なあむ

やどかり和尚の考えたこと

食べる意味

2014年07月30日 08時08分29秒 | ふと、考えた
新幹線で朝食のおにぎりを食べながら父親を思い出していた。
とうに言葉を失い、歩くのが覚束なくなってからも、食欲だけは旺盛だった。
片手が動かせるときはその手に海苔巻きを握り、黙々と食べていた。
手が利かなくなってからは、家族がさしだす箸やスプーンに、どこまでも口を開けていた。
「よく食べるね」「食欲だけはあるんだね」などという声が聞こえていたのかどうか。
食べる様子に、安心もし、嘲笑の気持ちがあったことも否めない。

「生きていることに意味があろうがなかろうが、生きてやる」
そんな命の声が、今聞こえてくる。
周囲がどう思おうが、自分自身がどう思おうが、そんな声には耳をかさず、命の欲求に素直にしたがっていた姿なのかもしれない。
そう思うと、黙々と食べる様子を思いだし、泣けてくる。
意味など問う意味もなく生きる力を、素直に受けとめられればよかった。
父の姿は、いつも後悔を強いる。


ターニングポイント

2014年07月27日 12時14分59秒 | 地球環境

先日24日、宿用院にて河北町環境を考える会のミニ講演会がありました。

講師は、旅人エコロジストの松本英揮さん。

松本さんは、建設会社を経営していた時に、原発の土木工事の依頼があった際、地震に対する地盤強度の改竄があることを知り、疑問を感じて会社を辞めました。

その後大阪愛隣地区で日雇い労働をしながら環境を学び、環境の先進国を学ぶためヨーロッパへ。

12歳から自転車で旅してきた松本さんは、自転車で世界各国を回りながら、そこで学んだことを各地で講演しています。

これまで130国を回り、更に新たな国を訪ねたいと意欲を燃やしています。

この日も宮崎から北海道を回り1500㎞を走って、仙台から尾花沢を経由して来町してくれました。

講演会には二人の高校生も参加してくれました。

その一人小林貫太君は、この講演会を企画してくれたお母さんに誘われた時、「行かない」と断ったそうでした。

ところが、河北町出身で現在スエーデン在住の矢作さんが息子を連れて帰省中に、ひなの湯でばったり貫太君のお母さんに出会いました。

貫太君は、矢作さんの息子恵満(エミル)君が小学生の時に、夏休み帰省の間通った小学校の同級生だったのです。

小林さんが矢作さんを誘い、二人は一緒に講演会に来ることになり、恵満君が来ることを知って貫太君も参加してくれたのでした。

講演の内容は、宇宙にも及ぶ地球環境の話、ヨーロッパと日本の政治の仕組み、教育の仕組みの違い、と考えさせられる内容ばかりでした。

講演は二人の高校生にとってとても大きなターニングポイントとなったに違いありません。

講演の前と後で、二人の顔は明らかに違っていました。懇親会にも同席し、松本さんの言葉に耳を傾けていました。

ふとした出会いから人生は大きく変わってくる。

そのポイントに同席した、という感動を覚えました。

松本さんの最終的な目標は何ですかと聞いてみました。

「若者一人ひとりと向き合い変えていきたい。とても時間のかかることだと思うけど、この国を変えていくのはそれしかないと思っています」

その着実な答えに感銘を受けました。見習わなければ。Dsc_0422

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便り

2014年07月17日 21時22分44秒 | 松林寺

谷川俊太郎の「便り」という詩に、

  この春当地にては
  葬式ふたっつ結婚式みっつっつ
  とどこおりなく相すませ

というのがありましたが、今月私には、葬式4つ、結婚式3つあります。

葬式は重なる時には重なるものですが、月に結婚式3つというのは珍しいと思います。しかも、一日おいて同じ会場での披露宴となりました。

おめでたいことです。

それはさておき、現在松林寺では来年開創400年を迎えるにあたり、記念誌の作成を行っています。

今日は、開山堂の仏像と位牌を点検し写真に収めました。

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おそらくは本堂落慶の昭和39年以来、全て下ろして掃除したことはなかったと思われ、全ての位牌が揃っていることを確認したのとほこりを払うことができたことで、いい機会となりました。

その中で最も古い仏像は、元禄17年に造立された御開山から三世までの三体で、今から310年前のものであることが判明しました。

松林寺の本堂はその後に焼けているので、その際焼失を免れたものと思われます。

仏像の点検はもう少し続きますが、編集のお手伝いをいただいている檀家さんたちと、古を偲びながら400年を振り返っているところです。


目を覚ませ、企業よ

2014年07月04日 07時23分43秒 | ふと、考えた

トップ一人が替わるだけで国がこんなにも変わるんだということを目の当たりにしている。

もしかしたら我々は、今、独裁者誕生のプロセスに立ち会っているのかもしれない。

戦争が始まるそのスタートの目撃者なのかもしれない。

トップ一人の決断で憲法の解釈が変わってしまうという前代未聞の現場に我々は居合わせてしまった。

解釈を変えれば憲法さえ意のままになるのだから、これからは何だってできるのだろう。

暴走の助走は経済政策にあったように思う。

経済を立て直す政策として三本の矢を喩えとした。

三本の矢?それが暴走の進む方向を暗示していたとすればなかなかの詩人だ。

その政策が多少成功するや、済界も護送船団よろしく、取り巻き船から下りようとはしない。

経済という虎の子を質草にとられ沈黙を守っているうちに、とんでもない海域に漕ぎ出して元に戻れなくなりはしないか。

暴走の目標は経済再建ではなく、戦争なのかもしれない。

黙して伴走することが片棒を担ぐことにもなりかねない。

目を覚ませ、企業よ。

黙している場合ではない。

国が戦禍に見舞われれば経済の地盤が崩壊するのだから。

永続した安定のためには平和が一番なのだから。

それとも、戦争のための死の商人を目指すのか。

済界が目を覚まして諫めることによって暴走は止められるかもしれない。

経済のために国を戦争に導くことのないように。

経済よりも大事なのは命であることを、企業が示して欲しい。

それが日本を守ることかもしれない。


強さと豊かさ

2014年07月01日 13時56分10秒 | ふと、考えた

強い国というのは経済的に豊かなことを言うらしい。

豊かなためには命の犠牲も仕方がないと思うことらしい。

危険だと分かりきっている原発も動かすことらしい。

強いためには弱いものの声と存在はうっとうしいと感じることらしい。

国を守るためには戦争も辞さないと思う人が多くいることを目指すことらしい。

国とは何を指すのか。それは国民か、それともそれ以外のものか。

国を守るとは何を守ることなのか。国民か、それともそれ以外のものか。

弱いものの声を無視し、弱いものの存在を脅かし、何を守るのか。

弱いものは非国民か。

弱いものの犠牲の上に生き残るもののみを国民と呼ぶのか。

一部の 血統が生き延びることを国を守るというのか。

戦いを否定することは弱いことか。

平和を希求するのは弱いものか。

弱いものの声は威勢のいい声によってかき消される。

平和を守るために強くなるのらしい。

強くなければ生きられない。

強くなければ守れない。

本当にそうなのか。人間として。

強さに対抗するために強さをもって制する。

各国はそのようにして戦争をしてきたのではなかったか。

それで平和になったか。

永遠の戦争放棄は決して弱いことではないだろう。

戦いの他の方法で平和を維持していくのが叡智というものだろう。

智慧を使わずに武力に頼るのは野蛮でしかない。

他国を威圧するための豊かさならば豊かさそれ自体が罪悪だ。

貧しくとも、人としての道をまもり、支え合いながら仲良く生きていく。

日本人の人間性こそ、我等が誇る宝だと自負したい。

それこそを豊かさと呼ぶのではなかろうか。