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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第217回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。
6月30日、日曜日。
お線香のトップメーカー日本香道が実施した興味ある調査結果を眼にしました。
教育評論家尾木ママこと尾木直樹さんは、長年いじめ問題を研究する中から「供養行為とやさしさ」には関係性があるはずという仮説を持っていました。
それを実証するため、日本香道が尾木さんの指導監修の下、調査を実施したものです。
全国の中学生と高校生1236人を対象にして2015年8月に実施されました。
その内容は次のようなものです。
まず、中高生の墓参りと仏壇参りについて
少なくとも年に1回は墓参りをするという割合は65%だった。
次に仏壇参りについて
家に仏壇があるのは25%。その中で毎日仏壇に手を合わせる割合と家に仏壇はないけれど祖父母の家に行ったときに毎回仏壇に手を合わせるという割合の合計は41%で、時々するの37%、しないの21%よりも多かった。
一方、心の問題
他人に対するやさしさの尺度としてコンパッションという概念があるようですが、日本語では「やさしさ」や「おもいやり」にあたる言葉のようです。
それを測る方法として、以下のような質問をします。
「誰かがその人の悩みについて話すとき、『そんなの知らないよ』と感じる」か。
それに対して、「そうではない」「どちらかといえばそうではない」「どちらでもない」「どちらかというとそうである」「そうである」から選んでもらうという方法です。
それらの質問が16項目あります。
そして、墓、仏壇参りの集計とコンパッションの集計をクロスすると次のような結果となりました。
「誰かがその人の悩みについて話すとき、『そんなの知らないよ』と感じる」という質問で、お墓参りを年1回以上する子どもの54.1%が「そうではない」「どちらかといえばそうではない」と回答。お墓参りを年1回もしない子どもは44.6%で9.5ポイントの差だった。
同じ質問について、仏壇に「毎回手を合わせる」子どもが56.6%で「手を合わせない」子どもが43.9%、その差は12.7ポイントだった。
「誰かが困っている時、私はその人のためにそばにいたい」という質問では、毎回仏壇に手を合わせる子どもの45.6%が「そうである」「どちらかといえばそうである」と回答したのに対して、仏壇に手を合わせない子どもは33.2%で12.4ポイントの差がついた。
この結果について尾木直樹さんは、
「統計学的にみて、お墓参りや仏壇に手を合わせる行為の頻度と、コンパッションの高低には有意差があることが確認できた」
「仏壇に手を合わせるという行為を通じて、他者への理解・共感が内面化されている可能性が高い」
「教科書や『徳目』的な道徳教育よりも、具体的に祈る行為の力の方が、確実に子どもたちのなかにコンパッションを醸成し高めることを暗示しているのではないか」
と述べています。
この調査は、いじめの心の問題とお墓や仏壇への供養の行為との関係性という視点から調査された結果ですが、罪を犯した人とその家庭の仏壇の有無の関係性もこれと類似しているのではないかと想像されました。
「やさしさ」や「おもいやり」の心は、お墓や仏壇に手を合わせ「祈る」という行為と密接に関係しているようです。
祖父母との非同居や集合住宅、戸建ての場合の間取りの関係から、日本の家庭から仏壇が減り続けている状況があり、それが子どものいじめ問題や反社会的行動、犯罪に影響を及ぼしているのだとしたら、今まさにその流れの中枢にいる世代の我々が、真剣に考えなければならない問題だと思います。
住宅を便利さやデザインだけで選択するのではなく、家庭教育の場、命の教育の場として捉えなおさなければならないことだと言えます。
日本には、住環境も含めて日本人の精神構造を培ってきた文化や習慣があるのですから、変革するにもその意味を理解したうえで行うべきだと考えます。
この話題の関連で、脳科学者中野信子の『脳科学からみた「祈り」』を読みました。こちらも非常に興味深い内容でした。こちらについては次回にでもご紹介します。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第217回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。
6月30日、日曜日。
お線香のトップメーカー日本香道が実施した興味ある調査結果を眼にしました。
教育評論家尾木ママこと尾木直樹さんは、長年いじめ問題を研究する中から「供養行為とやさしさ」には関係性があるはずという仮説を持っていました。
それを実証するため、日本香道が尾木さんの指導監修の下、調査を実施したものです。
全国の中学生と高校生1236人を対象にして2015年8月に実施されました。
その内容は次のようなものです。
まず、中高生の墓参りと仏壇参りについて
少なくとも年に1回は墓参りをするという割合は65%だった。
次に仏壇参りについて
家に仏壇があるのは25%。その中で毎日仏壇に手を合わせる割合と家に仏壇はないけれど祖父母の家に行ったときに毎回仏壇に手を合わせるという割合の合計は41%で、時々するの37%、しないの21%よりも多かった。
一方、心の問題
他人に対するやさしさの尺度としてコンパッションという概念があるようですが、日本語では「やさしさ」や「おもいやり」にあたる言葉のようです。
それを測る方法として、以下のような質問をします。
「誰かがその人の悩みについて話すとき、『そんなの知らないよ』と感じる」か。
それに対して、「そうではない」「どちらかといえばそうではない」「どちらでもない」「どちらかというとそうである」「そうである」から選んでもらうという方法です。
それらの質問が16項目あります。
そして、墓、仏壇参りの集計とコンパッションの集計をクロスすると次のような結果となりました。
「誰かがその人の悩みについて話すとき、『そんなの知らないよ』と感じる」という質問で、お墓参りを年1回以上する子どもの54.1%が「そうではない」「どちらかといえばそうではない」と回答。お墓参りを年1回もしない子どもは44.6%で9.5ポイントの差だった。
同じ質問について、仏壇に「毎回手を合わせる」子どもが56.6%で「手を合わせない」子どもが43.9%、その差は12.7ポイントだった。
「誰かが困っている時、私はその人のためにそばにいたい」という質問では、毎回仏壇に手を合わせる子どもの45.6%が「そうである」「どちらかといえばそうである」と回答したのに対して、仏壇に手を合わせない子どもは33.2%で12.4ポイントの差がついた。
この結果について尾木直樹さんは、
「統計学的にみて、お墓参りや仏壇に手を合わせる行為の頻度と、コンパッションの高低には有意差があることが確認できた」
「仏壇に手を合わせるという行為を通じて、他者への理解・共感が内面化されている可能性が高い」
「教科書や『徳目』的な道徳教育よりも、具体的に祈る行為の力の方が、確実に子どもたちのなかにコンパッションを醸成し高めることを暗示しているのではないか」
と述べています。
この調査は、いじめの心の問題とお墓や仏壇への供養の行為との関係性という視点から調査された結果ですが、罪を犯した人とその家庭の仏壇の有無の関係性もこれと類似しているのではないかと想像されました。
「やさしさ」や「おもいやり」の心は、お墓や仏壇に手を合わせ「祈る」という行為と密接に関係しているようです。
祖父母との非同居や集合住宅、戸建ての場合の間取りの関係から、日本の家庭から仏壇が減り続けている状況があり、それが子どものいじめ問題や反社会的行動、犯罪に影響を及ぼしているのだとしたら、今まさにその流れの中枢にいる世代の我々が、真剣に考えなければならない問題だと思います。
住宅を便利さやデザインだけで選択するのではなく、家庭教育の場、命の教育の場として捉えなおさなければならないことだと言えます。
日本には、住環境も含めて日本人の精神構造を培ってきた文化や習慣があるのですから、変革するにもその意味を理解したうえで行うべきだと考えます。
この話題の関連で、脳科学者中野信子の『脳科学からみた「祈り」』を読みました。こちらも非常に興味深い内容でした。こちらについては次回にでもご紹介します。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。