三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第303回。2月28日、日曜日。
もう2月の最終日となりました。
寒い日が続きましたがいかがお過ごしですか。
「権力」という意味は、人を支配し服従させる力ですから、それを使うのは人間として好ましいことではありません。
人間の権力というものは猿山のボスの時代から引き継いだものでしょうか。
人が人を支配しない、つまり権力のない、必要のない社会というのは人間社会にはあり得ないのでしょうか。
軍事政権も共産主義政権も、権力によって民衆を支配するという意味では同じでしょう。
ミャンマーもタイも、武力によって政権を奪うというようなことは時代錯誤のように思いますが、それを覆す力がない民衆は従わざるを得なくなります。
中国や北朝鮮の共産主義政権では粛清や拘束などの恐怖によって国民を服従させているのでしょうか。
今のロシアのイデオロギーが何と呼ばれるのか分かりませんが、共産主義からは脱却したのでしょう。しかし、プーチンという強大な権力者によって反体制派は徹底的につぶされているように思います。自由にものが言えないというのは健全ではありません。
では自由主義陣営の雄アメリカはどうかと言えば、トランプという駄々っ子のような人間がトップになったとたんに、その権力を振りかざしてわがまま勝手にふるまってしまいました。こちらは経済という餌を武器に、商取引のように民衆を支配をしてきたのではないでしょうか。
こうやって見ると、問題なのはイデオロギーや軍政という枠組みではなく、権力そのものではないかと思われます。
では日本という国はどうでしょうか。
どうも他の国をとやかく言えるような状態ではなさそうです。御代官様の時代と変わらないのような、それこそ時代遅れの賄賂や癒着の政治が見えないところで粛々と行われているようです。
政治家に対する不信がこれほど高まっている時代もないのではないかと思われます。
官僚は自分のポストの確保でしょうか。忖度というつまりは取引で成り立っているような感じです。
いずれにせよ、権力を私物化しているのではないかと思わざるを得ません。
権力が人を支配するのは国レベルだけではありません。
民間企業や教育機関、各種団体組織の中でも自分の意思を他人から曲げさせられるような権力構造はあるでしょう。
もっと小さな範囲では、家族の中でも支配、服従させられる構造があると思われます。
人が人を支配する。怖いことです。
上下関係がなければ秩序が保てない。それは分かります。
命令系統、指示系統がはっきりしていないと混乱してしまうことにもなります。
しかし、その上下関係は役割上の混乱を引き起こさないための関係であり、人格の上下関係ではないはずです。
たとえば、会社での上下でいえば、昨日まで上司だった人が定年退職後に部下だった人の部下になる、つまり立場が逆転してしまうことはよくあるわけで、役割上の関係を人格の問題に混同してしまうことで不幸を感じてしまうことになるでしょう。
必要なのは人格としての互いのリスペクトで、それさえ忘れなければ立場が逆転しようが不幸を感じることはないはずです。
永平寺などの修行道場でもありますよ。
修行道場の序列は一日でも早く入った者が上という決まりですから、新人修行僧は1年上の修行僧の顔も見れないという状況から始まります。年齢の上下も全く関係ありません。
上の者の中には権力を手にしたかのように錯覚して傍若無人に下の者を蹂躙するというような者もいます。
そのような人は、人格まで支配するような言動で下の者に当たります。リスペクトなど微塵も感じられません。
しかし、上の者も下の者もいずれ道場を去って社会の一員となるのです。
その時に、あの人は自分をどのように見ていてどのように接したのかはその後生涯にわたって印象として残ります。恐ろしいことです。
人を支配してはいけません。役割と人格は区別しなければなりません。
今トランプさんはどのような心持でいるでしょうか。何かに怯えていないでしょうか。
プーチンさんも軍事政権のトップの人も、自分が下野したときの怖さを感じているのではないでしょうか。
人を支配した者は、自分が支配されることを恐怖に感じるのではないかと思うのです。
猿山のボスも力によってその座を奪われた後はみじめですよね。
人間はいつまでも猿と同じではいけません。
リスペクト、お互いに敬意をもって接していくのが猿と違う人間の関係でなければなりません。
それは、家庭内でも組織の中でも国の間でも同じです。
敬い合い、拝み合う社会を目指しましょう。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。
もう2月の最終日となりました。
寒い日が続きましたがいかがお過ごしですか。
「権力」という意味は、人を支配し服従させる力ですから、それを使うのは人間として好ましいことではありません。
人間の権力というものは猿山のボスの時代から引き継いだものでしょうか。
人が人を支配しない、つまり権力のない、必要のない社会というのは人間社会にはあり得ないのでしょうか。
軍事政権も共産主義政権も、権力によって民衆を支配するという意味では同じでしょう。
ミャンマーもタイも、武力によって政権を奪うというようなことは時代錯誤のように思いますが、それを覆す力がない民衆は従わざるを得なくなります。
中国や北朝鮮の共産主義政権では粛清や拘束などの恐怖によって国民を服従させているのでしょうか。
今のロシアのイデオロギーが何と呼ばれるのか分かりませんが、共産主義からは脱却したのでしょう。しかし、プーチンという強大な権力者によって反体制派は徹底的につぶされているように思います。自由にものが言えないというのは健全ではありません。
では自由主義陣営の雄アメリカはどうかと言えば、トランプという駄々っ子のような人間がトップになったとたんに、その権力を振りかざしてわがまま勝手にふるまってしまいました。こちらは経済という餌を武器に、商取引のように民衆を支配をしてきたのではないでしょうか。
こうやって見ると、問題なのはイデオロギーや軍政という枠組みではなく、権力そのものではないかと思われます。
では日本という国はどうでしょうか。
どうも他の国をとやかく言えるような状態ではなさそうです。御代官様の時代と変わらないのような、それこそ時代遅れの賄賂や癒着の政治が見えないところで粛々と行われているようです。
政治家に対する不信がこれほど高まっている時代もないのではないかと思われます。
官僚は自分のポストの確保でしょうか。忖度というつまりは取引で成り立っているような感じです。
いずれにせよ、権力を私物化しているのではないかと思わざるを得ません。
権力が人を支配するのは国レベルだけではありません。
民間企業や教育機関、各種団体組織の中でも自分の意思を他人から曲げさせられるような権力構造はあるでしょう。
もっと小さな範囲では、家族の中でも支配、服従させられる構造があると思われます。
人が人を支配する。怖いことです。
上下関係がなければ秩序が保てない。それは分かります。
命令系統、指示系統がはっきりしていないと混乱してしまうことにもなります。
しかし、その上下関係は役割上の混乱を引き起こさないための関係であり、人格の上下関係ではないはずです。
たとえば、会社での上下でいえば、昨日まで上司だった人が定年退職後に部下だった人の部下になる、つまり立場が逆転してしまうことはよくあるわけで、役割上の関係を人格の問題に混同してしまうことで不幸を感じてしまうことになるでしょう。
必要なのは人格としての互いのリスペクトで、それさえ忘れなければ立場が逆転しようが不幸を感じることはないはずです。
永平寺などの修行道場でもありますよ。
修行道場の序列は一日でも早く入った者が上という決まりですから、新人修行僧は1年上の修行僧の顔も見れないという状況から始まります。年齢の上下も全く関係ありません。
上の者の中には権力を手にしたかのように錯覚して傍若無人に下の者を蹂躙するというような者もいます。
そのような人は、人格まで支配するような言動で下の者に当たります。リスペクトなど微塵も感じられません。
しかし、上の者も下の者もいずれ道場を去って社会の一員となるのです。
その時に、あの人は自分をどのように見ていてどのように接したのかはその後生涯にわたって印象として残ります。恐ろしいことです。
人を支配してはいけません。役割と人格は区別しなければなりません。
今トランプさんはどのような心持でいるでしょうか。何かに怯えていないでしょうか。
プーチンさんも軍事政権のトップの人も、自分が下野したときの怖さを感じているのではないでしょうか。
人を支配した者は、自分が支配されることを恐怖に感じるのではないかと思うのです。
猿山のボスも力によってその座を奪われた後はみじめですよね。
人間はいつまでも猿と同じではいけません。
リスペクト、お互いに敬意をもって接していくのが猿と違う人間の関係でなければなりません。
それは、家庭内でも組織の中でも国の間でも同じです。
敬い合い、拝み合う社会を目指しましょう。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。