花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

白内障で残りの右目を手術

2024年05月16日 | 医療・健康・食生活・衣生活

昨日は12時に眼科の受付を済ませ、その後、手術が済んだ左目の視力検査をした。まだ近くは余り見えていなかった。

その後、右目に瞳孔を開いたり、麻酔をする薬を入れられた。

2時間後に手術室がある階に行って、順番を待った。昨日は9番目だった。

その時点では10人ほどだったので、担当の看護師に「今日は少ないですね。」と言うと、「この後、また同じ数の待機者が来ます。」と言っていた。

順番が来て、手術が前回同様に始まったが、全く眩しくないし痛みも無かったので手術後に言うと、担当した医師が「同じやり方なのに違うのは、多分、目は片方ずつ違うのかも知れないね。」と言われた。

15分程度の手術後「多焦点レンズ左側分」と「プラスチック製眼帯」の費用をカードで払ってから、傍の薬局に行って「痛み止めの薬」1錠を出して貰い、バスとJRを乗り継いで帰宅した。

帰宅後疲れがどっと出て来たが、朝買い起きして置いた食料品と果物で夕食を食べ、何時もより早く寝た。

今朝は10時迄に病院に行き、ガーゼを外して「視力検査」と「医師の診察」を受けた。昨日手術した右目が腫れていると言われた。道理で重苦しい筈だ。

次回の通院は4日後、月曜日と言われた。

毎日3回挿す3種類の点眼薬を薬局で受け取り、バスとJRで帰宅した。4日間、毎日通院したので、今日はさすがに疲れた。

TVを見て気づいたのだが、今まで眼鏡をかけなければ読めなかった文字が、小さい文字を除いて見えるようになったことだ。夕方には車で近くのスーパーにも行って来た。一週間もすれば症状が落ち着いて、もっと見えるようになると良いのだが。

寝る時は、暫く両目に透明の眼帯をして寝る。

 

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白内障で、まず左目を手術

2024年05月15日 | 医療・健康・食生活・衣生活

一昨日午後、かねてから予約してあった札幌のO眼科医院で左目の白内障を手術した。

手術室の前には沢山の人が待機していたので看護師に聞いてみた。すると「今日の手術は20人と少ないが、普通は30人はいる。」と言う返事だった。

その多さに驚いたが、執刀医は3人だと言うから、1人当たり10人をほぼ毎日手術していることになる。

前日は、目に人工のレンズを入れる手術に急に不安が襲ったが、当日は前段の準備は看護師が流れ作業で担当し、麻酔も目薬で済み、執刀医はベテランで、意外とリラックスして受けられた。

手術は成功したと言われた。左目には眼帯が付けられた。

前にも書いたが、「手術代」「レンズ代」共に全額自費負担の多焦点レンズもあるが、私が選んで受けた手術は「選定療養」というもので、「遠中近の多焦点レンズは自費」だが、「手術代には医療保険が使える」ものだ。私はインターネットでそのような国の制度を知って、医師に頼んだのだ。

その日は、片目分と手術代で40万円以上請求され、カードで支払った。

帰りに薬局から目薬と内服薬を受け取り、手術した左目はガーゼを当てて眼帯で覆われたので、片目だけで足下をゆっくり確認しながら帰宅した。

昨日も通院した。手術後就寝中もずっと付けていた「眼帯とガーゼ」が外されて、医師が目を検査してから私が用意しておいた「保護めがね」につけ変えた。

主治医の診察後、前日の手術のビデオを画面で見せられた。ちゃんと「多焦点レンズ」が入れられているのを確認できた。また、「もう自家用車を運転しても良いよ。」と言われたので驚いた。

帰りに薬局で3種類の点眼薬を出して貰い、帰宅後使い始めたら、重苦しかった左目がかなり楽になった。

今日午後から明日いっぱいは仕事ができないので、今朝、「保護めがね」を付けながら「ホウレン草」の間引き、やっと十数cmに伸びた「エンドウ豆」に支えを立てたり、「クレマチス」の誘引、ゴミ出し、早朝から開いている「スーパー」に車で出かけて直ぐに食べられる食品類の買い出しなどをした。

今日も指定された時刻までにJRとバスを乗り継いで1時間強かけて病院に行き、午後に「右目」を手術する。体験済みなので、安心している。

終了後は、また40万円以上の金額を払うことになる。

 

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娘の連休後半

2024年05月08日 | 日記

娘が、2日夜、苫小牧からフェリーに乗り、秋田ターミナルに着いてから正味3日間、自分の車で東北地方を回って来たと言って、6日午後に我が家に来た。

フェリー内は独占価格なので、レストランは高いが、彼女は乗船前に食品を買い込んで乗ったという。さすが親に似て節約家だ。(先日ニュースで、成田空港からアメリカに行く女性がインタビューに応じ、一抱えのパンを買ったと言っていたのを思い出した)

また、道路が混み合っている所でも、今では車載ナビがあるので、それほど迷わずに行けるのだろう。

私は40数年前に2人の子供を車に乗せて、夏にフェリーで通い続けて3年、東北を回った経験がある。下の娘はまだ2歳になっていなかった初めの旅は、洗ったおむつを車の後部に張ったロープで干しながら走ったりしたが、その頃より今はずっと道路事情は良くなっている筈だし。(3年目の旅は、新潟の気温が凄く高く、そのためか娘が熱を出してしまい、途中で全ての宿をキャンセルして帰宅した事もあった)

話しを聞くと、美術館や城などの観光場所は、観光客が一杯、並んでいたと言う。彼女はチケットの大半を予め取って置いたので、現地で並ぶ事も無くスムーズに入れたが、長時間並んでいるらしい人達からは白い目で見られたらしい。

「どこが良かったの?」と聞くと、「どこも良かったよ。」と素っ気ない返事。

仙台に行った時、「イケア」で色々買い込んだ品を見せてくれたが、使い勝手が良い「中サイズの小鉢」が4個セットだったと言い、2個くれた。また、珍しい模様の「冷凍ジッパー袋」も少し置いていった。

夕食は、私手作りの「ミートソース」で作った「スパゲティ」に、庭のニラを採取して作った「ニラの卵とじ」、それと生の「ホッケ」に少量の塩を振って天日干しした「焼きホッケ」、最後の保存じゃが芋で作った「ポテトサラダ」「トマト」を供した。

翌朝の帰り際、「ニラを持って行く?いるなら採ってくるけど…」と言ったら、「卵が無いから、卵もくれるなら要る。」と言う。全くあきれた娘だが、卵もケースに4個入れて持たせた。

ここから数時間運転しなければならないので、朝食後7時前に出発して帰って行ったが、まだ若いからできる行動だと、しみじみ思った。

私自身の連休は、菜園と「セルトレイ」に夏野菜の種まきをしたり、できた「トマト」や「長ネギ」の苗を植えたり、「堆肥」を買いに行ったり、草取りをしている内に終わった。でも満足だ。

 

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4月の庭仕事(6)球根植物が花盛り

2024年05月06日 | ガーデニング・家庭菜園

起きて見ると雨が降ったらしい。天気予報を調べたら、今日は一日小雨だ。

雨の合間に庭を見回った。陽が差さないので、チューリップの花は閉じたまま。これなら写真を撮っておこうと思い、カメラを向けた。

先ず歩道に面した土手の上。手前の「カサブランカ」の新芽が伸びだした。

敷地の入り口。昨年、色が混ざらないようにと除いた「ピンクチューリップ」の球根が一部残っていたらしい。明日にでも、色が分かる内に掘り上げたい。

     

  

2~3日前から「淀川ツツジ」が咲き出した。

     

土手の上の「芝桜」も満開だが、一部分は春先の凍結で枯れた様だ。

  

「五寸アヤメ」

             

「ばら咲きプリムラ」

 

晴天より曇天の下の草花の方が、風情があるように感じる。花ひとつひとつが愛おしい。

 

 

 

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介護施設の費用と預貯金額(亡くなった伯母の体験から)

2024年05月04日 | 高齢期の生活全般

伯母は、伯父亡き後、3世代営んだ農家を畳み、耕作地・住宅地・住宅と付属設備全てを売却し、住んでいたその町の「高齢者専用賃貸住宅」で数年間暮らしていた。そこは自力で生活できる人が入れる施設だった。

やがて、いよいよ自力で生活する事が困難になり、一旦私の家に越して来てから、暫く近くの「老健施設」に入所していた。

初めは伯母が所有する預貯金を届け出ても、施設の利用料に大して影響しなかったが、8年ほど前から「預貯金が1000万円を少しでも超えたら、介護保険から援助されなくなり、施設の使用料は全額自己負担になる」と伝えられた。

そうなると毎月、多額の利用料が自己負担になるので、急遽「老健施設」を出て、我が家で生活し、私が介護の世話をする事にした。

私が外国旅行する時などは、その間だけ近くの「特別養護老人ホーム」に「ショートスティ」して貰った。その際の施設利用料も、預貯金通帳を全て届け出た。やはり1000万円を超えると、利用料は高額になった。


98歳のある日、手押し車を押しながらしていた散歩から帰宅した伯母が、突然「目が見えない。」と言いだした。慌てて「眼科」に連れて行ったが、検査の結果「目には異常がない。」と言われ、その医師の指示で、急遽、総合病院の「脳神経外科」を受診した。

CT画像によると、伯母は「大脳の視覚領域」が広く出血していた。その結果、目が見えなくなっていたのだった。そのままその病院へ入院させられた。

入院中はリハビリが中心の医療だったが、医師から「家に戻って生活する事は無理だ。」と言われた。

2ヶ月近く経った頃、医師から「ここでできる治療とリハビリは済んだので、退院して欲しい。」と告げられ、次の施設を探した。

介護保険が利用できない「介護施設」関係は除外し、「老人医療病棟」がある「病院」を私が探しだして、その病院の入院許可を得て移った。そこなら「医療保険」が適用されるので、当時の伯母は1割負担で済んだ。

結果的に6ヶ月ほど入院したが、ベット生活は伯母の体力も筋力も低下させ、とうとう満99歳で「老衰」で亡くなった。


私が伯母を通して経験した高齢者施設の経済的負担の違いを、友人や知人に話した。

その結果、家族が病院を退院後、家庭での生活ができない状態の時どうしたら良いか、経済面で施設選びを考える参考になったようだった。

その後5年経つが、今は介護保険の自己負担分はどうなっているのだろうかと気になる。やがて自分自身の事になるからだ。

 ※雪解け後1ヶ月経った庭を窓越しに撮る。花は季節を知っていて、何時咲くべきかを決めている。

        

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日本の「少子高齢化」問題を考える

2024年05月01日 | 社会・事件・ニュース

日本の「少子化」は、ここ20年以上、予想しないほどの勢いで進んでいる。

理由としては、

「不安定雇用」の男性が増えたが、その多くが経済的な理由で結婚せず、その結果、独身男性が増加した。

②女性の多くが、今や結婚することに夢を描けなくなっている現実を認識しだし、結婚する事に前向きになれない。また、高学歴女性も増えて、一人なら経済的に自立できる女性が増えた。かって言われた「永久就職」のための「結婚」が、経済的にはそれほど必要とは思えなくなって来た。その結果、独身女性が増加した。

③結婚しても、子育ての大変さや育て上げるまでの養育費や教育費の高額な負担、保育所不足などの状況から、出産・子育てに踏み切れない夫婦が増えている。

④その他に、子供を持たずに夫婦2人が働く収入で、生活を楽しみたい、収入は2人分だが子供を持たない「DINKS」(ダブルインカム、ノーキッズ)の夫婦も増えていると考えられている。

「高齢化」は「少子化」の結果として生じているのだが、国は統計的に何十年も前からこうした問題が起きることを予想していた筈だ。だが長い間、適確な対策をとってこなかった。その付けが、今、露わになって来ているのだと思う。

「少子化」の原因になっているこれら対して、社会全体として問題の解決のために早急に取り組む必要を感じる。

そうでなければ、先日発表された「2050年には消滅自治体が多くなる」とか、「その内、年金財政が破綻する」「労働力を外国人に頼らざるを得なくなる」などの大変な事態が起きる事が避けられそうに無いのだから。

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4月の庭仕事(4)若者達の植え付けを手伝う

2024年04月29日 | ガーデニング・家庭菜園

昨日、一昨日と気温が高くなり、燐家の「山桜」が満開になった。

 

庭の「チューリップ」や「プリムラ」「カタクリ」も開花し、「バラ」の新芽も伸び出した。

 

          

 

良い天気になった昨日日曜の朝は、7時に札幌から若者2人がやって来た。早速友人の裏庭に行って、幾つかの野菜を植えたり、種蒔きの手伝いをした。

先ず、彼らが持って来たじゃがいもの種芋は「はるか」という品種で、「生食でき、加熱しても「メークイン」に似て煮崩れもしにくいので選んだ。」と言っていた。「浴光催芽」により芽出しが丁度良い状態になっていた。大きめなのは縦に切ってもらい、隣家の塀の傍に植えて貰った。量は1kgだったが、予定した面積に丁度納まった。(V字型に2列に植え、山は1山にする予定)

ネットで調べたら、「白肉で、食味が良く、水煮適性が優れ、サラダおよびコロッケ加工適性もある中生の生食用系統。 目の周りが赤い外観を呈し、「男爵薯」よりも多収で、ジャガイモシストセンチュウ抵抗性がある。 青枯病にもやや強いとあり、優れた特性のじゃがいもらしい。

   

次は私が植え終わって余った「実エンドウ豆」の種を蒔いてもらった。

「エンドウ」は5~7年豆を植えたことが無い場所で無ければ「連作障害」が起きやすい場所決めが一番難しい野菜なので、今までの作付けを思い出して貰って種を蒔く場所を決めた。最後に鳥除けネットを張った。

また、私が室内で2月末に種まきした「大玉黄トマト」1株と「中玉トマト」3株の苗を渡して植えて貰った。種を早く蒔き過ぎ、発芽後低温続きで間延びしたので、寝かせ植えして10cm程、茎に土をかぶせて貰った。

最後に「ホウレン草」「小松菜」「春菊」の種を蒔いた。「春菊」は昨年の余り種だが発芽するだろう。また「ホウレン草」は私から今年の余り種を提供した。

          

    

彼らが野菜作りをするのは3年目になるが、植え付け作業は1年に1回だけなので、野菜毎に必要な化成肥料や単肥、また、どの位の間隔で植え付けたり、種まきをしたら良いかという記憶が余り残っていない。だから、そろそろ今年は植え付け時に口出しをしないようにしたいと思っていたが、なかなかそうは行かず、全ての植え付け方をアドヴァイスしなければならなかった。

最後に水やりをして2時間の作業を終えたが、これで安心した。連休中に1度来ると行って帰って行った。

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年金生活前後の「熟年離婚」について考える(2)

2024年04月27日 | 高齢期の生活全般

私自身の事を振り返ると、8歳でまだ30代だった父親を病気で亡くしたために経済的に恵まれない「母子家庭」で育ち、苦労する大正生まれの母の姿を毎日見て来た。

何か欲しいものがある時、母に言うと、「来年になったらね。」と決まった答えが返って来る。だからその内、次第に言わなくなった。

そのため中学生の頃から、「例え結婚したとしても、もしも相手が父親のように予想しない病気や事故にあって働けなくなった時、自分が家庭生活を支えられる経済力を持ちたい」そして「将来、自分が母の生活を支えたい」と考える様になった。女性が働く職場がほとんど無かった戦後間もない時代に、30代で夫を亡くした母は、実は私にとって「反面教師」だった訳だ。

高校には、「日本育英会」の奨学金で行く事ができた。(就職後の最初の夏のボーナスで返済を済ませた)

そして、私の密かな目標に向かって学校生活では努力した。

その甲斐もあり、結果的に結婚後の年収も、退職後の年金収入も、結婚相手とほぼ同等に近い経済力を持つことができた。

しかし、子供が生れると同時に同居した母は、急に病気になり、2年後に旅立った。その後は核家族で暮らした。

子供2人を育てながらの「フルタイム勤務」は、男性優位の風潮が強い社会や家庭で、日々の仕事と家事・育児の責任を果たす事が戦いの様だった。子供が急に発熱などすると、明日の生活さえ見通せない精神的・時間的に余裕が無い緊迫した生活が続いた。

今やとても長くなった高齢期の生活を支える安定した収入は、誰にとっても先ず必要なものである。他人はどう思っているか分からないが、結果的に今は、私自身が想像もしていなかった「贅沢さえしなければ経済的には安定していて、自由で好きなことができ、幸せに思える高齢期生活」を自力で送ることができている。

最後になるが、今は自分の「健康寿命」を1日でも長く伸ばし、家庭菜園や花育てを続けられたら思い残す事は無いと思っている。知人の裏庭を借りてまで野菜を作るのは、農薬にまみれた見かけの良い市販の野菜をできるだけ買わずに、無農薬、低農薬で見かけは悪くても身体に良い野菜を食べたいためだ。

そして、明日死ぬと知っていても、歩けるなら庭に出て季節の花を愛で、野菜の種まきをする気持ちでいたい。99歳で老衰で逝った伯母が、私の目標である。

 ※「健康寿命」とは、制限無く自分で日常生活ができる年齢で、日本の2019年では男性72.68歳、女性75.38歳。

   ※記事を読んで下さりありがとうございます。コメントをいただければ幸いです。

 

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年金生活前後の「熟年離婚」について考える(1)

2024年04月26日 | 高齢期の生活全般

近年、「熟年離婚」をする人が増えているという。

国が専業主婦だった「第3号被保険者」の女性の離婚後の生活を守るために、離婚する場合の「年金分割」を2001年4月1日から法律で決めた事も、結果的に「熟年離婚」を後押しする事に繋がっていると思う。

しかし、「年金分割」は、あくまでも「厚生年金分」だけだし、女性の「家庭生活貢献度」を見極め、最高額は1/2だから、婚姻期間の長短などで「貢献度」が低ければ分割分は限りなく少なくなる。

そうすると、「平均寿命が男性より長い女性」が、離婚後一人で老後生活を維持するのは経済的に厳しくなり、生活保護などの社会保障を受けなければならなくなる人も多くなる。実際に高齢一人暮らし女性世帯の「貧困率」は、同世代の一人暮らし男性世帯よりかなり高い。

「年金分割」をした熟年離婚男性の方も、「年金分割」によって経済生活は極めて厳しくなり、所得が低い高齢者世帯2つが誕生することになる。

また、老後の生活にとって、「住宅費(家賃)」は、毎月の経済生活にとって大きい負担となるし、そもそも高齢者は「賃貸住宅」を借りるのが難しい現実もある。

さらに、思いがけず病気になって「医療費」が嵩んだり、要介護状態になって「介護費用」が発生すると、もっと負担は激増する。

以前、60代の知り合い女性から「離婚したい。」という気持ちを聞かされた時、彼女に自活する経済力があれば反対はしないが、無いのだとしたら考え直す事を勧めた。

その理由として「一般的に男性の平均寿命は女性よりも短いから、もう少し我慢すれば、その内、3/4の「遺族年金」を貰えるかも知れないし、1/2の「遺産相続権」もある」と教えた。

これらの事から考えると、何時の時代でも女性は、結婚によって生涯の経済的な安定が保証される訳では無いのだから、やはり女性自身も生涯に渡り「自立できる経済力」を持つことが大切で、「経済的自立」は「精神的・生活的安定と自由」を保証してくれる生きる上の基本的な第一の条件だと言える。

だから「パート収入の103万円の壁」などで自分の労働者としての「稼ぐ力」を抑えてしまわず、「所得税」や「医療保険税」を支払っても130万円以上の収入を得る働き方を目指す方が、長い目で考えたら「不確定要素」が大きい家庭や社会で暮らす女性にとっては良いと言える。

勿論、結婚しても子供が生れても仕事を持つ女性であり続けるには、自身の仕事に対する前向きで真摯な強い意志と努力、そして健康が必要だ。

また、結婚する際は、相手の男性の「女性観、家庭生活観」を見極める事が、何よりも大切なのは当然だと思う。

間違っても大正~昭和時代に一般的だった「男性は外で働き、女性は家の中で家事・育児・介護を担うのが良い」という古典的な「男女分業型家族観」を持つ男性とは、結婚しないに越したことはないのだ。

また、男性にとっても生涯働き続ける意思を持った女性と家庭生活を共にするためには、自らも延々と続く日常生活に向き合い、妻との共同生活を維持し実践する厳しい覚悟と、妻にとことん寄り添う愛情が必要なのは言うまでも無い。

こう考えると、これからの「結婚相手に望む理想像」は、外見や性格、趣味だけでは無く、男女とも大きく変わって行くに違いないと思うし、変わらなければならないと思う。

幸いに「超少子化社会」を迎えて、国は今年「こども家庭庁」を新設し、「子育て支援策」や「女性の就労支援策」を打ちだしつつあり、「育児休業制度」も前進して、今は3歳未満児の保育所も無かった町で個人に頼りながら子育てをして働いた私の時代とは大きく違って、女性が働き続ける社会環境が前進して来ていると思う。

(つづく)

 

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ホームセンターで種選びを手伝う

2024年04月25日 | 高齢期の生活全般

昨日は朝から雨。外仕事はできず、気温も低い。

それでホームセンターに足りない野菜の種を買いに行った。

種売り場にいたら、私と同世代に見えるメモを片手の女性から話しかけられた。「大根の種を買いたいのですが、どれを買ったら良いか分からないのです。」と。

それで、どれくらいの広さに種まきをしたいかを聞き、袋に書かれている内容量と種の特徴を比べてみせて、結果的に容量が少なく、病気に強く、トウが立つのが遅い種を推薦した。

すると「どのように種まきをしたら良いの?」と聞かれたので、「大根の種は化成肥料に負けやすいから、少し離して種を蒔くと良いよ。」と教え、彼女が持っていた紙に簡単に図示して渡した。

また、堆肥と石灰は知っているらしいが、「化成肥料って何なの?」と言うので、肥料を売っている棚の場所に連れて行って、「8-8-8」が一般的で使いやすいと教えた。

すると、「8-8-8って何?」と聞かれた。「チッソ、リン酸、カリの含有量を表していて、順に、葉や茎を育て、実を大きくし、根を立派にする化学肥料です。」と言うと、「今まで何を植えても満足に育たなかったのは、肥料が足りなかったみたいだ。」と話してくれた。

他に「トウモロコシ」「小松菜」「ホウレン草」の種も選んだ。

「今まで「ホウレン草」の種を蒔いてもあまり発芽して来ないけど。」と言うので、「「ホウレン草」は酸性の土が特に嫌いだから、石灰を他の野菜の1.5倍位施すと良いのでは。」と話した。

また、「エンドウ豆」と「枝豆」の違いが分からないらしい。「エンドウ豆」は「サヤエンドウ」と「スナックエンドウ」があるけど、どちらにしたいか聞いて、適当な少量の種の袋を教えて上げた。

さらに「「人参」は、どの種が良いですか?」と聞かれたので、「五寸と三寸があるけれど、家庭菜園なら「三寸人参」の方が作りやすい。

また、種はなるべく隣同士くっつけて蒔き、掛ける土は薄くする。乾燥しないように管理して、芽が出たら間引きながら8~10cm間隔にすると良いよ。」と言ったら、「間引くなんて勿体ない。」と返された。それで「間引かないと太くならないよ。」と答えて、簡単にメモしてあげた。

彼女には夫君がいるが、先日、病気で倒れてしまったので、今年は自分が庭仕事をしようと考えて種を買いに来たと言っていた。

私が話したことを理解して覚えたかどうか不安だったが、私も次に行きたいところがあったので、30~40分間付き合ってから別れた。別れ際に、「種袋の裏に、蒔く時期、蒔き方などが書いてあるので、字が小さいけれど読んで参考にしたら良いよ。」と教えた。

帰宅後、名前と住所を聞いておけば良かったと思ったが、後の祭りだった。

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4月の庭仕事(2)若者達が来た。

2024年04月14日 | ガーデニング・家庭菜園

昨日の日曜日は、晴天だった。

昼近くに友人の裏庭で私と共に週末園芸をして来た若い二人が、今年初めて札幌から来た。一人はそこに住む友人の孫さんで、昨年2人目の子供が生れたパパ。もう一人は東京近郊の農家の息子で、札幌市内の会社に務めるまだ独身の人だ。2人は学生時代から趣味を通した友人だという。

二人で我が家に私を迎えに来たので、身支度をして畑に行った。

先ず「連作」を避けるために、2年間の作付け場所を振り返り、ざっと今年は「アブラナ科」「ナス科」「豆科」等を植える場所をどこにするか、それから「エンドウ豆」「トウモロコシ」「トマト」「じゃがいも」などの植え場所を決めてから、早速、彼らの領分を耕して貰った。

若いので力強くスコップを突き刺し、休み無く固まった土を起こして行くので感心した。

作業しながら農家を顧客にする企業の部署に勤めている一人が、「不耕起農業」の講演会に行って来たという話しをして、それに対する私の意見を求められた。

私も昨年来、TVの報道を見たり、本を読んだりして少し学んでいた。

「不耕起農業」では自然環境を守ることはできるだろうが、今までと同様の収穫量を上げることは難しいらしいと答えた。この土壌の様に、何も生えていない硬い土では、やはり耕して空気や堆肥を入れ、作物の根が伸びやすくする必要があるのではと言うと、納得したようだった。

また、その講演会で「トウモロコシ」の残渣が作物の生育に良い影響を与えるという事を聞いたらしく、今年は「トウモロコシ」にも挑戦したいと言っていた。

(※写真手前は、一昨日、私が起こした場所だ)

耕し終わったので、「じゃがいも」を植える予定以外の場所に「石灰」を撒き、土と混ぜて貰った。彼らはこの場所に来て野菜作りをし始めてから3年目になるので、大分手際が良くなってきたと思った。

  

来週は、この時期に蒔ける野菜の種を蒔いてもらうことにした。

今年はもう私に頼らず、彼らで自主的にどんどん作業を進めて行って欲しいと思うが、どうなることだろうか。

とにかく今年もまた友人の裏庭で、20歳代の2人と一緒に畑仕事ができると思うと嬉しい限りだ。私の気持ちにも野菜作りのスイッチが入ったようだ。

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大腸内視鏡検査を受けた

2024年04月05日 | 医療・健康・食生活・衣生活

私は、「大腸内視鏡検査」を今までに2回受けている。

その結果、1回目で4個、2回目で3個の「ポリープ」が見つかり、切除手術を受けた。2回目の時は、切除時は1泊入院した。検査結果はどれも「良性」だったと言われた。

1~2年後には3回目の検査をするべきだったが、大量の下剤を飲むことと、その結果の腸内洗浄(下痢)が苦しくて、先延ばしにして来た。

しかし、前回から3年になる今年はやはり再検査をしようと決意して、先日臨んだ。

自宅で午前中に好みで無い味の2Lの下剤を200ccずつと1Lの水を100cc

ずつ交互に2時間かけて飲むのだが、なかなか飲めない。飲み始めてから30分後辺りからトイレに20回ほど通った。腸内から水分ができらなく、予定の時刻より遅れて病院に行った。

また今回は、「検査時に、もしもポリープが見つかれば、日を改めて入院切除するのでは無く、その場で切除して欲しい。」と強くお願いして、医師の了解を受けた内視鏡検査だったが、はっきりと分かる3個のポリープが見つかり、直ぐに切除され、傷口をクリップで止められた。大きさも5mm程あって、今まででは最高の大きさだった。

もしこれを放置したら癌になるものだったかも知れないと思うと、今回決心して検査を受けて、本当に良かったと思った。

帰り際、看護師から今後の食事の注意が説明され、出血を止める薬7日分の処方箋を渡された。

1ヶ月後に行った時に、「ポリープ」の詳しい検査結果が聞けるだろう。

「大腸癌」は、今では男女ともに死因の上位を占めているが、こうして内視鏡検査を受けて、見つけた「ポリープ」を除去しておけば、癌になるのを予防できる。そう考えると、辛く嫌な検査だが、やはり受けておくべきだと思っている。

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最近した近所の人達との交流

2024年03月31日 | 高齢期の生活全般

農業が基幹産業の当市には、札幌市の集合住宅住まいには無かった「隣近所の付き合い」がまだ残っている。

私にとって全く見知らぬ土地だったが、札幌のマンション暮らしに見切りを付け、身体を動かし好きなことをするために、ここの土地を買い、家を建てて越して来てから、すでに15年以上経った。

初め新参者の私は、近隣の人達と親しくなることが何かあった時の自分を守ることに繋がると考え、通る人達の目も楽しませる「開放的な庭造り」から始めた。

次には少しの面積の菜園で野菜類を育て、食べきれない分のお裾分けを始めた。

また、庭仕事の合間に立ち話をしたり、沢山できた惣菜をお裾分けしたりする内に、徐々に近隣の人達に受け入れられる様になって行った。

この10日間ほどを思い返せば、次の様な交流をした。

①芽が出始めた自家栽培のじゃがいもで「ポテトサラダ」を作り、2~3軒に1~2回お裾分けした。

②ネットで複数買った「ショッピングバッグ」などのちょとした便利グッズをある家に差し上げた。

③昨年沢山買って、賞味期限が近くなって来た「オレンジジュース」をお裾分けした。他所からいただいた「缶ビール」を、手を借りた方(男性)に差し上げた。

④昨年の夏、ひどい厚さの日が続いた。このあたりではまだ余り普及していない「エアコン」を「夏に備えて買いたいが、相談相手がいない。」という一人暮らしの女性と一緒に、車で電気店を回って検討し合った。

この方は、ずっと専業主婦だった方らしく、高額の耐久消費財を買う際などは、夫君がどれを買うかの決定をして来たが、一人になってからは買い方が分からないからと話していた。

この内の3軒が一人暮らしの女性だ。

一昨日、90歳代の知人に「ポテトサラダ」を届けに行くと、「新型コロナに掛かって、5日間自宅に引きこもっていた。一時はもう駄目かも知れないと思った。」と言われて驚いた。「どこで感染したかは分からないが、病院に行った時かも知れない。」と話していた。回復したとのことを聞き、嬉しかった。

近隣の方からは、果物や珍しい土産物や名産品などをいただくことが多い。また、私にとっては、生活情報を得たり、野菜作りなどで起きる困り事の相談に乗って貰ったり、重い物を運ぶちょっとした作業に手を貸して貰ったりして来た。

そう言えば、私が冬、海外旅行に出かけた時、窓が開いているのを発見した隣家の方が警察に連絡してくれ、警察が札幌で働く娘に連絡してくれて、お陰で難を逃れた事もあった。

こんなちょとした交流だが、行動範囲が狭くなり、孤立しがちな高齢者にとっては、適当な距離感を保ちながら、普段からちょっとした悩み相談に付き合ったり、お互いに声を掛け合える人間関係作りは、とても大切な事だと思っている。

 

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札幌の眼科医院に行く

2024年03月18日 | 医療・健康・食生活・衣生活

地元の眼科医院の医師に「紹介状」を貰ったので、過日、その医院に電話をかけて、紹介された医師がいる日を聞いた。

また、当地からの行き方を聞いたら、最寄りの「JR駅から歩いて15分」と教えられ、「その他の方法は分かりません。」と言われた。

そこで先日、早朝の受診予約に合わせて出かけた。言われたJR駅を降りてから歩いたが、路面は雪が凍り付いていてツルツルだった。滑って転ばないように緊張しながらだったので、私の足では結局20分かかった。

所が見ると、病院の傍に国道を走るバス停があった。それで帰りはバスに乗ってみることにした。

上手い事に、バスは私が乗ったJRの途中にある大きな駅のターミナルに着き、そこが終点だった。そこからは、ほぼ10分おきに札幌駅まで往復するバスがあったのだ。

翌日は、JRとそのバスを乗り継いで病院に行った。病院のバス停に近づくと「○○眼科へは、ここで降りると便利です。」と車内放送がされていた。ほとんど歩くことが無かったので楽に到着。

帰りに受付に行って、「凄く便利なバスがあるんですから、私のような問い合わせがあったら教えて上げて下さい。」と告げた。

その眼科医院は100人以上の患者で溢れ、混んでいて驚いた。検査機器も所狭しとあって、次々と患者の目を検査していく。

担当してくれた看護師は「アメリカ等海外からも患者が来る。」と言っていた。医療保険制度が整っていない国の医療費は高額だし、今は一時から比べるとかなりの円安なのが影響しているのかもと思った。

結局、私の白内障の手術は5月にする予約をして帰宅した。疲れた。

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「震災後の復興」を再検討すべきだ

2024年03月12日 | 社会・事件・ニュース

一昨日の3月11日は、「東日本大震災」から11年目となった日だった。

図らずも今年1月1日に起きた「能登半島地震」の甚大な被害を、これからどう復興するかが模索されている時でもある。

そんな日の一昨日、夜のTV番組「報道ステーション」を見た。

「311から能登へ」「震災後の復興は、どうあるべきか」をテーマに、宮城県雄勝を取材。知識人3人のコメンテーターが司会者に促されて意見を述べていた。

それを見て私の心に響いたのは、

①「被災して亡くなった沢山の人には、復興は無い。」

「東日本大震災後に膨大な費用を使って高い防波堤を築いても、そこに若い人達の就業場所や学校、保育所、スーパー、病院などのコミュニティ・生活の場が無ければ、若者は戻って来ないという現実がある。

だから②倒壊した建物に支援金300万円を支給するよりは、

「震災が起きる前に、一軒一軒の建物が倒壊しないような耐震補強などの必要な事前対策にお金を出せば、壊れる家は少なく、人も多くが助かり、産業や地域コミュニティがなくならないから復興は要らない。」という今までとは真逆の考え方が必要なのだと。

四国地方で地域ぐるみで②を実践し出している町が紹介されていた。素晴らしい方向と対策だと思った。

国を挙げて、復興対策の方向性を②へと舵を切り、国の膨大な復興予算を効果的に、意味ある使い方をするべきだ、と気づかせてくれた実に良い番組だった。

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