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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「いじめ」の発端

2011年07月12日 20時58分37秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 川崎の小学校に通っていた4年生の時、運動会か何かの入場行進の練習をさせられた。
 そして行進している最中に、どうしたわけか他のクラスの男性教師が私の傍に来て「ちゃんと歩け、歩き方がおかしい」という。私はふざけていた覚えもないので、きょとんとした。
 もう一度全体で歩かされたが、今度もまたその教師が来て「歩き方を直せ」という。その教師に列から引きづり出され「歩いてみろ」といわれた。教師の「一、二」という掛け声に合わせて歩くと、それにつられて周りの男子生徒が私を見ながら笑った。笑った生徒がなぜ笑ったか、今でもわからないがおそらく教師が「おかしい」というのにつられて理由もなく笑ったと思われる。別に手と足の左右が一緒に出ていたわけではない。
 教師が「手の振り方が悪い」という。どう悪いのかわからずに立っていたら見本を見せてくれた。しかしそれが私の手の振り方とどう違うのか、さっぱり理解できなかった。しかし真似して見ろといわれてやったがどうしても教師の気に入らないらしい。3度、4度繰り返した後、その教師は「腕の肘の内側が前を向いている。体側を向いていない。それを気をつけろ」と命令された。
 私は真剣になって肘の内側を体側に向けようとひねったが、そんな簡単にできるわけがない。そして「ちゃんと歩かんか」と一喝されて列に戻された。周囲の男子が皆、私を見てまた笑った。
 私はその日の行進練習の間中、肘を内側に向ける練習をした。しかしなおらない。
 私は二重に傷ついた。私の歩き方は皆に笑われるほどおかしいのか、ということと、肘が他の人と違って外側を向いているのかということ。今になって考えればどうでもいいことである。列から引きづり出されて揶揄されるほどのことではどう考えてもないはずだ。
クラスの男子には一ヶ月ほど、そのことでからかわれた。「肘を前に向けるな」と。当時の私は真剣に悩んだ。私ははじめは自分の身体が他人と違うのかと考えた。通学の途中他の生徒や通行人の肘ばかり気にかけた。しかしみんなが同じようなものだと感じた。
 翌週だったか、当の入場行進は自分自身ぎこちなく歩かざるを得なかった。幸いその教師に声をかけられることはその後なかったから良かったし、5年生の時の担任にもならなかったからホッとした。
 同じ小学校で5年生になったときはまったくこのことは生徒の話題にはならなかった。当の私も5年生になったときにはそのことは忘れていた。
 多分現在の教育現場ではありえないことだと思う。あの当時だからそれが当たり前のように行われたと信じたい。
 しかしあの教師は何を言いたかったのだろう。何にこだわったのだろう。他のクラスの私に目をつけたということは、私が教師の間で話題になる存在だったのだろうか。いまでも私には解せない。また当時の私のクラス担任の女性教師はそのときどうしていたのだろう。
 確かに私は運動能力は良くなかった。鉄棒はぶら下がることしかできなかったし走るのも遅かった。そうはいってもボール遊びや相撲の真似事やキャッチボールは普通にこなしていた。歩くことに支障のある状態でもなかったし、歩くことが苦手ではなかった。2年後の6年生のときクラスで1番に早く走るようになっていたことを考えれば、子供の歩く仕草にあそこまでこだわった理由がわからない。
 ただいえることは今にして思えば「いじめ」というものの発端を垣間見たような気がする、ということだ。「発端は教師の場合」という「いじめ」がままあるはずだ。私は6年生の時、横浜の学校で当時の「いじめ」を体験した。その頃この小学校4年生の時のことを思い出した。川崎でもあのまま行けば「いじめ」の対象になっていたのではないだろうかと、6年生のとき考えた。4年生では「いじめ」が行われるまで各生徒の自我は確立していないなどということは6年生の私には理解できなくて、実に暗い気持ちになった。
 とてもいやな思い出である。