なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンサンラジオ225 そばの花見

2019年08月25日 05時11分11秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第225回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

8月25日、日曜日。

岩手県葛巻町に来ています。その話題については後程。

金曜日は、谷地宿用院恒例の夜施餓鬼会でした。
いつものように、参道を滑走路のようにキャンドルで飾り、施餓鬼棚には万灯を灯して精霊を供養しました。
以前施餓鬼は日中の午後に行っていましたが、この時季暑く参拝される方も大変なので、夕涼みがてらに参拝してもらおうと、十数年前から夜に変更しました。
参拝者に喜んでもらおうと、毎年、役員さん方と楽しみながらやり方を工夫して今のようなしつらえとなりました。
準備も片付けももう手慣れたもので、自分が何をすればいいのかの役割分担も出来ているようです。
お蔭で、その後の打ち上げもだんだん早く始められるようになりました。
今回は、法要の前に「べに花の里民話会」の皆さんの「とんと昔」語りもあって、楽しませていただきました。

さて、葛巻町ですが、昨日のイベントは「黛まどかさんと歩く第10回そばの花見会」という催しでした。
葛巻町とは日本再発見塾のつながりで、毎年最上町のメンバーにもお誘いがあります。
それ以上に、まどかファンのおやじたちが各地の参加者と顔見知りになり、あちこちのイベントに参加しているのです。
今回は私も、昨年まどか先生に集中講座においでいただいたお礼も兼ねて同行しました。
そばの花の写真コンテストや俳句会があり、夜は懇親会。主たる目的はこちらです。
今そば畑は花が満開で、一面のそばの花はかなりきれいでした。
なので、参加者50名は、写真を撮るにも俳句を詠むにも、一瞬を切りとるようにいい作品を発表されたようです。
最上のおやじたちも思いのほか出来が良く、それぞれ表彰されました。
昼の表彰式の時にはすでに酒盛りとなっており、大変な盛り上がりでした。
それから夜まで酒宴は延々と続き、酒に溺れるような状態でした。

葛巻町は岩手県の北部、山の中ですが、むしろそれを逆手に取った再生可能エネルギーのフロントランナーとしても有名です。
ただ、少し話を伺ってみましたが、実際のところは、民間事業者の風力発電などの発電量が町民全体の使用量を超えているということで、自給自足というのとは違うようでした。
また、風力発電もスタートが早かった分、型が古かったり耐用年数が迫っていたりと問題をかかえているようでした。

今日はまた、昨日のメンバーでワイン工場の見学に行くのだとか、まだ飲めるのだろうか。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。




サンサンラジオ224 綱渡りだよ人生は

2019年08月18日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第224回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

8月18日、日曜日。

人生は綱渡りなのかもしれないと、庭を掃きながらふと思いました。
いつ転落してもおかしくない微妙なバランスの上で、危なげな毎日を生きているのかもしれません。
それなのに、それに気づきもせず、当たり前のように、時には千鳥足となりながら一歩一歩歩みを進めているのです。
何も考えず、何事もないように、大道を歩くように生きられているのは、実は、知らないところ見えない力で支えられているからではないでしょうか。
逆に言えば、「生きづらさ」を感じるというのは、生きることは綱渡りであると感じ、一歩を前に踏み出すことにおびえ、未来の不安定さに希望を見い出せず、バランスをとることにストレスを感じているのかもしれません。
でも、人は一人で生きているわけではありませんから、誰の支えもないということはありません。自分が気づかないだけで見えない力がバランスをとってくれているのでしょう。それを信じ、それに任せてもいいのです。

一見無駄に見えることも実は、綱を渡るためのバランスになっていることもあるでしょう。
例えば、一本道を歩くとき、歩くに必要な道幅は肩幅ぐらいでしょうか。しかし、実際に肩幅の両側が断崖絶壁だとしたら恐ろしくて歩けたものではないですね。
肩幅の外側に、無駄とも思える余幅があるから安心して歩いて行けるのです。
その余幅を「無用の用」と言います。
車の運転も、ハンドルの「遊び」がなければ安全に動かすことはできません。
無駄かもしれない人のつきあいや、関係ないと思われる人々への思いなども、生きていくためには「用」なのです。
また自分の存在も、意識しなくとも誰かの用となっているでしょう。
いつ落ちるかもしれない不確実な綱の上を、見えない支えの力を信じて、堂々と前を向いて歩いていけばいいのです。
全ての存在への感謝だけを忘れずに。

全ての存在は、地・水・火・風の4つの元素で成り立っているという考えがあります。これを「四大」と言います。
これは人間にもあてはめられ、地ー骨格などの堅固の性質、水ー血液などの潤う性質、火ー体温などの熱の性質、風ー呼吸などの動揺・成長の性質が合わさって存在していると見ます。
しかし、その存在は4つの元素が因縁によって寄り集まった仮の存在にすぎないという考え方で、それを「四大仮和合(しだいけわごう)」と言います。
和合のバランスが崩れた状態を「四大不調」と言い、病気であることを指します。
因縁がほどけて、四大がバラバラになった状態を「四大遠離(おんり)」あるいは「四大縁謝(えんじゃ)」と言い、死亡を意味します。
そのように、すべての存在は因縁でできており、実体のないものである、虚空、無礙であるという意味で「空」を加えて「五大」とします。
それを現したものが「五輪塔」であり、卒塔婆ともなります。

仮和合でありながら、確かにここに存在している自分。
自分という実態があるわけではなく、因縁によって存在している。その因縁は「必要だから」と考えることもできます。つまり「用」なのです。
もちろん、要不要に関わりなく因縁がほどけるときもあるでしょうから単純には言えませんが。
また「用」は「はたらき」という意味もあります。
固まった「体」に対して、常に動いている「作用」のことです。
自分はここに、何かをするために存在している。はたらきこそが因縁ということもできるのです。
綱渡りの一本道、しっかりと渡ってみようじゃないですか。

昨日の鶴岡東の試合も綱渡りのようでしたね。よく頑張りました。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。



サンサンラジオ223 お盆の言葉

2019年08月11日 05時00分04秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第223回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

8月11日、日曜日。

最上地方、昨日は雨が降って気温も下がりました。
猛暑続きだったので少し楽になった感じです。
この暑さで食欲がなくなりそうですが、まったく落ちません。
夏痩せしてもおかしくないのですが、まったく減りません。
この暑さをものともしない食欲、おそるべし自分。
ただ、脳の働きは落ちているようです。あまり回転していません。
うーん、暑さのせいではないのかも。

高校野球も始まりました。
金曜日は山形代表鶴岡東の試合でした。
勝ちました!初戦突破です。
相手は古豪高松商業。
相手投手はいい投手でしたが、何とか打ち勝ちました。
以前、東北特に山形の高校は、田舎者というか、全国レベルにはかけ離れた、参加するだけに意味があるような弱いチームが多かったのですが、この頃は、堂々と互角にあるいはそれ以上にいい試合をしてくれます。
今回もノーエラーだし、打つし、立派な戦いでした。
同じ東北の八戸学院光星も、仙台育英も2回戦に駒を進めています。
昨年は金足農業旋風が吹き荒れましたし、本当に東北も強くなりました。
ただ、温暖化も進んでいることから熱中症などもあって、根性論だけでは片づけられない高校野球になっています。
試合のあり方そのものに改革が必要な時代になってきているのだと思います。
1回勝つと次も期待してしまいますが、そんなプレシャーをものともせず、勝っても負けてものびのびと闘って欲しいと願います。

さて、お盆です。今月の門前の掲示板はこんな言葉です。
 
 親と先祖を
 尊ぶことは
 その延長たる
 己を守る
 ことである

この言葉は、震災後、やなせななさんとのつながりで出会った相馬市のCDショップモリタミュージックの森田文彦さんのお母さん文子さんの言葉です。
80歳を過ぎた文子さんは、ボケ防止と言って、1人で何やら字を書いているのだそうです。
何を書いているんだろうとのぞいた時に目に留まったのがこの言葉でした。
文彦さんは、「おふくろすごい!」とフェイスブックにUpしてくれました。
命は、この星に誕生してから一度も途切れていません。
正確に言うと、今ここにある自分の命は、40億年のはるか昔から途切れることなくつながってきた命の結果です。
その末端から元をたどれば、具体的には親となり、またその親となります。つまり先祖です。
そのことに思いをいたし、ここまでつなげられてきた命の尊さを感じるとき、それは同時に自分の命の尊さにも気づくことになります。
文子さんがどんな思いからこのような言葉をつむぐようになったのかは知る由がありませんが、きっと、先祖とつながる命に今自分が生かされていると感じたのかもしれません。
だから、先祖を思い、敬い、尊び、大事にすることが、自分自身を敬い、尊び、大事にすることになる。逆に言うと、自分を敬い大事にすることが、親と先祖を尊ぶことだ、と確信されたのだろうと思うところです。
若いころには、親だとか先祖だとか命のつながりだとかいうのはあまり関心がないことであり、自分のこと今のことのみが中心なのかと思います。
それが若いということであり、だからこそ純粋であり、高校球児のように今に集中できるものなのでしょう。
歳を重ねるのしたがって、過去現在未来の時の流れ、人と人とのつながり、未来の不安も含めて幅広く思いを巡らせることができるようになる。それはそれで成長と呼べるものかもしれません。
若いときは若いなりの、歳を重ねればそれなりの、受け止め方、感じ方、気づきがあっていいのですね。
年に一度、この時だけでも、墓参りをしながらそんなことも考えてみたらいかがでしょう。
お盆ですからね。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。


サンサンラジオ222 暑熱人をやぶらず

2019年08月04日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第222回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

8月4日、日曜日。

8月に入りました。
暑いですねー。
夏だから暑くて当たり前、結構なことなのですが。
7月は雨ばかりで、冷夏を心配し、何年前の凶作の時と同じだ、などと身構えたりしていました。
その時は、早く暑くなってくれないかと願ったことです。
なのにねえ、暑くなれば、よかったと安堵するより、涼しかったことを懐かしむようなことを口にしてしまうのです。
毎回同じことを言っているような気がしますが、人間はわがままなものです。

 東北の小寺の夏の裏庭に 暑さにうみて 鯉とたわむる(啄木さんごめんなさい)
池の鯉と遊ぼうと思って足を入れてみましたが、池の水も体温に近く、涼やかではありませんでした。

 暑熱をおづることなかれ、暑熱いまだ人をやぶらず、暑熱いまだ道をやぶらず
 不修よく人をやぶり、道をやぶる 

道元禅師の言葉です。
「やぶる」とは、ダメにするという意味でしょう。
暑さ寒さが人をダメにするのではない、ただ「不修」のみが人をダメにする、と。
厳しい暑さは体にこたえます。命を落とすこともあります。
しかし、「人間」は「体」だけを言うのではありません。
「人としての道」を歩むことは、人間として体と共に大事なことです。
寒苦と暑熱の道場で弁道に励む修行僧に、「辛くても修行をゆるくしてはならない」という、厳しくもあたたかい励ましの声として掛けられた道元禅師の愛語でした。
また、一心に弁道修行に励んでいれば寒暑によって体調を損ねることもない、という意味も含んでいたでしょう。
確かに、道場に入門したての頃、2月の永平寺で暖房の何一つない部屋に押し込められ、身につけているのは綿の下着と綿の一重の着物、それに黒衣のみ。見回りに来る古参僧は、「眠くなる」からと言ってガラス窓を開け放っていく。雪の舞い込む中、朝の3時から夜9時まで坐禅三昧の緊張の中で風邪をひく者は一人もいませんでした。
風邪など体調を壊しはじめるのは、少し慣れてきて気がゆるんできたころだった記憶があります。

まあ娑婆は修行道場ではないので精神力で暑さに負けないというようなことではありません。
暑いときは暑いなりの対処の仕方で乗り切るしかありません。
自然の作物のためには必要な暑さだと思えば耐えなければならないでしょう。
また寒くなれば、この暑さも恋しくなるはずです。

金曜日、用事で東京を日帰りしました。
今回もお伴は、今村翔吾『羽州ぼろ鳶組』シリーズ第4弾「鬼煙管」でした。
前回の失敗がありますから、気をつけながらと思いましたが、外を見た駅はもう古川の2つ前でした。
あっという間に時間が経つので、こういう本は危ないです。
今回の主役は、『鬼平犯科帳』の長谷川平蔵の父、先代平蔵で、その親子関係が描かれ、ワクワクしながら読みました。
冒頭を読み返してみたくなること必至です。

最上町では、この暑い時季に町会議員選挙の熱い?戦いが行われ、今日が投開票です。
選挙広報で候補者の主張を読んでも、具体的な政策はほとんど見当たらずボンヤリとした目標だけです。
結局、町村の選挙は縁故の票がほとんどで、熱くはなり得ないのかもしれません。
暑い中熱くなっているのは当事者たちだけで、町民は冷めた感じです。
とても残念なのは今回も女性の立候補者が一人もいなかったことです。
町政にもさわやかな風が吹けばいいのになと思います。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。