Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

日曜美術館「靉光の眼」

2021年07月04日 16時52分59秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 本日は休養日、ということにした。一日中弱い雨がパラつき、ジトジトとした湿気が体に纏いつき不快な日である。
 午前中の会議が終了してからは、一歩も外に出ていない。昼食後には午前中に見ることのできなかった「日曜美術館」の「靉光の眼」の録画を見た。

 残された作品は多くはないので、放映された作品はライオンシリーズより前の作品をのぞいて見ている。が解説付で知らなかったこと、忘れていたこともたくさんあった。
 私が靉光の名を初めて知ったのは、「絵のなかの散歩」(洲之内徹)の中の「靉光「鳥」」という一編。今この一編を読んでいると、今回放映された番組ではこの一編が下敷きであることはぼ間違いないと思われた。
 遺品となって死後20年を経て遺族のもとに届いた「いしむら」という名を丹念な字で彫りこんだ飯盒のことや亡くなったときの様子、戦争中の絵の具の買い溜めに同意せず「絵は絵の具でかくんじゃない、絵の具がなければ泥でもかける」と言ったというエピソード、作成中は家族も2階のアトリエに寄せ付けなかったこと、特に自画像を作成するときは妻子を実家に遊びにやって描いたことなどが記されている。

 この一編には
「いま私がいちばん心を惹かれ、身近に感じる一群の画家たち、松本俊介、靉光、麻生三郎といった面々が、同じ頃、上野とはつい目と鼻の先の谷中に集まっていたというのに、せっかくの青春多感の日に、ついにその人たちと触れ合うこともなく終わったことを思うと口惜しくてならない。」
「あるとき京橋の近代美術館へ展覧会を見に行ったら、一階の、入口を入ってすぐの、広間のような具合になっている場所の真中の柱に、靉光の「鳥」が掛っていた。「これが靉光か」私は感慨をこめて絵の前に立ちつくした。とはいうものの、そのときの感慨がどういうものだったかは、もう思い出すことができない。思い出すのは、絵を見るなり、「この絵は欲しいなあ」と思った。それだけである。‥しかし一枚の絵を心から欲しいと思う以上に、その絵についての完全な批評があるだろうか。」
と、昔読んで気に入った文章もある。

 この文章のような鑑賞が私にはできそうもないが、直観といものは大切にしたいものである。

 《鳥》1940年



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。