いつもの喫茶店に行ったものの、本日も短時間の読書。「日本の裸体芸術」の第2章を読み終わった。
19日に引用する予定個所が抜けていた。
「裸体でいることが多いという習慣や、日本人の精神と肉体を二分して考えない身体観が底流にあったため、あえて裸体を取り上げて鑑賞するという視点や発想がなかった。裸体をことさらに造形芸術の主題にしようなどとしなかったのは当然であろう。人物を描写するときには、文字においても絵画においても、体形やプロポーションなどよりも衣装の美が強調されるのが常であった。そもそも日本の造形伝統には、肉体を顕示するような表現がなかった。ほとんどの場合、人物は衣をつけた姿で表されたが、このほうが自然である。私たちがある人物を想定する場合、その人物の裸体を思い浮かべるのではなく、衣装をまとった姿を想起するのが普通である。むしろ裸体人物を飽くことなく表現してきた西洋のほうが特殊である。」(第1章 第2節「江戸の淫靡な裸体表現」)
「裸体でいることが多い」「精神と肉体を二分して考えない身体観が底流」というのは魅力はありつつも、言い切ってしまうのは保留したくなる。あくまでも「裸体をことさらに造形芸術の主題にしようなどとしなかった」ことの根拠や背景を私は知りたい。
古代のギリシャ文明、中世・近世のヨーロッパの庶民・下層民の生活様式との比較ももう少し具体的な究明が欲しいのは欲張りだろうか。また支配層の生活様式と意識の比較も必要なのだろう。
ここはあくまでも私のこだわりなので、引き続き私なりのアプローチは続けたい。