オリンピックを巡る違和感は数々あるが、今の時点で3つほど記しておく。
1.入国審査
先に来日したウガンダ選手団に感染者がおり、さらに泉佐野市に移動後にもうひとりの感染者が見つかったことについて、NHKは「組織委 濃厚接触疑いある人 空港で特定 検査や隔離へ対応検討」と報じた。記事の中では「組織委員会は、選手などが入国時の検査で陽性となった場合は濃厚接触の疑いがある人を空港で特定し検査や隔離ができるよう政府などと対応を検討することになりました。」となっているものの、多くの行政経験者は不思議に感じたと思う。
組織委員会は政府に対して、行政のあり方の検討を直接依頼できる組織なのだろうか。本来は入国審査や濃厚接触者の認定は、政府の役割である。組織委員会は政府に対して、指示も依頼もできる立場ではない。政府の指示に従う立場である。
まずもって政府が主体的に選手団の入国について方針を明確にすべき事項である。それに従うのが組織委員会である。
あたかも組織委員会が政府の上、ないし同格であるかのような振る舞いをNHKは「おかしい」と報道しなくてはいけないはずである。
大日本帝国憲法のもとで、統帥権が政府の上に君臨してしまい、軍隊が政府の統制下に入らなかったことが、朝鮮併合や満州国問題や日中戦争へと軍を駆り立て、挙句の果てに日米開戦、そして敗戦にまで突き進んだことが頭の片隅にも無いらしい。
政府の上に君臨する組織の存在、まるで院政の体質そのものでもある。
2.「拝察」問題
次の大きな違和感は、宮内庁長官の「拝察」発言である。私は天皇制は嫌いである。無くしたいとは思っているが、今の政治が主導しようとしている憲法改正の動きは止めたいと思っている。
さて、まずオリンピックは国事行為なのか。「政治の排斥」「オリンピックに政治を持ち込むな」とはその時々に政治的に利用されてきた。モスクワのオリンピック不参加も政治的な判断であった。
オリンピックがその時々の政治的思惑から離れようとしているからこそ、都市という単位での立候補であり、政府とは独立の「組織委員会」であるはずである。
私は天皇の国政への参画は反対であるが、あの「拝察」されたという「思い」は政治的発言だと言い切れるのだろうか。
憲法第7条には「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行う。」として8項の国事行為を限定列挙している。これですら「国民のため」でなければ、天皇は「拒否」できる道すら残している。
あの「拝察」を政治的発言として、天皇の政治への介入と退ける政府・与党は、そのオリンピックが政治的なものである、と自ら宣言していることに気が付いていない。しかも「感染の拡大への心配」が政治的であるという理屈が成り立たない。しかも「名誉総裁」として天皇を祭上げているのだ。その名誉総裁という地位は限定列挙された国事行為の範囲として読み取れるものではないので、あくまでも非政治的立場での就任である。非政治的立場に関することの意見を述べて、「政治的行為」として批判するのはだれが見ても矛盾している。
3.IOCは占領軍か?
IOCのバッハ会長や他の委員の言動が多くの批判を浴びている。国家元首でもない人間が国賓並みの待遇を求めたり、はては「復興オリンピック」の名もかなぐり捨てて、他県との往来の自粛を求められている国内事情に配慮もせず、広島・長崎に行きたいと言い出し、そのために組織委員会や政府が右往左往する始末。感染対策の第一線の苦労などどこ吹く風の大名旅行気分である。しかもその負担は政府・組織委員会持ち、ということは結局は税金による国民への負担増である。
「復興五輪」も「原発事故の「アンダーコントロール」」もすべて嘘のスローガンだったことがここでも明らかになった。
【参考】
日本国憲法第7条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行う。
一 憲法改正、法律、政令、及び条例を公布すること。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の委任状を認証すること。
六 大赦、特赦、減刑、刑の執行及び復権を認証すること。
七 栄典を授与すること。
八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九 外国の大使及び公使を接受すること。
十 儀式を行うこと。