実は浪曲が好きです。
わけても、初代春日井梅鶯が贔屓です。
中でも秀逸は「天野屋利兵衛」、絶品です。「南部坂雪の別れ」もいいです。
何度聞いても惚れ惚れします。
あとは、二代目春野百合子「梶川大力の粗忽」。
車の運転で眠いときは、大音量で聞いて涙を流しながら興奮します。
題材はいずれも「忠臣蔵」から。
しかし、日本人は「忠臣蔵」が好きだなとつくづく思います。
主君の仇を討つ、仇討ち話。
仇討ちといえば・・・アフガニスタン。
イスラム社会のことを語るときによく引き合いに出されるのが、「目には目を、歯には歯を」という言葉。これは、人は、他から攻撃されて仕返しをするとき、された以上にしてしまうものだから、そうではなく、された部分だけに止めなさいという制止の戒めだということは、以前どこかに書きました。
アフガニスタンに行ったとき、「自分のところへ訪ねてきた客人は神の使いと思って手厚く接待する。客人に恨みを持つ敵が命を狙っていれば、家にいる間、自分の命をかけても守る。しかし、一旦家から出てしまえば、仇敵に討たれることは仕方がないことと、止めだてはしない」という話を聞きました。
イスラム社会は、必ず仕返しすることを教える恐ろしい社会だと、眉をひそめる向きもあるでしょう。
しかし、では日本はどうなのか、仇討ちとはまさに仕返しのことであり、それを容認する、時には賛美する風習がこの国にもあったではないか。
今ではもちろん、許される行為ではなくとも、我々の心の中に、それを良しとする血統がなければ、忠臣蔵がこれほど愛されることもないのではないか。
吉良上野介が大石内蔵助に殺される場面を、憑き物が落ちたみたいにスッキリとして見聞きしてはいなかったでしょうか。
忠臣蔵を揶揄しているのではありません。むしろ、イスラム社会の考え方を、浪曲を通して受け入れることもできると、考えたところです。