花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

ドイツの旅(18)

2011年11月02日 | 海外旅行「西ヨーロッパⅣ」ドイツ・ピレネー山脈縦断

最終日の午後、再びフランクフルトに戻り、先ず旧市街にある4階建ての贅沢な「ゲーテハウス」に入った。
ここはゲーテが1749年8月に生まれた家で、父は皇帝顧問官、母はフランクフルト市長の娘で、一家はこの町の屈指の名家だったという。第二次世界大戦で建物は破壊されたが、市民の強い要望で復元したものなのだ。
一室ごとに壁紙が異なり、調度品も豪華だった。この家にはゲーテが青年時代を送った場所というばかりではなく、18世紀の名家の様子が窺えた。
ここでゲーテは「若きウエルテルの悩み」「ファウスト」などを書いたと言う。

  

最後にフランクフルトの旧市街に案内され、旧市庁舎「レーマーハウス」の前のレーマー広場で解散して、それぞれ1時間ほど自由に散策した。
見ると市庁舎前に大勢の人が集まっていた。どこかの国の指導者が来ると言うのだ。私もカメラを構えて待つこと4~5分。10台程の大型バイクを先頭にして、大型の黒い車から中年夫妻が降り立った。市庁舎の入り口に出迎えたのは、多分市長夫妻? 早速シャッターを切ったが、最後まで誰が来たのかは分からなかった。 

  

広場を挟んで市庁舎の反対側の建物も写して置いた。

      

「フランクフルト」とは、「フランク族の浅瀬」という意味で、フランク族が戦いの時にマイン川の浅瀬を越えた事に由来しているらしい。彼らは漁業と水運で財をなし、中世には帝国自由都市として認められ、ますます商業活動を発展させたという。
現在の人口は70万人。EUが統合してからは400以上の銀行が出店していて、欧州中央銀行もあり、EUの経済の中心地なのだ。高層ビルと中世の建物がすぐ傍で共存している面白い町だった。
自由時間の残りをマイン河畔に行ったり、賑やかな通りの店を覗いている内に時間が経った。ゾーリンゲンの刃物店や写真のハーゲンダッツのアイスクリーム店もあったが、15分程立ち寄った文房具店の豊富で珍しい品揃えに魅力を感じた。

  

集合後、ドイツ第一のフランクフルト空港に行き、搭乗手続き後、20;45発の全日空機で成田に帰国した。
私はさすがに長旅で疲れたらしく、飛行機が離陸すると機内食の夕食が出る前に寝込んでしまったらしい。(友人はその夕食が美味しかったと言っていたので、私は何故起こしてくれなかったのか残念だった) 11時間15分かかった飛行中、多分8時間以上は窮屈な姿勢のまま熟睡していたのだろうと思う。
成田に翌日の15時に着いたが、札幌行きに乗り換えて帰宅したら22時を回っていた。今回は遠いヨーロッパの往復はやはり疲れると特に強く実感した。




こうして旅日記を書き終えて強く思った事は、①ドイツ人は過去の歴史や遺跡、古い記憶や建物に誇りを持ち、大切にする国民だったという事だ。
石の建造物が多い事からも、長く残りやすいとも言えるが、戦争で破壊された建物を何年もかけて復元する強い意思には見習いたいと感じた。
やはり歴史は、実物が残っていて初めてリアルに子孫に伝わる。また、権力者が建てた豪勢な建物も、当時の建築家や芸術家の技術を集めたものだと考えると、皆、人類の大切な遺産なのである。

②食事はじゃが芋と肉やソーセージが中心で、ホテルではパンは朝だけ出た。レストランの昼夜の主食は、付け合せのじゃが芋だけ。写真左は、茹でたビーフの薄切り肉に添えられたじゃが芋だ。右はチキンに添えられたじゃが芋。じゃが芋も肉も茹でただけでほとんど味がつけられていなく、ソースが掛かっていた。

      

私も帰国後は、ドイツに習って自分で収穫したじゃが芋を一生懸命食べている所だ。じゃが芋は調理しても壊れにくいビタミンCを含み、高血圧を抑制するカリウムも多い。また味が淡泊なので調理法を工夫すれば美味しく飽きずに食べられるのだから。

③またバスで移動中、あちこちで風車を見た。
ドイツはエネルギーの9.3%(2004年 出典: VDEW 2005, estimated; BMU 2005, preliminary)を再生可能エネルギーで賄っていて、その内訳はバイオマスが1.6%、水力が3.4%、風力が4.2%、太陽光0.1%だ。いずれも発電した電力を近場の発電所が買い取らなければならないことになっていて、実際に家庭が買う電気の料金は値下がりして来ているという。
ドイツは風力による自然エネルギー先進国だったのだ。しかし、風車を建てる場所がもう飽和状態なため、今後は海上に建設することも検討されているらしい。

  

今回、歴史が色濃く残るドイツの街々を訪ねて、多くの事を学び、楽しかった。いつかもう一度、ベルリンには行きたいと思っている。
この記事を読んでいただいた方々には、長く拙い「ドイツの旅」の報告にお付き合いいただき、またコメントを寄せていただいた事に感謝している。
私が撮った写真と書いた文が分かりにくかったのではと心配している。(完)





コメント (4)
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