Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「犬の記憶 終章」 その3

2022年08月19日 22時47分50秒 | 読書

 本日は気温は昨日よりも高く32.6℃まで上昇したものの、湿度は39%まで下がり、それほど暑くは感じなかった。湿度の違いでこんなに皮膚の感覚が違うことに驚いた。
 横浜駅近くのオフィス街の喫茶店に久しぶりに入った。

 「犬の記憶 終章」の「ヨーロッパ」と「新宿」の2編を読んで本日の読書は終了。
 「新宿」は森山大道の、というか60年代という時代の象徴のような場所。そして中平拓馬との交友、寺山修司との交流。森山大道のホームグランド、出発の地のような場所の叙述にとても惹かれる。

「明け方近くの新宿の街は、昼間や宵の口の繁華な風景とは全く異なった貌を見せ、奇妙に青みを帯びて透明感のただよう静寂につつまれていて、なにがなし早朝の海を眺めているような間隔に似たところがあった。それはほんのわずかな時間でしかないのだが、叙事と抒情とが、酔いの醒めはじめた意識の中で微妙に交叉する一刻であり、大都会がいちばん美しい風景を垣間見せるひとときで、ぼくたち(中平と森山のこと)は自然と無口になる。中平がふと、やっぱり寺山修司ってすごいよね、とつぶやく、ほくも、うんいいよな、と返す。」(新宿)

「新宿という街は、不思議な麻薬性を帯びていて、ぬきさしならずぼくを虜にしてしまうようなところがある。‥愉しかった思い出よりも、苦しかった思い出の方が圧倒的に多かったはずだが、にもかかわらす新宿の街の無数の記憶は、結局ぼくというカメラマンの生の、熱かった時間の大半の記憶と決定的に重なってしまっているのだ。」
(新宿)

「寺山修司のいう“ネオンの荒野”とは、あくまでも人間の直截な欲望と体液が混然と交叉する、つまりこちら側〈新宿〉を指すのであって、高層ビルが幻影のごとく立ち並ぶ、つまりあちら側〈新宿〉を、ぼくは決して新宿などとは思わない。あれは全く異界の場所で、あれこそうそ寒い風の吹く、単なる“荒野”にすぎないのだ。」
(新宿)

   



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