本日横浜駅の近くの喫茶店まで出かけて、読書タイムにしようとしたら、本を家に忘れてきた。喫茶店に入る前に気がついたので、地下街に入り有隣堂で「老子」(岩波文庫)を購入。2008年の発行で1243円(税込み)もした。思ったよりも高かったのでレジで少々慌てたが引っ込めるわけにもいかず、支払い。
老子は半世紀前に少しだけ読んだが、よくわからずに放置した。覚えていたのは「大道廃れて、仁義あり。国家昏乱して忠臣あり。」これも大意だけのうろ覚えだった。
バラバラめくっているうちに第18章にこれを見つけた。しかし途中の「知恵出でて、大偽あり、六親和せずして、孝慈あり。」などは記憶になかった。しかも「昏乱」は「混乱」という字だと思い込んでいた。意味は同じ、とのことである。
孔子というか儒家に対する強烈な反発心がこの老子の出来た根拠だという思いは、昔も変わらない。
「国家昏乱して云々」、国が、統治者が危機に陥ると、忠だの孝行だのと道徳が煩く言われる。そう80年位前の世界であった。今の時代も「国家や政府のいうことに文句を言うな」という人間がたくさん湧き出てきた。ところが政府の方は、文書は改竄するだけでは飽き足らず都合の悪い文書は廃棄し、とうとう最初から作らず、という事態になっている。しかも解明されない・解明しようとしない疑惑がついて回る政府である。
政府が道徳を声高に言うときは、自らが不道徳をしていることの証しだと、80年前の歴史と今の政治が教えてくれている。
本日のところは解説を読んで終了。