Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「西行」から 5

2024年07月08日 20時42分37秒 | 読書

   

 本日目を通したのは、「13.海洋詩人・西行」、「14.鴫立つ沢」、「15.西行の知友」の3編。
 伊勢の海の、白石からなる答志(とうし)島と、黒石からなる菅(すが)島を詠んだ2首
★菅島や答志の小石分け替へて 黒白まぜよ浦の浜風
★合はせばや鷺と烏と碁を打たば 答志菅島黒白の浜
 著者は「明るい海の風景と余裕のあるユーモア」とこの2首を評している。私は万葉の頃からの伝統である「地霊への敬意と挨拶、旅の安全祈願」の範疇に入るものであると感じた。源平の騒乱の時まで、このような短歌の伝統が生きていたという類推は私の思い過ごしだろうか。こう考えないと「ユーモア」にもならない歌なのではないか。

★心なき身にもあはれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮    (新古今集)
 この1首は、私が初めて西行の歌として教わった忘れられないものである。

 本日は「西行の知友」に取り上げられた歌が、印象に残っている。
 まずは、いっしょに出家した西住の死を悼んだ有名な1首
★もろともに眺め眺めて秋の月 ひとりにならんことぞ悲しき  (山家集)
 こういう月に託した哀傷歌は西行ならでは、ではないだろうか。

 西行の知友として有名なのは「寂然」である。
 西行からの「山深み」で始まる10首、寂然からのかへしの10首は末に「大原の里」を配している。
 この計20種の中から私が今から40年以上前にチェックをいれた4首ずつを記してみる。今の選択と変わらないのが不思議だ。
 西行
★山深み窓のつれづれ訪ふものは 色づきそむる黄櫨(はじ)のたちえだ
★山深み岩にしだるる水溜めな かつがつ落つる橡(とち)拾ふほど
★山深み榾(ほだ)伐るなりと聞こえつつ 所にぎはふ斧の音かな
★山深み馴るる鹿(かせぎ)のけ近さに 世に遠ざかるほどぞ知らるる

 寂然
★ひとりすむおぼの清水友とては 月をぞすます大原の里
★なにとなく露ぞこぼるる秋の田に 引板(ひた)引き鳴らす大原の里
★山風に峯のささ栗はらはらと 庭に落ち敷く大原の里
★葎(むぐら)這ふ門は木の葉にうづもれて 人もさしこぬ大原の里

 各10首の中でも、「あはれ」「すごき」「こころぼそき」「かなしき」などの主観的な語を含む歌は取っていない。叙景に徹したようなものにチェックが入っているのが、自分ながら嬉しかった。言葉からおのずと醸し出される感傷が私は好みである。
 そうはいってもさまざまな言葉が宗教的な意味合いを持って使われていたり、言葉がもたらす情感は西行の頃と現代とでは違いがある。私には理解できるものもあるが、理解が行き届かないものもたくさんある。それは現代の言葉の持つ意味合い・情感・喚起力で理解するしかない。


とうとう横浜も猛暑日

2024年07月08日 18時30分08秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午前中は、昨日に続いて退職者会のブロックニュースの作成作業。両面合わせて75%ほど出来上がった。

 昼からはふたりで買い物。親に頼まれた買い物のついでに我が家の食材の調達。といっても減量中の私は野菜中心でほとんど食べない。それでも購入しなくてはならないものはいろいろとある。

 食料品以外の親に頼まれた購入品は私のリュックに詰め込み、妻は食料品の買い物を続行。私は喫茶店にもぐりこんだ。地上に出ると暑いので、地下の喫茶店で涼みがてら読書タイム。

 横浜では正午直前に36.7℃ととうとう猛暑日が現実のものとなった。もちろん来年最高気温である。平年よりも8.2℃も高いらしい。しかし「観測史上最高」ではないようだ。
 35℃以上にはなっている、と感じたので、地上でウォーキングをする気など失せた。月曜日ということで、比較的すいている地下街をウォーキング。
 17時過ぎに一つ手前のバス停から自宅まで2000歩程を日陰を探しながら歩いた。ゆっくりと汗をかかない程度に歩いた。しかし玄関に入って立ち止ると、どっと汗が頭の天辺から吹き出てきた。あわててシャワーを浴びて着替えた。