旅行社から事前に送られたパンフレットによると、北緯34度(日本の伊豆半島の位置)にあり、面積は日本の1.2倍の国であるモロッコでは、地域により気候が異なり、9月の気温は一番高いマラケシュで19.6~36.3℃、フェズで16.7~25.2℃となっていたので、暑さを覚悟して出掛けた。しかし、行ってみたら先週までは40℃あったらしい最高気温は30℃を切っていて、朝夕は涼しい位に感じた。
旅行中、私は下はジーパンを履き、上は半袖のTシャツを下着代わりに一枚着て、さらにその上に長袖の綿シャツを重ね着して過ごした。
木立が少なく、赤土や石がむき出しの大地を歩くことが多かったし、また標高2000mを越す峠やサハラ砂漠が近くなって来ると日射しがかなり強くなるので、帽子、サングラスは手放せなかった。
世界遺産、アイト・ベンハッドゥのカスバ散策では、傾斜のある滑りやすい砂利道を上り下りしたので、安全のために手袋も履いた。普段登山に使っている軽量杖も役立った。但し、杖などを持って行ったのは私だけだったが…。
男性は私達と同じ様な服装の人が多いが、中には帽子付きの長袖ワンピース式民族服、「ジェラバ」を着て、その帽子を被っている人もいた。足にはバブーシュという皮でできたスリッパを履いている人も多く見かけた。
女性の大半は、イスラム教の「肌を人前で見せてはいけない」という戒律を守り、服の上にワンピース「ジェラバ」をはおり、頭にはスカーフを被っていた。
都会ではジェラバもスカーフも色々な色を見せていたが、田舎へ行くとジェラバの色は黒となり、目だけしか出さない頭巾を被っている女性が目だった。(写真左は、田舎の水曜市場を撮した)
飛行場でも黒ずくめの女性に大勢出逢った。驚いた事に、顔中すっぽりと目も黒い頭巾で覆って歩いている女性もいた。若いと思われる女性の大半は、出している目にクレオパトラの様な濃い化粧を施し、目を強調していた。
夏は可成りの気温になるのにも関わらず、現代でも女性はこの様な蒸し暑い重ね着をしていた。(写真右は、旅行中、中流家庭でお茶のサービスを受けた時の男女の服装)
大人に比べ、子ども達の服装は自由に見えた。
モロッコの大地を一言でいうと、むき出しの赤土が多く、植林されている場所と潅漑農業をしている特定の場所、森林や林は、極、限られた場所にしか見当たらなかった。
比較的温暖な気候のカサブランカやラバトなどの海岸地域では、小麦、とうもろこし、野菜、果樹、オリーブ、胡椒、コルクの木などが栽培されていたが、バスが東部のアトラス山脈に近づくに連れて不毛の大地となり、標高が上がるに連れて僅かに生えている草を頼りに山羊、綿羊、牛の牧畜が行われていた。あちこちで男性の遊牧民が一人で十数頭から数十頭の家畜を管理する光景に出逢った。(写真左) 彼らの遊牧中の簡単な小屋も点在していた。
アトラス山地に入ると、川を利用した潅漑農業を行っているオアシスの村が幾つかあった。潅漑農業ではナツメヤシ、とうもろこし、ニンニク、玉葱、オリーブなど色々植えられていた。家は泥造りの家だ。(写真右)
また、山中には養蜂業の巣箱も数カ所見かけた。
泥作りの家は、木が貴重なので赤土にわらなどを混ぜて日干し煉瓦を作り、それを重ねて壁にして作られていた。大都市には近代的な鉄筋コンクリート建築も見られたが、大半は長年変わらず作り続けられている日干し煉瓦の泥の家だった。
家を窓の少ししかない外壁で囲み、中庭を造って、そこから屋内に光を取り入れる方式が多いようだった。田舎では、中庭が家畜の飼育場になっている様だった。外観を見ただけでは、中世の町に迷い込んだ様な不思議な錯覚に捕らわれた。
お茶を頂いた家は、フェズの旧市街の建物が密集した地域にあったが、中庭が無い代わりに居間を天窓にして明かりを取り入れていた。雨が降るとシートを掛けて雨が落ちないようにしているのだと聞いた。
高さの半分くらいまではイスラム模様に装飾されたタイルが貼られ、その上は漆喰の白壁造りだった。大抵の家の内部は、これに似ていると説明された。(下写真左)
しかし、この泥の家は、壁が結構厚く、窓が小さいので断熱性があり、防暑には効果的らしいが、家の中は暗く見えた。
また、砂漠近くの町のホテルでは、部屋の窓が外側はガラス、内側は木製の扉式二重窓になっていて、砂と熱の侵入を防ぐ作りになっていた。この作り方は、まさに寒冷地の分厚い断熱戸に通じると思った。(写真右)
旅行中、私は下はジーパンを履き、上は半袖のTシャツを下着代わりに一枚着て、さらにその上に長袖の綿シャツを重ね着して過ごした。
木立が少なく、赤土や石がむき出しの大地を歩くことが多かったし、また標高2000mを越す峠やサハラ砂漠が近くなって来ると日射しがかなり強くなるので、帽子、サングラスは手放せなかった。
世界遺産、アイト・ベンハッドゥのカスバ散策では、傾斜のある滑りやすい砂利道を上り下りしたので、安全のために手袋も履いた。普段登山に使っている軽量杖も役立った。但し、杖などを持って行ったのは私だけだったが…。
男性は私達と同じ様な服装の人が多いが、中には帽子付きの長袖ワンピース式民族服、「ジェラバ」を着て、その帽子を被っている人もいた。足にはバブーシュという皮でできたスリッパを履いている人も多く見かけた。
女性の大半は、イスラム教の「肌を人前で見せてはいけない」という戒律を守り、服の上にワンピース「ジェラバ」をはおり、頭にはスカーフを被っていた。
都会ではジェラバもスカーフも色々な色を見せていたが、田舎へ行くとジェラバの色は黒となり、目だけしか出さない頭巾を被っている女性が目だった。(写真左は、田舎の水曜市場を撮した)
飛行場でも黒ずくめの女性に大勢出逢った。驚いた事に、顔中すっぽりと目も黒い頭巾で覆って歩いている女性もいた。若いと思われる女性の大半は、出している目にクレオパトラの様な濃い化粧を施し、目を強調していた。
夏は可成りの気温になるのにも関わらず、現代でも女性はこの様な蒸し暑い重ね着をしていた。(写真右は、旅行中、中流家庭でお茶のサービスを受けた時の男女の服装)
大人に比べ、子ども達の服装は自由に見えた。
モロッコの大地を一言でいうと、むき出しの赤土が多く、植林されている場所と潅漑農業をしている特定の場所、森林や林は、極、限られた場所にしか見当たらなかった。
比較的温暖な気候のカサブランカやラバトなどの海岸地域では、小麦、とうもろこし、野菜、果樹、オリーブ、胡椒、コルクの木などが栽培されていたが、バスが東部のアトラス山脈に近づくに連れて不毛の大地となり、標高が上がるに連れて僅かに生えている草を頼りに山羊、綿羊、牛の牧畜が行われていた。あちこちで男性の遊牧民が一人で十数頭から数十頭の家畜を管理する光景に出逢った。(写真左) 彼らの遊牧中の簡単な小屋も点在していた。
アトラス山地に入ると、川を利用した潅漑農業を行っているオアシスの村が幾つかあった。潅漑農業ではナツメヤシ、とうもろこし、ニンニク、玉葱、オリーブなど色々植えられていた。家は泥造りの家だ。(写真右)
また、山中には養蜂業の巣箱も数カ所見かけた。
泥作りの家は、木が貴重なので赤土にわらなどを混ぜて日干し煉瓦を作り、それを重ねて壁にして作られていた。大都市には近代的な鉄筋コンクリート建築も見られたが、大半は長年変わらず作り続けられている日干し煉瓦の泥の家だった。
家を窓の少ししかない外壁で囲み、中庭を造って、そこから屋内に光を取り入れる方式が多いようだった。田舎では、中庭が家畜の飼育場になっている様だった。外観を見ただけでは、中世の町に迷い込んだ様な不思議な錯覚に捕らわれた。
お茶を頂いた家は、フェズの旧市街の建物が密集した地域にあったが、中庭が無い代わりに居間を天窓にして明かりを取り入れていた。雨が降るとシートを掛けて雨が落ちないようにしているのだと聞いた。
高さの半分くらいまではイスラム模様に装飾されたタイルが貼られ、その上は漆喰の白壁造りだった。大抵の家の内部は、これに似ていると説明された。(下写真左)
しかし、この泥の家は、壁が結構厚く、窓が小さいので断熱性があり、防暑には効果的らしいが、家の中は暗く見えた。
また、砂漠近くの町のホテルでは、部屋の窓が外側はガラス、内側は木製の扉式二重窓になっていて、砂と熱の侵入を防ぐ作りになっていた。この作り方は、まさに寒冷地の分厚い断熱戸に通じると思った。(写真右)