なあむ

やどかり和尚の考えたこと

ラオスの歌姫 ライブ

2009年01月24日 23時00分33秒 | 集中講座

先日の松林寺集中講座の欄で少し紹介しましたが、ラオスのスーパーミュージシャンであるアレクサンドラは、現在慶応大学大学院の留学生で、今秋松林寺に来てくれることになっています。

200901311そのアレクサンドラのコンサートが1月31日(土)東京であります。ラオスの歌や日本の歌、ヴァイオリンの演奏も披露してくれます。

私も顔を出すことにしていますが、お時間のある方、また、都内にお知り合いのある方にご案内いただければと思います。因みに入場券1枚を余分に持っています。ご希望の方はお知らせ下さい。同伴でまいりましょう。

詳しくは以下のページをご覧下さい。

http://sva.or.jp/event/event20081119772.html

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記憶の釣り堀

2009年01月24日 22時24分59秒 | 今日のありがとう

皆さんにはこんなことはないだろうか。

一つの言葉やある音楽によって、普段眠っていた記憶がよみがえってくることが。

釣り堀で思いもよらず池の奥に潜んでいる魚を釣り上げたような。

私は時折これで悩まされる。思い出したくない、誰にも思い出されたくない、忘れてしまったはずの自分の嫌な思い出が、不意に何かのキーワードで釣り上げられてしまう。

釣り上げてその顔を見るとゾッとして、目をつぶり頭を振って振りはらわなければならない。手元に引き寄せて顔を見る前に、キャッチアンドリリースするのだけど、一度釣り上げた魚はすぐには底に沈んでいかず、ゆらゆらとこれ見よがしに顔を見せながら漂っている。あろうことか、別の嫌な顔の魚までつられて浮き上がってくる。嫌だ嫌だと更に大きく頭を振らなければならない。

あの時の自分をみんな忘れてくれたろうか、それとも時々思い出して嫌な奴だと笑っているのだろうか。

しかし、記憶の池に眠っているのは、どれもこれも自分のなしたことであり、間違いのない事実ばかりだ。いくら頭を振っても過去を消すことはできない。また何かのキーワードで何度でも釣り上げてしまうだろう。そこからは逃げられない。

過去はいい、過去は仕方がない。

問題は、今日、今だ。

今日もまた一つ嫌な顔の魚を生んでしまったのではないだろうか。

あれほど嫌だと思っている記憶を今日もまた残してしまったのではないだろうか。そのことを問うべきだろう。

池の中には心地よい顔の魚も泳いでいて、時にはそれらも釣り上げているのだろうが、心地いいせいかあまり記憶に残らない。嫌だという思いが強烈なだけに、思いがけずに浮き上がってくる深海魚の不気味な顔に恐れをなしてしまうのだ。

分かった、分かった、全部自分が生んだ子供ばかりだ。責任は全部自分にある。だけど、頼むから、どうか静かに底の方で眠っていてくれないか。

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第4回松林寺集中講座講師陣決定!

2009年01月21日 12時00分32秒 | 集中講座

今年第4回目を迎える「松林寺集中講座」その期日と講師陣が決定した。

期日は、例年の如く、10月第2土・日曜日の10~11日。

講師陣は今年も豪華な顔ぶれがそろった。

1,落語家 柳家さん喬師匠<shapetype id="_x0000_t75" stroked="f" filled="f" o:preferrelative="t" o:spt="75" coordsize="21600,21600" path="m@4@5l@4@11@9@11@9@5xe"></shapetype>

第2・3回と連続して講演いただいた露の新治師匠からの推薦で、古典落語の名人をお迎えすることになった。師匠は5代目柳家小さん。

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毎年博多で「さん喬を聞く会」という恒例の高座があって、当初その日程と重なっているためだめだということだった。ところが後日の連絡で、何と!博多の高座の日程を変更して松林寺に来ていただけるということになったもの。その調整には、露の新治師匠自らが当たってくだされ、携帯やFAXで何度も何度も連絡をいただいた。露の師匠には心から御礼を申し上げたい。

どうぞ、さん喬師匠の名人芸をたっぷりとお楽しみください。

2,医師 細谷亮太先生Jinkenkouenkaih200221

聖路加国際病院副院長・小児科部長。小児癌の権威でがんの子供を守る会」副理事長でもある。

一方、亮々という俳号で俳句の世界でも活躍。「パパの子育て歳時記」「小児科病棟の四季」「医者が泣くということ」「生きるために、一句」などエッセイ・絵本・句集など著書も多数。「川の見える病院」は細谷先生が主人公のテレビドラマとなり、片岡鶴太郎が先生役を務めた。

河北町出身で、現在も毎週日曜日実家である細谷医院の診療を行っている。大変お忙しい中、日曜日の診療を午後休診にして松林寺に来て下さることに!

3,ラオスの歌姫 アレクサンドラAlex5 

住職が副会長を務める社団法人シャンティ国際ボランティア会の関係で、ラオスから来日して現在慶応大学大学院に留学中のラオス人歌手アレクサンドラに歌声を披露してもらうことになった。

父はラオス人でラオス国立音楽・舞踊大学副学長、母はブルガリア人でピアノ教師。音楽一家に生まれたアレクサンドラは、早くから音楽に目覚め、15歳の時には初アルバム「サーイファン(夢)」をリリース。ラオス各地のコンサートには2~4万人が集まるスーパーミュージシャン。

横浜での「J-AseanPOPコンサート」にラオス代表として出演。愛知万博にも出演している。歌とヴァイオリンの演奏をお楽しみに!

4,地元 下・立小路連合大黒舞

オープニングとして地元の男女による大黒舞で賑やかに開講したい。下小路は男性のグループ。立小路は女性のグループ。これまで別々に活動してきたが、今回初めて連合の披露となる。果たしてうまくいくか、乞うご期待!

以上、今年も盛りだくさんの内容で開講する。是非たくさんの方においでいただきたい。

午後の開講だが詳しいプログラムはこれから。

入場料:1000円

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橋本夢道

2009年01月20日 22時21分22秒 | 今日のありがとう

朝のNHK連続テレビ小説をBS2でご覧の方も多いことだろう。実は私もその一人。その後の番組も続けてご覧の方も多いのでは・・・。

以前は四国八十八ヵ所巡礼のプログラムだったが、最近は『私の一冊、日本の百冊』という番組になっている。ついつい見ているうちに興味が湧いてきて、こちらも連続してみている。

各界の著名な人々が、それぞれ「自分の一冊」を紹介していくという内容だ。本との出会いも人との出会いのように、人生にとって大きな転換をもたらすことがある。自分も読んで感銘を受けた本の紹介がされたりすると「うん、うん」と共感しながら見ている。また、まだ読んでいない本には読んでみたい衝動に駆られる。

先日の放送で紹介されたのは、俳人金子兜太さんが選んだ「橋本夢道句集『無禮なる妻』」だった。

この番組ではじめて橋本夢道という人を知ったのだが、夢道は戦中戦後の貧しい時代を生きた俳人で、心から戦争を憎み嫌い、いわれなき投獄という目に遭いながら、貧しさの中で必死に生き、妻を愛し、貧しさを笑い飛ばすような自由律の俳句をよんだ人だ。

その中で紹介された一句。

  世の中や 金も欲しいが 一度大声で 笑いたい

確かに生きるのにお金は必要だ。それは、生きるのに必要なのであって、それ以上のものではないはず。しかし、どこまでが必要な分なのかが不明瞭となり、その範囲がとてつもなく大きく広がり、際限なく求め続けてしまった結果、かえって苦しみを増しているのが現代社会なのだろう。

大声で笑い飛ばしてしまえるぐらいの範囲で止めておかないと、生きていて決して楽しくない人生になってしまう。大声で笑っても腹がふくれるわけでもないどころか、かえって減ってしまうだろう。だけど、腹が減っても楽しく生きられる方がいい。

  無礼なる妻よ 毎日 馬鹿げたものを食わしむ

  妻よ おまえはなぜ こんなにかわいんだろうね

誰も貧乏が怖い訳じゃない。みんなが貧乏であれば何も怖くない。みんなが腹一杯食べているのに自分だけ食べられないという孤独感と、どんどん離れていって取り残されるという社会の格差が怖いのだ。

貧乏であることを笑ってしまえるようになれたらいいね。


アイヌ語と地名7 尿前

2009年01月13日 12時40分12秒 | アイヌ語と地名

最上町在住の人なら誰でも知っている松尾芭蕉の俳句「蚤虱馬の尿する枕もと」が詠まれたのは、県境堺田の封人の家。

人馬が一つ屋で暮らす姿を詠ったものとされるが、その前日通った関所「尿前の関」の珍しい地名に影響されたという説もある。

さて、尿前。これでシトマエと読むが、実に変わった地名だ。

現在の国道47号線沿いには源の義経一行の伝説が数多く残り、地名などにも伝説との関連が伝えられている。

温泉場の瀬見や鳴子もその一例だが、実は尿前にも、伝説はある。

亀割峠で出産した北の方静御前は、瀬見温泉で産湯を使い、旅を続けた。しかし、国境の山中で産後の腹痛に襲われ、動けなくなってしまった。その時一羽の山鳩がイカリ草をくわえて舞い下りた。北の方がそれを口に含むとたちどころに痛みは止んだ。山鳩が飛び去った跡を見ると見たことのない薬師如来があったので、義経は弁慶に命じて薬師如来堂を建てさせて祀った。北の方は痛みのあまり尿を漏らしていた。それで「尿前」・・・

伝説というのはこのようなもので、ほほえましいと言えばそれまでだが、文字の関係であまりきれいな伝説にはならなかったのだろう。

アイヌ語でシトマエを読むと、「シットマイ」が考えられる。シットは川や路の曲がり角で、オマイは「~があるところ」というアイヌ語の地名によくみられる言葉だ。尿前の地形は、丁度大谷川が大きくカーブしている所でもあるので、「曲がった川のあるところ」という意味ではないだろうか。

似たような地名には、志戸前、志登米等がある。

しかし、なぜ「尿前」という微妙な字をあてたのか、興味ののこる地名ではある。

念のため、芭蕉の俳句の方は、「尿」と書いて「バリ」と読むようである。