少し前になるが、JICA青年海外協力隊派遣者の報告会が近くであったので出かけた。
その時JICAの一員としてイエメン共和国に派遣され、2年間幼稚園に在籍して幼児指導技術を向上させて来た札幌市出身の中尾美奈さんの報告を聞いた。
今年に入ってから、中東、北アフリカで歴史上初めてという武器を持たない市民が中心の民主化革命が起きていて、世界の目がこの地域に集まっているので、その日は遠い国で働いた彼女の話を興味深く聞くことができた。
以下が彼女の話の中で、イエメンという国について私の心に残った事である。
『イエメンは中東の最貧国で、首都サナアは標高2300mの高原にある。石油は少ししか取れないので、国際支援に頼って経済を維持している。』
『99%の国民がイスラム教を信仰していて、女性はいつも家の中にいて、家族以外の男性の前では黒い布で顔を隠さなければならない。女学生は白い布を巻く。また女性を写真に写してはいけない。
男性は白色のソープ(長着)を着て、腹部に月型の短刀・ジャンビーアを差している。
バス、買い物、結婚式等では、男女は席を別にしなければならない。例えば男性ばかりが乗っていたバスに女性が乗ってくると、片側の席の男性は皆立って、そこに女性を座らせる。
宗教警察といわれる人がいて、宗教の戒律を守らない人を検挙しているようだった。』
彼女自身も自分を守るために日常的に黒い服装をして、黒布で顔を隠して外を歩いたそうである。
『彼女がいた2007~2009年には、インフレでガス代やパン代が次第に高騰し、生活苦が高まって行っていた。』
『学校の建物は、午前中は中学生が、午後は小学生が使うが、椅子や机は同じなので、高さが合わないという問題があった。』
『幼稚園は朝7時半から12時15分まで行われるが、当初子供たちは椅子に座って黒板を見て勉強をするだけだった。
彼女が赴任してからは製作、絵画、外遊び、歌、運動などを取り入れた指導を実践し、子供の発達を促した。道具を片づけること、ごみを散らかさない事も少しずつ教えて行った。(イエメンでは、道にごみを捨てる風習があるという)
そうした活動によって、イエメンの教師たちの意識と指導法が変わって行った。当初は親たちも勉強せずに遊ばせる様に見える指導に反対していたが、運動能力が発達し、手先も器用になった子供を見て、徐々に理解されて行った。』
『たまたま任期の終わりの70日間、インフルエンザが流行って休園になった時間を使って、彼女はイエメンにとっては初めてとなった幼児教育指導本を作り、首都の全幼稚園と第二、第三の都市の幼稚園に配布した。それにより彼女が帰国後、イエメン全土にその本に基づく指導が広まって行った。』
以上の報告を聞いて、イスラム圏の国に対する理解が少し深まったし、中東の人々の暮らしの一端を知れた。
1時間の報告を受けて、女性一人でイエメンの首都サナアに行った彼女の情熱と粘り強い努力には本当に感服させられたし、日本が援助できるのはお金だけではないと改めて知らされた良い報告会だった。
窓辺の花