なあむ

やどかり和尚の考えたこと

地蔵まつり やわらかコンサート

2012年05月28日 21時46分04秒 | 宿用院

昨日は、既報の通り、第23回宿用院地蔵まつり「やなせななやわらかコンサート」でした。

2月に河北町婦人会でも公演されたので、「もう一度聴きたい」「あの時聴き逃したので今度こそ」「大好評の噂を聞いて」という方々が多く、地蔵まつり始まって以来の来場者で本堂が満席でした。

2月に聴かれた方々への配慮もあって、前半はこれまでのイメージとは違う明るい雰囲気での歌とトークでした。

そして後半、たたみかけるような熱き想いと感情がほとばしる歌、観客のほとんどが目頭を熱くして聴き入っていました。

単なる歌ではない、単なる講演でもない、その両方が一体となり相乗効果となってやなせななコンサートは感動に包まれます。

福島から山形に避難移住されているご家族や、わざわざ福島から駆けつけたやなせさんのファン、また、気仙沼の仮設住宅に住む漁師一家もあり、今回もとても熱いすばらしいコンサートになりました。

公演がよければその後の打ち上げが盛り上がるのは必定で、ここでは書けないほどの大騒ぎでした。本当に楽しかった!

その中で、実行委員スタッフから「来年も是非!」との声が上がり、その場でアンコール公演が決定されました。

来年もお楽しみに!

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以下は、来場者の一人須藤泰一さんのfacebookから転載させていただきます。

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「まけないタオル」の発案者・三部義道住職の寺、河北町の「宿<wbr></wbr>用院」で、「まけないタオル」を歌っている“やなせなな”さんの<wbr></wbr>コンサートが行われた。

 二人で、被災地へもう何度となく訪れたこの「まけないタオル」<wbr></wbr>も、5万枚を越えたという。

 本堂には、座りきれないほどの人たちが、“やなせなな”さんの<wbr></wbr>温かく優しい歌声に、涙でグショグショになりながら、心が柔らか<wbr></wbr>くなった。

 首にも頭にも「巻けない」という短いタオルが、「負けない」タ<wbr></wbr>オルとなって被災地を駆け回った。
最初は、冗談のようだったが、三部住職の思いは真剣だった。
少しでも、被災地の方々にクスッと笑いを提供しながら、「負けな<wbr></wbr>い」で欲しいという思いは、次第に広がっていった。

 僕も、真っ先にこの「まけないタオル」に賛同して、その思いを<wbr></wbr>伝えていったつもりだ。

 被災地を想う“やなせなな”さんの歌と、三部住職の話に、涙が<wbr></wbr>止まらなかった。
 被災地の復興はまだまだで、僕たちのできることは、まずは忘れ<wbr></wbr>ないことだ。

 地震や津波は自然災害であきらめもつくが、福島の原発は「人災<wbr></wbr>」であきらめきれず、恨んでも恨みきらない。

 その福島の方々への支援は、僕たちが「福島」へ行って、福島の<wbr></wbr>ものを食べ、福島のものを買うことだ。
それが福島の人たちを応援することになると、三部住職は言う。

 来週、我らが「河北町環境を考える会」の代表でもある三部住職<wbr></wbr>と一緒に、「福島」へ行く予定だ。


酒を呑ませた者

2012年05月21日 15時12分25秒 | ふと、考えた

このところ連日飲み会が続いています。

17日、SVA打ち合わせat信濃町

18日、古いボランティア仲間と福島についてat秋葉原

19日、「大丈夫」映画上映トークショー打ち上げat河北町谷地

20日、21教区会at最上町瀬見温泉

本日これから、12教区会at河北町谷地

「どうせ毎日飲んでいるんだろ」と言われますが、実はこれで、一人で家にいる時はめったに飲みません。

「昨日は飲まされた」などと言うと、母親からも家内からも「誰があなたの口を無理矢理開けて酒を入れたのですか」と言われるので、気をつけなければいけません。

そうです、自分の右手を使って口に持っていって自分で口を少し開けました。

飲み会は、飲むだけでなく食べ物も食べるので、カロリー過多になります。

昨日も、1次会が終わり、2次会でラーメン食べようということになりました。私はもうラーメンは要らないとビールだけにしていたのですが、ラーメンが運ばれ、みんなが美味しそうにすするのを見ているとどうにも我慢ができなくなり、結局食べてしまいました。なんという意志薄弱。そういう者に周囲はやさしい。

今日の昼も、昨日は食べ過ぎたし、これからまた飲み会だから、昼は抜こう、空腹は体にいいらしい、と決めたのですが、少ーし空腹を感じ、目の間にそば屋が現れたとたん、ハンドルを切ってしまいました。ここの冷たい肉そばが旨いんだ。なんという自己嫌悪。

全~部自分の責任です。他人のせいではありません。


カメ香

2012年05月15日 21時29分39秒 | ふと、考えた

今年の春は異常にカメが多い。

冬前にカメが多いのはよく知っていましたが、春にもこんなに出るのかと、今年初めて知りました。

というか、今年は特に多いと皆さん申しております。

異常発生ですね。

というか、昨年の大量発生分が、春になり屋内から屋外へ出て行こうとする数なのでしょう。

昨秋は、集中講座の頃に大量発生して、高座の柳家さん喬師匠の周りをブンブンブンブン飛んでヒヤヒヤしたものでした。

そのうちの1匹があろう事か師匠の膝に落ち、師匠はそれをつまんで袂にしまい、何食わぬ顔で噺を続けたのでした。名人はスゴイ!

というか、師匠には本当に申し訳ないことをしました。高座設定の配慮が足りませんでした。

しかし、これほどのカメが寺の建物の隅々、見えないところに隠れていたのだと思うと、ある意味恐ろしくなります。

本堂の畳やガラス戸にへばりついているのを、そのまま放っておくわけにもいかず、やむを得ず駆除しております。

それにしても、このカメぐらい捕まえやすい虫はないですね。

羽根はありながら飛んでもわずかばかりで、落ちれば仰向けになってジタバタするし、割り箸でつまむのもそれほど苦労はしません。匂いがなければいいのですが。

でも、時々考えます。

この世に意味もなく生まれた命はない、と言うではありませんか。私も言います。

カメの生きる意味は何なのでしょうか。生まれた意味は。

カメやゴキブリは死んでもいいのだ、などというのは人間の傲慢なのではないでしょうか。

そんなことで、お坊さんはいいのですか。

というか、カメの生きる権利はないのですか。

もしですね、もしカメの発する匂いがさわやかなお香の香りならば、扱いがまるで違うでしょうね。

虫かごに入れて芳香剤として玄関に置くとか、タンスに吊すとか。

匂い袋にして懐中にしのばせるとか。

部屋中にいっぱい放してカメ香浴するとか。

色々な使われ方をしたでしょう。

もちろん、みんなこぞって捕獲しますから、需要が高まって繁殖する業者もできるでしょう。

もう、山形は一大カメ産地、特産品カメ。そのうちカメ成金、カメ御殿もできるでしょう。

誰か、あの匂いを変える研究をしないですか。大発明、ノーベル賞間違いなしです。

くさい話でいつまでも失礼しました。


大震災 128 言論統制か

2012年05月10日 22時23分17秒 | 東日本大震災

千年に一度の津波。甚大な被害をもたらしました。

加えて、福島の原発事故は、これまでこの国の人々が被ったことのない大被害になっています。

事故によって放出されたセシウムの量だけをみれば、広島原爆の168個分だといわれています。

それ以外の違いもあるようですので、単純に比較できるものではないようですが、それにしても、60年以上経っても日本人の誰もが知っている、誰もが恐怖を感じる、あの広島の原爆よりも福島の原発事故が大きな事故であることを知っている日本人は何%いるのでしょうか。

しかも、たった一年しか経っていないのに、既に忘れ去られるような空気は、いったい何なのでしょうか。

肥田先生の本に書いてありました。

原爆投下後、広島に入ったGHQは、日本国民に原爆のことは人に話さないようにと、日本政府に厳命したとのことです。

アメリカとしては、初めて使った原爆の効果を他国に知られたくなかったという事情があるのでしょう。日本政府は、占領下ですから嫌とは言えない状況にあったのでしょう。

爆発によって直接死亡した人以外、直接や間接に被曝して時間が経ってから現れた症状については、原爆との関連性は全く無視されたとのことでした。

何かものを言う人は警察に連行されたということもあったようです。

そして、被曝者は、誰にも相談できず、診察も受けられず、差別的な扱いをされて、見捨てられたように死んでいったというのです。

まさか今の福島で同じようなことが起ころうとしているわけではないだろうと思います。

ないだろうとは思いますが、この大事故の重大さがあまりにも国民に知らされていない、たった一年でこれほど関心を薄くさせられている、そこには、何か意図があるのではないかと、思いたくなります。

どうも、真実は、知ろうとしないと知れないような状況にあります。

しかし、今は敗戦後の言論統制下ではありません。

知りたいことを知り、言いたいことを発言できる社会です。

まず知らなければなりません。

そして、知ったことは言わなければなりません。

福島を他人事のように眺めていてはいけません。

このまま、忘れ去られることを待っているような仲間になってはなりません。

な日本列の中に「福島」があります。

福島の幸せなくして、日本列島の幸せはありません。


大震災 127 内部被曝

2012年05月09日 22時44分54秒 | 東日本大震災

先日、河北町環境を考える会の総会で講演いただいた渡辺祥文さんから推薦された本のもう一冊をようやく読了しました。

肥田舜太郎著「内部被曝」。

肥田先生は、広島で自身が原爆に被爆しながら6000人の被爆者を診てきた医師で、現在95歳の現役です。

低線量の長期被曝が、高線量短期被曝よりもずっと怖い、だから、食物による内部被曝がとても危険であると力説されています。

広島の被爆者を多数診察してきた実績、また、チェルノブイリ、スリーマイル島の原発事故による放射能被害を詳しく分析されての発言は説得力があります。

広島で発症した「原爆ぶらぶら病」の現象が福島はじめ各地で起こるだろうと予測されています。

怖いことではありながら、これが現実なのだとすれば、まず、その事実を知り、受け止め、そこからものを考え、どう生きるかを対処しなければならないのだろうと思います。

そのためにも、多くの方が読むべき著書であるといえます。

特に、福島、原発を考える人は読むべきと思います。

扶桑社新書「内部被曝」肥田舜太郎著。


大震災 126 一心通心

2012年05月08日 16時22分08秒 | 東日本大震災

チーム21世紀文明の早坂文明さんは、

「チーム21世紀文明」というのは、まけない!タオルをきっかけにできたチームで、やなせななさんと三部で7×3=21、と早坂文明さんを加えてできた名前です。

その早坂さんが、大津波で壊滅してしまった自坊、徳泉寺の復興を発願して、「一心通心」という写経運動を始められました。

多くの方々の心を寄せ合わせ、心を一つにすることで、祈りの心は通じるという願いでしょう。

「はがき一文字写経」の賛同者第一号は永六輔さんです。

広く多くの方々のご参加を呼びかけておりますので、ご関心の方は以下のHPをご覧ください。

http://tokuhonji.jp/tokusenji/

チーム21世紀文明は、6月長野にお招きいただいています。

そのチラシが送られてきました。

まけない!タオル1000本が、来場者に配られることになっています。

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大震災125 気仙沼と最上町

2012年05月07日 19時23分11秒 | 東日本大震災

5月5日、山形新聞に記事が載りました。

気仙沼の集会場再建にあたり、最上町の大木が大黒柱として贈られる、という記事です。

震災後、気仙沼と最上町は、色々な交流を展開してきました。

その元々のきっかけは、気仙沼の清涼院住職と私が友人だったということにあります。

震災後私が真っ先に向かったのは清涼院さんでした。

抱き合って無事を確認し、ささやかな支援が始まりました。

それが元で、シャンティ国際ボランティア会現地事務所の用地として境内をお借りすることになりました。

息子陽堂がこの事務所で2ヶ月間ボランティアする間、被災家族と家族ぐるみのつきあいが始まったのです。

その後、最上町の温泉リフレッシュプランに訪れた家族は、姉のグループとも交流がはじまり、それがきっかけで、気仙沼漁師による震災後はじめての、復活「大漁唄い込み」最上町公演が実現したのでした。

更に、そこで出会った「黒澤餅搗き唄保存会」のメンバーとの交流も始まり、つながりの輪は益々大きく強くなっていきました。

そして今回、気仙沼市本吉町前浜集会所再建の計画の中で、最上町との交流の証として、大黒柱になる大木をいただけないかという打診が義兄にあったのです。

それは光栄のことと、町の木を探している中で、100年の杉の大木を寄贈したいという人も現れ、黒澤の神社境内のこぶしの大木と合わせて、2本の木を気仙沼に贈ることになった、という記事なのです。

震災支援を縁として、山と海の民が市民レベルで交流することが、今後長期に亘って約束されたような出来事となりました。

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大震災124 南相馬からの便り

2012年05月06日 11時14分20秒 | 東日本大震災

南相馬市原町区の高橋美加子さんにお会いしました。

クリーニング業を営む高橋さんは普通(?)の主婦ですが、原発事故以来、南相馬の現実を発信し、地域の人々と力を合わせて、現実に向き合い、そこでどう生きるかを模索し、先頭に立って活動を続けています。

昨年4月10日に発信された「南相馬からの便り」は、第1号「知ってください!」を皮切りに、今年4月19日に発信された「みんな共和国ができました」で第7号になりました。

「この地域はいまや、日本という国から抹殺されようとしていると感じる出来事が続いています」

「このごろ、カラスの姿が少ないよね。みんな浜に行っているみたいだよ。いまどき、鳥葬なんてむごすぎる」

「『我慢強い東北人に世界は感嘆の声をあげている』なんていわれると、バカヤロー!と叫びたくなります」

「今、私は声を出します。大きな声ではなく、心の底からの祈りの叫びです。原子力で電気を作るのは、もう、やめてください!」

「被災者は敗者ではなく、新時代の幕開けを告げる使命を持った勇者なのです。(つながろう南相馬!須藤栄治)」

そして、今年2月に開催され、1500人が参加した「南相馬ダイアログフェスティバル」で、「想いのツリー」に貼られたそれぞれの想いの中には子どもたちのこんな想いが・・・

「海や川で遊べるのはいつですか」

「20㎞内の動物のいのちはどうなりますか?」

「私たちが生きているうちに放射能問題はなくなりますか?」

「私たちは悪いことをしていないのに、なぜ同じ日本国民からまでも死の町などとよばれなくてはいけないのですか?中3」

「「将来、子供が産めますか?中」

「僕はいつまで楽しくいきられるでしょうか」

「じいちゃんちのすいかをたべてもいいですか」

そして、

私たちが望んでいた「普通の暮らし」とは「子どもの笑顔があふれる日常」だった。

と、述べています。

最後に「みなさん、南相馬に来てください!南相馬の若者たちに会いに来てください!」と結んでおられます。

大勢の、被災地外の人々と共感できればと思います。

「南相馬からの便り」は、高橋さんのお店のHP「北洋舎」から読めます。

http://www.hokuyosha.com/


宿用院地蔵まつり

2012年05月02日 13時56分45秒 | 宿用院

今日は連休の合間で、寺参りが一件しかなく、暇なので、宿用院地蔵まつりの宣伝を。

昨年は、そのような気分になれずお休みをしてしまいましたが、毎年5月の最終日曜日に行ってきましたこの地蔵まつり、今回で23回目になります。

今年のゲストはやなせななさん。

彼女と初めて会ったのは一昨年の今頃だと思います。

昨年の松林寺集中講座にお招きするために、来形のついでに立ち寄っていただいたのでした。

そして、震災、それ以降、まけないタオルの活動で同志となりました。二人で被災地を回り、避難所や仮設住宅の前でタオルを配り、歌を歌ってきました。

向かっている方向が同じというのでしょうか。共感する部分が多く、会話がとてもスムーズです。

中島みゆきを愛するという共通項もあります。

ということで、私自身が楽しみにしています。

2月の河北町婦人会主催のコンサートが大変好評で「もう一度聴きたい」「あの時聴けなかったので今回は」という方が大勢チケットを求めて来られます。

どなたでもご来場いただけます。近隣の方は是非どうぞ。

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