また香港は「100万ドルの夜景」で有名だが、日没後、高層ビルに一斉に明かりがつくのを高台のビクトリアピークや海上のスターフェリーの船内から見ると、まるで丈の長い光のカーテンが張り巡らされているように見えるからなのだ。
クリスマスが近づいた今頃からは、ビクトリア湾に面したビルが思い思いにデザインしたイルミネーションを揃ってつけるのも人気を呼んでいた。
しかし、今回は小雨が降る中での見物だったので、私達は残念ながら両方ともすっきりとした夜景を見られなかった。
中国本土と違って屋台はほとんど見当たらなかった。ガイドの話によると政府が不衛生だとして禁止したらしい。
その代り、食堂は朝4時頃から営業しているそうで、7時過ぎに散歩をした時、幾つもの飲茶料理店に客が入っていた。また、蒸し饅頭を売る店に立ち寄って、私たちが菓子パンを買う様に朝食用に買って行く人も多いようだった。
私達が飲食に使ったレストランの食事は、どこも中国本土に比べて全然脂っこくなく、塩味も薄くて美味しく食べられた。イギリスの影響を受けたためだろうと思う。中国旅行ではいつも胃腸を壊し、1~2日間絶食を余儀なくされるのに、今回はたった4日間で私の体重は1kgも増えてしまった。暫くダイエットしなければならないが、増えた体重を同じ日数で戻せるだろうか。
免税店に案内された時、ブランド品には関心が無いので、ガイドから聞いた近くの「ペニンシュラホテル」に案内してもらった。
このホテルは1928年に創業した香港のトップホテルだ。しかし、実は日本との関係が深い場所でもあった。
1941年12月8日、日本軍はアメリカの真珠湾を攻撃した日に、香港への侵略も始めていたのだ。
ガイドブックによると日本軍は中国深センから国境を越えて九龍市街地を占拠し、香港島へと迫った。香港島にいたイギリス軍と戦闘に入り、25日に日本軍が勝利した。その後、敗戦までの3年8か月間、ペニンシュラホテルを接収して軍政庁にし、香港を南方侵略の基地として占領したという。
その間、香港では食料不足が激化して餓死者が続出、100万人の人々が香港を脱出したらしい。
1945年8月15日、日本が無条件降伏するとイギリス軍がやって来て、香港を支配下に置いたのである。
今でも8月の最終月曜日を「香港解放記念日」として祝っているのである。
日本が戦争をした責任は私には直接無いが、こうした歴史的な事実を踏まえた上で旅行をする必要は絶対にあると思う。
今、ホテルの1階レストランでのアフタヌーンティーが人気で、私が行った時にも20人以上の人達が並んで待っていた。2階の隅では丁度「カルメン」の曲を小楽団が生で演奏していて、ロビー全体が素敵な雰囲気に包まれていた。席が空いていれば私もお茶を飲みたかったが、次回訪れることがあれば、また来たいと思った。