※「作家別」カテゴリー内に追加
林田理沙アナウンサーさん初見
【内容抜粋メモ】
宮沢賢治は、農学校の教師などを勤めながら行った創作活動
37歳という若さで亡くなった後
数多くの原稿が発見され
死後高く評価されるようになります
『銀河鉄道の夜』など誰もが一度は触れたことがありますよね
でもどうしてここを花巻でこれほどの作家が生まれたのでしょうか
●花巻東高等学校
マリナーズの選手が出ている
文学の研究をしている大島丈志さん(文教大学教育学部教授)は
学生の頃から20年以上にわたって宮沢賢治の研究を続けています
好きな賢治作品は『氷河鼠の毛皮』
タモリ 短編は読んだことがあるけれども『銀河鉄道の夜』はまだ読んだことがない
大島:
今日は国民的作家の誕生に関わる花巻の秘密を見ていきましょう
早速賢治ゆかりのスポットに行きましょう
この高校は賢治とは関わりがない(w
タモリ:目の前の道が廃線の跡みたい
慌てるディレクター
番組後半で登場
街には宮沢賢治ゆかりのスポットがたくさん
今も多くのファンが訪れます
(また行ってみたいなあ 新しいスポットが増えてる
●賢治が勤めていた花巻農業高校
高校の敷地内にには賢治が生前住んでいた家が移築されている
(これも学生たちが毎日のように書き直してるって聞いたことがある
私が行った時は真冬で本当に寒かったな
昔はサッシや床暖なんてないから相当寒かったことだろう
●賢治は自宅を開放して教室を開いていた
もともと農学校で農業を教えていた賢治
辞職した後も農業指導の専門家として
ここでボランティアで農民たちに農業を教えていた
自らも畑に出て農作業
花巻の農民の暮らしを良くするためにはどうしたらいいのか考え続けていました
昼は畑を耕して、夕方から集まってオルガンとかもありますし、レコード鑑賞とかしていた
音楽が好きだった
教師という安定した生活があったわけですが
賢治は地域の農家の教え子だったり農家の方のために自分の人生をかけた
この花巻での暮らしがルーツとなった生まれた有名な作品が「雨ニモマケズ」
自分を犠牲にしてても農民の役に立ちたいという賢治の声です
タモリ:
高校に入ってからか、これを読んだ
“褒められもせず 苦にもされず そういうものに 私はなりたい”というのを読んで
自分はその頃、血気盛んな高校生
一旗揚げてやるぞ、目立とうとか、成功しようばっかり思ってたので
俺はこんなふうにはなりたくないと思っていた
ずいぶん後になって他の短編を読むようになった
これがわかるまでには相当かかった
アナ:賢治は35歳でこの境地に達したってスゴイですよね
●冷害対策の「下ノ畑」
元々は鬱蒼とした森の高台にあった
賢治はここで白菜、キャベツ、レタスなど葉物を作っていた
タモリ:高原レタスっていうような 寒冷地か
花巻を含む東北が非常に寒冷なわけです
やませが吹いてきて稲がダメになる
「やませ」
夏場にオホーツク海から吹く冷たい風
長引くと冷害となり稲の収穫量に影響する
寒さに強い作物を実験し、農民に推奨していた
賢治は寒さに強い白菜やキャベツ、レタスなどの栽培を広めることで
冷害に苦しむ農民を救おうとしていた
「下ノ畑」はその実験農場でした
さらに賢治は先進的な農業技術も導入しました
「化学肥料」
賢治が農民に配った肥料のカルテも残されています
窒素、リン酸、カリと書かれている
農家さんに合わせて
「去年は何を植えましたか?」
「肥料は何を入れましたか?」と聞く
「翌年の昭和3年度の肥料はこうしたらどうでしょうか?」と言う
賢治は農家の方が来た時にどんどん無償で書いていた
2000枚書いたとも言われています
「早く直って繁っても驚かぬこと」と書かれている
(ユーモアがあるんだよね
「農家の意識改革」
できるだけ農家のサポートしたい
でも農家も抵抗があった
ついていく農家さんと、ちょっと新しいすぎるのではないかという
農家さんもいたというのは聞いたことがあります
農業指導は2年間~3年間くらいの活動で終わってしまった
ここで挫折をしてしまう
時代の先を行き過ぎたがゆえの挫折
そんな思いもまた「雨ニモマケズ」にあります
●宮沢賢治は地質が好きだった
肥料設計して花巻の稲作自体を一気にアップさせようとした
賢治は学生時代にこの地域の地質について深く学んでいました
自ら岩手の山々を歩いてまとめたこともある
タモリ:
マニアックな石が出てきますよね
『風の又三郎』かな お父さんのお仕事で転校してくる
お父さんの仕事はその付近にモリブデンという鉱石が埋蔵されている
地質が好きな人は喜んじゃう
あーこの人好きなんだ!って急に宮沢賢治が近く感じた
●地質に興味を持った原点とは?
実は幼少期の花巻での体験が関係ある
下ノ畑からほど近い場所
産業技術総合研究所名誉リサーチャー・青木正博さん
鉱物を研究すること60年 好きな石は水晶
岩手県を南北に貫く北上川の河原
賢治が地質に興味を持った場所
幼い頃、ここで石を拾うことに夢中になり
「石っ子賢さん」と言うあだ名までつけられていました
見たところあまり変わった砂利ではないと思われるかもしれませんが
色々調べてみると、ものすごく石の種類が多いことが分かります
是非ここで賢治のように石を拾ってみて、どんな種類の一種があるか確認したい
<石集めタイム>
中身を見るとつぶつぶがある
ちょっと光る石英が入っている流紋岩
安山岩
粒子がとても細いチャート
放散虫の死骸などが海底に堆積してできた岩石
蛇紋岩
礫岩:風化・侵食した岩石が集まってできた石堆積岩の一種
礫岩がいいと思えるのは大人なんです
見かけは地味だけれどもいろいろ考えさせてくれる
(二人の石の会話意味がわからないww
青木さんが事前に集めてくれたものを合わせると石の種類はこの通り
マグマの中でできた石英の結晶
赤い酸化鉄を含んだジャスパー(かっこいい
実は二つの大きなグループに分けることができます
ヒントはプレートの色分け
タモリ:
火山が爆発してマグマが冷えて固まってできたのと
随分南の太平洋の下で放散虫が固まって
徐々に日本列島に乗り上げてきたものとが一緒にある
できたところは様々な石がこの範囲内にあるという面白さですよね
赤いプレート 主に火山岩
青いプレート 火山石以外の石
この河原は成り立ちの違う種類がまぜこぜになっている
●花巻の地形に秘密がある
北上川と豊沢川の合流点は、東からの支流と両方の岩石の影響を受ける場所
それが岩石の種類の多さの秘密を解く鍵
北上川の本流には東西から川が流れ込んでいる
東は北上山地 西には奥羽山脈がある
北上山地と奥羽山脈の地質は全く違うんです
ぶつかり合っているこの場所は
地球の歴史の中でまれにしか起こらないような大事件が合わさった結果出来た場所なんです
(面白い切り口 ブラタモリならでは
●なぜ奇跡的な場所は誕生した?
「北上山地」
石灰岩ができるのは暖かい海
北上山地は今でこそ東北地方にありますが、5億年前には赤道直下位にあった可能性がある
(どういうこと?!
5億年ほど前、南の海で誕生した石灰岩やチャート、蛇紋岩などがプレート運動に伴い移動
大陸の端に集まり北上山地の元になった
さらなるプレート活動によって大陸から剥がされて東に移動
大陸との間には大きな海ができた
この海で海底火山が噴火
海底はやがて隆起して地上でも火山が噴火を繰り返した
こうして出来たのが「奥羽山脈」
ちょうどその境にあるのが北上川
北上川を挟んで見事に来歴の違うものが合わさっている
北上山地は5億年もの
奥羽山脈は 2000万年の若造
●『銀河鉄道の夜』
奇跡の河原をきっかけに地質に深い関心を抱くことになった宮沢賢治
鉄道が走る天の川は北上川がモデル
主人公のジョバンニとカンパネルラは途中下車して川遊びをします
トパーズも紅玉もここではとれないのですが
もっと話を面白しくしようという
彼の妄想がそこに働いているのかと思います
●『銀河鉄道の夜』と花巻の鉄道の関係とは
花巻市博物館学芸員・小田桐さん
花巻駅には東北本線と沿岸のほうに行く釜石線がある
●花巻は岩手県の南北と東西を結ぶ交通の要衝
岩手軽便鉄道 後の釜石線
賢治が生きていた時代はどちらにも蒸気機関車が行き来して賑わっていました
『銀河鉄道の夜』に出てくる鉄道ってどういうイメージですか?
アナ:夜空の銀河の中を走り抜けるような SL みたいな感じを想像していた
引用:
「それにこの汽車石炭をたいていないねえ。」
ジョバンニが左手をつき出して窓から前の方を見ながら云いました。
「アルコールか電気だろう。」カムパネルラが云いました。
実は花巻駅には『銀河鉄道の夜』に影響を与えたと思われる鉄道が他にも乗り入れていた
この辺見回してみていかがでしょうか?
タモリ:
一番最初の高校前が気になる
ここもそんな感じがしないでもない
岩手軽便鉄道の信号と東北本線の信号の恋物語『シグナルとシグナレス』という作品もあります
当時は腕木式信号
賢治さんは鉄道オタクだったみたいで、特に乗り鉄だったみたいです
タモさんは線路が好き
タモリ:
ちっちゃい時に家の近くに線路があった
今はなくなった国鉄筑肥線の線路なんですが
線路を伝わっていけば日本全国に行けるっていうのがものすごい不思議な気がして
●花巻電鉄(細い!!
昔は架線から電気をとっていた
地元で「花電」と呼ばれていた
花巻には蒸気機関車だけでなく電車も通っていた
東北で初めての電車(可愛いなあ
車体が細いのは、もともとあった県道の一部を変えて鉄道を敷いたため
「馬面電車」と呼ばれて花巻市民に親しまれ
賢治もよく利用していました
引用の続き:
ジョバンニは、なにか大へんさびしいようなかなしいような気がして、
だまって正面の時計を見ていましたら、
ずうっと前の方で、硝子ガラスの笛ふえのようなものが鳴りました。
汽車はもう、しずかにうごいていたのです。
蒸気機関車の音は大きいことから、電車だと思われる
中に入ると天井が低く手が届きそうなくらい 幅も狭く近い(w
賢治は近代化の中で生きてきた人物ですから
いろんな要素を取り入れて、自分の作品に活かしていったのではないかと思います
タモリ:
最先端のものも好きだったんですよね
面白い人だよね
石みたいな地味なものも好きだけど
最先端にも目がない
二つの SL と東北で初めての電車
新しい時代を先取りした鉄道の町、花巻だったからこそ
世にも不思議な銀河鉄道を生み出したのかもしれませんね
このCGもステキ
●晩年の賢治は花巻温泉や病院など公共施設に花壇を作っていた
町の中心部に戻ると花がたくさん咲いている
賢治は大正後半から昭和初期にかけて花壇の設計も行っていたんです
海外から球根などを取り寄せていた
ここのタイルは賢治が自分で選んだと言われている
(モダンなんだよね 多才な人だなあ!
そのほとんどは失われていますが、ここは賢治が実際設計をした花壇が残っています
タモリ:
一番最後に花壇って不思議だよね
俺は残念ながら花壇には興味がないんだよねw
花壇がそもそも結構新しいものだった
当時はこうゆう鑑賞の仕方が日本にはなかったからね
当時の最先端 やっぱり新しいものが好き
周りが多少ついてこなくても
IT系の社長みたいな人だったんだね
今までそういうイメージはなかったですね
アナ:
タモリさんも地質が好き
電車が好き
音楽も好き
共通点が多い
タモリ:
花壇で分かれたねw
もう一つ不思議なのは、一見石や地質というのと文学作品というのは違うものだと思う
でもあの人の場合はそれも一緒になっている
心の地層なんだろうな
全部内部に取り込む
我々は取り込めないから外から眺めてなるほどって思うだけ
あの人はそれさえも空想の中に全部取り込んでるんだね
『銀河鉄道』読んでみるか
もっともっと深く掘れば、星座の話、仏教など色々出てくるものね
今回の切り口もまた面白かった
林田理沙アナウンサーさん初見
【内容抜粋メモ】
宮沢賢治は、農学校の教師などを勤めながら行った創作活動
37歳という若さで亡くなった後
数多くの原稿が発見され
死後高く評価されるようになります
『銀河鉄道の夜』など誰もが一度は触れたことがありますよね
でもどうしてここを花巻でこれほどの作家が生まれたのでしょうか
●花巻東高等学校
マリナーズの選手が出ている
文学の研究をしている大島丈志さん(文教大学教育学部教授)は
学生の頃から20年以上にわたって宮沢賢治の研究を続けています
好きな賢治作品は『氷河鼠の毛皮』
タモリ 短編は読んだことがあるけれども『銀河鉄道の夜』はまだ読んだことがない
大島:
今日は国民的作家の誕生に関わる花巻の秘密を見ていきましょう
早速賢治ゆかりのスポットに行きましょう
この高校は賢治とは関わりがない(w
タモリ:目の前の道が廃線の跡みたい
慌てるディレクター
番組後半で登場
街には宮沢賢治ゆかりのスポットがたくさん
今も多くのファンが訪れます
(また行ってみたいなあ 新しいスポットが増えてる
●賢治が勤めていた花巻農業高校
高校の敷地内にには賢治が生前住んでいた家が移築されている
(これも学生たちが毎日のように書き直してるって聞いたことがある
私が行った時は真冬で本当に寒かったな
昔はサッシや床暖なんてないから相当寒かったことだろう
●賢治は自宅を開放して教室を開いていた
もともと農学校で農業を教えていた賢治
辞職した後も農業指導の専門家として
ここでボランティアで農民たちに農業を教えていた
自らも畑に出て農作業
花巻の農民の暮らしを良くするためにはどうしたらいいのか考え続けていました
昼は畑を耕して、夕方から集まってオルガンとかもありますし、レコード鑑賞とかしていた
音楽が好きだった
教師という安定した生活があったわけですが
賢治は地域の農家の教え子だったり農家の方のために自分の人生をかけた
この花巻での暮らしがルーツとなった生まれた有名な作品が「雨ニモマケズ」
自分を犠牲にしてても農民の役に立ちたいという賢治の声です
タモリ:
高校に入ってからか、これを読んだ
“褒められもせず 苦にもされず そういうものに 私はなりたい”というのを読んで
自分はその頃、血気盛んな高校生
一旗揚げてやるぞ、目立とうとか、成功しようばっかり思ってたので
俺はこんなふうにはなりたくないと思っていた
ずいぶん後になって他の短編を読むようになった
これがわかるまでには相当かかった
アナ:賢治は35歳でこの境地に達したってスゴイですよね
●冷害対策の「下ノ畑」
元々は鬱蒼とした森の高台にあった
賢治はここで白菜、キャベツ、レタスなど葉物を作っていた
タモリ:高原レタスっていうような 寒冷地か
花巻を含む東北が非常に寒冷なわけです
やませが吹いてきて稲がダメになる
「やませ」
夏場にオホーツク海から吹く冷たい風
長引くと冷害となり稲の収穫量に影響する
寒さに強い作物を実験し、農民に推奨していた
賢治は寒さに強い白菜やキャベツ、レタスなどの栽培を広めることで
冷害に苦しむ農民を救おうとしていた
「下ノ畑」はその実験農場でした
さらに賢治は先進的な農業技術も導入しました
「化学肥料」
賢治が農民に配った肥料のカルテも残されています
窒素、リン酸、カリと書かれている
農家さんに合わせて
「去年は何を植えましたか?」
「肥料は何を入れましたか?」と聞く
「翌年の昭和3年度の肥料はこうしたらどうでしょうか?」と言う
賢治は農家の方が来た時にどんどん無償で書いていた
2000枚書いたとも言われています
「早く直って繁っても驚かぬこと」と書かれている
(ユーモアがあるんだよね
「農家の意識改革」
できるだけ農家のサポートしたい
でも農家も抵抗があった
ついていく農家さんと、ちょっと新しいすぎるのではないかという
農家さんもいたというのは聞いたことがあります
農業指導は2年間~3年間くらいの活動で終わってしまった
ここで挫折をしてしまう
時代の先を行き過ぎたがゆえの挫折
そんな思いもまた「雨ニモマケズ」にあります
●宮沢賢治は地質が好きだった
肥料設計して花巻の稲作自体を一気にアップさせようとした
賢治は学生時代にこの地域の地質について深く学んでいました
自ら岩手の山々を歩いてまとめたこともある
タモリ:
マニアックな石が出てきますよね
『風の又三郎』かな お父さんのお仕事で転校してくる
お父さんの仕事はその付近にモリブデンという鉱石が埋蔵されている
地質が好きな人は喜んじゃう
あーこの人好きなんだ!って急に宮沢賢治が近く感じた
●地質に興味を持った原点とは?
実は幼少期の花巻での体験が関係ある
下ノ畑からほど近い場所
産業技術総合研究所名誉リサーチャー・青木正博さん
鉱物を研究すること60年 好きな石は水晶
岩手県を南北に貫く北上川の河原
賢治が地質に興味を持った場所
幼い頃、ここで石を拾うことに夢中になり
「石っ子賢さん」と言うあだ名までつけられていました
見たところあまり変わった砂利ではないと思われるかもしれませんが
色々調べてみると、ものすごく石の種類が多いことが分かります
是非ここで賢治のように石を拾ってみて、どんな種類の一種があるか確認したい
<石集めタイム>
中身を見るとつぶつぶがある
ちょっと光る石英が入っている流紋岩
安山岩
粒子がとても細いチャート
放散虫の死骸などが海底に堆積してできた岩石
蛇紋岩
礫岩:風化・侵食した岩石が集まってできた石堆積岩の一種
礫岩がいいと思えるのは大人なんです
見かけは地味だけれどもいろいろ考えさせてくれる
(二人の石の会話意味がわからないww
青木さんが事前に集めてくれたものを合わせると石の種類はこの通り
マグマの中でできた石英の結晶
赤い酸化鉄を含んだジャスパー(かっこいい
実は二つの大きなグループに分けることができます
ヒントはプレートの色分け
タモリ:
火山が爆発してマグマが冷えて固まってできたのと
随分南の太平洋の下で放散虫が固まって
徐々に日本列島に乗り上げてきたものとが一緒にある
できたところは様々な石がこの範囲内にあるという面白さですよね
赤いプレート 主に火山岩
青いプレート 火山石以外の石
この河原は成り立ちの違う種類がまぜこぜになっている
●花巻の地形に秘密がある
北上川と豊沢川の合流点は、東からの支流と両方の岩石の影響を受ける場所
それが岩石の種類の多さの秘密を解く鍵
北上川の本流には東西から川が流れ込んでいる
東は北上山地 西には奥羽山脈がある
北上山地と奥羽山脈の地質は全く違うんです
ぶつかり合っているこの場所は
地球の歴史の中でまれにしか起こらないような大事件が合わさった結果出来た場所なんです
(面白い切り口 ブラタモリならでは
●なぜ奇跡的な場所は誕生した?
「北上山地」
石灰岩ができるのは暖かい海
北上山地は今でこそ東北地方にありますが、5億年前には赤道直下位にあった可能性がある
(どういうこと?!
5億年ほど前、南の海で誕生した石灰岩やチャート、蛇紋岩などがプレート運動に伴い移動
大陸の端に集まり北上山地の元になった
さらなるプレート活動によって大陸から剥がされて東に移動
大陸との間には大きな海ができた
この海で海底火山が噴火
海底はやがて隆起して地上でも火山が噴火を繰り返した
こうして出来たのが「奥羽山脈」
ちょうどその境にあるのが北上川
北上川を挟んで見事に来歴の違うものが合わさっている
北上山地は5億年もの
奥羽山脈は 2000万年の若造
●『銀河鉄道の夜』
奇跡の河原をきっかけに地質に深い関心を抱くことになった宮沢賢治
鉄道が走る天の川は北上川がモデル
主人公のジョバンニとカンパネルラは途中下車して川遊びをします
トパーズも紅玉もここではとれないのですが
もっと話を面白しくしようという
彼の妄想がそこに働いているのかと思います
●『銀河鉄道の夜』と花巻の鉄道の関係とは
花巻市博物館学芸員・小田桐さん
花巻駅には東北本線と沿岸のほうに行く釜石線がある
●花巻は岩手県の南北と東西を結ぶ交通の要衝
岩手軽便鉄道 後の釜石線
賢治が生きていた時代はどちらにも蒸気機関車が行き来して賑わっていました
『銀河鉄道の夜』に出てくる鉄道ってどういうイメージですか?
アナ:夜空の銀河の中を走り抜けるような SL みたいな感じを想像していた
引用:
「それにこの汽車石炭をたいていないねえ。」
ジョバンニが左手をつき出して窓から前の方を見ながら云いました。
「アルコールか電気だろう。」カムパネルラが云いました。
実は花巻駅には『銀河鉄道の夜』に影響を与えたと思われる鉄道が他にも乗り入れていた
この辺見回してみていかがでしょうか?
タモリ:
一番最初の高校前が気になる
ここもそんな感じがしないでもない
岩手軽便鉄道の信号と東北本線の信号の恋物語『シグナルとシグナレス』という作品もあります
当時は腕木式信号
賢治さんは鉄道オタクだったみたいで、特に乗り鉄だったみたいです
タモさんは線路が好き
タモリ:
ちっちゃい時に家の近くに線路があった
今はなくなった国鉄筑肥線の線路なんですが
線路を伝わっていけば日本全国に行けるっていうのがものすごい不思議な気がして
●花巻電鉄(細い!!
昔は架線から電気をとっていた
地元で「花電」と呼ばれていた
花巻には蒸気機関車だけでなく電車も通っていた
東北で初めての電車(可愛いなあ
車体が細いのは、もともとあった県道の一部を変えて鉄道を敷いたため
「馬面電車」と呼ばれて花巻市民に親しまれ
賢治もよく利用していました
引用の続き:
ジョバンニは、なにか大へんさびしいようなかなしいような気がして、
だまって正面の時計を見ていましたら、
ずうっと前の方で、硝子ガラスの笛ふえのようなものが鳴りました。
汽車はもう、しずかにうごいていたのです。
蒸気機関車の音は大きいことから、電車だと思われる
中に入ると天井が低く手が届きそうなくらい 幅も狭く近い(w
賢治は近代化の中で生きてきた人物ですから
いろんな要素を取り入れて、自分の作品に活かしていったのではないかと思います
タモリ:
最先端のものも好きだったんですよね
面白い人だよね
石みたいな地味なものも好きだけど
最先端にも目がない
二つの SL と東北で初めての電車
新しい時代を先取りした鉄道の町、花巻だったからこそ
世にも不思議な銀河鉄道を生み出したのかもしれませんね
このCGもステキ
●晩年の賢治は花巻温泉や病院など公共施設に花壇を作っていた
町の中心部に戻ると花がたくさん咲いている
賢治は大正後半から昭和初期にかけて花壇の設計も行っていたんです
海外から球根などを取り寄せていた
ここのタイルは賢治が自分で選んだと言われている
(モダンなんだよね 多才な人だなあ!
そのほとんどは失われていますが、ここは賢治が実際設計をした花壇が残っています
タモリ:
一番最後に花壇って不思議だよね
俺は残念ながら花壇には興味がないんだよねw
花壇がそもそも結構新しいものだった
当時はこうゆう鑑賞の仕方が日本にはなかったからね
当時の最先端 やっぱり新しいものが好き
周りが多少ついてこなくても
IT系の社長みたいな人だったんだね
今までそういうイメージはなかったですね
アナ:
タモリさんも地質が好き
電車が好き
音楽も好き
共通点が多い
タモリ:
花壇で分かれたねw
もう一つ不思議なのは、一見石や地質というのと文学作品というのは違うものだと思う
でもあの人の場合はそれも一緒になっている
心の地層なんだろうな
全部内部に取り込む
我々は取り込めないから外から眺めてなるほどって思うだけ
あの人はそれさえも空想の中に全部取り込んでるんだね
『銀河鉄道』読んでみるか
もっともっと深く掘れば、星座の話、仏教など色々出てくるものね
今回の切り口もまた面白かった