本日は夕方にかけて、「万葉集の起源」(遠藤耕太郎)を読んだ。序章と第1章を終了。
「私がこだわりたいのは、書かれた歌としてある万葉和歌の抒情表現の方法は、声の歌のなかで培われてきた技術を継承しているということである。本書はこの点を中心に、万葉和歌の起源を探ろうと考えている。「万葉集」に始まる和歌の抒情表現のあり方は、その後の日本人の抒情のあり方を決定づけてもいるから、万葉和歌の抒情の起源を探るということは、私たち日本人の抒情のあり方の起源を探ることでもある。」(序章)
「照葉樹林文化論は日本人の直接的なルーツをこの地域に求めるという性質が強かったが、私は日本人の直接的ルーツをこの地域に求めようとしているわけではない。彼らの声の歌の抒情表現のあり方をモデルとして、この列島にあり得た声の歌のそれを復元し、それが漢字によって書かれた万葉和歌の抒情表現にとう継承され、そこからどう飛躍しているのかをイメージしようと考えている‥。」(序章)
「「万葉集」は、生者であれ死者であれ、人を恋しいと歌う歌を集めた家集である。この歌は文字で書かれた歌として、人の心を動かす。こういう抒情のあり方は、書かれた歌が発明したものではなく、それ以前の声の歌のなかで徐々に形成されてきた。まだ抒情とは呼べないような期待や不安や怖れや喜びといった抒情の原型のようなものを表現する技術を継承しつつ、そこから飛躍したところにある。この列島にった声の歌がどのうなものだったのか。‥私が二〇年間通った雲南少数民族の声の歌のありようをモデルとして復元しようと考えている。そこには、抒情の原型のようなものを表出する、東アジアの声の歌の普遍的な技術がある。」(序章)
「古代の日本では、男と女が互いに恋歌を掛け合う歌垣という習俗が広く行われていた。万葉恋歌の基層を論じるのに歌垣は外せない。‥アジア全域に目を向けると、照葉樹林文化論が早くに紹介したように、現在もなお歌垣を行なっている民族や地域がある。」(第1章)
「古代日本の歌垣でも膨大な歌が歌われたが、その中には闘争を目的とした歌掛けもあり、その勝敗を決する要素の一つとして押韻があったのだろう。」(第1章)