私はパウル・クレーの絵が好きだ。当初理由はわからなかったが、最近になって気づいたことは、その色彩に惹かれるのではないか、ということだ。
クレーの色彩には強烈な色彩は出てこない。油彩で原色の黄や赤が使われていても、これ見よがしに輝いていない。少し控えめに存在している。原色同士が強烈な色彩を放ちながら並んで描かれることもない。画面全体の中で占める割合も小さい。使われている色彩のほとんどは中間色でくすんでいる。水彩画の場合はさらにうすいグラデーションの変化が見せ所だ。
こんなところが惹かれるところかもしれない。
このたびの近代美術館での「パウル・クレー-おわらないアトリエ-」展で私が惹かれたのは「嘆き悲しんで」と題された水彩の絵。「喪に服して」という訳をしている画集もある。
掲出のとおり一筆書きのような線に区切られた点描画だ。青と赤、ピンクのわずかな違いで顔の表情が細やかにあらわされているように感じた。閉じられた目と口をあらわしていると思われる3本の線がクレーらしい豊かな表情をもたらしていないだろうか。
制作は1934年、ナチス政権の迫害を逃れ、身の回りのものだけをもってスイスのベルンに移住したのが前年の12月。この年画家は54歳。失意の年でもあったようだ。
クレーの色彩には強烈な色彩は出てこない。油彩で原色の黄や赤が使われていても、これ見よがしに輝いていない。少し控えめに存在している。原色同士が強烈な色彩を放ちながら並んで描かれることもない。画面全体の中で占める割合も小さい。使われている色彩のほとんどは中間色でくすんでいる。水彩画の場合はさらにうすいグラデーションの変化が見せ所だ。
こんなところが惹かれるところかもしれない。
このたびの近代美術館での「パウル・クレー-おわらないアトリエ-」展で私が惹かれたのは「嘆き悲しんで」と題された水彩の絵。「喪に服して」という訳をしている画集もある。
掲出のとおり一筆書きのような線に区切られた点描画だ。青と赤、ピンクのわずかな違いで顔の表情が細やかにあらわされているように感じた。閉じられた目と口をあらわしていると思われる3本の線がクレーらしい豊かな表情をもたらしていないだろうか。
制作は1934年、ナチス政権の迫害を逃れ、身の回りのものだけをもってスイスのベルンに移住したのが前年の12月。この年画家は54歳。失意の年でもあったようだ。