富山の特派布教なのですが、先方の都合で2回に分けての巡回です。
今回が1回目。明日一日の教場です。
できれば少しゆっくりしたいところですが、帰って30日は松林寺の葬儀が2件あり、31日は師匠の1周忌法要です。
まあなんと、今月は色々な用事がありました。
こういう状態は、普通に言えば「忙しい」ということなのでしょうが、以前から、あまり「忙しい」という感覚がありません。
どんなに用事が立て込んでいたとしても、体は一つだから、二人分の用事をこなせるはずもなく、自分のできることを、自分のできる範囲でこなしているに過ぎません。
確かに、休み、というのはありません。しかし、半日でも何の用事もなく、ぼんやり過ごせる時間があったりすると、何をしていいのか「暇」を感じてしまいます。
嫌々仕事をしているのではないからでしょうか、休みを楽しみにするという期待はありません。何とお坊さんはありがたい仕事でしょうか。
先日、足利に行った時に、この地方を「両毛」という言い方をするのだと聞きました。JR「両毛線」「両毛新聞」などです。
「両毛」の語源は、「上野毛」と「下野毛」を合わせたという意味で、この「野毛」の由来は諸説あります。
「未踏の不毛地帯、という意味らしい」と地元の和尚さんは言っていました。「ヌケ」は(崩れた所)という意味があるようで、それらしい感じがします。
アイヌ語で読めば、「ノッ・ケイ」(突き出た・頭)で、岬に近くなるようです。
また、「上野」と書いて「コウヅケ」とも読みます。
これはおそらく、「カミノゲ」の「ノ」が「ツ」に変化したものでしょう。ですから、本来は「上野毛」と書いて「カミツケ」「コウヅケ」と読むべきところ、漢字の方が「毛」を省略してしまったものと思われます。
こういう例は他にもあって、名字の「服部」は(ハットリ)と読みますが、何故そう読むのかというと、元は、「服(はた)織り部」という職業の名前であったらしく、「ハタオリベ」の読み方が縮まり「ハットリ」になり、漢字の方は「織」の字が省略されて「服部」になったというのです。
「野毛」が縄文語由来かどうかははっきりしませんが、かなり古い地名であることは違いなく、下って忠臣蔵に登場する名前にもつながっていきます。
今日はキャンドルナイトに向けたローソク作りでした。
河北町環境を考える会のメンバーが集まり、これまでに経験のない方法で、試行錯誤しながらローソク作りを楽しみました。
当会の手作りローソクは、廃油ではなく、残ローを利用したいわばローソクのリメイクです。なにせ、残ローはたくさんありますから。
今回挑戦したのは、牛乳パックを利用して、色つきローソクのキャンドルホルダーを作り、その中にローソクを入れて、その灯りで様々な色が浮かび上がるという作り方です。
ローソクの溶け具合、固まり具合などのタイミングをつかむまでうまくいきませんでしたが、それが分かってくると、だいたいは思い通りに作ることができました。
まだまだ改良の余地がありますし、もっといい方法が見つかるかもしれません。
作品は、12月11日、会場のどんがホールにキャンドルとして並びます。
河北町環境を考える会主催、第13回「100万人のキャンドルナイトin河北」のチラシが今完成しました。
一足先に公開します。
今年のゲストは、松林寺集中講座に出演していただいた小川ロンさん。
また、パワフルな歌声と、大笑いのトークが聴けます。
ロンさんの歌は、本当に聴く者を元気にしてくれます。
それに抜群のサービス精神。
一度聴いたらきっとファンになります。
そこにいる人たちが何を望んで、何を期待しているのかを読み取る能力がある人だと思います。
おそらく、今後、長いつきあいの人となります。
今月24日には、キャンドルナイト用のキャンドル作りもいたします。
これまでにない作り方をしてみたいと思っています。関心のある方は宿用院までご連絡ください。
一昨日から栃木県足利市に来ています。
昨日今日と、友人の晋山結制で、法要解説を依頼されました。
今日帰る予定でしたが、疲れて山形まで車で運転する自信がないのと、明日の予定がなにもないのと、もう一泊していけという暖かいことばで、泊めてもらうことにしました。
とてもいい晋山式でした。
懐かしい人々とも再会することができ、昨日は嬉しくて呑み過ぎてしまいました。
写真もUPしたいのですが、友人のpcなので、送ることができません。
これも、打ちながら、頭が文章をつくれません。今晩は早めに休みましょう。
今日13日は、盛岡マリオス大ホールにて「禅をきく会」でした。
1500名収容のホールでしたが、入ったのは750名ほどだということでした。
前半、古今亭志ん輔師匠の口演と高座、高座は人情噺の大ネタである「唐茄子屋政談」の一席でした。
志ん輔師匠は志ん朝師匠のお弟子さんなので、やはり志ん朝師匠のスジをさらっているなと思いました。
出番前に楽屋で挨拶をし、志ん朝師匠の大ファンであることを告げますと、いやぁまいったなぁというぐあいに頭を掻かれました。志ん朝師匠に比べられるのはやりにくいことだと察しました。
しかし、先日のさん喬師匠もそうでしたが、志ん輔師匠も、時計もみないのに終了時間がピッタリだというのには驚きました。
よほど体内時間の中でお話しをされているのでしょうね。
高座が終わって私の法話でした。
40分という限られた時間でしたが、言いたいことは言わせてもらいました。
大勢の前で話させていただくのは、最初緊張するのですが、だんだん快感に変わってくるのは偽らざる感情です。それはいいことなのか、気をつけるべきことなのか。
第5回松林寺集中講座が終わりました。写真は後日UPします。
今回は今までにないぐらい充実して盛り上がりました。
東法田田植え舞、小川ロンさん、篠原鋭一老師、柳家さん喬師匠、講師陣全てが素晴らしかった。
また、スタッフ48名が、みんないい顔をして、楽しそうに関わってくれました。それが何よりうれしいことです。
打ち上げは、スタートからエンジン全開、2時間半笑いっぱなしでした。笑いすぎて腰が痛いという者も。
次回第6回も10月第2日曜開催です。
講師は、シンガーソングライター「歌う尼さん」やなせななさん、そして、さん喬師匠のその3です。
今からどうぞ予定に組み込んで下さい。
新幹線のホームに立っていると、折り返しの列車が入ってきて、車内清掃を行う人たちがそれを迎える光景が見られます。
それぞれが所定の位置に着き、ドアが開くと同時に、一斉に深々と頭を下げます。
う~ん、そこまでする必要があるのだろうか。いつもそう思います。
アテンダントと呼ぶようですが、車内販売の人が車内を通り抜けて別の車両に移る時、必ず後ろを振り向いて、へそのあたりに両手を重ね、頭を下げてから移っていきます。
う~ん、何故そこまでしなければならないの。
日本人は礼儀が好き、規律正しいのが好き、美しいのが好きというのは分かりますが、過剰になってはいまいか、そう思います。
形によって心が整うというのは、曹洞宗のテーマのようなものですから、形を整えることに意義はないのですが、形にこだわりすぎると心がついていかないということはないのか、と考えてしまいます。屁理屈ですかね。
北某国の軍事パレードなどを見ると、一糸乱れずというのはこういう光景を言うのだろうなと、恐ろしげに感心してしまいますが、あの人たち一人ひとりの心はどうなっているのだろうか、大丈夫なのだろうかと余計な心配をしてしまいます。
バンコクの高級デパートなどに行って、女子店員が靴を投げ出して床にあぐらをかき、弁当などを喰っているのを見ると、もう少しどうにかならないのか、この国に規律はないのかと思ってしまいます。
それぞれの国の文化や習慣や好みも違うのでしょう。どこに心地よさを感じるのかが国の形のようにも思います。
心が整うほどの形であればいいのだろうなと考えました。