今更なのですが、曹洞宗の檀信徒向け月刊誌「禅の友」の依頼で寄せた震災関係の文章です。4月末頃締切の記事ですから随分初期のものですが、総括的に書いています。よろしければお読みください。
禅の友 7月号 震災特集
「東日本大震災 被災地から見えたもの」
今まで経験したことのない災害
私はこれまで、阪神淡路大震災、新潟県中越地震、宮城県沖地震の被災現場に立ってきましたが、この度の東日本大震災の現場は、これまでとは全く違った様相を呈していました。
地震による被害だけであれば、家屋が倒壊したとしても家はその場所にあり、衣類や貴重品、思い出の品を掘り起こすことができます。
ところが、今回の災害では、日本最大の地震の後に過去最大級の津波が押し寄せたことにより、家屋は根こそぎさらわれてしまいました。
さらわれ、奪われたのは家だけではありません。車、船、財産、思い出、仕事、町そのものが奪われたと言っても過言ではありません。そして、多くの方々が犠牲となられ、多くの方々は、ご家族のご遺体そのものを奪い去られてしまいました。
その被災地が、北東北から関東までという非常に広範囲にわたっている点、更に、福島原発の放射能被害も加わった点において、この国がこれまで経験したことのない、未曾有の大災害となりました。
私は、発災から4日後の3月15日に被災地に入り、気仙沼、陸前高田、南三陸、釜石、大槌の現場を歩きました。瓦礫でふさがった道路を自衛隊が復旧作業にあたっていました。その傍らで、消防隊員や地元の消防団のはっぴを着た人たちが各々手に長い棒を持ち、数人ずつのグループになって捜索活動を行っていました。
瓦礫の原野と変わり果てた海岸沿いは、ここに人が住む町があったことすら想像ができないぐらい破壊し尽くされていました。そんな瓦礫の中から、家族の消息と思い出の品を探す被災者の姿に胸が締め付けられました。「ご先祖の位牌を探している」というご家族がいました。本堂が流され、住職さんが流されたお寺もありました。
そんな中、被害を免れた寺院では、大勢の地域の人々の避難所になり、遺体安置所になり、また、炊き出しや物資の集積所となったりして活躍されておりました。お寺が地域の中にしっかりと位置づけられ、地域の拠り所として機能していることを感じました。
善意はしぼみやすい
全国から、あるいは国外からも多くの善意が寄せられ、励ましの声が届いています。人々の優しさと暖かさ、連帯感を強く感じさせられました。特に、これまで被災された、阪神淡路の人々、中越の人々、更には、インドネシア、ニュージーランドなど、同じ経験をした人々からの支援がいち早く届けられたことは、痛みの分かる人々の心が通じ合う結果かと感じられました。
よその国の人々から驚かれたのは、避難所で行列を作って炊き出しや物資の配布を待つ被災者の秩序と忍耐力でした。それと、地域ごとに被災者を受け止め、共同生活をする、共に生きる助け合いの心という地域力でした。岩手県大槌町の吉里吉里地区では、線路の下の地区が壊滅し、上の地区の人々がそれぞれの住宅に分散して共同生活をしていました。
そういう意味では、今回の災害は、日本人の底力、人間力のようなものを見直し、確認する機会になったといえるかもしれません。
しかし、被災地では、まだまだ多くの支援が必要とされています。忘れないでいただきたいと思います。
善意はしぼみやすく、続きにくいものです。一度、物資支援や募金活動に参加すると、次第に善意の熱は冷めてしまうものだと感じています。善意だけでは足りないのです。
善意の発火点には「かわいそう」という感情が強くあると思います。でも、感情は繰り返されることによって慣れてくるものです。「かわいそう」ではなく、「困っている」からという視点で見ると、困らなくなるまで支援は必要だと気づくことができるでしょう。
「慈悲」と「智慧」
3月11日以来、テレビの報道を見て、皆さんは何度涙を流したでしょうか。見ず知らずの人の幸せをどれほど祈ったでしょうか。
ひとの悲しみに涙し、ひとの喜びに感動し、ひとの幸せを願う、それが他の動物とは違う人間の特長というものでしょう。その心を仏教では「慈悲」と呼ぶのだと理解しています。この心をなくさないでいきたい。人間として生きていきたい、と思います。
そして、「慈悲」を持続させる力としてもう一つ必要なのが「智慧」です。何が必要かを見極め、一時の感情ではなく、どのように継続させていくか、どういう行動が役に立つのかを考える冷静な判断、「慈悲」が車のエンジンだとすれば、「智慧」はハンドルともいえるでしょう。エンジンだけでは方向が定まらず暴走するかもしれません。しかし、ハンドルだけではいつまでたっても車は動きません。エンジンとハンドルがうまく機能して、有効な支援が行われると考えます。
この度の災害は、かなりの長期にわたって支援が必要になると思われます。
災害に遭わなかった地域の人々は「ここは幸せだね」と思ったことでしょう。だとしたら、その幸せの何割かを被災された方々と分け合うようなお気持ちで、この災害と向き合っていただきたいと願います。
「分け合う悲しみは半分の悲しみ、分け合う喜びは2倍の喜び」という言葉があるように、喜びや幸せは、分け合うと減るのではなく、分けた分だけ増えるものだと実感しています。「豊かさ」とはその心を指すのではないでしょうか。
慈悲と智慧の両輪を回して支援にあたってまいりましょう。
(一部改訂)