるでしょうが、それに耐えて相手を称える。
そこに美しさを感じる日本人でありたいと思います。
勝たなければ意味がない、本当にそうでしょうか。
オリンピックなどの国際試合においても、たとえ負けたとしても、負けた後の態度、負け方の美学のようなものを、日本選手には見せてもらいたいと勝手ながら期待します。
それこそが、勝ち負けよりも大きな人間の評価として、自他ともに認められると思うからです。

大相撲は礼に始まり礼に終わる。
勝っても負けた相手を慮り、喜びの表情を表に表さないという伝統があります。
もちろん負けた側も礼をして土俵を下ります。
随分前に、当時平幕の逆鉾が横綱隆の里をやぶった時、土俵上でガッツポーズをとって審判部からこっぴどく怒られたことがありました。
その後、朝青龍が横綱になり土俵上で「どうだ」というような態度をとるようになっても誰も注意する人はいなくなりました。
現在は、少し喜びを表現したり悔しさをにじませたりした方が観客は喜ぶということで寛容になってきているかもしれませんが、基本的な態度は以前のままに守っていただきたいし、これからも他のスポーツにも引き継いでいただきたいと思うところです。

相手を敬い、慮って態度を慎むという姿勢は、何もスポーツに限ったことではなく、日常生活においても日本人が文化として大事にしてきたことであり、誇りにすべきことです。
相手を「言い負かす」などはあまり美しいとは言えません。コミュニケーションに勝ち負けはいらないでしょう。
勝ち負けよりも大事なものは何か、スポーツを観ながら考えてしまいました。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。




サンサンラジオ175 安全と心配

2018年09月09日 04時50分11秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第175回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

9月9日、日曜日です。

西日本豪雨、台風21号に続き、北海道で大きな地震がありました。
風力発電の多い北海道ですが、何故か強制停止させたようです。こういう時こそ必要とされる電力のように感じますが電力系統の問題で力が発揮できなかったようで、残念なことでした。
ライフライン、特に電気と水の確保は国と自治体が責任をもってもらわないといけません。
亡くなられた方、ご家族、不便に耐えていらっしゃる方々に心よりお見舞い申し上げます。

シャンティ国際ボランティア会南相馬事務所で、1人寄り添い活動を続ける古賀スタッフから、毎朝日報が送信されてきます。
9月5日の日報では、原発事故の汚染水いわゆるトリチウム水処理問題に関して触れていました。
海洋放出の公聴会が開かれ、住民から反対発言が相次いだ。「安全というなら、東京湾に流せばいい」という怒りの声があったと。
そうでしょうね。
「福島だからしょうがない」みたいな空気がこの国全体に漂っているような気がします。
その水が「人体にほとんど影響はない」と言われても、例えばそれが自分の県の海だとしたら、放出に賛成する人はまずいないでしょう。
「オリンピックの時に東京の打ち水に使えばいい」という意見もあったとか。
その考えいいですね。
安全な水なのですから、暑さ対策に苦労している訳だし、どれだけ撒いても水道料金には影響ないし、一気に解決するじゃないですか。JOCに進言したらいいと思いますよ。
でもそんなことはしないでしょね。安全じゃないから。
正確に言えば、トリチウムは事故前も全国の原発から海に放出されていて、ある程度の量ならば海水に希釈されて健康に影響はないというのが政府と東電の説明のようです。
だからといって、長期間放出され蓄積されたトリチウムが将来的にどんな影響を及ぼすのか不明のままで、福島の海ならいいということにはならないでしょう。
貯蔵されている汚染水をトリチウム水にして基準値の量を守って全て放出するには、30年から40年かかると試算されていますが、政府東電は7年で放出できると説明しているとのこと。
更には、放出する水にはトリチウム以外の核種も混ざっていることが判明し、公聴会は大いに紛糾したようです。
まあ、もともと、東京の電気を作る原発を何故福島に作らなければならなかったのかというところから「安全だけど心配」という計算があったわけで、心配だけど「安全ですよ」と言って福島県民に納得させてきたわけですよね。
心配だからこそ「心配料」みたいにお金をじゃぶじゃぶつぎ込んでマヒさせて心配を忘れさせてきたのですよ。
ところが心配していたように事故は起こりました。やっぱり原発は福島でよかったね。そう思っている人はたくさんいるのではないですか。
それが東京を守るためだった、東京のために福島を犠牲にしてしまったと、少しでも責任を感じてる東京人はいるでしょうか。
それに加えて、安全に心配がある、打ち水にもできない水を、福島の海に流すこともやむなし、というような発想と発言が出ること自体、どれほど福島県民を傷つけているか。
漁業関係者は怒って当然です。
大変な問題なのです。
汚染水は増え続けています。溶け落ちた燃料デブリを冷やし続けなければならないのですから。
もう貯蔵タンクの置き場にも限界が近づいています。
その他の方法として、地中注入と水蒸気放出、地下埋設という案を政府東電は出していますが、いずれも現実味はなく、海洋放出誘導のための当て馬にすぎないようです。
ある専門家は、石油備蓄タンクのような大型のタンクに保管していくのが一番安全で安上がりだと提案しています。240年経てば雨水と同じ濃度になり海洋放出できると。
とにかく、原発事故はまだ解決したわけではありません。
なのに、この問題を福島の問題として閉じ込めて、オリンピックで目くらまししているうちに、いつの間にか海洋放出されて、子孫と福島県民に犠牲を押しつけてしまうことを強く懸念しています。
これまでの災害や事故から学び、過ちを繰り返さないような対策を講じなければ、犠牲を無駄にしてしまうことになります。
現政権が掲げる「経済最優先」政策が、命よりも未来よりも、とりあえずの経済が優先されると言っているように聞こえてしかたありません。
「次世代の人が振り返った時に、東北の、福島の人たちのあの苦しみがあったからこそ、日本が世界から尊敬される国になった、という転換点にしてほしいものです。そうでなければ、今の我々のつらさはあまにもむなしい」と語った菅野飯舘村長の言葉を思い出します。
松林寺では今も、朝課で「東日本大震災被災地早期復興、原発事故早期終息、被災者各々身心安寧」を毎朝祈っています。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

三ちゃんのサンデーサンサンラジオ174

2018年09月02日 05時14分07秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

9月2日、日曜日です。

9月に入りました。
8月は、暑さと豪雨で大変な夏となりました。
異常気象も毎年起これば異常とは呼べません。
気候変動が進行し、熱帯雨林のようなスコールが起こる国になってしまったようです。
一旦集中豪雨に見舞われると、急峻な斜面の多いこの国では、土砂崩れ河川の氾濫が付き物のように襲ってきます。
その原因が地球温暖化にあり、その要因が人間が排出する二酸化炭素だということはもう疑いようのないことですから、人間社会の生活スタイルとエネルギー変革をすぐにでも始めないと、益々災害規模は大きくなるのだろう思われます。

さて、先週1週間で上映会が2回ありました。
その一つは最上町で8月26日、私も監事で関わっているNPO法人やまなみ主催のアニメ映画『この世界の片隅で』でした。
戦時中の広島・呉を舞台に、1人の平凡な女性が生きた普通の生活を描きます。
しかし、戦争は、平凡な普通の女性が当たり前に生きることすら許してくれませんでした。
やわらかいアニメの絵が、淡々とさりげなく激化していく戦争の下で暮らす人々を描いていきます。
やわらかいだけにかえって悲しみが深く染みるようでした。
軍港呉は米軍機による爆撃の標的となり、そして広島に原爆が投下されます。
そんな最も激しかった空の下でも人々は懸命に生きていました。ただ普通に生活したいという願いだけで。
ストーリーの中に二人の女の子が登場します。
1人は義姉の娘はるみ。
主人公すずと手をつないで歩いている時空襲に遭います。
時限式の爆弾が爆発し、つないでいたすずの右手ごとはるみは消えてしまいます。
もう一人は、原爆投下後の広島で、亡くなった母親の傍で蠅と蛆を追い払っていた娘。
すずが転がした海苔巻きを拾い食べようとしますが、見つかって返そうとします。
不憫に思いすずは娘を呉に連れて帰ります。
この二人の娘の人生が胸に突き刺さりました。
『火垂るの墓』の節子同様、生涯心に残る存在となるでしょう。

もう一つの映画は、昨日河北町でありました。
河北町環境を考える会主催の『おだやかな革命』の上映会です。
監督は、鶴岡市出身在住で『よみがえりのレシピ』を手がけられた渡辺智史監督。
今、日本の地方で始まっている民間による静かなエネルギー革命にライトを当てます。
それは持続可能なエネルギーの形であり、本当の豊かさとは何かを問いかけるものでもあります。
拳を突き上げて声高に主義主張を叫ぶ革命ではなく、自らの生き方と生活を足下から見つめ、そこにある資源に気づいていく。
それを自らやってみることで、その可能性が周囲に広がり人々を巻き込んでいく。
そんなおだやかだけどしっかりとした「革命」が今始まっていることを伝えるドキュメンタリー映画です。
昨日は上映前に監督によるトークがあり、作品に込めた思いを語っていただきました。
今後益々中央集中が進み過疎化が激化する地方。
しかし、地方にこそある資源を発見し活用することで、地方に生きる意味と豊かさを見つけることができる、とこの作品は呼びかけています。

どちらの作品もやわらかでおだやかな作品です。
しかしそれは、強いことでもあります。
おだやかでやわらかい強さこそが、国を静かに着実に動かす力だと望みます。
気候も同じく、おだやかでやわらかくあってほしいと願います。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。