Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

心配な台風5号の進路

2024年08月10日 21時21分13秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日の横浜の気温は予報よりは少しだけ低かったものの35.0℃まで上昇し猛暑日となった。深夜にかけて雨が降るという予報もあるが、今のところ「レインアイよこはま」では雨の区域は横浜を避けて南下している。
 午前中は退職者会ニュースの編集作業。面積的には、9月号の3割程度までは出来上がった。
 午後、曜日を間違えて平日と勘違いし、この暑い最中に神奈川大学の六角橋キャンパスの生協まで出かけてみた。書籍部を覗いてみたかったのだが、到着してみるとシャッターが閉まっていた。ようやく土曜日であることと、ちょうど夏休みの一斉休業日でもあることに気がついたのは、自動販売機の前で冷たい100円でお茶を購入したとき。どっと疲れが出てきた。
 建物の日陰で休んでから、さらに2000歩ほど歩いて喫茶店へ。アイスコーヒーでひと息ついた。よりによってこんな暑い日にウォーキングまがいのことをしてしまった。
 15時過ぎからは低い雲がかなり多くなり、雨が降ってもおかしくないような空に変貌。蒸し暑さが増してきた。
 帰宅後はさすがに草臥れて1時間ほども昼寝。少々無理をしすぎた。

 明日の日曜日は37℃の予報が変更になっていない。
 私にも妻にもゆかりのある東北地方を直撃しそうな台風の進路が心配である。


緊急地震速報 神奈川県で震度5弱

2024年08月09日 21時21分22秒 | 天気と自然災害

 先ほど緊急地震速報。私の住んでいるところは震度3だったが、神奈川県西部で震度5弱であったらしい。新幹線などが止まって混乱しているらしい。在来線も私鉄も地下鉄も一時点検のため遅延となったものの、現在は復旧しているようだ。
 南海トラフとは離れているし、深さも10キロとごく浅い。昨日から喧しい「南海トラフ」とは無関係ということで、便乗したり、フェイクニュースに騙されないようにしたいもの。気象庁の発表は以下のとおり。

震源の深さは約10km、地震の規模(マグニチュード)は5.3と推定されます。
この地震による津波の心配はありません。
震度5弱 厚木市 中井町 松田町 清川村

 複数の友人から心配している旨のメールをすぐにもらった。ご心配をおかけした。そしてとても嬉しかった。無事なことをすぐに返信したが、複数もらったので時間差が出来てしまったことは申し訳なかった。

 私たちの住む列島は、世界でも有数の地震多発地帯なので、常に地震への備えと言うか、気持ちは忘れたことはない。果たして大規模地震に対して有効なのかどうかは別として一定の備えはある。しかし都内や県下の美術館などに出かけることも多い上に、退職者会のイベントなどでの外出も多い。家を離れる時間は同年齢の方に比べたら多い方だと思う。
 問題は出かけた先での身の処し方。処方された薬や緊急のお泊りセットは一週間分は持ち歩いているが、お金の持ち合わせや着替えなどは持ち歩けない。家に処方された薬はさらに二週間分は備蓄してある。食料も何とかある。
 どんな場合も慌てず、自分が何処に居て、周囲の状況を自分の判断で見極め、デマや扇動には左右されず、身を処したいものである。慌ててもいい結果には繋がらないことを肝に銘じたい。まずは自宅に最短でもどる道筋を想定して、それに沿って行動することを最初に考えることにしている。

 昨日の地震を受けて、政府や自治体からのお知らせを聞いているが、私が想定したように、これまでの備えを継続、避難方法の確認をしてほしいという水準である。
 さらに、
マグニチュード7.1の地震に伴うステップ状の変化が観測されていますが、地震後に通常みられる変化以外は今のところ捉えられていません。
Mw7.0以上の地震発生後、7日以内にMw8クラス以上(Mw7.8以上)の大規模地震が発生するのは、数百回に1回程度です。異常な現象が観測される前の状況に比べて数倍高くなっています。
地震が続けて発生したこれらの事例から、南海トラフ地震の想定震源域では、新たな大規模地震の発生可能性が平常時に比べて相対的に高まっていると考えられます。
という指摘以上に、具体的なものは表現されていない。
 私は「地震は来ない」ということは断言できないし、「いつかは起きる」とは思っている。しかし具体的にいつ・何処の範囲で、どの程度の地震かというものがないこともまた気象庁も政府もきちんと、もっと明確に国民に知らせるべきだと思っている。


長崎市平和祈念式典での平和宣言

2024年08月09日 19時32分18秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 例年のように、鈴木史朗長崎市長の読み上げた平和宣言を広島市長の平和宣言に続いて掲載する。G7の六か国の大使が欠席したことは極めて残念である。長崎市の地方自治体としての外交努力は支持したいと思っている。日本政府に対する問題提起はこの宣言文に盛られている。

原爆を作る人々よ!
 しばし手を休め 眼(め)をとじ給(たま)え
 昭和二十年八月九日!
 あなた方が作った 原爆で
 幾万の尊い生命が奪われ
 家 財産が一瞬にして無に帰し
 平和な家庭が破壊しつくされたのだ
 残された者は
 無から起(た)ち上がらねばならぬ
 血みどろな生活への苦しい道と
 明日をも知れぬ〝原子病″の不安と
 そして肉親を失った無限の悲しみが
 いついつまでも尾をひいて行く

 これは23歳で被爆し、原爆症と闘いながらも原爆の悲惨さを訴えた長崎の詩人・福田須磨子さんがつづった詩です。
 家族や友人を失った深い悲しみ、体に残された傷痕、長い年月を経ても細胞をむしばみ続け、様々な病気を引き起こす放射線による影響、被爆者であるが故の差別や生活苦。原爆は被爆直後だけでなく、生涯にわたり被爆者を苦しめています。
 それでも被爆者は、「世界中の誰にも、二度と同じ体験をさせない」との強い決意で、苦難とともに生き抜いた自らの体験を語り続けているのです。
 被爆から79年。私たち人類は、「核兵器を使ってはならない」という人道上の規範を守り抜いてきました。しかし、実際に戦場で使うことを想定した核兵器の開発や配備が進むなど、核戦力の増強は加速しています。
 ロシアのウクライナ侵攻に終わりが見えず、中東での武力紛争の拡大が懸念される中、これまで守られてきた重要な規範が失われるかもしれない。私たちはそんな危機的な事態に直面しているのです。
 福田さんは詩の最後で、こう呼びかけました。

 原爆を作る人々よ!
 今こそ ためらうことなく
 手の中にある一切を放棄するのだ
 そこに初めて 真の平和が生まれ
 人間は人間として蘇る(よみがえ)ことが出来るのだ

 核保有国と核の傘の下にいる国の指導者の皆さん。核兵器が存在するが故に、人類への脅威が一段と高まっている現実を直視し、核兵器廃絶に向け大きくかじを切るべきです。
 そのためにも被爆地を訪問し、被爆者の痛みと思いを一人の人間として、あなたの良心で受け止めてください。そして、どんなに険しくても、軍拡や威嚇を選ぶのではなく、対話と外交努力により平和的な解決への道を探ることを求めます。
 唯一の戦争被爆国である日本の政府は、核兵器のない世界を真摯(しんし)に追求する姿勢を示すべきです。
 そのためにも一日も早く、核兵器禁止条約に署名・批准することを求めます。そして、憲法の平和の理念を堅持するとともに、北東アジア非核兵器地帯構想など、緊迫度を増すこの地域の緊張緩和と軍縮に向け、リーダーシップを発揮することを求めます。
 さらには、平均年齢が85歳を超えた被爆者への援護のさらなる充実と、いまだ被爆者として認められていない被爆体験者の一刻も早い救済を強く要請します。
 世界中の皆さん、私たちは、地球という大きな一つのまちに住む「地球市民」です。
 想像してください。今、世界で起こっているような紛争が激化し、核戦争が勃発するとどうなるのでしょうか。人命はもちろんのこと、地球環境にも壊滅的な打撃を与え、人類は存亡の危機にさらされてしまいます。
 だからこそ、核兵器廃絶は、国際社会が目指す持続可能な開発目標(SDGs)の前提ともいえる「人類が生き残るための絶対条件」なのです。
 ここ長崎でも、核兵器のない世界に向けて、若い世代を中心とした長年の動きがさらに活発になっています。今年5月には、若者版ダボス会議と呼ばれる国際会議「ワン・ヤング・ワールド」の平和をテーマとした分科会が、初めて長崎で開催されました。
 世界の若い世代が主役となって連帯し、行動する輪が各地で広がっています。それは、持続可能な平和な未来を築くための希望の光です。
 平和をつくる人々よ!
 一人ひとりは微力であっても、無力ではありません。
 私たち地球市民が声を上げ、力を合わせれば、今の難局を乗り越えることができる。国境や宗教、人種、性別、世代などの違いを超えて知恵を出し合い、つながり合えば、私たちは思い描く未来を実現することができる。
 長崎は、そう強く信じています。
 原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の誠を捧げます。
 長崎は、平和をつくる力になろうとする地球市民との連帯のもと、他者を尊重し、信頼を育み、話し合いで解決しようとする「平和の文化」を世界中に広めます。そして、長崎を最後の被爆地にするために、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けてたゆむことなく行動し続けることをここに宣言します。
                                          
    2024年(令和6年)8月9日                 長崎市長 鈴木史朗


南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)

2024年08月08日 19時52分52秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日の地震を受け、気象庁は「南海トラフ地震評価検討会」を開催したが、発表は次の通り。結論としては「今後の政府や自治体などからの呼びかけ等に応じた防災対応をとってください。気象庁では、引き続き注意深く南海トラフ沿いの地殻活動の推移を監視します。」であり、特段の具体的行動指針はない。

** 見出し **
本日(8日)16時43分頃に日向灘を震源とするマグニチュード7.1の地震が発生しました。この地震と南海トラフ地震との関連性について検討した結果、南海トラフ地震の想定震源域では、大規模地震の発生可能性が平常時に比べて相対的に高まっていると考えられます。今後の政府や自治体などからの呼びかけ等に応じた防災対応をとってください。

** 本文 **
本日(8日)16時43分頃に日向灘を震源とするマグニチュード7.1の地震が発生しました。その後の地震活動は活発な状態が続いています。また、ひずみ観測点では、この地震に伴うステップ状の変化が観測されています。
 気象庁では、南海トラフ沿いの地震に関する評価検討会を臨時に開催し、この地震と南海トラフ地震との関連性について検討しました。
 この地震は、西北西・東南東方向に圧力軸をもつ逆断層型で、南海トラフ地震の想定震源域内における陸のプレートとフィリピン海プレートの境界の一部がずれ動いたことにより発生したモーメントマグニチュード7.0の地震と評価されました。
 過去の世界の大規模地震の統計データでは、1904年から2014年に発生したモーメントマグニチュード7.0以上の地震1,437事例のうち、その後同じ領域でモーメントマグニチュード8クラス以上の地震が発生した事例は、最初の地震の発生から7日以内に6事例であり、その後の発生頻度は時間とともに減少します。このデータには、平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震(モーメントマグニチュード9.0)が発生した2日前に、モーメントマグニチュード7クラスの地震が発生していた事例が含まれます。世界の事例ではモーメントマグニチュード7.0以上の地震発生後に同じ領域で、モーメントマグニチュード8クラス以上の地震が7日以内に発生する頻度は数百回に1回程度となります。
 これらのことから、南海トラフ地震の想定震源域では、大規模地震の発生可能性が平常時に比べて相対的に高まっていると考えられます。
 南海トラフ地震には多様性があり、大規模地震が発生した場合の震源域は、今回の地震の周辺だけにとどまる場合もあれば、南海トラフ全域に及ぶ場合も考えられます。
 最大規模の地震が発生した場合、関東地方から九州地方にかけての広い範囲で強い揺れが、また、関東地方から沖縄地方にかけての太平洋沿岸で高い津波が想定されています。
 今後の政府や自治体などからの呼びかけ等に応じた防災対応をとってください。
 気象庁では、引き続き注意深く南海トラフ沿いの地殻活動の推移を監視します。

** 次回発表予定 **
今後は、「南海トラフ地震関連解説情報」で地殻活動の状況等を発表します。


 気象庁の会見でも述べているが、新たなデマを生まないために、この情報で大切なのは、私は以下の2点であると思う。

・この情報が発表された場合は、事前の避難は伴いませんが、日頃からの地震への備えの再確認に加え、地震が発生したらすぐに避難できる準備をしましょう。
・気象庁によると、特定の期間中に必ず巨大地震が発生することを伝えるものではありませんが、政府や自治体からの呼びかけに応じた防災対応をとる必要があります。改めて地震への備えを確認しておいてください。

 

 

 


宮崎県で震度6弱

2024年08月08日 17時06分46秒 | 天気と自然災害

 昨日も雷が鳴り、弱いながら雨が降り始めた。連日雷が鳴るが、慣れることは無い。怖さが先に立つ。

 先ほど16時43分頃に宮崎県南部で震度6強の地震があったという。津波注意報も吸収東岸、四国南岸にも出ている。マグニチュード7.1、深さ30キロと報道されている。
 震度6弱、震度5強であれば、家屋倒壊や土砂崩れ、道路の崩壊などの被害も想定される。被害が少ないことを祈りたい。

宮崎県  震度6弱 日南市
     震度5強 宮崎市 都城市 串間市
     震度5弱 小林市 三股町 高原町 国富町 高鍋町 新富町
鹿児島県 震度5強 大崎町
     震度5弱 鹿児島市 鹿屋市 垂水市 曽於市 霧島市 姶良市 東串良町 肝付町

観測地点で観測された最大の津波は50センチと報道されている。


暑さばかりではない生きにくさ

2024年08月07日 21時14分51秒 | 天気と自然災害

 本日より退職者会ニュースの原稿づくり作業をボチボチと。本日はまずは枠作りを終えた。写真を張り付けたり、原稿を流し込むのは明日以降。割付もまだ最終案は決めていない。少しのんびりしすぎているかもしれない。16日が印刷会社に入稿予定である。お盆休みもあるので、あまり遅くなってギリギリでは印刷会社に申し訳ない。

 本日も15時過ぎまで晴れており、気温も35℃を超えたかと思っていたら、13時過ぎの34.9℃で止まった。そうはいってもほぼ猛暑日。
 親の2箇所の通院のためにタクシーを利用したものの、二回目のタクシーがなかなかつかまらなかった。いつもの大手のタクシー会社に連絡しても「電話が込み合っています」といわれ配車はしてもらえなかった。これだけ暑さが続くとタクシーの需要も高まるのであろう。
 電話を掛けながら、病院の前の幹線道路で空車を待っていたが通りかかるタクシーも乗車している車ばかり。15分以上炎天下で待ってようやく空車が通りかかってくれた。
 親には目の前のコンビニの店の中で待ってもらった。コンビニがないと待つのがつらかったと思う。本当は薬局で待ってもらうのが一番良かったのだが、ここの薬局は一人住まいの私の親にも「マイナー保険証の利用」をあまりにしつこく求めるので、利用をやめたばかりである。
 この暑さばかりか薬局も、高齢者・超高齢者につらくあたる。

 昨晩横浜市域にもたらした猛烈な雷雨よりも、広範囲で強力な雷雨の区域が都内を通過していった。先ほど雷鳴が聞こえたが一回だけであった。「レインアイよこはま」を見ると、雨の区域は弱まり、東京湾に抜けていったようであるが、まだ油断はできない。

 


空蝉

2024年08月07日 12時45分22秒 | 俳句・短歌・詩等関連

★空蝉やいのち見事に抜けゐたり    片山由美子
★蝉殻は丸さ極まり天に裂け      遠藤 庄司
★空蝉のふんばつて居て壊はれけり   前田 普羅
★空蝉の背の一太刀の深かりき     塚田 文

 本日の強い陽射しからは、昨晩の雷雨が信じられない。本日の最高気温の予想は横浜で34℃というが、もう少し高くなるのではないか、というのが我が家の気象予報士殿の予想。
 団地の中の欅の幹の手の届くところに蝉の抜け殻を見つけた。子供の頃、蝉の抜け殻を終日眺め続けていた日を思い出した。とても不思議な思いをしたものである。

 


雷雨に驚く

2024年08月07日 10時54分50秒 | 天気と自然災害

 昨晩は22時ころに突然雷が鳴りだし、雨も強くなった。絶え間なく雷が鳴り、日付が変わっても雷雨は続いた。大雨(浸水害)・洪水警報が1時過ぎまで続いた。雷注意報はまだ解除されていない。
 雨は横浜市港北区と川崎市中原区・高津区の境界付近から発達を初め、時間雨量換算で80ミリの雨の区域が長時間停滞していた。1時近くになってから強い雨の区域は拡散を始め、少しずつ北西に移動していった。
 被害は出ていない模様。なお、市の南部では雨は降らなかったようだ。

 実は22時ころに夜のウォーキングを20分ほどしようと思い、玄関で靴を履こうとしたら突然に雷鳴がして、ウォーキングを中止した。もっとも雷がなくとも事前にポツポツと降っていたかもしれない。しかしウォーキングの最中にあの雷にあったら怖かったと思う。

 本日の午後は親の通院2箇所の付き添い。


健康を食い物にする

2024年08月06日 22時40分15秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 読書に倦んだ時や、時間つぶしに時々テレビをつける。すると特にBSのチャンネルでは、医師の処方する薬以外の医薬品や健康食品の類、いわゆる老化に抵抗するための化粧品や「医薬品」なるもののコマーシャルばかりを絶え間なく続けている。
 違和感はいくつもあるが、まずどうして自然過程としての「老い」の兆候がそんなにも忌避すべきことなのか、まるで「悪」者としてそれらを目の敵にしている。
 嘘か本当化はしらないが、60代、70代で色白で「シミ」「シワ」などのない女性の顔がまず大写しに出てくる。それがあたかも人生の最大の「価値」であるかのように。これを繰り返されるとあたかも真実のごとくに聞こえてくる。コマーシャルの繰り返し効果というものなのであろう。
 しかもタイムセールのごとくに購入を煽ること煽ること。見ていてあまりの品の無さにコマーシャルが始まると他のチャンネルを変えても、同じコマーシャルが流れている。それを大手の薬品メーカーまでが行っている。余程の需要と儲けが見込まれるのであろう。

 自然過程にこれほど抗わなくてはならないという強迫観念は、何処から来ているのだろうか。

 核家族化や所謂非婚化が進行して、家族や「家」の形態の変化もまたそこに噛んでいるのかもしれないと、ふと感じることもある。
 三世代の同居などは望むべくもない都市住居のあり様とそれにともなう世代間の意識の差、「年寄り」のあり様の変化があるようだ。現に私も、親世代や子供の世代との同居には躊躇する。近すぎず・離れすぎずの頼り・頼られる生活が身についている。
 老年になって一人ないし夫婦ふたりの、孤独ともいえる年齢になってわかるのであるが、自分よりも高齢の自立している親世代や、親に頼らずに生きている子供の世代から求められる高齢者の役割は、縮小している。
 同時に反作用として、祖父母世代の孫世代への過剰ともいえる接近も目に付く。高齢者が定年を迎え職を離れることで、これから先の人生で果たしてどんな生きざまが残っているのか、不安になるのだろうか。結果として自身の健康への関心が高くなり、孫世代への過剰な接近が始まったとも思える。
 定年後の長いと思われる人生や、孫世代との関りから、「若さ」や体力ばかりが強調され、それが「生きがい」として提供されることになってしまったのではないか。本末転倒ともいえる。「生きがい」のための体力づくりではなく、体力づくりが「生きがい」として強調されている。過剰な「若さ」へのこだわりに繋がっていないか。
 自然過程としての「老い」の兆候が、これほどまでに忌避される社会は、果たして「健康」なのであろうか。

 もうひとつ気になることがある。私は、健康診断などによる個人を対象にした個別・具体的な診断に重点をおいて、医師との対話、自身の体との対話に重点をおいている。その結果、不特定多数を対象としたコマーシャルによる健康不安の煽りがとても気になる。提供する商品としての医薬品・健康食品があたかもすべての人に有効であるかのようなコマーシャルは、病気の個別性・具体性と、人間集団の傾向とを混同して憚らない。これはわざと混同しているように思うのは私の穿った見方でしかないとは言えない。
 例えばカルシウム摂取が足りない、という一般論は危険である。どのような母集団を想定するかで、傾向は変わるはずである。塩分の多い食事といっても地域差はある。炭水化物の摂りすぎ、といっても年代や職業や性別でも大きな差があるはずである。これらを考慮せずに一般化して、万人すべてに当てはまる傾向としてしまうことは極めて危険である。
 私はこれらの傾向と現状がとても気になる。日本国中、不健康への道を転がり落ちているのではないか。私がテレビをあまり見なくなったのもこういったコマーシャルに嫌気がさしたからでもある。


広島市の平和宣言

2024年08月06日 12時45分07秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 今年の広島市長による「平和宣言」は以下のとおり。例年のとおりに掲げてみる。松井市長の言動や姿勢(教育勅語問題・イスラエル招待問題等、他方でパートナーシップ宣言制度、脱原発発言等)に対する評価はいろいろとあることは承知をしているが、とりあえず今年も平和宣言をそのまま取り上げる。


 皆さん、自国の安全保障のためには核戦力の強化が必要だという考え方をどう思われますか。また、他国より優位に立ち続けるために繰り広げられている軍備拡大競争についてどう思いますか。ロシアによるウクライナ侵攻の長期化やイスラエル・パレスチナ情勢の悪化により、罪もない多くの人々の命や日常生活が奪われています。こうした世界情勢は、国家間の疑心暗鬼をますます深め、世論において、国際問題を解決するためには拒否すべき武力に頼らざるを得ないという考えが強まっていないでしょうか。こうした状況の中で市民社会の安全・安心を保つことができますか。不可能ではないでしょうか。

 平和記念資料館を通して望む原爆死没者慰霊碑、そこで祈りを捧げる人々の視線の先にある原爆ドーム、これらを南北の軸線上に配置したここ平和記念公園は、施行から今日で75年を迎える広島平和記念都市建設法を基に、広島市民を始めとする平和を願う多くの人々によって創られ、犠牲者を慰霊し、平和を思い、語り合い、誓い合う場となっています。

 戦後、我が国が平和憲法をないがしろにし、軍備の増強に注力していたとしたら、現在の平和都市広島は実現していなかったのです。この地に立てば、平和を愛する世界中の人々の公正と信義を信頼し、再び戦争の惨禍が起こることのないようにするという先人の決意を感じることができるはずです。

 また、そうした決意の下でヒロシマの心を発信し続けた被爆者がいました。「私たちは、いまこそ、過去の憎しみを乗り越え、人種、国境の別なく連帯し、不信を信頼へ、憎悪を和解へ、分裂を融和へと、歴史の潮流を転換させなければなりません。」これは、全身焼けただれた母親のそばで、皮膚がむけて赤身が出ている赤ん坊、内臓が破裂して地面に出ている死体…生き地獄さながらの光景を目の当たりにした当時14歳の男性の平和への願いです。

 1989年、民主化に向けた市民運動の高まりによって、東西冷戦の象徴だったベルリンの壁が崩壊しました。かつてゴルバチョフ元大統領は、「われわれには平和が必要であり、軍備競争を停止し、核の恐怖を止め、核兵器を根絶し、地域紛争の政治的解決を執拗に追求する」という決意を表明し、レーガン元大統領との対話を行うことで共に冷戦を終結に導き、米ソ間の戦略兵器削減条約の締結を実現しました。このことは、為政者が断固とした決意で対話をするならば、危機的な状況を打破できることを示しています。

 皆さん、混迷を極めている世界情勢をただ悲観するのではなく、こうした先人たちと同様に決意し、希望を胸に心を一つにして行動を起こしましょう。そうすれば、核抑止力に依存する為政者に政策転換を促すことができるはずです。必ずできます。

 争いを生み出す疑心暗鬼を消し去るために、今こそ市民社会が起こすべき行動は、他者を思いやる気持ちを持って交流し対話することで「信頼の輪」を育み、日常生活の中で実感できる「安心の輪」を、国境を越えて広めていくことです。そこで重要になるのは、音楽や美術、スポーツなどを通じた交流によって他者の経験や価値観を共有し、共感し合うことです。こうした活動を通じて「平和文化」を共有できる世界を創っていきましょう。特に次代を担う若い世代の皆さんには、広島を訪れ、この地で感じたことを心に留め、幅広い年代の人たちと「友好の輪」を創り、今自分たちにできることは何かを考え、共に行動し、「希望の輪」を広げていただきたい。広島市は、世界166か国・地域の8,400を超える平和首長会議の加盟都市と共に、市民社会の行動を後押しし、平和意識の醸成に一層取り組んでいきます。

 昨年度、平和記念資料館には世界中から過去最多となる約198万人の人が訪れました。これは、かつてないほど、被爆地広島への関心、平和への意識が高まっていることの証しとも言えます。世界の為政者には、広島を訪れ、そうした市民社会の思いを共有していただきたい。そして、被爆の実相を深く理解し、被爆者の「こんな思いは他の誰にもさせてはならない」という平和への願いを受け止め、核兵器廃絶へのゆるぎない決意を、この地から発信していただきたい。

 NPT(核兵器不拡散条約)再検討会議が過去2回続けて最終文書を採択できなかったことは、各国の核兵器を巡る考え方に大きな隔たりがあるという厳しい現実を突き付けています。同条約を国際的な核軍縮・不拡散体制の礎石として重視する日本政府には、各国が立場を超えて建設的な対話を重ね、信頼関係を築くことができるよう強いリーダーシップを発揮していただきたい。さらに、核兵器のない世界の実現に向けた現実的な取組として、まずは来年3月に開催される核兵器禁止条約の第3回締約国会議にオブザーバー参加し、一刻も早く締約国となっていただきたい。また、平均年齢が85歳を超え、心身に悪影響を及ぼす放射線により、様々な苦しみを抱える多くの被爆者の苦悩に寄り添い、在外被爆者を含む被爆者支援策を充実することを強く求めます。

 本日、被爆79周年の平和記念式典に当たり、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、核兵器廃絶とその先にある世界恒久平和の実現に向け、改めて被爆者の懸命な努力を受け止め、被爆地長崎、そして思いを同じくする世界の人々と共に力を尽くすことを誓います。皆さん、希望を胸に、広島と共に明日の平和への一歩を踏み出しましょう。

    令和6年(2024年)8月6日                               広島市長 松井 一實


誕生日という不思議なもの

2024年08月05日 21時16分39秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

   

 本日も茹だるような暑さが続いている。ひと雨が欲しいところであるが、それも難しいようだ。7日(水)の立秋には降るかもしれない、という予報を信じて持つのみ。とはいえ夜に入ってからわずか5ミリ程度の雨の予報である。日付が変わるころには上がってしまうらしい。期待は薄い。

 本日とうとう73歳となった。少しずつ「後期高齢者」という政府の作った枠組のなかに押し込められつつある、という実感は湧いている。自然な歳の取り方と、制度的な歳の取り方、自覚的な歳の取り方との三つ巴の葛藤もまた進行中である。
 いづれにしろ特段嬉しいわけでもないが、たまには少しばかり高いと言われる喫茶店にでも行ってみようということで、ふたりで山下公園に面したホテルニューグランドのカフェに出向いてみた。
 コーヒーと紅茶がそれぞれ1300円余り、サンドウィッチは2400円余りのものを一つ。合わせて5000円余りの散財。これより年齢を重ねてもこのように高価なコーヒーなどを喫することもないと思われるので、心して飲んだ。
 しかし残念ながら私の好みではない酸味のかなり効いたコーヒーであった。文句をいってもしょうがないが、残り少なくなるとすぐに継ぎ足してくれる。とうとう3杯目をほとんど残して4杯目はお断りした。
 減量中なので、私はサンドウィッチの四分の一を妻からもらったのみ。

 実は、現役時代は組合の「退職者感謝のつどい」をここの歴史ある「ペリー来航の間」で開催していた。組合の役員の一人として何年も参加したが、当の私が退職の対象となったときから数年でこのイベントは廃止になってしまった。実に10年ぶりにこのホテルに入った。

 19時半からはみなとみらい地区での花火大会を団地の端っこから短時間鑑賞。花火そのものは好きだが、誕生日ということについては素直さに欠ける私に向かって「誕生日祝い、と素直に理解するのも悪くないよ」と諭された。


「図書8月号」その2

2024年08月04日 20時29分04秒 | 読書

 「図書8月号」は昨日、寝る前にベッドの中で読もうとしたが、頁を開いた瞬間に寝てしまったようだ。まさに「瞬殺」であった。
 本日は15時直前に35.4℃と35℃を上回った。ちょうどその直前に横浜に向かって歩き始めた。半分ほどの距離、バス停で5つほど歩いたところで、さすがに暑くて残りは断念。バス停傍の日陰でバスを待った。

 本日は、喫茶店でアイスコーヒーで喉を潤しながら、残りの諸編を読んだ。

・彼女たちの死                  中村 佑子

・UFOを吊るす紐                川端知嘉子

・「輝かしきモンスター」――ヴォルテールの発見  前沢 浩子

 以上の3編で今月号はこれにて読了とすることにした。


鎌倉駅前「喫茶ヲガタ」で氷あずき

2024年08月03日 20時47分45秒 | 山行・旅行・散策



 横浜は15時過ぎに34.5℃と猛暑日にはならなかったが暑かった。昼直前に毎年1度は訪れる鎌倉駅西口前の喫茶店「ヲガタ」で「氷あずき」と「氷ミルクコーヒー」を食べてきた。
 冷房の効いた見晴らしのいい明るい店で、例年妻は「氷あずき」、私は「ホットコーヒー」を注文する。あずきも美味しいし、淹れたてのコーヒーもとても美味しい。しかし今年は暑いのでふたりともかき氷を注文した。
 何よりも店内は静かに落ち着いた雰囲気である。大きな窓ガラスの下には鎌倉駅の改札口を通過する人々の姿が見下ろすことが出来る。さらに店主の撮影したと思われる写真や俳句も掲出されており、なかなかいいものである。
 今年は土曜日ということで、特に人の出入りが多く、江ノ電の乗降も多かった。
 てんこ盛りのかき氷もほどよい甘さで、大人向けの味。たが、外はいくら暑いとはいえ年寄りの体はすっかり冷えてしまった。
 店を出てから御成通りのウィンドウショッピング、市場をぐるっと回って鎌倉駅の東口へ出て、体を温めたつもりが、やはり暑過ぎてぐったり。

 横浜駅に戻り、短いズボンを購入。減量で持っているズボンがすべて大きくなってしまい、特に家で穿くズボンが限界となり、安いものを購入してもらった。

 さらに別の駅のショッピングモールまで出かけて買い物。妻は買い物を継続し、私は途中から荷物を半分持ってウォーキングで帰宅。
 だいぶ草臥れた。一日であった。


「図書8月号」その1

2024年08月02日 20時59分18秒 | 読書

 先日届いた岩波書店の「図書8月号」を忘れていた。本日はリュックを軽くすることも考えてこれを持参で出かけた。
 横浜駅近くのオフィス街にあるいつもの喫茶店まで歩いた。猛暑の予想であったが、33.9℃と少しばかり低い最高気温。別に涼しく感じたわけではないが、喫茶店では眠気に襲われなかった。そして暑い季節のウォーキングのあとは短い文章のほうがいい。

 本日目を通したのは、次の10編。

・【表紙】ああ、あの美しかった川は      加藤清允

・哲学の真剣勝負              野矢茂樹

・「もはやない」状況と「まだない」状況    酒寄進一
私たちが生きている今は「まだ1928年ではない」のか、それとも「もはや1928年ではない」のか、どちらだろう。私は今を「無為に過ごし、ケストナーのように「焚書」に立ち会いたくはないと切実に思う。

・物語を語らぬ絵本             木下眞穂
「戦争は、自分がどこて怖れられ、歓迎されるのかを、よくわかっている」「戦争は、何も知らない人たちの柔らかな夢に入り込む」――。『戦争は、』の一文一文すべてが、今の状況をなぞっていることに戦慄を覚える。

・女性落語家増加作戦             柳亭こみち

・プッチーニが聴いた「越後獅子」       桂小すみ

・ウンガレッティの“俳句”と感性       ディエゴ・マルティーナ

・反対語から考えを深める           塩瀬隆之
「平和の反対語は?」と尋ねられたら、何という言葉を思い浮かべますか?最初にうかぶ言葉の一つは「戦争」ではないでしょうか。しかし、私達戦争を直接に経験していない世代は、戦争についてちゃんと理解できているとは言い難い。・・そう考えると実は私たちは平和というものを考える土台を、そもそもちゃんともっていないのではないでしょうか。

・世の中疎む? 親しむ燈火なのよ       前田恭二

・船戸与一さんの場合             山田裕樹

 最近、この図書の各編の論点が私の思いと少しかけ離れていると思えるものが多くなっているように感じる。少しばかり期待しすぎる点や、素直に読めない論稿が多くなっている。時代への対処の仕方や、状況への判断にズレが生じているのかもしれない。刺激が少なくなっているという言い方が当たっているかもしれない。
 ただし、もうしばらくは読み続けてみたいとは思う。


「老いのかたち」(黒井千次)  再読

2024年08月01日 22時19分44秒 | 読書

   

 本日は猛暑にはならなかったものの最高気温は32.6℃。やはり暑かった。7月中は実に40万歩近くも歩いていたこともあり、昨日から本日は少し休養。
 お疲れ気味の時は、長い文章の本はやはり敬遠。黒井千次の「老いの〇〇〇」シリーズの最初の「老いのかたち」を引っ張り出してきて、喫茶店で涼みながら少しだけ目を通した。すでに拾い読みをいくつかしているが、4年近く前のことなので、とぎれとぎれの記憶しかない。ということで、初めから読んでみた。
 このブログにも2022年頃に感想にならぬ感想を書きかけで終わらせてしまっていた記憶がある。

 2005年から2009年まで、作者が73歳から77歳までのエッセイである。私も今月初めには73歳、この文章を作者が書いたとき、身の回りで感じたときと同年齢である。

 昔拾い読みしたときは何となくピンとこなかったが、どこか切実に共感できるようになった。

 本日は最初の6編を読んだことの報告だけにさせてもらい、感想なりは後日。