なあむ

やどかり和尚の考えたこと

三ちゃんのサンデーサンサンラジオ151

2018年03月25日 05時00分33秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

3月25日、日曜日。

東京にいます。
東京は今日がさくらの満開予想だとか。眺めている余裕はなく間もなくの新幹線で帰ります。
お彼岸となり、本格的な春到来となるのかと思いきや、思わぬところに雪が降ったりと気温の乱高下が続いています。
皆さま、体調はいかがでしょうか。
当地も、中日に小雪が舞ったり突風が吹いたり氷点下の寒空で、しっかり防寒をしての寺参りとなりました。
積雪の多い当地は、彼岸に墓参りができないので寺の位牌堂をお参りする習わしとなっています。
それでも三寒四温、徐々に温かい気温が続き、雪もみるみる溶けていくものと思われます。もう少しの辛抱です。

一昨日23日は宿用院の大般若会でした。
住職は愚息が務めていますが、前住職として毎年顔を出しています。
27年間住職をした寺なので、檀家の全員の顔が懐かしく、実家に帰ったような安らぎと心地よさがあります。
終わってからの酒席も楽しみにして交ぜてもらっています。
今年は、法要の前に落語のチャリティ寄席がありました。
これは、シャンティ国際ボランティア会と落語芸術協会のコラボレーションで実現しているものです。
今回は特に、寺院の法要が連続する日程の場合、旅費、宿泊費も含めて安価な出演料で口演するという企画のテストケースとして、宿用院の教区寺院が乗ったという形です。
宿用院での落語家さんは真打の春風亭柳太郎師匠でした。
柳太郎師匠は故柳昇師匠の弟子でしたが、師匠の逝去にともなって昇太師匠の弟子となっています。新作落語を得意としています。
宿用院では古典「長屋の花見」の他、小噺をいくつか披露していただきました。

そして昨日はシャンティ国際ボランティア会の定時社員総会でした。
NGOという組織は民間団体ですから、誰かからやらされたり嫌々活動するような団体ではなく、自らが自発的に始めて運営していくもので、最初に資金があってそれを何に使うのかという発想ではなく、やりたいことをやるために資金を集めるという性格を持っています。
なので、だいたいはどこも資金難の中で自転車操業をしています。
当会も当然のように、毎年赤字ギリギリのところで右往左往しています。
スタートはカンボジア難民キャンプ支援でしたが、その後タイのスラム、カンボジア国内、ラオス、ミャンマー難民キャンプ、アフガニスタン、ミャンマー国内、ネパールと、やりたい地域が広がり、拡大していきました。昨年度の決算額は7億4000万円程でした。
事業地が増えてもなるべく人件費を抑えようとするので、職員スタッフは苦労しています。
給料の為だけならば、他の職場の方が楽かもしれません。
でも、NGOで働きたいと思って入ってくる人は、はじめから給料以外のやりたいことを求めているので、苦労にも耐えられるのだと思います。
しかし、それぞれに家族がいて生活があるわけですから、その志に甘えて苦労を強いる訳にもいきません。
その辺が、理事役員が頭を悩ませるところです。
今年も無事に総会を終えました。
更に一人でも多くの子どもたちの笑顔の為に、これからも活動を行っていきます。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。


三ちゃんのサンデーサンサンラジオ150

2018年03月16日 16時29分05秒 | サンサンラジオ
♪゜・*:.。. .。.:*・♪
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

3月18日、日曜日。

今週は先週の続きの話をさせていただきます。
カンボジア、バッタンバンで事業視察をした後、夜の食事まで少し時間があったので、プノム・サンパウに行きました。
ここは別名「キリング・ケイブ」殺戮の洞窟と呼ばれ、ポルポト時代に虐殺が行われたところです。
国道を走っているとひときわ目立つ、唯一の小高い石灰岩の岩山で、頂上からの眺めも抜群です。頂に近いところから鍾乳洞が地下に伸びています。
そういう意味で昔から景勝地だったのだと思いますが、その鍾乳洞を利用して上から叩き落すという虐殺が行われた場所なのです。
近くに、虐殺前からあったと思われる地獄の様子を形にした彫像がありました。鍾乳洞を地獄の入り口に見立てて作られたのではないかと思いますが、そのリアルさが、虐殺という事実と重なり合ってなおさら背筋が寒くなるようでした。静かに読経させていただきました。

次の日バッタンバンを後にして、カンボジア在住の手束さんとはここで別れ、タイの八木沢さんと佐藤君と国境を越えタイへ。
佐藤君のたっての要望で、38年前のカンボジア難民キャンプ跡地サケオを訪れました。
街はすっかり変わってしまいましたが、病院や学校などにはうっすらとした記憶があります。
広大なキャンプ跡地は、その後軍隊の施設として使われたようですが、今は薬草の畑のようでした。
石垣のゲートが残り、コンクリートの建物の基礎が残骸として放置されていました。
そこから、ボランティアたちの宿舎にしていた村に行ってみようと車を走らせました。
その当時、一軒家の建物を借り、ボランティアは板の間にゴザを敷いてごろ寝していました。
メイドのおばちゃんを雇い、食事作りや掃除をしてもらっていました。
おばちゃんの旦那は小学校の教頭先生で、しょっちゅう顔を出していたので、私たちは「お父ちゃん、お母ちゃん」と呼んでいました。
時折3人の娘たちもやってきては、家族のように接していました。
「このあたりだったよな」と車を降りて探していると、佐藤君がいきなり近所の家に飛び込み昔のことを尋ねているではありませんか。
八木沢さんも加わって話を聞くと、何と、日本人がここにいて難民キャンプに行っていたことを知っているというではありませんか!
40代と思われる男性は、子どものころ近くに住んでいたらしいのです。
しかも何と、何と、その当時の教頭先生を知っていて、今も生きていると言うのです!
実は、尋ねる前、車の中で「お父ちゃんとお母ちゃん生きてるかな、いやあ、あのころ50代だと思うから90越えているし生きてないだろう。お父ちゃんは痩せていたからもしかしたら生きてるかもしれないけど、お母ちゃんは太っていたから生きてないね」などと勝手なことを言っていたのです。
尋ねた男性は、親切に、案内してやると言ってバイクで先導してくれました。
居ました!教頭先生!お父ちゃん!現在82歳とのことでしたから、あの当時は44歳だったということになります。
しかも何と!今は留守だけれど、お母ちゃんも元気だと!
ごめんなさい。でも、うれしかったあ。

ということで、今回の旅は、最後にサプライズのお土産まで付いてとても内容の濃い旅となりました。
青春時代の原点を訪ねる旅でした。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

アラ還の原点巡礼 その2

2018年03月12日 16時49分58秒 | ふと、考えた
アラ還の原点巡礼 写真集その2です。



タイ、アランヤプラテートからカンボジア、ポイペトへの国境越え。タイからは物資、カンボジアからは労働者がすごい勢いで交差し入り乱れている


カンボジアの事務所から迎えに来てくれたのは、東北管区教化センターが30周年記念事業で贈った車でした。ちゃんと生きていました






シャンティの事業視察で、成人の識字教育を行う地域図書館であるコミュニティ・ラーニング・センターと、幼児教育支援を行う小学校併設の幼稚園へ








バッタンバンにある小高い岩山。ここの鍾乳洞はポルポト時代虐殺に使われ、多くの人が叩き落され命を落とした。慰霊させていただいた




夜は事務所スタッフの慰労食事会




タイに戻り難民キャンプ跡地へ。かつて宿舎としていた場所にも行き、思いがけずその当時お世話をしてくれた人に38年ぶりに再会

三ちゃんのサンデーサンサンラジオ149

2018年03月11日 04時32分09秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

3月11日、日曜日。

先週はお休みをいたしました。
今日はその理由をお話いたします。

その前に、本日は3月11日ですので、東日本大震災で命を落とされた方々のご冥福をお祈りいたします。
よろしければご一緒にお手をお合わせください。合掌…。
ありがとうございました。

さて先週、3月2日から7日までタイとカンボジアに行っていました。
今から38年前の1980年、私はタイにあるカンボジア難民キャンプにボランティアとして赴任しました。
その当時のボランティア仲間4人と、懐かしい地を巡り余生を元気づける一生涯の思い出の旅をしようということになったのです。
4人のうち2人は、ボランティアから現地住民としてタイとカンボジアに住んでいるので、日本からは2人が出発しました。

一つ目の目的としてまず訪れたのは、タイ最北端の町チェンライです。
ここにはやはり難民キャンプ時代の仲間、日本人の珠子さんとタイ人のソムラックさん夫婦が住んでいます。
難民キャンプで陶芸の指導をしたソムラックさんは、その後日本に渡り唐津焼の人間国宝中里太郎右衛門に師事し1年で日展に入選するまでになった人です。
やがて故郷のチェンライに帰り焼き物工房を開き、今ではタイを代表する陶芸家となりました。
私たちが訪れた時も、テレビクルーが取材中でした。
自然と調和した工房もご自宅もまるで美術館のようで、時を忘れて癒されました。
夜には、彼がデザインしたレストランで食事をいただき、彼がデザインした国際瞑想センターの隅々まで案内していただきました。
坐禅の座り方を教えて欲しいというリクエストで、少し指導もしてきました。

次の日はもう一つの目的地、メコン川をはさんでラオス、ミャンマーとの国境、いわゆる黄金の三角地帯に行きました。
ここには我々の先達有馬実成師と先輩野村耕健師の遺骨が散骨されているのでその慰霊をしたいと思っていました。
メコン川は中国雲南省を源流とし、ラオス、ミャンマー、タイ、カンボジア、ベトナムを潤して海に入ります。
我々の先達の思いが東アジア各地に注がれますようにとの思いで水に祈りを捧げました。

チェンライから1000キロ移動して、次は東の国境の町アランヤプラテートから国境を越えてカンボジアへ。
シャンティ国際ボランティア会の活動地バッタンバンを訪れました。
カンボジアは7年ぶりです。
活動視察の後、夜は事務所スタッフ15名の慰労食事会で、これがもう一つの目的でした。
みんな楽しくにぎやかに食事をしてくれたのでとてもよかったと思います。
「人の悲しみと喜びを共感することができるのが他の動物と違う人間の特徴。アンコール・トムのバイヨン四面像が表す、慈悲喜捨の四無量心も同じ心。これからも人の幸せを喜ぶシャンティの仲間として共に活動していこう」というような話をしました。
帰りにかつての難民キャンプ跡地を訪れて、宿舎のあった場所を訪ねましたが、そこで思いもよらぬ出会いがありました。
残念ながら時間になってしまいましたので、そのことについては来週にお話いたします。

ブログの方に写真を載せておきましたので関心のある方はのぞいてみてください。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

アラ還の原点巡礼 その1

2018年03月09日 17時29分39秒 | ふと、考えた
3月2日から7日までタイ・カンボジアを旅したアラ還4人の写真集です。


目的1、タイ最北の町チェンライで陶芸工房を営む古いボランティア仲間、ソムラックさんと珠子さん夫妻を訪ねる





工房と自宅はまるで美術館のよう、デザインは全てソムラックさん自身による


自宅では、彼のリクエストで坐禅の指導も


夜には彼がデザインしたレストランで食事をいただく

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次の日はこれも彼がデザインした国際瞑想センターの建物群

目的2、我々の先達の遺骨を散骨した黄金の三角地帯のメコン川で慰霊



続く